サイアスの千日物語 百四十四日目 その三十五
差し出した書状が回り回って己が手に。
流れのままに閲覧すれば記載内容は突飛
に過ぎて、最早脳が理解を拒んでいた。
シェドは余りに余りな今の心境を言葉で表現
し切る事ができず、思いのたけを創作ダンス
に託して名状し難い奇ッ怪な動きを開始した。
その様がまた余りにも奇奇怪怪が行き過ぎて
広間の人々は盛大に顔を顰めるも次第に腹を
抱えて笑い出した。蓋しこれも人徳ではあろう。
とまれその場の空気は何やら和んだ。
シベリウスは改めて書状を受け取って
「書状の内容はともかくとして
君はたいそう使者向きのようだ。
書状の内容は正直なところ、
私の理解を超えている。
お陰で序盤の字面しか読み取れぬ。
ここは一つ城砦軍師の叡智による
噛み砕いた説明を願うのが良いだろうな」
と再び城代たる軍師ロミュオーへ書状を渡した。
実のところ、この辺りの流れはここでは
平素の通りであった。つまりまずは城主が
確認し、城代そして副官へと回す。そうして
最上位の3名で回覧した後、改めて城代より
書状の内容について他へと口頭で語る。
例外だったのは使者に戻した点だけだ。
これはトンでも書状を持ってきた使者への
意趣返しの類である。威風堂々と武張っては
いるものの、存外にお茶目な連中ではあった。
「そうですな……
まずは魚人の件からにしましょうか。
早朝より開始される『ゼルミーラ作戦』
の展望にも、大きく関わって参りますので」
とロミュオー。
お多福面と芝居がかった挙措以外は凄まじく
まとも。支城の誰よりも常識的で理知的。
むしろ荒野の修羅の巷には繊細過ぎる程で
城代に打ってつけの人材ではあった。
元来ロミュオーは高まった魔力の影響として
「四つの症例」のうち火と風を発症していた。
火の症例では端的に言って凶暴化が起こる。
感情の起伏が極端となり、大抵破壊衝動に
身を焦がす。最終的には神話伝承の狂戦士や
人狼の如く、敵味方区別なく殺戮するという。
一方風の症例では端的に言って狂人化する。
常に同時に複数の思考が錯綜し、脳裏の処理に
自我や表層が追いつかなくなるのだ。傍目には
早い段階から異常に移り、最終的には正常な
部分を全て失ってしまうのだと言う。
もっとも元の知性が高ければ脳裏の処理に
自我が「追い付ける」ため、重度でも多少
奇行が目立つ程度で済むようだ。
現段階でロミュオーは火と風を一段階ずつ
発症していた。要は躁鬱気質かつ分裂気味な
精神状態であった。
人付き合いには何とも厄介な有様だったが、
魔具であるお多福面を用いる事でそれらを
抑制する事に成功していたのだった。
「魚人との共同戦線についてですが、
これは多分の忖度と暗黙の了解に基づく
漠然とした、不文律的なもののようです。
魚人は河川の眷属の中では生態系の
最下層に位置する『餌』であるために、
河川に隣接した陸上を安住の地として
求める傾向があります。
奸智公の手先として画策していた水攻め
の一手も、同地を己が新たな棲み処として
得ようという皮算用があった事でしょう。
そうした希求の発露として、魚人らは
現在元来大口手足が縄張りとしていた
『岩場』北岸を奪取すべく、大規模な
侵攻作戦を展開しております。
もっとも最新の戦況としては魚人の不利。
少なからぬ損害を出して一時撤退に
追い込まれたという話です」
ロミュオーは淡々とそう語った。
北往路防衛の要衝たるビフレストには同地の
防衛が最重要との観点から、他所の即時的な
戦局については必要十分な量しか入ってこない。
よって昨日の戦局は一通りかたの付いた今、
この書状で漸く報じられる形となっていた。
「そこで『グントラム作戦』を主導する
ベオルク閣下は、岩場の東手、大回廊の
北端となる遠浅の水場より南方へ向かって
『水路の一部』を『断続的に』建設されました。
魚人は水場から離れるほど戦力指数が低下
するという特色を有しています。逆に言えば
遠浅の水場があれば戦力の低下なく戦闘状況
が調えられるという事です。
つまりベオルク閣下はいずれは水路と成す
べき窪地を断続的に築く事で、魚人に岩場
への二方向からの侵攻を成さしめる土壌を
整備し『敢えて放置』。
魚人はこれを『人工物』だと知った上で
岩場攻めの橋頭堡として利用し、断続的な
水路の一部を全て活かすべく『狭間』を
『自らで掘り進める』事で間接的に騎士団の
水路製作への『協力』を開始しております。
魚人にとっては大ヒルや鑷頭の侵入できぬ
陸地をこそ求めているため岩場が第一希望
の地所となります。
そこで騎士団は魚人の岩場取りに協力
しつつ大口手足の東方侵攻を阻むために。
一方魚人は騎士団の城砦北方領域における
支配権確保とその磐石化に寄与しつつ
大口手足の根城たる岩場を得るために。
互いに『大口手足を敵とする共通点』を
活かし『共同で大回廊に水路を掘る』と
いう共同戦線を構築した模様です。
元より荒野の異形は人より知力に秀で
中でも魚人や羽牙は統率力を活かした
組織的な軍事展開をする事で知られています。
ベオルク閣下の仕掛けたこの『提案』を
正しく理解し、最大限利用するために、
魔の率いぬ『野良』の軍勢としては、
人へと態々手を出さぬ。
そうした腹芸が出来る程に知恵が回る訳です。
無論これは口頭ですら約されぬ不確かな類の
共闘であり、接触すれば戦闘となる可能性を
排除できるものではありません。
それでも当面、少なくとも魚人による岩場の
確保が成しえるか水路が完成するまでは、
『互いに互いを利用するために積極的に襲わぬ』
という暗黙の了解が成立する。
魚人との共同戦線とはこういう絡繰です」
おぉ、とこれにはどよめきが起こった。
百年来の敵である異形との共同戦線、と
だけ聞かされては、納得のいかぬ向きも
多くて至極当然である。
だが詳説により飽くまで利用するための「策」
だと判った事による安堵もまた、どよめきには
多分に含まれていた。
「これは今早朝より我らビフレストが主導して
おこなう『ゼルミーラ作戦』にも好影響を
与える事となります。
魚人は現状岩場に掛かりきりなため、魔の
横槍でもない限りは小湿原へと自主的に
出張ってくる蓋然性は低くなります。
また餌である魚人が寄らぬという事は、
魚人を餌とする大ヒルや鑷頭も岩場へ
向かい小湿原付近に寄らぬという事。
この点においても共同戦線は我らに
有利な状況をもたらす事になりましょう。
もっとも小湿原に関しては別の懸念が
提示されておりますが、少なくとも対魚人
という観点では都合の良い事尽くめかと。
しつこいようですが、遍く荒野の異形らを
強制的に自らの手駒と成して軍を興し、人を
喰らいに攻めて寄越す『魔軍』という枠組み
を前にした場合、これらの駆け引きは全て
水泡に帰する事となります。
そのためけして過信はできませぬ。
さらに異形は本来人を喰らうもの。
飽くまで一時的な共闘である事も
忘れてはなりませぬ。
この点重々肝に銘じておくならば、
我らにとり頗る有益な話かと存じます」
軍師にして祈祷士、西方三博士の一人とも
称されるロミュオーの語る内容は示唆に
富み、聞き手に正しく状況を理解させた。
奇矯な面と挙措であっても流石は人類
4億分の20。叡智の殿堂の大賢者よ
と周囲は感嘆すること頻りであった。




