サイアスの千日物語 百四十四日目 その三十一
遠く南方のオアシスより騎士団長チェルニー
の発した戦闘状況終了の一報は、中央城砦を
介して北方の各所へと届けられた。
受け手としては従来であればまずは北東の支城
ビフレスト。次いで手前の歌陵楼というところ
だが、当夜に限ってはそれどころではなかった。
未明の荒野北方には多数の部隊が展開し、各々
独立別個に動いていた。もっとも総体としては
ただ一つ。「グントラム」と称される作戦名の
揮下にあった。
グントラム作戦。本来的、第一義的に通達
されていた本作戦の戦略目標とは城砦北西、
岩場の手前。大回廊と北方河川との交点
となる水場の恒常的な確保であった。
水源の無い高台にある中央城砦にとり水場の
確保は存続の絶対条件でもあるため当然この
戦略目標は隠れもない大義であったが、実の
ところはそれだけでもなかった。
むしろ水場の確保を大前提として、付加的な
形で第二の遠大な目標をも有していた。
それが大回廊以東かつビフレスト以西及び
北方河川以南となる中央城砦北方領域の軍事的
支配権の確立であり、これを具現化すべく
グントラム作戦揮下の各軍各隊は挙動していた。
現状中央城砦の北方領域に展開する
各軍各隊は概ね以下の通りである。
まずは中央城砦外郭北防壁の西端より北北西、
最も北方に野営地を築き早朝よりの作業再開
に備える本作戦主力軍「ミンネゼンガー」。
兵団第四戦隊副長にして騎士会序列3位。
魔剣使いたる城砦騎士長ベオルクの差配する
総合編成の一個大隊であった。
次にグントラム作戦に独自の裁量で参画する
機動大隊として、兵団第四戦隊所属、兵団長
サイアスの率いる「ヴァルキュリユル」。
ミンネゼンガーと同様に多数の工兵を擁する
総合編成の一個大隊であり、現在は中小の部隊
に分かれて専らミンネゼンガーの野営地以南
にて独自の行動にあたっている。
もっとも独自の行動とはいえどグントラム作戦
の掲げる大目標を共有し、かつミンネゼンガー
の戦略目標をも支援する形で動いていた。
この辺りは平素よりベオルクの配下である
サイアスと彼の小隊がヴァルキュリユルの
中核を成しているためだ。
ヴァルキュリユルはまさに阿吽の呼吸で以て
随所でミンネゼンガーの成さんとする壮挙を
支援していた。
ヴァルキュリユル内の部隊としては、まずは
ランド率いる工兵中隊。これをロイエ中隊が
護衛しラーズの小隊が遊撃。
さらに中央城砦外郭防壁上からディードと
クリンがそれぞれ弓兵小隊を率い、城外に
展開中の各隊への支援に当たっていた。
ミンネゼンガーの野営地は未明にもかかわらず
篝火と活気に満ち、中央では頻りに翌朝よりの
作業の準備が万端に調えられていた。
ミンネゼンガーが現状掲げる具体的な
戦略目標とは、大回廊の水路化であった。
これにより水場を城砦近郊まで延長しつつ
岩場を孤立させ、北方領域より大口手足を
追い出す一手だ。
城砦北方領域に専ら出現する異形としては3種。
北方河川近郊を主体として魚人。
大回廊以西の岩場を根城とする大口手足。
さらには城砦北東の小湿原より飛来する羽牙。
大多数の遭遇例はこれらのうちどれかであった。
この3種の異形らは、城砦北方領域に在る
それぞれ特徴的な地勢を根城とし、そこに
依拠して活動している。
北の河川、西の岩場、東の湿原、これら3種だ。
そして3種の異形らは各々の縄張りの交点となる
城砦北方で互いに相食み、気分次第で城砦近郊
まで足を伸ばして人を喰らうという肚であった。
詰まるところ城砦騎士団が城砦北方領域を
支配下に置くには、上述した3種の異形を
追い払う必要があった。
これら3種のうち小湿原を根城とする羽牙は
架橋作戦、魔笛作戦を経て相当に数を減らし、
根城を空けての積極的な攻勢に出れぬ状況に
まで追い込んであった。
また岩場の大口手足に関しては、黒の月、
宴の折での目減りに加え、岩場南端よりさらに
南西に在る奸魔軍の拠点、丘陵地帯へと「徴兵」
された事により羽牙同様目減りが顕著であった。
そこを互いに相食む関係にあり北方河川中で
最も立場の弱い異形である魚人が横取りすべく
狙い現状交戦状態にある。
騎士団としてはこれを利し「漁夫の利」宜しく
魚人の上前を撥ねる形で大回廊の北の
付け根より断続的な防壁付きの窪地を設置。
これを魚人に利用させる形で対大口手足な
暗黙の共闘を示唆し、少なくとも魚人側が
窪地の利用を開始。その後の動静を見守る
形となっていたのだった。
第一時間区分終盤初旬、午前4時15分。
ミンネゼンガーの野営地中枢よりやや南に
寄った天幕にて、ミンネゼンガーのうち
戦闘部隊の幹部数名が卓を囲んでいた。
ローブ姿の女性数名がやり取りしつつ慌しく
作業するその卓上には城砦北方域の地図が
広げられ、随所に様々な形状の駒らしきもの
が設置され、現地現刻の俯瞰図を再現しよう
と躍起になっていた。
とそこに、異様に筋骨隆々でパツンパツンな
ローブ姿が現れて、全てを見守る総大将へと
一報を供じた。
「将軍、中央城砦より急報にて。
『アイーダ』の主力軍が『オアシス』での
戦闘状況を終了し、撤収準備に掛かったと」
野太くやたら良い声で告げる筋肉軍師。
わざとなのかどうなのか、地肌の色味と
纏うローブが同色であり、かつパツンパツン。
お陰で一見すると全裸に見える。
周囲の特に女性は顔を顰め背けた。
「ふむ、撤収な……
相当削ったという事か?」
自慢の髯を撫で付けつつ問い返すベオルク。
「大物含め240弱との事ですな。
うち230が大口手足だとか。
残る400弱は撤退した模様ですが
元来拠点防衛用の手勢と見込まれるそうで」
軍師にしては抑揚のある声で
マッシモはそう報じた。
「事情は騎士団と変わらぬようだな。
では此度の戦は丸儲けなのか?」
「いえ、それがまた、とんでもない事を
しでかしてきたそうで、奸智公自身は
相当に潤っておるようです」
マッシモは超縦長の話を、さらにその後の
地獄絵図の話をした。天幕内の面々はすっかり
苦虫を噛み潰したような顔となっていた。
「……まったくロクでもない女ではある。
が…… 許容範囲と言えなくはないな」
不快感は申し分なし。されど背後の理に
目を向けたなら、自ずと見解は違ってくる、
と思案げなベオルクであった。




