サイアスの千日物語 百四十四日目 その十七
夜の荒野と同じ色に満ちた中央塔上層指令室。
暗がりの壁面に映し出される随所の映像を、
とりわけ二の丸中枢の高台の惨状を眺める
ルジヌの表情は険しかった。
如何に急ぐとて明確に「壁では無い」小天守の
傍らをかすめる不始末。結果奇襲を許すも碌に
即応せず只管従前の挙動を続けた事。
そして高台の火竜へと攻撃中に殺到した
怒れるオッピドゥスへの対応のまずさ。
これらは全て「平素通り」。騎士団が荒野での
100余年の戦歴で経験してきた至極一般的な
羽牙の挙動であったからだ。
騎士団騎士会序列2位、城砦騎士長たる
第一戦隊長オッピドゥスの戦力指数は35。
単純な戦力値としては1225となる。
さらに完全に虚を衝いた側背よりの奇襲ゆえ
敵方の夜戦有利をさっぴいてもまず1.5。
自身専用に造られた防衛陣を利して1.5。
よって天地人の係数としては概ね2.25。
オッピ側の実の戦力値は2756と目された。
一方羽牙153体の水準戦力指数は2。
ここから単純計算される累計戦力値は612。
だが実際は3体1組の小隊指揮効果を考慮し
戦力指数7が51組だと見做し2499となる。
2756対2499。戦力差257。
さらに平方根を取り、オッピドゥス側に
戦力指数が16残る。そういう見立てだ。
つまり羽牙側としては、奇襲一手目で存分に
削られてからでも移動専心の方針を変更し
まともにやり合えば、オッピドゥスにかなり
の深手を与える事ができた可能性があった。
宴における決戦兵器たる火竜の破壊と
歩く通行止め、城砦その人とも呼ばれる
オッピドゥスの破壊。
どちらを優先するかは判断の分かれるところ
だが、流石に一顧だにせぬと言うのは先刻
までの統率者が健在であれば、考え難い。
そう、健在であれば、だ。
ルジヌはこの点について拘った。
つまり北西の陽動へと回った羽牙部隊を
北を目指す羽牙本隊へと急遽即断し合流
せしめた統率者は、その後羽牙全体の制御
を放棄した可能性が高いという事だ。
微に入り細を穿つ精緻極まる統率を急遽
途中でぶん投げた感のあるこのやり口に
ルジヌは強い違和感を感じた。
これは奸智公のやり口ではない、と。
そもそもあの女ならもっと早い段階で
ニタニタと傍観に回っているはず。
あれはあれで筋の通った悪党神であり、
二の丸侵入後も移動に手を貸すと決めた
ならば、目標たる火竜へと至るその寸前
まではきっちり面倒を看ているはず。
もちろん気まぐれな女だ。途中で飽きて
放棄する事は十分考えられるが、それでも
今回のこれは違う。ルジヌの「女の勘」が
そう告げていた。
つまり中央城砦を急襲し強襲した羽牙飛行軍団
の統率を担っていた者は、奸智公の別にいた。
その者が途中で統率を放棄した。
結果こうなった。それが答えだ。
ではその者とは?
そして放棄した理由とは?
そこで先刻の着想となる。すなわち祭りとは
神事の再現であること。荒野における祭りとは
黒の月、闇夜の「宴」であり、先の宴の際
羽牙に絡んで一体何が起こったか。
「……ルジヌ?」
ミカガミは怪訝な表情を向けた。
筆頭軍師ルジヌはミカガミの成す戦況報告に
まるで応じる事なく、壁面の映像を無言で
睨み続けていたからだ。
シラクサや祈祷士らもルジヌを見やる。
耳目の集まりに険しい表情を保ったまま、
「中央塔の全隔壁を閉鎖。
上層外縁部と通信を」
と命じた。
平素より抑揚の薄いルジヌの声は最早
凍てつくが如し。直ぐに事態の重さは
理解され、速やかに下命は実行された。
「中央塔の全隔壁、閉鎖完了。
本領域は中層及び上層独立区画から
切り離されました。
……上層外縁部、応答ありません」
シラクサの念話が指令室に響き、遂に他の
者らもルジヌの懸念の正体を理解した。
「中層、及び下層に救援要請を。
戦力が整い次第順次隔壁を開放し
こちらを目指して貰ってください」
さながら手足のように、
一個の生き物のように。
恐るべき速さと精度で羽牙に
挙動させていた者の正体とは。
「総員、結界を張って当室に立て篭もり
救援部隊の到着を待ちなさい。
到着までは決して退室してはなりません」
黒の月、宴の折、百等伯爵の手勢として
中央城砦を襲う羽牙の存在を知らしめる
奸智公よりの使徒として。
「以降の指揮を委ねます」
さらには奸智公自身の興の乗るままに
中央塔へと飛来して闇の災禍を招いた者。
「!? 貴方は?」
新兵カペーレの屍に潜み、屍肉を通して
禍々しき旋律を響かせた異形の存在。
「外縁部へ。不始末の責は
この身で取ります」
奸智公の使徒、上位眷属「四枚羽」。
今は別の名称で呼ばれるこの恐るべき、
忌むべき存在の到来をルジヌは確信していた。
指令室の扉を出ると2名の歩哨が立っていた。
シラクサの報じる念話を受け、中層、並びに
独立区画との隔壁閉鎖の実務に当たったのが
この2名だった。
ルジヌは両名の戦力指数を確認した。0だ。
厳密に言えば城砦制式装備群の分少数を有する
が、結局対異形戦闘において戦力として計上に
値しない存在、そういう事だ。
彼らは参謀部同様兵団員ではなく、騎士団長
個人に仕える私兵の類だ。戦力指数を持たぬ
のは自然な事だった。
ルジヌは彼らに中層への隔壁前へと移動する
よう伝え、2名が去ったのち指令室に簡素な
防護魔法を掛けた。
力ずくでこじ開けようとするならば多少は
抵抗になる障壁が発生し、満足したルジヌは
外縁部を目指した。
天上こそ高めだが中央塔上層は狭い。部屋も
指令室以外には数室しかなく、すべて1本の
通路で結ばれている。
指令室をのぞき現状人気がない事を気配で察知
したルジヌは通路を進み、途中下階への階段前
で先刻の歩哨より敬礼を受け、さらに先へ。
外縁部へと続く扉へと近付き、生まれ育った
アウクシリウムの城砦の子の訓練施設以来
ずっと愛用している鞭を手に取った。
鞭の先端は容易に音速を超え、発する衝撃は
生半ならぬものがある。だが第一義としては
「痛めつける」ための道具だ。殺傷力を
追求した武器ではない。
ただし音や痛みは獣をはじめ思考や精神を
有する者に効く。恐怖の感情を抱ける者には
実値以上に使えるのだ。そして荒野の異形は
人より優れた思考や精神を有する者が多かった。
ルジヌの最大の武器は視神経より介入し
相手を心神麻痺に追い込む「魔眼」である。
その補助としては殺傷力を優先した武器より
鞭の方が都合が良い。そういう判断であった。
ルジヌは現役城砦軍師のうちで最も戦を好み、
最も頻回に前線に赴いた経験を有していた。
そのため「気配」については騎士並みに敏い。
だが扉の背後、間近に異形の気配は無かった。
扉は施錠されては居なかった。つまり外部には
兵士が展開中、あるいは展開中「だった」ろう。
覚悟はとうに決めている。
引退を考慮せざるを得ない身でもある。
そして次代を担う若手は着実に育っている。
娘の事を思えば心は痛む。だが城砦の子として
役目を全うする事を躊躇う理由は全く無い。
状況確認し可能なら外縁部の外壁を閉鎖する。
成すべきはそれだけだ。後は全て瑣事に過ぎない。
ルジヌは意を決し、一拍の後静かに扉を開けた。




