サイアスの千日物語 三十二日目 その十七
一方その頃。
サイアスはロイエ他2名の補充兵を伴って
中央城砦の本城を大きく十字に走る目抜き通りを
北へと急いでいた。
オッピドゥスの言の通り既に話は通っていたようで、
歩哨の兵士らは脇へ避けつつ敬礼し、サイアスに
労いの声を掛けてきた。サイアスは両手が既に
塞がっていたため、これに会釈のみして通過した。
「あんたほんと顔が広いわね……」
初めて入った本城に
好奇の目を向けつつロイエが言った。
「わざわざ異名を広めてまわった
お困りな騎士たちが居てね……」
サイアスは進行方向を見据えたまま
溜息混じりで答えた。デレクらの
ニヤニヤ顔が目に浮かぶようだった。
「……結構距離あるな。間に合うかねぇ」
目付きの鋭い男が言った。
他の補充兵を気にかけている風だが、実際は
手にした合成弓の調子を確かめるのに夢中だった。
平原で用いられている一般的な弓は、単弓もしくは
丸木弓とも呼ばれる単一素材の削り出しであり、
その張力は概ね弓自体の大きさに比例した。
形状は大抵の場合直線的な、もしくは緩やかな弧を描く
棒状で、そこに弦を張ることで撓りを与え張力を発した。
そのため単弓の張力は弓の大きさと正比例するといえた。
一方合成弓は複合素材による積層構造及び
強度の必要な部分への金属による補強によって、
大きさにそぐわぬ張力を発揮し得る弓であった。
形状は大抵の場合単弓と異なり複数の角度を持つ
直線的なものであり、場合によっては射出方向への
反りを持つ場合もあった。
男が手にしている弓は遊牧民族や騎兵が馬上で扱う
小振りなもので、射出方向へくるりと巻いた
装飾的な両端を持ち、植物繊維を編み上げた弦は
かなり太いものだった。
一向は足早に大路を北へと進んだが、大路は
外郭防壁の一辺に迫る程の全長を持っていたため
相応の時間を要することとなった。
それでも南門側から入ってほぼ5分ほどが経った頃
本城中心部にある目抜き大路の交差点、中央塔のある
大きな円形の広場が前方に見えてきた。
広場の中央に聳える大黒柱を兼ねた中央塔を
物珍しげに眺めるロイエたちを促してさらに先へと
急ぐサイアスの下に、横合いから見知った人物が
姿を現し、サイアスと並んで足早に歩き始めた。
「これはまた随分と物々しいな。
どこへ向かうのだ?」
興味深げに声をかけてきたその人物とは、
カエリア王立騎士団の正騎士にして軍師。
そして城砦軍師でもあるヴァディスだ。
城砦騎士団における階級は参謀部付き兵士長。
見掛け上の階級はサイアスより1つ上であった。
ヴァディスは緩やかなローブの上に王立騎士団の
エイレットが付いたケープを羽織り、三つ編みに
束ねた光沢の強い亜麻色の髪を肩で揺らしていた。
「オッピドゥス閣下より、北門外にて
訓練課程で周回中の補充兵の警護を
担当するよう仰せつかりました」
現状中央城砦に詰める人々のうちでは最も長い
付き合いとなる一人なヴァディスに対し、
サイアスはやや微笑んでそう告げた。
これにヴァディスは自然に頷き、
少し思案してサイアスに告げた。
「占星術を主専攻する者が、ここのところ
かなり騒いでいる。件の祭事遠からず、
というところらしい」
ヴァディスはロイエ他2名の手前、
やや婉曲した表現を取った。
件の祭事とは無論、軍勢と化した魔と眷属による
当城砦への大規模侵攻。すなわち「宴」だ。
「マナサ様もそう仰っていました」
サイアスは短く応えて頷いた。
「おや、君はマナサと知り合いか」
と意外そうなヴァディス。
「ヴァディスさんこそご存知で?」
サイアスも意外そうな声を出した。
「あぁ。飲み友達さ。
どうだ、今度君も一緒に」
ヴァディスは楽しげに微笑んだ。
「なんだかとても
いじめられそうな気がする」
サイアスは小さく肩を竦めた。
ヴァディスは愉快気にサイアスを見やり、
「マナサにはこちらから伝えておこう。
きっちり戻ってくるんだぞ」
そう言って笑い、ヴァディスは
サイアスのベルトに布袋を一つ括り付けた。
「? これは何?」
「カエリアの実さ。
そろそろ切らす頃かと思ってね」
ヴァディスは形のいい唇に指を当て
片目を閉じて微笑んだ。
「やったー!」
歓喜の声をあげたのは
サイアスではなくロイエだった。
ヴァディスはその様を見て楽しげに笑った。
「なんだ彼女か?
後でちゃんとお姉ちゃんに紹介するように」
「か、彼女!?」
ロイエは挙動不審となり
サイアスはジト目でヴァディスを見やった。
「マナサさんにもそう言うつもりか……」
「おぉ、よく判ったな。
きっちり報告しておくから安心してくれ」
「何を安心するというのか」
嘆息するサイアスに対しヴァディスは
とても楽しそうに声を立てて笑った。
「フフフ、城砦での暮らしにも
随分と楽しみができたものだ。
まぁそれはそれとして」
ヴァディスは愉快気にそう告げ、
次いで表情を引き締め、頷いた。
「……ではサイアス。
そして兵士諸君。貴君らの武運を祈る」
「行ってきます」
サイアスはこれにしかと頷いてみせ、
供する3名も同様に会釈した。
遠からぬ前方では本城北口が。
そのさらに先では外郭防壁北城門が
既に開け放たれており、城門の左右では
北門付きの兵士らが一行を敬礼で迎えた。
サイアスらは会釈して本城北口を、さらに進んで
北城門の最も内側の扉であった跳ね橋を渡った。
そしてサイアスは城門外の荒野の大地に
持参したジャベリンを突き刺した。
「閉門する! 武運を!」
背後から声がかかり、ガラガラと大きな音を
発して跳ね橋は上がり、さらに橋の屋根
であった中の扉は降り閉じた。
やがてドシン、と大きな響きを立てて
最も外側の落とし扉が落ちた。
機械仕掛けの三重の鉄城門は
こうして完全に閉ざされた。
サイアスたちは振り返ることなく北方を見やった。
夕焼け色に染まった景色の中で地平の果て、
遠方の川面が時折光を放っていた。
そして川面を隠すようにして
黒いわだかまりが城砦目指し迫っていた。




