サイアスの千日物語 百四十四日目 その六
まずは脳裏に正方形を描く。
次に正方形の内側に対角線を加え、
対角線の交点から正方形の頂点までを
二等分する点を全部で4つ追加する。
これは現状の戦局を模式している。
具体的には正方形の四つの頂点のうち
右上がビフレスト。左下が南西丘陵。
対角線上の四つの点のうち
右上が中央城砦。右下がオアシスだ。
さらに申さば対角線上の四つの点のうち
左上は岩場、左下は奇岩群の半ばを
大まかに示している。
そして正方形の右の一辺は大湿原の縁なのだ。
模式図は飽くまで模式図に過ぎないが、
戦局を俯瞰的に把握するには十分役に立つ。
例えば1点目。
アイーダ作戦の目標地点、オアシスまでの
直線距離において、騎士団と奸魔軍では
倍近く差があるのだという事。
さらに2点目。
騎士団は実際は高台を大きく迂回して進んだ。
これは対角線に沿って交点を経由しオアシスを
目指すのに近しく、主力軍と奸魔軍の移動距離
の差を近づける効果があるのだという事。
加えて3点面。
参謀部正軍師の試算が確かならば、本来
奸魔軍は夕刻にはオアシスに到着していて
然るべき。だが実際は倍の時間を掛けて
到着しているのだという事。
最後に4点目。
奸魔軍は目的地へ本来の倍の時間掛けて到着
している。ではその倍の時間分、一体どこで
油を売っていたのか。
現況がその回答であった。
奸魔軍は油を売ってなど居なかったのだ。
倍の時間は倍の距離を移動するのに使った。
ただそれだけの事だ。そして奸魔軍が倦まず
弛まず倍の時間を行軍にあて続けたならば。
中央城砦へと辿り着くのであった。
実際には奸魔軍は最も機動力の高い飛行部隊、
すなわち羽牙の一個飛行軍300を本隊と
切り離しまずは大きく東方へ。
南往路付近をかすめて北上した飛行軍団は
勝手知ったるかつての牙城を潜伏しつつ移動し
中央城砦の側面を取り待機。
本来大湿原西域に在していた野良の羽牙は
日中に高台南東の防衛拠点へと突っ込ませ
ヴァルキュリユルに殲滅「させて」いる。
大湿原に残存する羽牙の総数からいって
此度はこれ以上の羽牙の大軍を用意できまい
と騎士団側に思わせておいて、実際は膨大な
数を仕送りし伏兵とした訳だ。
オアシスの対岸に布陣するアイーダ主力軍の
幹部衆は、敵の全容が明らかになった時点で
羽牙の別働に気付いた。だが既に遅い。
羽牙一個飛行軍は既に戦略目標を捉え
彼ら城砦騎士団が命を盾として護るべき
陸の孤島、中央城砦を強襲中なのであった。
「300か……
虎の子の航空戦力を
全部ぶち込んで来るとはな。
惚れ惚れする程思い切りが良い」
チェルニーはすっかり感心し
顎に手を添えクツクツと笑った。
「結局戦は数だから。
大軍の動きには反応不可避」
ぶっきらぼうにそう告げて
トレイの上の賽を片付けるコロナ。
「こちらが軍事境界線を大軍で脅かしたのと
同様の理屈ですね。しかも本拠を襲われた
のでは出動中の全軍が撤退すべき状況です」
正軍師が淡々とそう述べた。
仮に別働軍がどれほど戦果を挙げようと
帰るべき本拠が落ちたのではお話にならぬ。
「確かに一刻も早くそうしたいところだが
さりとて慌てて取って返せば背後より
追撃を受け徒に損耗する事となる。
……どうするのだ、チェルニー」
「元より俺たちは囮なのだ。
折を見ての撤退は規定路線で、
その折を態々あちらで用意してくれた
という、ただそれだけの事に過ぎん」
泉を挟んだ対岸の暗がり。そこには
泉の輝きがそのまま続いているかの如き
しかし禍々しい無数の輝きがある。
異形の目が放つ千もの不気味な光を
端で笑い、チェルニーは
「昼間に言ったろう。
やたら世話を焼いて甘やかしてくれる
我らが『城砦の姉』を泣かすつもりか?
損害皆無。総員揃って完璧に撤退する。
城砦の事は心配するな。あちらはあちらで
巧くやる。信じてやれ」
と語って身を起こし
「まずは送り狼共に
一泡吹かせてやるとしよう」
と傍らに控える兵らに命じた。
「砲撃準備だ。派手に燃やすぞ」
アイーダ作戦主力軍の駐屯する
オアシスの野戦陣より北北西300オッピ。
高台南東に築かれた将来の三の丸たる
防衛拠点と野戦陣とを結ぶ線分にあたる
この一帯はここ半日程で数十の兵と車両が
行き来して、結果相当に地ならしがされていた。
距離にして500オッピ強の空虚な暗がりには
ところどころにぽつぽつと漁火の如き灯りが
浮かんでいる。
平原西域、今はトーラナの在る辺りから
荒野東域、中央城砦近郊までの道のりを。
そして城砦近郊の踏査域を証立てるべく
打ち立てられている「道標」に倣って
建てられた鉄柱であり、1オッピ弱程の
鉄柱の上部にはランタンが掛けてあった。
言わば即席の街灯だ。これらは概ね等間隔で
ぽつりぽつりと暗がりに浮かび、周囲に淡い
光の珠を描き出していた。
そうした蛍火の群れからやや東手には
それらとはまったく異なる趣も風情もない
火の群れが地に横たわっており、ぶすぶすと
煙を燻らせていた。
「連中えらい勢いだったな……
結局十匹程見逃しちまったが、追うか?」
燻る屍から遠くない位置には数騎ずつに
分かれた騎兵らが或いは松明を持ち、或いは
火矢を携えて屍の処理や周囲の哨戒に
あたっていた。
「いや、あれは拠点に任せよう。
南からまだまだ来るだろうからな。
火罠の一つも追加して置きたいが
流石にもう余裕はないだろうなー」
一際大柄な青毛に跨って
担いだ斧槍でトントンと
肩を叩いて凝りを解す。
何とも鷹揚な挙措の武人はそう応じた。
「こっち側の火罠はあと一つね。
西の警戒はどうするのかしら?」
別の騎兵がサリットから女性の声を発した。
「あっちは野戦陣側の守備が厚めだ。
まーぶっちゃけ歩兵が邪魔。放置で」
重量のある総鉄身の斧槍をクルクルと
片手で回してもてあそびつつ
騎兵らの長はぶっちゃけた。
「ぶっちゃけるわねぇ……」
「こーいうヤツだよ」
共に同じ兵装な男女の騎兵は肩を竦めた。
「まーまー。んじゃまた潜むぞ」
アイーダ作戦主力軍の遊撃中隊である
騎兵隊「オーバーフラッグス」の長。
騎士団騎士会若手筆頭たる第四戦隊所属
城砦騎士「器用人」デレクはそう告げて、
嘆息し首を振る配下らと共に暗がりに消えた。




