サイアスの千日物語 百四十四日目 その五
敵行軍を察知せりとの西櫓からの一報は本陣を
経由して直ぐに野戦陣全体へと報じられた。
その際に西櫓の小隊長も指摘していた
「気付いた事に気付かれぬように」との文言が
添えられて、総じて見張りが交代する程度の
ささやかなさざなみ振りを以てして、その実
喫緊の厳粛さで態勢は整えられていった。
またそれまで定時に定期的に繰り返していた
防衛拠点や中央城砦中央塔との光通信も
何食わぬ様でそのままに続けられた。
光通信は間断無く遠方に一報をもたらすが
望めば誰にでも目視できる公開性がある。
そして荒野のいずこにも有り得る概念存在
「奸智公爵」は人の言葉を既に知る。光通信
の暗号とて把握されていて然るべきであり、
光の目立つ夜は特に、機密を扱うには危険過ぎた。
つまり敵を察知した事を察知されぬためには
味方をも欺く必要があり、防備における連携を
ある程度犠牲にせねばならない。
あとは味方がそうした様を以心伝心で察知
してくれる事に期待する他ない。つまり
虚虚実実の駆け引きとしては既に戦端が
開かれているといっても過言では無かった。
とまれオアシスの野戦陣に駐屯する
アイーダ作戦の主力軍500余名は粛々と
敵に備え、それを察してか察せずか、奸魔軍
と思しき推定600体の異形が迫る。
敵の編成は定かならず。
されど騎士団側では戦力指数の最低値が1。
一方の奸魔軍における最低値とは羽牙が3体
1組で7とされる以上はできそこないの3だ。
さらに申さば、羽牙は飛来する。つまり
足音を立てないため、行軍音に基づき推定
された600には含まれていないという事だ。
最低値が1の500と最低値が3の600。
詳細な算定を待つまでもなく500の不利は
歴然だが、500の側には飛びぬけて強力な
大駒が数体付く。
騎士団側主力軍総数500余名のうち
「余名」とは絶対強者たる城砦騎士である。
絶対強者の「絶対」とは城砦近郊に出現する
あらゆる異形に戦力指数で勝り、戦えば必ず
勝利する事から付いた異名でもあった。
さらにうち1名は地上のあらゆる異形を凌駕
する推定戦力指数44。上には最早概念存在
たる神魔しか居らぬ人類最強の存在。
城砦騎士団騎士会首席たる城砦騎士長。
剣聖ローディスその人が魔剣ベルゼビュート
と共に待ち構えているのだった。つまるところ、
小駒同士を比べればあちらの圧勝であり
大駒同士を比べればこちらの圧勝である。
概ね斯様な次第であり、実の戦局とその帰趨を
占うのに重要となるのは敵の大駒たる大型種や
上位眷属の数次第。そういう事であった。
第一時間区分初旬終端、午前二時間際。
敵陣の全容が露となっていた。
夜を焦がす篝火の熱気と兵らの静かな戦意が
螺旋に連なり立ち上り人の世の守護者らの
掲げる不可視の軍旗を翻すかの如き野戦陣。
その対面たる泉の南岸。そこには奸魔軍と
思しき異形の軍勢凡そ600が布陣して
暗がりに地鳴りの如き唸りを響かせていた。
「敵陣両翼、
『できそこない』機動大隊、数150。
左右ともに30x5による単縦陣です」
泉の北岸、本陣指揮所にて常に沈着な
参謀部正軍師の一人が淡々と報じた。
「敵陣中央、大口手足の密集陣、推定200。
布陣後方に上位眷属「大口手足増し増し」。
数2、卵鞘有り。積載する幼体推定各60」
首より下げたトレイの上で賽を遊ばせつつ
参謀部内で最も新米となる正軍師コロナが
抑揚なく報じた。
「機動大隊と密集陣の間隙に『縦長』。
左右各10の縦列がワシャワシャと
ゆーらゆら…… キモッ!」
さながら童女の如く緊迫感無く自由闊達な。
そうなるべき過去を背負った参謀部正軍師。
元「光の巫女」ファータはイヤイヤをした。
「522か。2隊ほど流れたようだな」
と剣聖ローディス。
できそこないの機動中隊が2つ程
遊撃に回ったとみれば辻褄の合う数値だった。
「まぁそれはデレクらの取り分だろう」
と首をコキコキ鳴らしつつ
「羽牙は居ないのだな」
と確認を取る騎士団長チェルニー。
「見当たりません。
『別働した』ものかと」
と落ち着き払った正軍師の応え。
「南西丘陵の残存兵力の算定はできるのか?」
とチェルニーが再度問いかけると、
その正軍師はコロナを見やった。
「丘陵への拠点建築の折より宴を経て今日に
至るまでの荒野東域の異形の総数の推移に
奥地よりの流入や各種異形の新生分を算定」
コロナはジャラリと賽を転がして
「剣聖閣下が魔剣より示唆された『育てている』
との言。すなわち『蟲毒の坩堝』としての減少
を従来の共食いによる恒常化変数に加算した上
宴以降における騎士団の撃破数を添え再計算」
ブツブツと唸りつつトレイ自体を
ゆっさゆっさと揺さぶりまくり
「奸智公の…… を変数として定積分を……
絶対値に時間軸の…… さらに件の作戦の」
と最早聞き取れぬ有様で
ぶつくさどんぶらこした末に
「大体100。上位眷属数体とその餌って感じ」
とぶっきらぼうにドヤった。
「要するにここにこれだけ持っては来たが
今回で使い潰す気は無いわけだな」
とコロナにドン引き中のチェルニー。
「やるなら徹底的なはず」
とコロナはやや趣の異なる返答をし、
これにはチェルニーはしかと頷いた。
「つまりまずはこちらに退き戦を強要し
背後から襲って安全に叩きたい意図が
あるわけだ。 ……そろそろだろうな」
そう告げ長く息を吐くチェルニーを見やり
それぞれの頷きを示す指揮所の幹部衆。
布陣の随所では指揮官たる城砦騎士らが
采配を担い備えており、随所を伝令や
隠密らが走りまわって、今も一人駆けてきた。
そして
「デレク隊より報告、本陣北東にて
できそこない機動中隊と戦闘開始!」
その時が
「高台の防衛拠点より光通信。
できそこない機動中隊接近中。
迎撃態勢に移行!」
訪れた。
「中央城砦より! 敵襲!!
羽牙襲来! 推定300!!」




