サイアスの千日物語 三十二日目 その十六
補充兵194名は、当然ながら一枚岩の集団ではなかった。
表向きは大国トリクティアが中心となって集めた青年男性の
集団ではあるが、細部を見れば出自も年齢もてんでバラバラであり、
中にはかなりの数の女性や、一家の大黒柱であるような
それなりの年齢の者も含まれた。10戸につき1名の兵士提供義務は
規模の小さな村落ほど負担の大きいものであり、そうした場所から
選ばれた者ほど、年齢や力量の顕著な差異を露呈していた。
これまでこの有象無象の集団が一群として機能していたのは、
ひとえに人外の迫力を持つオッピドゥスに気圧されてのことだった。
また、200の群れであれば全体に迎合して踏みとどまることができ、
50の群れにあっても行き届いた引率があれば正気を保つことができた。
だがそれがたった10となり、寄るべき大樹も近くに無いとなると、
本来の個としての思考や感情が大きく首をもたげてきた。
12番目に現われた実戦経験のない素人集団の小隊は、
理解の限界を超えた極限状況においてなおも理性を保てるほど、
できた集団ではなかった。前方で繰り広げられる攻防に怯え、
殺到する羽牙に竦み、絶叫しつつ大地を紫に染めるその屍に恐怖して、
何よりもまず、一刻も早くこの場から逃げ出したい、という
強烈な本能的欲求に支配されてしまったのだった。
ほとんどの小隊は東の一辺に入ったあと、前方を行く小隊の
見様見真似で防壁に寄り沿い、隊伍を維持して粛々と進み続けていたが、
12番目の小隊半ばの数名が、一刻も早く逃れたい一心で
前方をゆく者を追い越そうと、大きく荒野側へ膨らんだ。
そして前方にびっしりと続く補充兵の列に暫し呆然とし、
危機迫る危機的状況とは裏腹に、もたもたとしか動かぬもどかしい身体を
どうにかこうにか動かして、今度は逆に今来た道を逃げ戻ろうとした。
結論のみを語るならば、この数名は群れから大きく逸脱してしまったのだ。
そうした補充兵の乱れを見咎めた教導小隊が何かを叫ぼうとしたその時、
南方から黒い影がさっと過ぎった。
ごばっ、ごっ、ずしゃっ。
形容し難い苛烈な音を立て、
列から飛び出した補充兵の一人が動きを止めた。
立ち尽くすその身体に首はなく、前方に頭部だったと思しき
無残な肉片が転々と血痕を残して飛び去っていた。
苛烈な音はさらに2つ続き、列から離れた補充兵は全て、地に倒れた。
そしてもの言わぬ屍となった鎖帷子の一つを
ずしりと何かが踏みつけ、赤子の声で愉快気に鳴いた。
それは人より大きな体躯をし、背中には醜く歪んだ翼の残滓を持ち、
筋肉の塊である前肢には返り血の滴る鉤爪を生やしていた。
それは肉食獣に酷似しており、確かに獣の一種であるように見えたが、
奇怪なことにその顔は人間に酷似し、目は充血し口は殺戮の愉悦に震え、
思わず目を背けたくなるような笑顔を浮かべていた。
それは荒野南部を主たる棲家とする、魔の眷属「できそこない」であった。
できそこないの群れは当初、城砦の南方から補充兵の様子を窺っていた。
だがその後オッピドゥスの武威と雄たけびに恐れをなし、
城砦南方から逃げ去り姿を晦ましていた。
もっとも、群れの全てが獲物を諦めたわけではなかったようで、
血の気の多い飢えた数体は南の一辺から大きく迂回し、
東の一辺で獲物を狩るべく好機を待っていたのだった。
「う、うわぁああああ!」
補充兵から絶叫が上がった。必死で堪え続けてきた最後の糸が、
ぶつりと断ち切られてしまったようだった。
3名を屍に変えられた12番目の小隊は恐慌状態に陥り、
前後不覚となって正しい判断ができなくなった。
そして最も安全な防壁側を捨て、我先にと荒野側へ走り出す者が出た。
群れから逸れた雑魚の処理など、まさに赤子の手を捻るようなものであり、
やや大きな体躯をしたできそこない3体は次々と補充兵を爪牙にかけた。
こうして瞬く間に3つの屍が追加され、計6名の補充兵が命を落とした。
できそこない3体はがつがつと屍を頬張った後、
愉悦に耽って赤子の声で歌うように鳴いていたが、
防壁上から迫る矢を察し、さっと飛び退きこれをかわした。
とはいえ折角仕留めた獲物を放置していく気はないようで、
すぐに戻って食べ残しを咥え、持ち帰ろうと引きずり始めた。
「ちぃっ…… 補充兵よ! 隊伍を崩すな!
すぐにこちらで処理をする!」
教導小隊の隊長と思しき兵士は舌打ちしつつそう叫ぶと、
部隊の兵士に目配せをした。そして羽牙対策に前列5名を残し、
後列6名でできそこないに殺到した。通常よりも大柄なこの
できそこない3体は、楽しげに鳴いてこれを迎え討とうとした。
「う、うぉっ! 何事!」
どこか場違いな叫び声があがった。件の騒がしい男の声だった。
南の一辺を北へと折れた13番目の小隊が姿を見せており、
その小隊に件の騒がしい男とランドが含まれていたのだ。
二人のほんの目と鼻の先で今、教導小隊の兵士6名と
魔の眷属・できそこない3体との死闘が
始まりを告げようとしていた。




