サイアスの千日物語 百四十四日目 その二
荒野における深夜とは、闇夜と街灯りを
上下入れ替えたような有様だった。
空には満天の星々が十二分な明るさをもたらし
大地には影絵を基調とした淡い銀世界が
充ち満ちる。
眠りの最中に彷徨う世界に似て常に近場の細部
が定かならぬもどかしさが伴うものの、ラーズ
のような夜目の利く者には真昼間と変わらぬ
遠景を示していた。
大口手足らの哨戒に掛かる事を嫌って一旦
大きく南東へと迂回し、その後北東を目指す。
盾役2名の甲冑が立てる規則正しい金属音を
除いては全く音も無く南東へと駆けるラーズと
その小隊は、ほどなく北手に激しく争う複数の
影を見止めた。
どうやら岩礁地帯より撤退する魚人の部隊の
最後尾に大口手足らが追いつき喰らい付いた
模様であった。
魚人は背格好が人に近く、大口手足はその
倍近い体躯がある。遠目に望む争いの様は
人が異形に襲われているかのような錯覚を
見守る者らにもたらした。
「魚人30、大口手足8ってとこか。
……ほっときゃ魚人は全滅確定だな」
知力12、観測技能4。
共に申し分ない値だが「軍師の目」
の萌芽を得るには今一歩及ばぬ。
そんなラーズは分析した。
ラーズらは戦闘場所となる岩場と遠浅の水場
の中間地点。小岩が散在するも比較的平坦な
川原に近い地勢を、その南方、散在する茂みの
一つに潜みつつ眺めていた。直線距離にして
数十オッピといったところだ。
魚人の戦力指数は陸地においては最小で半減。
よって戦力値としては2.5の二乗x30で
一方の大口手足は6の二乗x8だ。
飽くまで水準値に基づいたものである事や
指揮や戦術、地形等による補正を加味
せぬ不完全な形の試算ではあった。
だがそれでもラーズの推定した戦力値とは
魚人側が約188、大口手足側が288。
実に100の差があり結果は明白と見てとれた。
「……どう絡む気だ?」
「そうさな……」
抜刀隊5番隊組頭並である猛者にそう問われ、
ラーズは暫し首を捻った。そうこうする間にも
乱戦はいや増し、大口手足は魚人に覆い被さり
磨り潰し食らってゆく。
「按配としちゃあのキモ虫共にゃ
別の隊も襲わせたいんだがな。
正直あの連中がアレを喰い散らかした後
どう動くかってのがさっぱり読めねぇ……
てことで後ぁデザートって頃合に仕掛けるぜ」
暗黙の共闘対象となる魚人に関しては
追い詰められた状態であるほど「交渉」
が纏まり易い。そう考えていた。
「……既にそうなりつつあるようだが」
とラーズの盾を務める精兵2名の一方が
「食うの早すぎだろ。よく噛んで食えよ」
「私に言われてもな……」
不平を漏らすラーズに対し
うんざりと肩を竦めてみせた。
元来魚人は総身に魚鱗を纏っている。
これらは高い柔軟性と硬度を具えた特級品
であり、平原における甲冑と同規模の防御力
を誇り、それこそ平原水準の片手剣ではまるで
刃が立たなかった。
城砦騎士団の制式剣は重みも厚みも平原の品の
2倍に程近く、これを用いて打ち込んだ際
ギリギリ互いに弾く程度の強度であり、また
魚人の繰り出す拳打の類はギリギリ制式剣で
受け止め得る程だ。
要するに城砦兵士級がまともに打ち合った場合
何度も殴りつけてようやく攻撃が効き出すほど
硬い。的確に弱点を狙わねばむしろ追い込まれる
のが関の山だった。
にもかかわらず大口手足はこうした魚人を
バリメリと潰し貪り喰らっていた。
第一戦隊兵士の多くは先の黒の月、宴の際に
野戦陣に侵攻してきた100を超す大口手足と
がっぷり四つでやり合っていた。
前方で繰り広げられる光景に抱く忌避感や
不快感は蓋し一入な事だろう。
もっともラーズとしてはそんな精兵の大口手足
への心境を忖度する気なぞまるでない。むしろ
関心は魚人の側にあったため、
「ビフレストじゃ魚人を食ってると聞いたが?」
と半ばからかうように問うラーズ。
食の話題ゆえか、苦虫を噛み潰した
雰囲気に溢れていた精兵2名は
「馬鹿いうな。まだ調査段階だ」
「勿論栄養のバランスが最重要だが見た目や
味もまた重要だ。そのため調理法のみならず
ソースや付け合せについても考慮せねばならん。
そうした万全のレシピあっての料理だぞ。
色んな意味で、まだ早いと言える」
「そ、そうか……」
と即時に切り換え熱く語って
むしろラーズをドン引きさせた。
さて岩礁地帯より撤退する魚人の軍勢のうち
殿を務めていた5体1班な魚人の30体から
成る一隊は、背後より飛び掛る大口手足
8体に次々と潰されていった。
大口手足は魚人より大柄な体躯を活かして
一体が数体ずつ薙ぎ倒して踊り食う。
魚人は元より不利と見るや即逃げる性分である
ため仲間が貪り喰われるうちにと距離を稼ぎ、
10体程が辛うじて距離を得てほうほうの体で
さらに東へと。
しかし大口手足のうち3体は早くも捕獲分を
平らげてしまい、お代わりを求めて逃げる
魚人を追い始めた。
ラーズはそれを見て取ると、魚人を追う3体の
うち最後尾の1体へと火矢を射込み、その総身に
びっちりと満ちた脂ぎった毛並みを炎上させた。
突如燃え上がった大口手足は半狂乱となって
暴れ出したが炎を消す手段には乏しかった。
そこに後方より遅ればせながらお代わりを求め
殺到する5体が三々五々追いついたものの、
眼前の炎上を前に怯みだした。
そうしてひとたび足を止めたなら、あとは
ラーズの絵図となる。高く弓なりに飛ばした
複数の油矢を敵の頭上寸前で火矢にて次々射抜き
小規模ながら辺りを火塗れにしてのけた。
荒野の異形は火を嫌う。特に大口手足は
脂ぎった毛並みを持つがゆえに一層火を
苦手としていた。
炎上した事ですっかり恐怖と混乱に支配された
これら6体の下には抜刀隊の6名が殺到して得意
の草攻剣を用い1体ずつ着実に仕留めていった。
また逃げる魚人10を追う残る大口手足2体
については、なおも魚人を追い続けその末尾より
3体ずつを薙ぎ倒し、或いは引っ掴んで自らの
食い扶持とした。
そうして最終的には4体の魚人が追っ手を
振りきり遠浅の水場南端、窪地の傍らへと。
お代わりを3体ずつ喰らった大口手足はなおも
逃げた魚人を追ったが、そこでは窪地を中心に
敗残の魚人らが布陣を整えていた。
それらにこれでもかと岩や錆びた武器を
投げ付けられ、残る2体の大口手足もまた、
緩やかに息絶える事となった。
遠浅の水場、そして窪地に潜む魚人の軍勢は
総数60弱であった。逃げ延びた4体はこれら
と合流し何事か相談する風であった。
とまれこうして岩礁地帯より敗走する魚人らは
遠浅の水場と窪地に布陣し、追走する大口手足は
布陣の西方でくすぶる炎と煙に変じていった。




