サイアスの千日物語 百四十三日目 その九十五
中央城砦より北東に1000オッピ。
荒野の東域を占拠する大湿原の北西に位置し
瓢箪のようにくびれて付帯する、大湿原に
比して、という意での小湿原との狭間一帯を
領土とする城郭。
未だ戦が絶えぬという平原東方諸国のそれに
似て理路整然と積まれた大なる石垣を有する
その城こそ、城砦騎士団の保有する中央城砦
の支城ビフレストだ。
当初はくびれの縁、泥炭の海を渡す端のたもと
に仮設された野戦陣に過ぎなかった北城郭は
今では中央城砦以上の堅城となっている。
中央城砦は荒野の只中にぽつりとあって魔軍を
引き付ける囮の餌箱。夜に跳梁し闇に跋扈する
異形のものどもをその灯りで魅入らせる誘蛾灯
であるゆえに、攻めれば落とせると思わせる
べく防壁の高度にも制限がある。
だが支城ビフレストは中央城砦への輸送の要
であるため難攻不落が絶対条件であり、敵の
攻め入る気を根こそぎ殺ぐべく徹底的に防備
が固められていた。
ビフレストの北城郭の中央には、造りの一際
大きな城館があった。そしてその城館内、かの
第一戦隊長オッピドゥスが無理なく滞在できる
内装の指揮所には尋常の体躯をした人影が三つ。
並の人には大広間といって良い指揮所の随所
では燭台の灯りが明暗を塗り分けて、中央の卓
と卓上の戦域図を茫洋と浮かび上がらせていた。
「『歌陵楼』のガーウェイン殿より
定時連絡。前期異常無しとの事です」
聞き手が無視できぬその声には魔力が宿って
いるのだろう。流麗な男声が発せられた。
声の主は墨色のローブに紺と金の縁取りが
鮮やかな銀白色のサーコートを羽織っていた。
時折サーコートの下に重ね着した鈍色の鎖帷子
が小さく音を立てていた。
声は確かに男性のものだった。だが燭台の
灯りに陰影を伴っててらてらと照らされる
その容貌は、どこか福福しくふくよかな
女性のものに見えた。
「本城中央塔より『グントラム』の
進捗良好との事。ベオルク閣下は
遠からず野営に入る模様です」
声の主は卓上で明滅する玻璃の珠より
情報を読み取ってそう報じた。
指揮所の卓上に安置された玻璃の珠には
西手の高みより時折光が注ぎ込んでいた。
指揮所内の西手高所には小振りな採光用の
窓があり、窓を通して見上げた先、注ぐ光の
出所には物見のための小塔がある。
石垣で底上げされたビフレスト北城郭の
小塔の頂上は地表より概ね7オッピ。
南西500オッピ地点の歌陵楼や
1000オッピ地点な高台の中央城砦と
光通信を行なうのに必要十分な高さであった。
「我らの主任務はまずは調査だ。
少なくとも夜が明けるまでは動けぬな」
残る二つの人影のうち際立って
大きく見える片方がそう述べた。
両者の実寸は然程に変わらない。
ただこの人物の発する威風堂々たる風格が
その体躯に纏う白銀の重甲冑をより一層
雄大に見せていた。
「魚人どもは乗るでしょうか」
今一つの重甲冑の人影が思案気に問うた。
他の二つの影が個性的に過ぎるため
やや印象の薄い感はあるが、それでも
十二分に堂々たる甲冑姿をしていた。
「輸送部隊の安全を慮れば、乗ってくれた
方が助かるのは間違いのないところだ。
いずれにせよ、寄らば斬る。他は有り得ぬ」
その言葉だけで敵を斬れそうな決意を
滲ませて畏怖すべき重甲冑の武人は語った。
騎士団騎士会騎士会級筆頭。第一戦隊長
オッピドゥスの無二の親友でもある第一戦隊
支城大隊の長、ビフレスト城主。「鉄人シブ」
ことシベリウスである。
「明日の夜明けは午前5時45分です」
福福しい容貌をした、その実
そうした仮面を付けたローブ姿。
中央塔付属参謀部所属、城砦軍師にして祈祷士。
すなわち祈祷師だが、当人としては専ら軍師と
呼ばれる事を好むビフレスト城代たる
「沼飛び」ロミュオーはそう語った。
「我々の作戦開始予定時刻が順延された事で
調整の間に合った兵士が若干名、追加での
同行を志願しておりますが」
他二名の個性に押されやや気弱な風を
見せている今一人の人物がそう述べた。
「使ってやれ、ヘルムート。
マッシモ以外にも知勇兼備の次代が欲しい。
可能な限り機会を与え、育ててやらねばな」
シベリウスは仄かに笑んでそう言った。
シベリウスはオッピドゥスと同様30の半ば。
ロミュオーとヘルムートは20代後半と半ば
でマッシモは20代前半であった。
人の世の守護者にして絶対強者。
城砦騎士とていずれは老いる。
魔力の影響により限界突破して延びた分こそ
永続するが、基本値それ自体は徐々に落ちる。
無論落ちても並の人とは比ぶべくもなく
強大だが、異形相手の最前線では次第に
遅れを取る事となる。
ゆえに騎士らは自身らが最前線で戦えるうちに
若手の才を見出し育てていく。傑出した者には
さらに自身の奥技を継がせもしていた。
一個の人が能力的に最高の状態で居られる
時間は一生のうちで数年、長くとも十数年だ。
何とかその間に後進を育て騎士団の戦力を
循環せしめ維持せねばならぬ。敵と斬りあう
より余程手間だ、とシベリウスは内心苦笑した。




