サイアスの千日物語 百四十三日目 その九十一
かくして遠大な、深謀遠慮の発露たる
作戦名「グントラム」は発動した。
千里の道も一歩からとベオルクは語る。
里とは東方諸国の距離の単位であり実数値
としては1000オッピ。
北方河川最南端のこの地より中央城砦の
外郭北防壁西端までがおよそ700オッピで
あり、防壁は一辺800であるから高台南端
まで含めて2000オッピほど。要は2里だ。
千里なら途方は途方もないが二里ならば、
と或いは思い描いたものか、施工を差配する
スターペスの表情は架橋作戦の折よりも
遥かに穏やかで明るいものだった。
具体的な施工としての第一歩は、北方河川
の末端たる遠浅の水場の最南端より概ね
5オッピの距離を南方へ取り、そこから
大回廊をなぞる形で20オッピ四方の
正方形の窪地を造る事であった。
窪地の深さは概ね4半オッピ。大人の腰ほどの
深さであり、底や縁は神経質に感じられる程
鋭利に削り出されていた。
過去700回を越える当地での作業を経て
測量の類は万全に済んでいるため、最低限の
補正のみおこないまずは工兵が輪郭を整えた。
それが済むと20オッピな正方形を十字に
四分割し、まずは北西区画から第二戦隊の
兵らが削る。
一撃必殺、強襲専門な第二戦隊兵士らは
武器を振るい敵を撃つ事においては
他者の追随を許さぬ才を誇っている。
此度はその敵が荒野の大地と成ったわけだ。
平原では野良仕事に精を出していた兵も多い。
昔取った杵柄とばかりに窪みが掘られゆく。
荒削りが済むと第二戦隊兵士らは別の区画へと
取り掛かり、代わりに工兵が仕上げを成した。
また掘削過程で出た土砂は第一戦隊兵士が
適宜土嚢に仕立て窪地の東西に並べていく。
こうした作業を小一時間ほども一心不乱に続け、
ミンネゼンガーらは一辺20オッピな正方形を
して東西の縁には高さと幅共に四半オッピな
土嚢の堤を有する窪地を構築した。
窪地自体の深さは四半オッピだが、東西の堤も
また四半オッピであるため東西方向には実質
半オッピの深さとなっている。仕上げとして
堤の内側と窪地の底は煉瓦で覆い尽くされた。
そうして日没の間近に迫った第三時間区分の
終盤、午後5時40分。最初の施工は完了した。
東西より眺めればこんもりとした隆起であり、
南北より眺めればむしろ瀟洒な煉瓦張りの街道。
それはそんな風に見える窪地であった。
この窪地はこれで既に完成であった。
確たる壁は東西方向にしかなく、さりとて
肝心の遠浅な水場とは繋がっていないしさらに
南方に長く続く大回廊からみても北端でポツリ
と孤立しているに過ぎない。
何とも不自然で不完全に見えるこの窪地は、
しかし少なくとも今はこれで完成形であった。
「ふむ、なかなかに赴きがある」
数十の猛者と共に周囲の警戒にあたる
ミンネゼンガーの長、魔剣使ベオルクは
目を細めた。
夜間の作業に備え、既に周囲には煌煌と
篝火が炊かれていた。篝火の炎が落とす陰影は
この窪地をどこか暖炉のようにも見せていた。
「『陣の内外は様を異すべし』。
或いは兵法に適う可笑しみもあります」
「フフ。面白い事を言う」
豊かなのは筋肉だけではないらしい。
ゆくゆくはこれも良い将に育つだろう、と
ベオルクはマッシモを満足げに眺めた。
「街道のようでもあり、浴場のようでもある。
而してその実態たるや水路である、と」
施工の細部を確認し終え戻ってきた
スターペスもまた、どこか楽しげで
「一筋縄ではいかぬところも気に入った」
ベオルクは得意の勿体振り髯でご満悦であった。
「名前を付けますか?」
とマッシモ。
「そうだな…… 考えておくとしよう。
ではスターペス殿」
「ハッ。二つ目に取り掛かるとしましょう」
そう告げるとスターペスは工兵を差配して
窪地の南方にまたしても5オッピ距離を取った
その上で、まったく同寸同形の窪地を新たに
構築し始めた。
ミンネゼンガー幹部たる総大将ベオルクや
副将スターペスそして軍師らは、端から遠浅の
水場と施工した窪地を繋ぎ合せる気がなかった。
いや、この表現は語弊がある。より精確に記す
ならば、自身らの手で繋げようという、その
気がなかったのだ。
ベオルクらは魚人を使う気であった。
北方河川が南うねった最南端な遠浅の水場。
その遠からぬ西手には岩場の北東端がある。
魚人らは岩場の主たる大口手足の激減を契機に
同地を制圧せんと絶賛侵攻中であり、現状
膠着状態に陥ってもいる。
時間を掛ければ大口手足の幼体は成体となる。
大口手足の水準戦力指数は6。これは魚人の
万全な状態での水準値である5より高い。
さらには増援の恐れもある。この機を逃せば
鑷頭や大ヒルが待ち受ける河川へと撤退せねば
ならない。抜き差しならぬ状況なのだ。
そんな状況で岩場の東手な遠浅の水場の
さらに南に、飛び飛びの窪地があったなら。
しかもその間隔が僅か数オッピと短く、多少
労力を注げば敵陣の側面を衝くのに使えると
判ったなら、彼らはどういう行動に出るか。
それがベオルクらの狙いであった。
騎士団としては窪地の群れが城砦近郊に至る
まで、無理に水の手を繋ぐ必要はない。一方
魚人らは可及的速やかに水の手を利用したい。
となれば半端な状態で完成として放置されて
いる窪地と窪地を自身らの目的のために繋ぎに
かかるのではないか。
また窪地を南へと延ばす騎士団を「使える」と
見て攻め手を控え仮初の、暗黙の了解としての
不戦協定を構築するのではなかろうか。
平素互いに相食む異形らが荒神たる魔の下に
集って軍勢を成し、平原の人の代表たる
城砦騎士団と対峙するように。
平素互いに殺しあう異形たる魚人と人たる
城砦騎士団だが、こと今回の戦局に関しては
互いに肚に利用し合って互いに益を得る。
そうした言わば一時共闘の可能性を、こちら
としては排除はせぬぞとほのめかす。これは
そういう類の、まさに魔性の誘いであった。
1オッピ≒4メートル




