サイアスの千日物語 百四十三日目 その八十九
城砦騎士団は5日に1度、家屋数軒分な
超特大貨車を1台用いて取水する。取水専用
のこの貨車は簡易の濾過機能をも備えており、
城砦に帰り着く頃には一次濾過が済んでいる。
その後外郭に設置された貯水池へと中身を移し
時間を掛けて二次濾過をおこない、飲水なら
さらに蒸留する。
かつて栄えた水の文明圏では川そのものに
浄水装置を設置して清涼な水を得ていたという。
闇の王国に由来するそうした高度な失伝技術の
賜物は、今では騎士団領ラインドルフ等の
限られた地所で生き残っているのみだ。
とまれ血の宴による文明崩壊を経た平原の
有する現行の技術では、騎士団の採用する
浄水機構が最先端だ。
水の確保は生き死にに直結するため、常に
十二分の備蓄を確保する事が目指され
その結果が5日に1度という体だった。
5日に1度は1朔望月に6度、年間ならば
72回だ。城砦騎士団はこれを実に百年余に
渡り、倦まず弛まず必ず同じ場所で続けている。
中央城砦外郭北防壁の西端より概ね
700オッピ強と相応に離れた地ではある
ものの、この大回廊北端の遠浅の水場は
騎士団にとっては庭のようなものだった。
グントラム主力大隊「ミンネゼンガー」の
総大将たるベオルクの下を離れた同隊副将、
資材部棟梁スターペスは、まずは取水の
済んだ超特大の貨車2台の下へと向かった。
2台の取水が十全に済んでいる旨の再確認を
取ると、スターペスはそれぞれの貨車に
工兵2精兵3を付け中央城砦へと進発させた。
工兵2名は御者であり、
精兵3名は左右と後方を哨戒する。
中央城砦本城や二の丸さらには支城ビフレスト
は城砦までの道中に敵影が無い旨を繰り返し
報じていた。そのため考え得る限り最小の
編成を以て送り返す事としたのだった。
程なく最後の貨車も取水が済み、同様に
確認の末城砦へと送られた。3台の超特大
貨車は往路をなぞり、およそ900オッピ
ほど掛けて城砦へと戻る。
復路における進軍速度は、最小編成な上
貨車はゴムの「靴」のお陰で挙動が良い。
そこで歩兵たる精兵の足に合わせるのだが
選りすぐりの護衛たる第一戦隊精兵衆は
重甲冑を纏ってなお、並の兵より歩みが速い。
よって各車両はそれぞれ分速25オッピを
基調として20分進み5分休憩。一息に
500オッピもの進軍を成した。
城砦騎士団の誇る中央塔付属参謀部では
荒野の只中なこの地における百年余の
日の出と入りを網羅的に記録している。
それによれば城砦暦107年第263日な
本日の日没は午後5時54分である。
そして最も遅く水場を発った3台目の進発が
午後4時45分の事。この車両が中央城砦
外郭北防壁中央の城門へと到着したのが
午後5時25分の事であった。
こうしてミンネゼンガーは荒野に夜が訪れる
その前に、平時の三倍規模となる半月分の
取水任務を完遂し、グントラム作戦における
最初の成果としたのであった。
もっとも総大将ベオルク以下ミンネゼンガー
総員の真に求める成果とは斯様なものではない。
3台目の超特大貨車を送り出した同大隊副将
スターペスは、当地に残留する工兵一個中隊
44名及び手空きの戦闘員より選抜した屈強
なる一個大隊150名を一同に集めた。
人魔の大戦主戦場たる敵地の只中、苛烈なる
荒野の戦地に適応し得た兵士らは、世代的に
心身共に最盛期となる30代が最も多い。
若さが夢見せる荒唐無稽な万能主義を卒業し、
己が地力を知りその上で地に足付けて死地を
超える事を覚えた、そんな血気盛んな壮者共だ。
人界に在っては気力充溢し鳴るが如く。
されどここは荒野である。すなわち圧倒的な
暴威と絶望的な脅威の吹き荒ぶ魔界であった。
覚悟はある。やる気もある。
能力もあるがそれだけでは足りぬ。
彼らの多くは荒野では新兵に過ぎぬのだ
未曾有の異形との戦闘経験に乏しく、
それゆえに極めて正当な過剰さを以て
逢魔が刻の到来を恐れ畏れる彼らには、
確信が必要なのだ。成功への、勝利への。
それを彼らにしかと与え、不安を安堵に
焦燥を希望に変え得るのは歴戦の猛者のみ。
非戦闘職と言えど荒野に在りて30数年、
幾たびも戦場に出でて多くの死を乗り越えて
それでも生き抜き勝ち抜いてきた老練なる将。
城砦騎士相当官たる第三戦隊副長、資材部棟梁
スターペスはまさにそうした人物であった。
「今から30年程前の話だが。
私が荒野の城砦へと招聘された際は
『飽くまで職人として。城勤めとして』
だからと、それは何度も念を押されたものだ。
だが実際は半年待たずに修羅場へポイだ。
無論騎士やら猛者らの護衛は付くが
自身が異形に歯どころか足腰すら立たん
のだから、生きた心地なぞありはせん。
まぁそれも是非も無しというヤツだ。
平原であれ荒野であれ、表れ方が異なる
だけで、皆命を張って生きておるのだ。
自ら奮い立たぬものに生きる術はない。
今はそういう時代なのだと肚を括った。
肚以外の奥歯やら膝やらを
これでもかとガタガタ震わせながらな」
スターペスはそう言って軽く笑った。
その語る所は多くの工兵や兵士らの心情に
寄り添うものであり、200弱の半ばを
占める新兵らは恐縮しつつ苦笑した。
「とまれどんなに無様でも、肚さえ括れば
楽になる。さすればあとは粛々と
仕事をこなす、それだけだ。
そう、仕事だ。我々は常にそれを負う。
こなしておれば食いっぱぐれはないし
出来が良ければ相応に評される。
物騒な事この上ない事を除けば
荒野は理想の職場と言えなくも無い。
笑顔の絶えぬ明るい職場にできるか
否かは、諸君の気の持ちよう次第だろう。
将軍の笑えぬ冗談に付き合うのは骨だがな」
遠からぬ位置でベオルクが
ヒゲを撫でつつ片眉を吊り上げた。
兵らはその様に失笑した。
「さて諸君。仕事の話になるのだが。
我ら城砦騎士団は平原の平和を護るべく
遠く離れた荒野のこの地で日々仕事に
励んでおるわけだが。
傑出した輝きを放つ一部の英雄らを除けば、
その名が遠く平原にまで伝わる事はなかなか
有り得る事ではない。
それがどんな仕事であれ、必要とされて
いる以上等しく尊い。しかし等しく尊くとも、
仕事を成す全てがその名を知られる事はない。
荒野のこの地で活躍する我らの名は、
飛びぬけて華々しい者を除けば、騎士団の
名の下にのみ世に遺し得るものだ」
人の世の守護者にして絶対強者、城砦騎士。
平原4億の智謀に冠絶する賢者集団、城砦軍師。
そうした飛び切りの英傑の名ならともかくも、
荒野の城砦で日々命を費やして戦うも、その
大多数たる兵士らの名が一個の英名として
世に謳われる事はまずありえない。
戦場を、戦局を支える無数の兵士らは
無数にいる。そして無数にいるがゆえに
その活躍は「名も無き兵士」として
讃えられ謳われる。そういうものだ。
それはまさにスターペスの言う通り。
言う通りだが、何故今そんな話をするのか。
200弱の兵士らは幾分訝る風であった。
「……本日の午前中。
『アイーダ作戦』に参画する兵団長
サイアス・ラインドルフ閣下の大隊は。
中央城砦のある高台の南東に将来中央城砦の
『三の丸』となり得る拠点を建設され、百年先
の騎士団の反映を約束する礎ともなる偉業を
成し遂げられた。
かの拠点に設置された鉄城門と楼閣は、
先の『魔笛作戦』で建てられた『歌陵楼』と
同様に、我らが兵団長サイアス閣下の御名を
平原全土に轟かせる事となるだろう」
スターペスはなおも滔滔と
「これだけであったならば、
世に謳われる名はサイアス閣下
お一人のものだけだ。 ……だが。
閣下は鉄城門建造にあたり
自身の率いる大隊総員200余の
全ての者の名を自ら誓詞に書き取って
碑文として鉄城門へと奉納された。
『我らが一丸となって歴史を作った証である』
閣下はそう仰って分け隔てなく、
大隊総員全ての名を歴史の表舞台に
輝かせたのだ」
どこか我が事であるかのような
誇らしさを以てそう語った。そして
「……どうだ、羨ましくはないか」
とスターペス。
200弱を包む空気が変わった。
これはただの逸話でも自慢話でもなく、
「諸君も人の世の歴史に己が名を
燦然と輝かせてみたくはないか」
彼ら自身の話なのだ。
無言、されど固唾をのむ音が
聞こえるような、そんな気配が広がった。
「早い話、今がその時だ。
諸君が迫り来る夜を恐れずにこの地で成す
一挙手一投足が城砦騎士団100年の、
いや1000年の反映をもたらす
偉大なる一歩である事を約束しよう。
そして我らミンネゼンガー総員の名を
悠久の歴史のうちで不朽のものとして
同地に刻み遺す事を、第三戦隊副長及び
資材部棟梁スターペスの名に懸けて誓おう」
厳かに先刻するスターペス。
総大将たるベオルクもまた、
兵らに向かって目を細め頷いていた。
「諸君、今こそ我らが輝く時だ。
これより我らミンネゼンガーは
当グントラム作戦における
真の戦略目標を遂行する」
スターペスはここまで語ると
ベオルクに一礼し最後の一言を促した。
ベオルクは首を振ってスターペスに薦めたが、
スターペスは仄かに笑みつつも頑として聞かぬ。
ベオルクは苦笑し嘆息して引き継ぐ事とした。
「これよりここから水路を引いて
『大回廊』を城砦の水堀とする。
荒野そのものを作り変えるのだ」




