サイアスの千日物語 百四十三日目 その八十七
荒野の只中に孤影を晒す陸の孤島、中央城砦は
大小の湿原の西方に位置する高台のうちでも
北西寄りに建てられている。
そのため南方に比べ北方に高台の余白が少なく
外郭防壁より150オッピも北に行けば、低地
へ向けた傾斜がはじまっていた。
また荒野全体の地勢として、城砦のある高台
の西手、南北に走る大回廊と呼ばれる辺りが
一番の低地となっていて、大回廊を挟んで
西の岩場から再び徐々に高くなっていた。
一部の識者の間では、大回廊はかつては
川底であったろうと推測されていた。
その説でいけば中央城砦のある高台とは
北方河川から南に分かれた支流の西岸であり
岩場が東岸であったろう。そうした説を
裏付けるかのように高台の北側は南と真逆。
すなわち西ほど傾斜が急峻で東は緩やか。
特に北東部は大小の湿原の狭間に続く形で
潤った大地が広がっていた。
中央城砦のある高台は大回廊が河川であった
ろう頃から流れに削られず残っていた事から、
相応に地盤が堅固であった。そしてこの高台
に水源はなかった。
より厳密に言うならば、城砦騎士団は高台に
水源を求め地中深くへと井戸を掘ったりは
しなかった。
理由については明らかとなって居ないが
中央塔や付属参謀部の地下には玄室や書庫が
ある。掘って掘れぬという訳でもなさそうだ。
この辺は機密となっており事情を知るのは
中央城砦建築当時を知るセラエノのみだった。
とまれ中央城砦のある高台の北方は西手ほど
傾斜が急峻だ。また北方東手は小湿原が
迫り出すように横たわる。
現状中央城砦の北東部には二の丸があるが、
その二の丸外郭北防壁の東端から半ば程までが
俯瞰した際小湿原の傘の影となって見えた。
小湿原は大湿原の北西のくびれた先であり、
泥炭の海で半ば途切れた小湿原側は中央城砦
一個分ほどの面積を有していた。
大小の湿原、特に小湿原もまた、かつては
北方河川の一部であったろうと推測され、特に
小湿原はほぼ河跡湖としての同定が済んでいた。
北方河川は遥か平原と荒野の狭間の北方たる
霊峰山脈の麓、湖水地方が水源であるとされ、
まずは荒野と平原の狭間を南下する。
その後荒野の只中に横たわる大湿原に沿って
東から西へと流れゆき、次第に流域面積を広げ
やがて海へと至るのだという。
北方河川と大湿原の狭間は異形の棲まう荒野の
うちでも比較的安全な部類であり、大湿原の
南方、断崖との狭間の南往路が使えなくなった
現状では唯一の平原からの輸送路だ。
この北往路と呼ばれる輸送路の西端は小湿原の
お陰で飛び切り狭隘な難所となっており、
北方河川は小湿原の形状に沿う形で南方へと
蛇行もしていた。
すなわち城砦北方では西手ほど河川に近く、
大回廊を挟んでさらに西手では岩場の裾が
北方河川の岸壁と一体となっていた。
とまれ高台に水源がなく東と北の湿原は毒沼と
なれば、中央城砦の水の手は北方河川という事
になる。そのため城砦騎士団は定期的に取水の
ための部隊を発して北方河川で水を得る。
ただし北方河川は異形らの棲家でもある。
平原侵攻を阻止すべく、異形のための囮の
餌箱として存在する中央城砦へと遠路わざわざ
餌を運んで来てくれる平原よりの輸送部隊ですら
時に堪え切れず襲う連中だ。
のこのこ水を汲みに来たとあればそれこそ
合意の上だとでも言わんばかりに意気揚々と
踊り食うべく襲ってくる。
特に河川の眷属のうち最も多く最も弱い
魚人などにとっては飛び切りのご馳走だ。
喜び勇んで飛び出してくるのが常だった。
そのため取水部隊にはこうした河川の眷属ら
を返り討ちにし得るだけの戦力が付けられる。
一度の取水につき専用の特大貨車と工兵1班。
これを護衛すべく第一第二、両戦隊の兵士
及び兵士長による混成小隊が1個18名が付く。
河川の眷属は雨天時で陸上戦闘能力が向上する
ため、降雨の見込まれる折は城砦騎士の率いる
一個中隊が出動する。
またいずれの場合でも状況が許せば別働の
哨戒部隊が出動し、適宜取水部隊を支援した。
黒の月が迫ってくると陸と水辺とを問わず
魔軍としての異形の動きが活発となってくる。
そうなると宴に参戦する異形の数を減らす
目的もあり、大隊規模で出張る事もある。
たとえば先の宴の前に剣聖ローディス自ら
率いる第二戦隊中心の一個大隊が盛大に
「釣り」をおこなったようにだ。
特務部隊である第四戦隊を除く一般的な
城砦騎士団各戦隊の戦闘員らにとり、この
取水任務とは。
城砦近郊、専ら防壁外周を巡る哨戒任務や
輸送部隊の往路を確保し敵襲に備える警備任務
と並んで頻回に発生する平時の城外任務の一つ
となっていた。
さて中央城砦外郭防壁北城門を進発した
「グントラム作戦」の主力混成大隊250名。
第四戦隊副長にして城砦騎士長たる「魔剣使い」
ベオルク率いる「ミンネゼンガー」は、まずは
まっすぐ200オッピ北進した。
戦地の只中である事や半数が新兵以下である
事を考慮し、進軍速度は分速20オッピ未満。
200オッピ進むのに概ね15分費やしていた。
丁度ここらはかつての城砦北方の戦いの折
ベオルク不在の第四戦隊をデレクが率い
陣取って弓による支援をおこなった辺りだ。
サイアスとミカがセラエノの力で初の飛翔を
成したのも、ここからそう遠くない地点だった。
下り坂の上端に位置するここで5分小休止の後、
ミンネゼンガーはさらに200オッピ北進した。
ここらは第二戦隊が即席の野戦陣を敷いて
魚人や鑷頭との戦闘に及んだ一帯だ。遠からぬ
先では北方河川の水面が陽光を反射し煌いた。
このままさらに北へと進むのが河川への
最短距離ではあるのだが、河岸が急峻で水深も
深いため大ヒルに不意を打たれる可能性が高い。
よって北門より400オッピの当地点を以て
進路は10時方向へと変じられる。そうして
200オッピ進んで小休止、を2回。都合
800オッピ進んだ辺りで往路最後の小休止。
この先100オッピ程が大回廊の北の外れだ。
すなわち北方河川が南へと最も張り出した地点
であり、太古は支流の川底であって、現在では
一番の低地という事になる。
河岸においては大地と河川との段差は小さく
遠浅で大ヒルの巨体では隠れようがない。
取水には何かと都合のいい地勢であった。
中央城砦が建造されてより100年余、
数日ごとに只管繰り返し成されてきた任務
である。工程は実に手馴れたものであり、
まずは護衛の一個小隊が河岸へと寄る。
河川の眷属らは音にたいそう敏感であるため
その頃にはやる気ならとうに布陣を敷いて
待ち構え、水辺なのでたいそう強気で
挑み掛かってくる。よってまずは制圧戦だ。
陸に出張ってきた連中を適宜仕留めたなら
屍を川縁に並べて火をかける。異形は本能的に
火を嫌うものだが水の眷属らはそれが一層顕著
であり、屍が燃え尽き煙が失せるまでは好んで
飛び出しては来ない。
そこでその隙にさっさと取水を済ませ、
あとは三十六計と洒落込むわけだ。
とまれかくまれ、こうしてベオルク率いる
ミンネゼンガーは第三時間区分終盤初旬となる
午後4時の少し前、本来のグントラム作戦の
本来の目標地点より聊か東に離れている
取水専用地点に到達したのだった。
1オッピ≒4メートル
三十六計=走為上=逃げるに如かず




