サイアスの千日物語 百四十三日目 その八十三
長い長い時が過ぎた。いや実際はものの数分
なのかも知れない。時の概念が崩壊していた。
「魔よりおっかねぇ」と広く世に謳われる
荒野の女衆に囲まれ洗いざらい白状させられた
サイアスは、将に借りてきた猫の如く
神妙に縮こまっていた。
「首輪付けるか……」
「狼の目」と呼ばれる琥珀の瞳でギロリと
睨め付けるロイエ。首輪を付けるどころか
首そのものをへし折りそうな気配であった。
「やむを得ぬ状況ではあったようですね」
妙なる音色が鳴り響くという銀河の中心の如き
銀色の瞳でじっとサイアスを見据えつつも
その一方で顎に手指を添えて思案げなディード。
嫁御衆のうちで最も荒野の戦に慣れている
ディードは、指揮官のみが突出して強い
騎士団特有の編成に最も理解を示していた。
よって此度は足手まといとなる車列を先行させ
単騎となった事がむしろ生還の確率を高める事
に貢献しただろうとの分析をも示してみせた。
城砦近郊で頻回に見られる異形の多くは
単体としての戦力指数が一桁内に収まって
はいるが、元来戦力指数は乗算して用いるもの。
野良かつ1体きりのできそこないですら
水準的な城砦兵士が10人掛かりでやっと
勝てる程に強い。そして異形は人同様群を成す。
そうした状況下で常に相手より勝り得るのは
戦力指数が二桁である城砦騎士に限られる。
城砦騎士の別名たる絶対強者の絶対とは
こうした特徴を指しての呼称であった。
よって荒野の戦では、人側は絶対に敵に勝る
城砦騎士を中心に据え、これに兵士を付けて
水増しする形で戦に望んでいた。
つまり城砦騎士が城砦兵士を率いて戦うと
言うよりも、城砦兵士が城砦騎士を支えて
戦うといった傾向が強いのだ。
城砦騎士の素養として必ずしも指揮能力が
問われないのはそういう理由でもあった。
さらに申さばこの戦術モデルは異形が単騎で
城砦騎士より高い戦力指数を有している場合、
つまり城砦騎士が絶対強者と成り得ぬ場合、
機能しなくなる。
戦力指数が乗算である以上、20も30も
ある上位眷属が相手だと一桁前半な兵士ら
では無駄死にに終わる公算が高すぎるのだ。
先刻の戦闘を数値で見るならば、地上部隊で
あった飛び切り大柄なできそこない2体が
戦力指数6、上位眷属できあがりが推定30。
よって戦力値としては概ね1000となる。
一方サイアスやラーズ率いる抜刀隊を除いた
ヴァルキュリユル本隊の総戦力値は560ほど。
人馬一体で戦うサイアスの戦力値にこれを
加えても1000には及ばない。
まともに対峙すれば全滅もあり得る相手だった。
そこでサイアスはヴァルキュリユル本隊と
位置座標をずらす事で敵の狙いを確かめた。
結果狙いはサイアスのみと判明。
ならば無駄死にさせるべからずと輸送対象
である本隊を逃がすのは圧倒的合理。
むしろその気になれば飛翔して逃走可能な
サイアスにとって、護衛対象たる本隊は
単なる足手まといでしかない。
単騎となるのは絶対的正解でもあった。
歴戦の武人である代将ディードが語り
代々軍人を排出する名門出の副官クリンや
参謀長補佐官たる城砦軍師アトリアが補足する
そうした軍事上の駆け引きは、余の者らにも
十分理解が及ぶところではあった。
もっとも理解が及ぶからといって納得がいく
とは限らないものだ。むしろそういう状況に
サイアスをハメた奸智公と奸魔軍への憤怒が
いや増し、そしてそれらは理不尽にも。
そう、理不尽にもサイアスへ向かうのだった。
サイアスとしてはまったく以て堪ったもの
ではないが、ここでゴネると別の「スイッチ」
が入って筆舌に尽し難いほど酷い事になるので
賢明にも懸命に神妙を堅持。蓋し唯一解だった。
「上空から狙撃されずに済んだのは
良かったわね。まぁ『はねっかえり』
とやらはリストに追加しておくわ……」
とニティヤ。
口調は冷静だが目は完全に据わっている。
何のリストかは聞くまでもなかった。
「我が君が期待通りの『好演』をみせた事で
奸智公と奸魔軍は今日のところは満足した
と、そういう事でしょうか?」
とディード。
頗る平静を装うが威圧的が半端無い。
「……そうかも知れないわね。
でもそれは飽くまでサイアスに対して
だけで、騎士団自体に対しては攻め手を
緩めないのではないかしら」
とニティヤ。
総じて荒神の如く荒振りつつも、徐々に
言動は分析的なものとなっていった。
ただし荒野の女衆の放つ鬼気は詰め所の外部を
遠巻きに歩哨する兵らが或いは眩暈を起こし
或いは腹を押さえてへたり込む程に増幅。
そしてそれらを間近で一身に浴びるサイアス。
黒の月、宴の折の魔の顕現すら川面に魚が
跳ねた程度のごくありふれた事象に思える
程の言語を絶する空前絶後のプレッシャーを
受け、サイアスは今後如何なる敵に出くわそう
が微塵も恐怖を感じる事はないと確信した。
「とにかく」
「はい」
世界の終焉、神々の黄昏の折に
神々の王を喰らう天狼の如きロイエ。
そして厳粛に、静粛に裁きを待つサイアス。
「寝れ」
「はい」
そういう事になった。




