サイアスの千日物語 百四十三日目 その八十
第三時間区分初頭、午後1時30分。
常人の域を優に超えた氷の美貌と
げに愛くるしきにゃーにゃーな萌え。
両者のギャップで観衆の理性と判断力を
根こそぎ奪い去り、その上で怜悧な智謀を
以て容赦なく正鵠無比に急所を抉る。
奸智公爵もかくやと言ったおそるべき
「地獄のねんねこにゃー」なサイアスは
「ではこれより我が隊は
帰投準備に移ります」
とまるで何事も無かったかの如く
「当地に残留する工兵中隊50名の指揮は
当地に先行し測量を済ませて施工の進捗に
多大な貢献をもたらしたシュタイナー卿に
是非とも引き継いで頂きたいのですが」
と申し述べた。
「ぅ、うむ。良きに計らえ」
すっかり追い込まれた騎士団長閣下は
頭を抱えつつも裁可を与え、手早く認めた
書状に自身の印璽を押して差し出した。
書状は3通。勲功授与証、騎士団領内の
遺構探査及び発掘物優先確保権証書。そして
西方諸国連合国向けの伝承金属供出要請書だ。
流石に各国内に立ち入って遺跡を掘り返す訳
にはいかぬので、伝承金属を物資提供義務の
重要品目に加え自主的な供出を促す形だ。
ものさえ出ればあとはサイアスが勲功で購い
解決し得るだろうという、より一層の活躍を
促す肚積もりでもあり、追い込まれている
割には十二分に強か。この辺りは流石と言えた。
「ハッ、有り難き幸せ。
ではシュタイナー卿、後は宜しく
お願い致します。アトリア、引継ぎを頼む」
平素の通りツンと澄ましてチェルニーに敬礼。
その後シュタイナーに、次いで他の騎士らに
一礼して一足先にサイアスは辞した。
「やれやれ、何ともおっそろしいヤツだな。
ちょっとだけお前にゃ同情してやるぜ」
とファーレンハイト。
同情してやると言いつつも
表情は全力でニッタニタであり
チェルニーは悔しげに舌打ちした。
「奸智公もかくやと言った感じだな。
しかしオレイカルコスにミスリルか。
……確かそれぞれ北と西の産だったか?」
とローディス。
「オレイカルコスについては『火の文明』
との関わりが指摘されておりますな。
かつての『火の文明圏』とは平原北部です。
カエリア王国のユミル平原出身なインクス殿
が所持しておられるのも、恐らくその縁かと」
入砦前は学者か大臣であったと
言われるセルシウスがそう語った。
「火の文明」とは平原全域を版図としていた
「闇の王国」が平原中央に興った「光の国」に
滅ぼされたのち、東西南北の四方に残った
闇の王国を継承した文明圏のうち北方のものだ。
闇の王国に反乱する形で興った光の王国は
闇の王国の残滓を徹底的に「浄化」してまわり、
四方の「四つの文明」をも滅ぼすべく侵攻した。
だが文明としての自力を持たぬため、北の
「火の文明」と南の「土の文明」を滅ぼした
ところで国力を使い果たして自壊した。
お陰で平原の中央及び南北では文明水準が
「闇の時代」に比して著しく低下してしまった。
その後東の「風の文明」は平原東部沿岸域の
東方諸国と融合して新たな形へと変じていき、
結果西の「水の文明」だけが闇の時代の文化を
色濃く継承して大繁栄を成した。
光の時代に一気に落ちた平原中央や南北の
文明水準は水の文明圏の影響で徐々に元の
闇の時代のそれへと回復する兆しを見せ始めた。
そこに、血の宴が起こった。
荒野より侵攻した魔軍により水の文明圏は
数夜で滅亡。当時最も高度な文明を失い復興
途上であった平原中央と南北の水準は再び低下。
こうして闇の王国が有した高度な文明は途絶え、
平原全域は暗黒時代に突入したのだ。
結果として当世では専ら西域の遺構に
その残滓を残すのみとなっていたのだった。
「ならどっちの金属も基本的にゃ
騎士団領が本命って事かねぇ」
とファーレンハイト。
「うむ、そうだな。実は伝承金属は
『四つの文明』のそれぞれに一種ずつ
あったのだと伝わっておる。
だが最期まで残っていたのが
『水の文明圏』だからな。どれであれ
確率的にそう考えて間違いはなかろうよ」
とセルシウス。
セルシウスは騎士会の序列においては
ファーレンハイトやチェルニーら中堅騎士
よりやや上の位置に居た。
もっとも一戦隊の騎士は騎士会の序列だけで
なく兵団での役職による序列をも重視する。
よって共に戦隊副長であるファーレンハイト
とは平素より同輩として親しくしていた。
「まぁ問題は彼が手に入れたそれらを
どうするつもりか、だな。当世では
産出も精製もできぬという事は、加工も
実用も容易ではないという事だ」
「単に眺めて悦に入るだけかも知れんぞ。
あれは石に関しては病的だからな」
思案げなセルシウスに
チェルニーは肩を竦めてみせた。
これに対してはシュタイナーへの
引継ぎ手続きを済ませたアトリアが
「娘さんへのご機嫌取りです」
と去り際に苦笑し言い残していった。
「あ、お帰りなさい。
……どうだった?」
ヴァルキュリユルの指揮車両たる
一家専用のクァードロンで上目遣いに
出迎えるベリル。
「フフ、勿論ばっちりだ。
取り寄せになるから多少時間は
掛かるけれど、必ず手には入るよ」
「え!? ほんと!!」
「お父さんを誰だと思ってる?
この程度、軽い軽い」
「やったぁ! ありがとうお父さん!!」
「フフ、フフフフ」
大喜びする愛娘の機嫌が直った事で
すっかり自身もご機嫌となったサイアス。
生暖かい目で見つめるクリームヒルトや
配下らを素知らぬ顔でやり過ごし、懐から
お気に入りのフラウト・トラヴェルソを
取り出して早速ヒュルヒュルと吹き始めた。
大隊と主力軍との別を問わず、兵らとしては
思いもかけぬ生演奏のご褒美となり食後の
和やかな雰囲気も相まってこぞって笑顔や
鼻歌、手拍子などで応じ、楽しんだ。
そうこうしつつ、されど無駄なく残務を処理し
出立の準備を整え、いよいよ午後1時45分。
第三戦隊長代行たる兵団長サイアス率いる
独立機動大隊「ヴァルキュリユル」の本隊は、
大型車両3台及び工兵50名を輜重として当地
に残し、第一戦隊副長セルシウスやその副官
シュタイナーらの見送る中オアシスを発った。