サイアスの千日物語 百四十三日目 その七十八
城砦暦107年の第263日目。
平原風に呼称すれば9月下旬となる当日に
おける城砦騎士団の総戦闘員数は約1400。
そのうちほぼ半数の650余が出動してきた、
中央城砦の在る高台よりさらに南東の一地点。
通称「オアシス」にて。
荒野の只中にありながら湿潤な地勢となる
同地の中央の遠浅な泉。その北岸ど真ん中に
デンと陣取り、敵である魔軍または奸魔軍の
進軍ルートと思しき泉の対岸、さらにその
南方を見据えつつ。
同地の制圧と敵勢の誘引を目的とする
「アイーダ作戦」の幹部ら。いずれ劣らぬ
異数の武人らはとても厳かな沈黙を保っていた。
彼らは揃って神妙な素振りを以て、彼らの
うちでも図抜けて若い一人の将に。傍目には
恐ろしく精緻な絵画か人形にしか見えぬおよそ
現実離れした美貌の、性別定かならぬ容色の将
に着目していた。
遠巻きの兵士らが施工し食事し休憩に勤しむ
その様とはまるで対照的な厳粛な空気の所以。
それは今まさに成されようとしている
「命名の儀」にあった。
古来、名は体を表すと言う。
人も人ならぬ者も物も何もかも、
名を得て初めて世に在り得るのだ。
天地神明に存在を証すこの命名の儀とは
善悪人魔の区別なく崇高なものに相違なく、
ゆえに人の世の守護者にして絶対強者たる
城砦騎士らはかように厳粛な空気を醸している。
のかと言えばそうでもなかった。
人の暮らす平原の西果てのさらに先なる荒野。
その只中で107年間の対異形戦闘の歴史を
有する城砦騎士団では、初遭遇の異形へは
最初に遭遇した部隊にその命名を委ねる
という不文律が出来上がっていた。
草創期ならいざ知らず、来る日も来る日も
実に107年間も一所に留まり戦を続けていて
さらに新種に出くわす機会なぞ、本来そうそう
あるものではない。
だが城砦暦107年にはそうしたこれまでの
流れがまるで嘘だったかのように、続々と
新奇なる異形らが出没し将兵を瞠目させていた。
此度の命名の対象もそうした中の1体だ。
それも上位眷属であり、絶賛個体進化中の
厄介な相手であった。
対異形戦闘における最重要の課題とは恐怖を
克服する事にある。人智の外なる茫漠とした、
それでいて慄然とした現実である異形を前に
怖じず怯まず平素の通りに行動し得る事。
参謀部の用語で言えば恐怖判定に成功する事
こそが異形に対峙し戦闘を選びえる大前提で
あるため、異形への命名においては例えば
神話伝承の魔物の名を借りるといった、
本能的始原的な恐怖を惹起せしめる選択は
厳に戒められる向きがあった。
それでいて敵の在り様を精確に表現する、
畏れも侮りもなく、ただ在るがままの様を
端的に示す、そういった名が求められるのだ。
一言で言えば、凄まじく面倒臭いのだ。
さらに申さば大抵の場合その新たな名は
あぁだこぅだと槍玉にあげられ熱烈に歓迎
される事となる。
なので他人の付けた名前で一騒ぎしては
やりたい、が自分ではけして付けたくない。
そう考える者が圧倒的に多かった。
よって命名の儀においては
「じゃぁお前が付けろ」とのとばっちりを
避けんがために、どいつもこいつも神妙なのだ。
平素あれだけ喧しいセメレーやウラニアが
ひたすら無言を保っているのは、まさに
そういう訳であった。
この手の事柄は大抵若手に回ってくるものだ。
そしてこの集団ではサイアスのみが10代
とずば抜けて若かった。
人の身的能力は20代末まで成長し、
心的能力は30代末まで成長すると言う。
そしてどちらも10年程の安定期を経て
徐々に低下していくとされていた。
つまり一個の人の能力が総合的に完成の域に
至るのは、20代後半から30代半ば。魔力の
影響といった特殊な要素を勘案しないならば
これが相場であった。
よって人の世の守護者にして絶対強者たる
城砦騎士らも大抵の場合この年齢層にあった。
サイアスが確かに知る範囲では、18な
自分の次に若いのが26のミツルギで
その次はデレクの27だ。要は大半が
別世代であった。
ともあれ、命名権があるのはこの場では
自身のみ。後の予定もあるしそう長くは
時間も取れぬとて、サイアスは手早く
「『トンデライオン』で如何でしょう」
と語った。
サイアス的には件の異形が「飛んで」いる事。
獅子の頭部をぐるりと囲むたてがみと翼が
蒲公英すなわち「ダンデライオン」のように
見える事を掛けての洒落であったが、
「……ふぅむ」
と腕組みし首を傾げる
ファーレンハイト。
「まぁその、何と申しますか」
とお茶を濁すミツルギ。
「いー事ありそーな?」
と謎の電波を受信するデレク。
「しかしやけに攻めるなお前!」
それを踏まえてなのかどうか、
な風情のセメレー。
総じて、どうやら不評であった。
「まぁそもそもが敵なので、
見掛けて良い事はなさそうですが。
『攻める』というのは、どういう事?」
ととりあえずセメレーに問うサイアス。
「何となくだ!」
「そう」
サイアスはそれ以上の追求をやめた。
「多少オサレに過ぎるやも知れんな」
と顎に手指を添え吟味するチェルニー。
「そこは歌姫の歌姫なるが所以じゃろう」
「俺はサイアスらしくて良いと思うが」
とウラニアとローディスは賛成のようで
「奇遇ですな閣下! このセメレー、
閣下の最愛なる配下セメレーもまた
そのように思うておりました!!」
とセメレーはあっさりクルリして、
早速キレたウラニアと罵り合いをはじめた。
「羽牙との関連性が見えぬ点は残念だな」
「あぁそれはあるかも知れませんな……」
セルシウスとシュタイナーはどこまでも
実務的な見地から見解を述べ
「私は常にお味方致します」
とアトリア。名称そのものへの
言及は巧みに避けていた。
「ふむ。では……」
おのれ見ておれ、と思ったのかどうか。
ややジト目になりつつもサイアスは
再度の沈思黙考を。暫くして
「『はねっかえり』!」
と声高に言上した。
下位眷属たる羽牙との関連を示す『はね』。
そして遥か上空を飛ぶ様を指して古語で
「天空の」を意味する『かえり』。
さらに両者を含めつつ、反目し反骨する
敵である旨を暗に示す『跳ねっ返り』をも
掛けたこれ以上なく理想的な仕上がりであった。
「おぉ!」
「成程な」
「そう来ましたか」
「いーじゃん!!」
一同は口々に絶賛し、そして大いに笑った。
こうして奸智公爵の僕でもある
件の上位眷属。大小の湿原に未だ残存する
800余の羽牙を率いる獅子頭の将は
「はねっかえり」と命名された。
今回の上位眷属の名称については
『紅い瞳のドラゴン 初恋の行方』の作者
「蟻群深月」氏より原案を頂戴いたしました。
氏には平素より大変お世話になっております。
この場を借りあらためて御礼を申し上げます。
ありがとうございます。




