サイアスの千日物語 百四十三日目 その六十七
この「できあがり」はこれまでに六度
数十名単位の部隊との戦闘に及んでいた。
自身の手駒は有ったり無かったりだが、無論
その都度確実に殲滅し証人の類は消していた。
そのうち三度では指揮官が騎乗していたが、
いずれも遭遇と同時に下馬し歩兵と成って
戦闘及び指揮をおこなっていた。
この連中は常に指揮官が一番強い。
そして最大戦力たる指揮官が参戦する際
飽く迄移動用な馬は邪魔という事なのだろう。
だが七度目の此度はまるで違っていた。
指揮官であるのは間違いなかろう。何せ
態々襲えと命ぜられるくらいだ。
味方を逃がし単騎留まるあたりから、
相当名のある者でもあろう。だがそれだけだ。
戦力的にはこれまで屠った部隊の指揮官と
さして大差のない格下である事は揺ぎ無かった。
だがしかし。この指揮官たる人の子は、
戦に及んで下馬しなかった。それどころか
人馬一体と成って自身の攻め手を完封した。
間違いない、これは貴種だ。
格下であっても希少な獲物だ、と
できあがりは威容に喜悦を浮かべた。
ただ数度撫でるだけで千々に千切れて
肉片と化す連中とは違う。端的に言えば
本気を出せる類の敵なのだ。
黒の月、宴の折の城攻めでもないのに
態々我を引っ張り出して塵芥に過ぎぬ
人の子の一人を指定して襲わせるなぞ。
さらにはその際手駒に倣い下等な獣の真似事を
させるなぞ、と内心鬱屈し忸怩たる嫉妬心にも
似た想いを抱きもしたできあがりだが、今は
純粋に己が荒神へと感謝していた。
これほど楽しい戦、楽しい獲物であったとは。
なれば神意に忠実たるべし。 ……一頻り
楽しませて貰った上で、此奴に命が有ったらな!
できあがりは巨躯を揺るがして
天を仰いで凄絶極まる雄叫びを発した。
地鳴りかはたまた雷鳴か。余りに凄まじい
その衝撃はビリビリと荒野の大地を痺れさせ、
不可視の音の津波となって轟き渡った。
爆風の如きその雄叫びを浴び、サイアスは
知らず瞠目し、直ぐに表情を引き締めた。
俯瞰的にみれば規模はまだまだ小さいが、
この雄叫びはかつて降臨した魔が一柱
「貪瓏男爵」が見せた咆哮と同種のものだ。
あの時は映像のみだったが実物はさぞ
もの凄まじいものだったろう。 ……そして。
この眼前の咆哮を、別途耳にした事もあった。
カエリア王立騎士団と共に南往路を抜けた後
の事だ。遠雷の如き地響きの如きあの音の
正体とはきっとこれに違いない。
そうサイアスは確信した。
一方でサイアスはかつての遠鳴りの咆哮と
それが起きた距離とを照らし、知りたくない
事実をも知る事となった。
南西丘陵辺りからと思しきあの咆哮の主は
この固体では無い。さらには宴でオッピ閣下が
倒した固体でもない。あの時のあの位置関係で
あの轟音を発するには、眼前にあるこの巨躯
では、まだ足りないのだ。
丘陵に某かの音響的な仕掛けがあるにせよ、
体長1オッピ程のこの固体よりさらに巨大で
高質量な某かが存在して、それが咆哮を発した
のだという事になる。
上位眷属たるできあがりよりなお巨大で強大な、
それでいて夜の支配者たる魔でもない存在。
サイアスの脳裏には竜という言葉が浮かんだ。
……良いだろう。
既に人の領域を凌駕して久しいサイアスの
精神が、茫漠たる未知の恐怖に怯え竦み、
圧し潰される事なぞ無かった。
神殺しのついでだ。
竜殺しも引き受けよう。
サイアスは不敵に微笑んでいた。
大気を渡る異形の咆哮の終焉と
大地を蹴って轟然と跳躍し飛び掛る挙動は同時。
身を屈め宙を飛ぶように数歩疾駆した上位眷属
できあがりは怒声を発し一気に宙を舞って
迅雷の如き右の飛び膝蹴りを繰り出した。
瀑布の如きその蹴りは神速で飛び退く人馬を
捕らえる事能わず。されど飛び膝は中空で
伸身展開し閃光の如き前蹴りへと変じて
なお、人馬を襲う。
虚空のソレアで中空に足場を得たシヴァは
飛び退きの最中に再び飛び退きかろうじて
この恐るべき二段蹴りを無難に避けてのけた。
だが、できあがりは前方へと蹴りだした
その右足でぐいと中空を踏みしめるように
して身を乗り出し、これまでけして用いる事
の無かった背中の翼をはためかせて加速。
僅かに伸び上がりつつ一気に距離を詰め、
虚空を踏みしめた右足を軸として体側を左から
右へと捻り、左の豪腕による貫手を繰り出した。
距離は詰まっている。体格に差がある。
つまりこの貫手は確実に「届く」。
刹那にそう判断したサイアスとシヴァは
むしろ自ら異形へと寄った。そしてサイアスは
巨躯ゆえ大振りな軌道となる異形の左腕の内側
を滑らせるようにして右手のアーグレを疾風の
如く繰り出した。
できあがりの繰り出す貫手の内側。
より短い距離をより速く滑るように進む
アーグレの穂先が狙うのは、首。
先刻できそこないの首を瞬く間に刎ねた
あの剣聖剣技「旋」による「対の先」だ。
やはりこの人の子は尋常ではない。
技量以上に心胆の出来がおかしい。
脳裏で舌打ちする上位眷属できあがり。
流石に首を飛ばされては溜まらぬと、
迸る貫手を強引に制動して折りたたんだ。
そして拳を立て自らの胸前へと捻りこむ
ようにして手首と二の腕の側面を用い
殺到するアーグレの打ち払いに転じた。
徒手格闘にいう、外受けだ。
渾身の貫手を瞬時に中断し頑強なる外受けへ。
異形と人とを問わず膨大な数を屠り続けた
この異形の技量もまた研ぎ澄まされたもので
あった。が、
外受けはアーグレの穂先も柄も、
まるで打ち払う事はできなかった。
サイアスは宴の際に指令室から見たできあがり
の挙動。そして先刻実際に1合撃ち合って得た
感触から、できあがりは連撃を使いこなすのだ
という事を承知していた。
下位にあたるできそこないですら、二段攻撃を
専らとする。上位なら言わずもがなでもあった。
よって貫手を巧みに受けに変じてアーグレを
防ぎに来ることは判っていた。判っていた
ためアーグレを撓らせこれを避けた。
細身の鉄芯を髪を編むように捻り合わせた
独特の柄を持つ鉄槍アーグレはとにかく撓る。
その特性を活かしきったアーグレは、ヒュルリ
と旋回し今はできあがりの頭上にあった。
できあがりの頭部には二本の節くれだった角が
生え、歳経た雄山羊のそれ宜しく兜のように
渦巻いて頭部側面へと流れている。
その二本の角の狭間。何もない間隙。そこが
この異形の頭部における構造上の急所であった。
敵の構造上の急所を即座に見抜いて全速、精確。
そこに渾身の一撃を繰り出す。
すなわち剣聖剣技「断」であった。
サイアスは「旋」から「断」へと剣聖剣技に
よる連撃を、撓るアーグレに「強撃」をも
乗せて繰り出していたのだ。
……げに恐ろしき手練れよ。
異形は格下の人の子に畏敬の念を抱いた。
……だが足りぬッ! 届かぬッッ!!
ズゥン!!
鈍い音を立てアーグレは弾き飛ばされた。
弾いたのはできあがりの右の豪腕だ。
貫手の後薙ぎ払いに行く企図であった、
右の豪腕が余っていた。これにより間一髪で
アーグレによる唐竹割りは阻止された。
そしてアーグレを弾かれ態勢を崩した
サイアスへと、揚げ受けに引き上げられる
ようにして側面に伸び上がったできあがりの
膝、膝の先たる二の足が鎌首をもたげる。
それは先刻の奇襲の攻防で見せた
暴風の如き回し蹴りの構えだった。




