サイアスの千日物語 三十二日目 その十二
四つの分隊となって城砦外周の行軍を開始した
補充兵194名は、1周目とはやや異なる状況に
遭遇することとなった。
まず、分隊となったことで行軍速度がやや増した。
二つ目の分隊に参加していたサイアスは、
玻璃の珠時計で行軍に費やす時間を計測していた。
分隊での行軍において南門から北門までにかかる時間は
概ね目盛り一つ分強、概ね40分弱と見てとれた。
このことから、俯瞰すると正方形である中央城砦の
一辺あたりの踏破時間は20分前後と判断できた。
次に、東の一辺を行軍中、徐々に傾きを増した初夏の空に、
黒い影が過ぎりだした。時折まばらに見えるそれらの影は
三羽の大きな鳥のようにも見えたが、
無論ただの鳥ではあるまいと、誰もが肌で感じ取っていた。
防壁上では第一戦隊の弓兵隊が周囲の警戒に当たっており、
軽々にそれらの接近を許しはしないだろうが、
陽射しの傾きが増し明度が下がることによる発見の遅れと
それに伴う低空からの侵入は十分想定しうる事態だった。
一度接近を許してしまえば、有象無象の補充兵が恐怖にかられて
隊伍を崩し混戦状態となり、弓による支援が困難となる可能性が高い。
3周目はそれなりの危険を伴うことになるだろうとサイアスは予測した。
また城砦の北辺においては遠方に河川のきらめきが見えていたが、
そちらからも何者かが忍び寄る気配があった。大ヒルには
さすがに遠すぎる距離だが、他の何かがぬるりと忍び寄り、
補充兵の数名をも攫っていく可能性が出てきた。
極めつけは城砦の西の一辺での行軍だった。
これまでに聞いたことのない、低い笑い声のようなものが
耳に飛び込んできたのだ。目を凝らして遠くを見ると、
人よりやや大きい程度の首のない影が地を這うようにして動いていた。
直視することにより理解や判断の高まり易い視覚よりも、
漠然とした情報しか得られぬ聴覚の方が恐怖を煽り易い傾向にある。
遠方から聞こえてくる不気味な笑い声は補充兵の恐怖心を存分に高め、
自然と速歩も速度を増した。
最後に南の一辺。こちらには人をやや大きくした程度の獣のような姿が
ちらほらと見え始めていた。ただしこれらは城砦との距離を大きく取り、
接近を躊躇っている風だった。なぜなら南門前には
いつの間にやら完全武装を整えたオッピドゥスが立っており、
それら獣の群れに暴風雨の如き武威を飛ばしていたからだ。
オッピドゥスはその巨体を余す所なく活かし、
分厚い装甲を持つ大鎧に身を包み、両の手にはそれぞれ
家屋の扉二枚分はあろうかという大きさの、人の頭程の厚みのある
大盾を構えていた。その盾はもはや城壁の一部であり、
オッピドゥスはこの二枚の盾で敵を防ぎ、弾き、薙ぎ払い、
さらには圧殺するのを戦闘流儀としていたのだ。
「おぅ、戻ったか! 順次小休止しつつ待機だ!」
オッピドゥスの豪快な大声は
恐怖に竦みつつあった補充兵の腹にずしりと響いた。
城砦内ではあれほど迷惑に感じられた大音声も、
いざ敵を前にすると喩えようの無いほど頼もしいものに感じられ、
補充兵たちは一息ついて若干の冷静さを取り戻すことができたようだった。
やがて四つの分隊全てが南門前へと戻ってきた。戻った補充兵たちは
一様に、巨大な彫像にしか見えないオッピドゥスに驚き、
同時に暫時の安息を得ていた。
「す、凄ぇ…… なんだあれ」
オッピドゥスを見て件の騒がしい男が呻いた。
「中に何人か乗り込んでそうだね……」
ランドも同様に驚愕していた。
オッピドゥスは教官役の兵士たちから何事か報告を受け、
指示を飛ばして兵士数名を城内へ走らせた。補充兵たちの見守る中、
城内からは門の警備に当たる20名程の兵士たちが現われ、
教官役の兵士たちは鎖帷子とは別の台車を押して戻ってきた。
サイアスは時計を確認した。
概ね5時30分というところだった。
「よぅし、ひよっ子ども!
次で最後だ! いよいよお楽しみの肝試し大会だ!」
オッピドゥスは普段と変わらぬ声で楽しげに言った。
「ふぇっ! 何物騒なこと言ってんの!?」
「肝試し、ねぇ…」
件の男は素っ頓狂な声を上げ、ランドは何やら思案していた。
ロイエや志願兵はおおよその意図を察して覚悟を決めた風であり、
サイアスは台車に積まれた装備を眺めていた。
「最後の3周目は小隊規模での行軍だ!
城砦では最大6名を以って班とし、最大3班18名を以って隊とする!
これに指揮官と副官がついた最大20名が、城砦における一個小隊だ!」
城砦における戦闘集団の最小単位は「班」と呼ばれた。
1つの班は3から6名の人員で構成され、最先任の兵士がその長となった。
そして最大3つの班を束ねた9から18名の集団を「隊」と呼んでいた。
さらにこの隊に、隊員とは別に全体の統率を担う兵士長以上の階級の者を
主・副1名ずつ付け、最大で20名となるこの戦闘集団を
「一個小隊」と呼んでいた。
兵士長には一個小隊までの指揮権が委託されており、それ以上は騎士階級が
率いることになる。騎士1名の指揮権は最大50名とされているため、
分隊指揮官たる城砦騎士1名は、最大で5個小隊を担うともいえた。
「今回は既にある4分隊をそれぞれをさらに5分割し、
補充兵10名を以って1個小隊と見なす!
三周目はこれら各小隊ごとによる行軍をおこなう!」
「ほー、なんか面白ぇなこういうの。ちょっとときめくと言うか」
「はは、男子だししょうがないよね」
件の男とランドは和気藹々としていた。
この二人、実のところは相当神経が図太いようだった。
「感心してる場合じゃないぞ! 一群辺りの人数が減るってことは
眷属どもにとっちゃ、餌度が上がるってことだからな! ガハハハ!」
オッピドゥスの高笑いに補充兵の群れが動揺を示した。
「ぐげぇ、色々洒落になってねぇ……」
件の男が呻いた。
「眷属どもの戦力指数は最低でも2以上だ!
戦力指数というのは一言でいえば「強さ」だが、
実戦経験を経た城砦兵士を1として扱う。つまり」
オッピドゥスはニヤリと笑った。
「単なる寄せ集めのひよっこであるお前らは、戦力指数ゼロだ!
何人束になってもゼロはゼロ! ゆえに武器を装備するまでもない!
絡まれたら、ひたすら走って逃げ切ってこい!」
補充兵の群れはやや恐慌状態となった。口々に不安と恐怖を口にしていた。
「ぎゃぁあぁあ! 俺らひょいパクされんのかよぉ!?
投げやり過ぎんぞおぃいぃ!?」
「……君は絶対逃げ延びそうな気がするけどねー」
件の男はぎゃあぎゃあと喚き、
ランドは肩を竦めてお手上げの様子を示した。




