表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイアスの千日物語  作者: Iz
第六楽章 光と闇の交響曲
1019/1317

サイアスの千日物語 百四十三日目 その六十四

荒野における騎士団の107年間の戦歴に

おいて、上位眷属との遭遇例は極端に少ない。


ゆえに従来は上位眷属はその数が1体

ないしは極端に少ないのだと考えられてきた。

だがどうやら実態はそうではなかったようだ。


黒の月、宴の時分であるなしを問わず、

城外へ哨戒や探索、救援等に出向いたまま

戻らぬ隊は存外に多い。


無論人界を遠く離れた敵地の只中で

往きて戻らずの意味するところは唯一つ。


そしてそういう事例が上位眷属らによって

もたらされていたのだと考えたなら、すとん

と腑に落ちるところもないではなかった。


少なくとも小隊、大抵は中隊規模で多くは

城砦騎士が率いて出動する部隊を、敗走も

許さず着実にほふり尽くせるほどの強者。


そうした存在のうち1体が今、凡そ30オッピ

を隔ててサイアスと対峙していた。上位眷属

「できあがり」と配下らしき「できそこない」

2体。計3体の異形は、緩やかに、ジワりと

サイアス目掛け歩みだした。





できあがりは今は悠然と二足で歩んでいる。

黒の月、宴の際に指令室から見たできあがりは

異様に発達した上半身の筋肉のせいか常に

前傾気味に見えていたものだが、この固体に

関しては比較的に上下の均整が取れている。


できそこないの特徴でもある、歳経た山羊にも

似た額の角は、節くれうねってもはや兜代わり

と化し、反面手足の鉤爪はほぼなりを潜めていた。


次第に定かとなるその容貌は、老人の顔に似た

できそこないらよりもやや若く中性的ですらある。

だが矢張り戯画的に歪曲した、悪意ある造形だ。


荘厳さすらある巨躯の背後に折りたたまれた

翼は蝙蝠同様の翼手。大振りで完全な状態

にあり近づくほどに視界からは消えた。


そして代わりに時折ちらついて見える

大蛇の如き漆黒の尾が目立ちだしていた。


自身の巨躯、その威容を誇るように

荒野の大地を闊歩かっぽする「できあがり」。

2体のできそこないと共に迫るその姿は

魔犬と共に所領を睥睨へいげいし練り歩く

地獄の領主の如きものであった。


力無き平原の民なら目撃した時点で気が触れて

然るべき。荒野の戦を生き抜いた歴戦の強者

であっても絶望に天を仰いで然るべき。


そんな大形異形の上位眷属を前にして、

なおサイアスは表情一つ変えず。否。



「なかなか絵になる」



とむしろ微笑した。





一言で言えば、正気ではない。

二言で言えば、現実を直視していない。

サイアスはそんな感想を発した。


実際サイアスは眼前に迫る異形のみを

直視しては居なかった。



兵書に曰く


人有勝心(人、勝心有らば)惟敵之視(ただ敵のみを視る)

人有畏心(人、畏心有らば)惟畏之視(ただ畏怖のみを視る)


勝利を求める心に囚われれば

ただ眼前の敵のみに注意が奪われる。


恐怖に怯える心に囚われれば

ただ心中の恐怖のみしか見えなくなる。


兵書はどちらか一方に寄るのではなく

両の視点を併せ持つ事を推奨していた。



だがサイアスはさらにその上を往く。


そもこの異形らとの戦闘の先に

サイアスの勝利は存在しないのだ。


城砦騎士団独立機動大隊ヴァルキュリユル

司令官たるサイアスの勝利は戦略目標の

完遂と合同作戦の成功の先にある。


戦術規模で言えば敵の誘引とオアシスへの

輜重移送。これを成せればひとまずは勝利だ。

そしてそれはほぼ揺ぎ無いものとなっていた。


また、サイアスという一個の武人は

眼前に迫る強大な敵への畏怖心が

とにかく乏しかった。


何せ城砦への旅路で既に「できそこない」

を斬り伏せ、入砦式前の客分の身で大型種

「大ヒル」と渡り合って勝利を得ている。


さらに上位眷属たる「大口手足増し増し」や

「ヒルドラ」と対峙し将と兵両方の役回りを

務めてこれらを撃破しているのだ。


要は途方もない格上の相手とやり合うのに

すっかり慣れっことなっていた。


そも件の大口手足増し増しが戦力指数36。

自ら囮をも務めたヒルドラが戦力指数40だ。

できあがりの戦力指数30はそれらより低い。


さらには奸智公爵の化身とおぼしき現象フェノメナとも

遭遇している。最早怖いのは嫁御衆だけだった。





よってサイアスは、眼前の敵そのものに

対しては一個の稀有な事象として以上に

有意な心象を抱いてはいなかった。


むしろサイアスは、できあがりの姿形や

在り様にではなく、対峙するまでに取って

いた挙動が気掛かりでならなかった。


何故この上位眷属は登場するにあたり

四足獣の真似事をしていたのか。

その解を求めて目まぐるしく

脳裏で思惟していた。


これまでに対峙した上位眷属らを総合して、

連中は常に人を見下し、自らの強さを

誇りとしている向きが強い。


実際戦力指数30のこのできあがりならば

実戦を経て水準に達した城砦兵士900人分の

戦力を有している。平原に出張れば単独で国の

二つ三つも滅ぼせよう。


そんな強者が木端の如き人間風情にへりくだおもね

理由なぞあろうはずもなく、むしろ威容を誇る

のが自然であった。


にもかかわらず、このできあがりは。

できそこないの上位であるだろうこの異形は

自ら下位の異形の真似事をして迫ってきた。

それは何故か。


直接的な理由は判る。

奸智公爵がそう命じたからだろう。


いかなる異形も荒野に在りて世を統べる

異形ら自身が崇め奉るる荒神の前では

大海原に踊る板切れ以下に過ぎぬ。


命じられれば自害すらするのだ。

四足獣の真似事なぞ朝飯前ではあろう。


では、何故奸智公爵はそう命じたのか。


そこが謎であった。そしてこの謎こそが、

奸智公爵からサイアスに向けられた

恋文の類なのだ。


この謎が解ければ見込み通りとして活かされ、

この謎が解けねば見込み無しとして処分される。


極めて身勝手で一方的で度し難い程理不尽な、

それでいてこの上なく重要な、これは彼女

からのメッセージなのだ。


奸智公爵は荒野の随所に遍在しつつも

総体としては蒼天の高みの神座しんざにて

眼下に繰り広げられる人と異形の織り成す

戦場を観覧し楽しんでいるのだ。


そして今、最も目をかけている贔屓の役者が

死地にある。死地を用意したのは他ならぬ

奸智公爵自身だが、これを脱するための

ヒントや報酬も用意してあるという事だ。



さぁ歌い、踊りなさい。

そして私を楽しませて頂戴。



かつて北方河川で顕現した化身の姿と声を以て

サイアスの脳裏に奸智公爵の台詞が響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ