サイアスの千日物語 百四十三日目 その六十二
荒野に棲まう異形らの血は赤くない。
紫色を成していた。その紫も一様でなく
大物ほど青味が強いのだという。
仮に魔が地上の生物だったとすれば
その血はきっと蒼天の如き青なのだろう。
魔剣は少しでも青き血を求め、
主を北東へと誘っていた。
史上二人しか居らぬ魔剣使いのうち
剣聖と謳われるローディスがオアシス目指し
南下する車列を目指すその様を、遥か高みより
眺めたならば。その対角線上、すなわちさらに
北東からは、別の一騎が車列へと疾駆していた。
剣聖同様サイアスの危地、その可能性を知り
急行するラーズだ。そしてラーズの背後100
と数十オッピには、大岩の多い一帯が在った。
「奸魔軍とはまこと面白きもの。
策も戦術も人に似て細やか。
その上『美』を解している」
シモンは誰に言うともなくそう語った。
大岩の多い一帯、その北西の外れには、
遠く南西より疾駆する剣聖の直弟子集団が。
すなわち50名からなる抜刀隊のうち5番隊
10名の姿があった。
5番隊は奸魔軍が野戦陣を進発した
ヴァルキュリユルへ本隊へと放った、と
思しき陸生眷属「できそこない」による
機動中隊と交戦状態にあった。
会敵当初は27体。間髪入れず応射した
ラーズが6体仕留め21体。そしてラーズが
去った後は睨み合いを続けつつ、じわりじわり
と西手へ逃れていた。
無論このまま敵が見逃すはずもなく、
抜刀隊が敵を見逃す事もなかった。
両者とも頃合を図っていたのだ。
近傍に展開する今ひとつの戦と
この戦が連絡せぬように。
抜刀隊10名。機動中隊21体。
互いに増援なくこちらはこのままで決着を。
戦略、戦術、そして戦に生きる者同士の意思。
そうした不可視不可知の想念を共有し、抜刀隊
と機動中隊は自らの戦とその舞台を得ていた。
奸智公爵の手になる壮大な戦絵巻、
その一部を艶やかに彩るかのように。
やがて戦の潮目は満ちて、大岩の影から延びる
殺気の影は周囲を視得ぬ縄目で包み込んだ。
最も西手の広場では抜刀隊士9名が白刃に鋭気
を映し、来るべき、斬るべきその一瞬を待った。
抜刀隊士9名の中央、しかも前方には
唯一人、未だ懐手をしたシモンが在った。
他の隊士同様武器は腰の一刀のみだが
それを抜きすらしていない。
艶やかな紫の羽織の袖を時折仄かに風に揺らし、
ただ悠然と佇んでいた。夜の川の如き黒髪、
半眼を成す双眸、生白い肌にはおよそ戦の
気配がなく、紅色の口元は柔らかく笑んでいた。
抜刀隊5番隊の専用陣「蓮華」。
中央前方に唯一人、組長シモンが佇んで
その後方両翼に水上に浮かぶ蓮の葉の如く
仄かに外に向けせり上がるように3名ずつ。
そしてシモンの背後、最奥にも3名。
「先鋭陣」。前衛1名が敵を食い止め
間隙を縫って後衛が飛び出し敵を仕留める。
城砦騎士団最小戦闘単位である1班3名より
用いる陣形だ。
前衛2名後衛1名による「後鋭陣」に比して
高い攻撃力を誇る反面、一枚盾には強靭さが
求められる。
戦闘員の数が増えた場合はこの二つの三角形を
適宜組み合わせ、戦況に最適化した陣を象る。
今5番隊が採る「蓮華」と似た陣形を探すなら、
城砦騎士専用とされる「鳳翼陣」が表象的
には近かろう。
だがこの蓮華の陣はそれよりなお苛烈であり
極端であった。隊士10名のうち盾を担うのは
ただ一人。残り9名全てが後衛であり切り込み
を担う事となる。
象るだけなら誰にでもできる。だが
実際問題として小隊10名で挑む敵に
たった一人で盾を成せる者なぞそうは居ない。
「城砦その人」と謳われる第一戦隊長
オッピドゥスや第一戦隊の騎士らであれば
それも可能かも知れないが、そもそも
第二戦隊は強襲専門。
防御軽視、攻撃特化の鉄砲玉集団なのだ。
盾が崩れれば陣も崩れる。にも関わらず、
これをやる。余程の狂気と侠気、さらに
技量なくては出来ぬ業だ。
そして剣聖の高弟、四天王と謳われる紅一点。
5番隊組長シモンはそれらを統べて具えていた。
仮初の静寂は突如失せた。
まずは右、次いで左。僅かな間隙を伴い
2体が飛び出し、正面からも1体。
狙いは眠るかのように佇むシモンその人だ。
シモンの一刀は左腰に在る。膂力と敏捷を
活かしきった物陰よりの跳躍は、抜刀速度を
優に上回ってしかるべき。
仮に急襲に反応して抜けたとしても、
少なくとも左腰より遠い右からの攻め手
には攻めも受けも満足な対応ができぬはず。
そして刀が右に回った刹那を狙い、僅かな
間隙を設けて飛び込む左の異形が無防備な
身体を薙ぎ、さらに正面からの突進で粉砕。
これに残りの異形らが続く、そういう仕掛けだ。
未だ半眼、何の反応も見せず眠るが如く静かに
佇む蓮華の陣の中央前方、シモンの孤影。
これに轟然と突っ込む3体の1番手、囮も
兼ねる右方よりのできそこないは、飛び込み
ざまにほぼ豪腕といえる右の前肢を繰り出し、
鉤爪でシモンを引き裂こうとした。
仮に抜刀が間に合い一刀が迫っても
鉤爪で絡めれば良いとの判断だ。
だが繰り出したはずの豪腕たる前肢は
何故か鮮血を振りまき宙を舞っていた。
愕然とシモンを見やればその右手には
白銀の一刀が紫の血飛沫の中、白魚の如く
泳いでいた。
僅かな間隙を開けてシモンへと飛び込んだ
2番手となる左方のできそこないは、1番手
たる右方のできそこない同様、抜かれたで
あろう刀から最も遠くなる、自身の右前肢
による薙ぎ払いを以てシモンを狙った。
右前肢は確かに繰り出された。
だがシモンを捕らえる事はなかった。
2番手のできそこないは目算を誤ったが
如くシモンの左方に前のめるように倒れた。
2番手のできそこないは、確かに目算を
誤っていた。何故なら首が無かったからだ。
宙を舞うそっ首のかっと見開かれた赤黒い目
には、紫の血飛沫の海原を跳ねるシモンの
左手の一刀が映っていた。
抜く手がまるで目に見えぬ。
気付いた時には斬られている。
そして斬った直後の残像だけが映る。
それは恐るべき「残影剣」であった。
攻めを企図して飛び込むものは、どうあっても
その一瞬、狙い定めたその一箇所に集中し
一時的な視野と思念の狭窄に陥る。
その一瞬の虚。
攻めるという行為そのものが負う
その一瞬の虚を待ちうけて、その機に
己が統べてを懸けてこれに勝りそして斬る。
ただただ静かに佇んで
居ながらに待ち、合わせ斬る。
すなわち、居合い。
それがシモンの剣技の妙味であった。
1番手、2番手が斬られた事に唖然とする
正面よりの三番手は、既に自身が唖然として
いた事すら理解できなかった。理解すべき
その頭部は角の狭間。ど真ん中より唐竹に。
佇むシモンを避けるがごとく
左右に割られ、地に伏していた。
その頃には右前肢一本を飛ばされただけの
1番手は飛び出した隊士らの平突きで
ボロ雑巾と化していた。
抜刀隊5番隊の十八番、「蓮華」の陣。
これを俯瞰したならば、水面と広がる葉に
あたる部分が大きい一方、花であるはずの
中央が、やたらとちいさくぽつりとしていた。
蓮華の陣は敷いた段階では未完成なのだ。
中央前方に唯一人佇むシモン目掛け殺到し、
抜く手も見せず斬られて散った異形らの屍。
屍から舞い散る紫の鮮血が大輪の花弁となる。
こうして燦然たる紫の蓮華と成り
荘厳な戦絵巻を彩るのであった。




