サイアスの千日物語 百四十三日目 その五十九
「要するに、お父さんはその騎士様に
自分のいう事を聞かせたかったのね」
一家専用のクァードロンの左方に
ちょこなんと座るベリルが左方を見上げた。
「そうだね」
クァードロンの傍らを緩やかに流すシヴァ。
その鞍上からサイアスがこれに応じた。
ラーズはあっさり飲み込み皮肉さえ残した
先の書状のやり取りは、ベリルにはまるで
理解に苦しむところだった。
サイアスは一通り互いの立場や地位の捩れ、
そして不用意な判例を残す危険性を説明し
手柄を譲る形で不問とし実を採ったのだと
解説して、最後に簡潔に一言で纏めた。
「でも直接『やって』って
言うと『角が立つ』と」
「そうそう」
ベリルは纏めをしかと反芻し、
サイアスとシヴァは仄かに笑んだ。
「その『角』っていうのが
わからないんだけど」
やや眼差しを険しくして首を捻るベリル。
「だろうね」
と微笑むサイアスとシヴァ。
「あっ! 今私の事馬鹿にしたでしょ!」
ロイエばりの反応速度で
憤慨しブンむくれるベリル。
「してないよ。でも『角』が立ったね」
「ん? んー??」
お気に入りの羽根付き帽子を押さえ
悩みこむベリル。その様に運転席の
クリームヒルトをはじめ周囲の者らは
すっかり笑顔になっていた。
クァードロンの背後の馬車では本能的に
説法好きな正軍師が説明したくてしたくて
ウズウズとしていた。
もっとも兎に角理屈っぽい城砦軍師らは
ルジヌを筆頭に大抵「角を立てる」側だ。
よってサイアスはしれっと黙殺した。
と、その時。
「閣下、本隊進路10時方向に敵影!
ラーズ隊が邀撃を開始しました!」
と馬車のさらに背後の大型車両
その屋根から長弓兵が凛として報じた。
第二時間区分終盤、午前11時17分。
オアシスは目と鼻の先にまで迫っていた。
「数は?」
「現段階で視認できるのは20程」
サイアスの問いに長弓兵が返じた。
「オアシスまでの距離は」
「およそ120。到着は1123です」
ウズウズを即座に消した正軍師が応じた。
「別働隊が居るとしたら?」
「8時方向かと。もっとも
狙いは車列ではないでしょう」
さらなる問いかけにはアトリアが応えた。
「本隊は進路と速度を維持。
指揮はクリームヒルト。
予備隊との接遇はアトリアに任せる」
サイアスは一家のクァードロンに向け
すっと右手を差し出した。
ベリルは後部座席に立て掛けてあった
ランドの手になるサイアスの専用槍「アーグレ」
を抱えて差し出し、差し出しつつもじっとりと。
それはじっとりとサイアスを見据えた。
その視線はさながらニティヤの如し。
サイアスはやや戦きつつもアーグレを得た。
「大丈夫、無茶はしないし
何なら飛んで逃げるから。
オアシスに入ったら薬湯の準備を」
「わかった。苦ぁいヤツね」
「ぇー……」
まぁ自分が飲むわけではないし
良いか、ととりあえず頷き、
「じゃあ後でね。
お土産は角で良い?」
「ぇー……」
何だか嫌そうなベリルに笑みを投げかけ、
シヴァとサイアスは歩みを止めて進み往く
本隊を見送りその最後尾に付いた。
「小物ばっかだな」
本隊の南東およそ150オッピ地点。
ところどころに人の背丈を上回る大岩の
転がる不整地にて、ラーズ率いる抜刀隊は
できそこないと対峙していた。
目視できたのは27。野戦陣を襲った
機動中隊と同様の編成であるならば、
残る3体は大柄な固体だろう。
だがその3体は姿形もなく、南東より
直線的に殺到してきたできそこないらは
会敵直前に散開、散兵と化して岩陰に
潜みつつ忍び寄っていた。
この機動中隊との会敵において誰より早く
敵の接近に気付いたラーズは即座に射撃開始。
魔弾を以て既に3体射殺していた。
できそこないは障害物の無い空を飛ぶ羽牙
よりも陸では次第に速さを失う魚人よりも
俊敏さでは上であり、かつ障害物もある。
残る24体に対しては当てずっぽうで
岩陰へと6矢射込み悲鳴が3。少なくとも
21は未だ健在であるだろう。
当初交戦を企図して前進したラーズ小隊は、
今は側背を取られる事を警戒し、大岩の
少ない方向へ。専ら西手へと後退しつつ
迎撃態勢を整えていた。
「察するに『時間稼ぎ』かと」
抜刀隊5番隊組長、シモンが応じた。
他の隊士は既に一刀抜きつれて白刃に陽光を
宿していたが、シモンは未だ羽織の懐で腕を
組み、飄然と立って状況を伺っていた。
「大駒で大将を狙うってか?」
「然り」
薄っすらと笑みすら浮かべ、シモンは
腕組みした左手をすぅ、と前へ開いた。
「さればお往きなされ。
閣下には貴殿が必要でしょう」
歩兵では間に合わぬ。
騎兵なら間に合うかも知れぬ。
「……済まねぇな」
意図を共有したラーズは3矢を番え
次々放った。地を這い岩間を縫って消えた
矢の往く手で、地獄の赤子の叫び声が2つ。
「隊宛に酒でも贈らせて貰うぜ」
「楽しみにしておりますよ」
背後に馬蹄。前方に敵の気配。
狭間でシモンは微笑んでいた。




