サイアスの千日物語 百四十三日目 その五十五
午前10時55分。まったく予定通りに
主力軍500弱は最後の中継点へと至った。
およそ軍なるものは数を利して敵を圧する
事を企図する。つまり構成員個々人の力量に
依拠するのではなく、如何に総員を一塊として
挙動せしめるかが重要であった。
さらに異形と繰り広げる荒野の戦ではその
総員に対し、人智の外なる異形に相対して
臆する事なく立ち向かえる者、という
絶対条件が付帯する。
これがとにかく厄介であった。
平原での人同士の戦で鍛え上げられた兵士
であっても人外の異形を前にすれば畏怖し
萎縮し麻痺し硬直して成す術もなく屠られる
のが関の山なのだから。
200年近く以前に起きた血の宴。
数夜で数億を喰らい殺し、続く文明崩壊で
さらに数億を死に至らしめ平原を暗黒時代へと
回帰させた魔軍による恐怖の刻印は今も人の
心央に根深い。
無窮の闇、漆黒の奈落、深遠なる海原。
そうした圧倒的な存在に自然に抱く畏怖の念。
理解の及ばぬ斯様な茫漠無辺へ抱く本能的な恐怖
を捻じ伏せて、なお戦を選べる者は稀である。
よって実際に異形と戦わせ篩に掛けてみるまで
は、その者が「使える」かどうかが判らない。
また使えても相手がべらぼうに強いために
使える水準にまで育て得るかが判らないのだ。
荒野の魔軍が単に馬鹿強いだけならば、単に
平原兵士を一挙に集め飽和攻撃すれば済む話だ。
実際に退魔の楔作戦では100万の軍勢で
荒野へと侵攻した。
だがその結果は。
平原と荒野の隣接域の異形を低減せしめその
只中に城砦を築き楔と成すという戦略目標の
達成と引き換えに99万以上の損耗を出した。
百万で攻め入って生還が数千。果たして
誰がこの勝利を手放しで祝福できようか。
99万の命と引き換えに得た中央城砦は、なお
風前の灯に等しい。そして今日に至るまでなお
囮の餌箱として生贄を求めているのだ。
0.00数%。
それが荒野の異形と対峙して怖じずに戦い、
かつ勝利し生還できる、最初の確率であった。
城砦騎士団の発足と100年間の戦歴を経て
この確率は今や実に数%にまで高まっている。
ただしこの結果を得られる者は平原で軍務を
経験していた者が比較的に多いというだけで
入砦した補充兵のうち分布としてはまばらだ。
要するに荒野の城砦に至り異形との戦に適応し
これと戦い得る「城砦兵士」と成り得る者は
大半が元来戦の素人なのだ。
そして荒野の軍務での大半は城砦内外での
防衛任務に終始する。つまり軍隊の基本と
される一塊での挙動、すなわち行軍の鍛錬が
平原兵士ほど十分に成されてはいなかった。
そうした状況下にあってなお。
およそ真っ当な軍務経験に乏しい素人を多分に
含む500弱に、戦地の只中5時間の行軍を
寸分の狂いなくごく当然の如くに成さしむる。
当代城砦騎士団長たる「戦の主」。
フェルモリア大王国第一藩国王にして
大王の義弟。チェルニー・フェルモリアの
指揮統率能力は蓋し桁外れと言えた。
「気心知れた数名で出掛けても
こうは時間通りに運ばぬものだがな」
チェルニーの傍らでローディスが苦笑した。
同様に下馬し機嫌よさげに東方を、
そして南方を眺めるチェルニーは
「将が手足の如くに扱える兵数は
将の数だけ異なっているものだ。
個性にも因るし才能にも因る。
おいそこの計算機。語ってみろ」
と屋根なしの馬車で記帳にあたる
正軍師らへと顎で指図した。
「……個人の志向や指向に因らぬ
純然たる技能的な数値としては。
『指揮技能x(知力+魅力)』
を基として役職等で補正し算出する」
イラっと感を漂わせつつ
軍師の一人がそう応じた。
「ふむ。役職の補正が大きいのか?」
「そういう事」
その軍師はローディスに頷き返し
「あぁん? 魅力に決まっとろうが!」
「……魅力とか(笑)」
チェルニーに対し鼻で笑った。
「おいそこの照る照る坊主女!
無礼であろう!」
「坊主女とか(笑)。
尼って言葉知らないの?」
騎士団長閣下の叱責を再び鼻で笑う軍師。
その首からはトレイが吊るされており、
今は記帳に活かされていた。
「知らないんじゃない?
てかいちいち相手しなくていいわよ!
構うと付け上がるんだから放っときなって」
他が忙しく記帳するなか、余った紙で
鶴を折っていた不届き極まる軍師が言った。
「りょーかーい」
トレイを吊るした軍師は肩を竦め、
再び記帳に没頭した。
「女遊びは済んだか?」
とニタニタ書状を差し出すローディス。
「お前! 言うに事欠いてそれか!
記録に残ったらどうしてくれる!」
第二戦隊長たる剣聖ローディスを、そして
その傍らで怪異な容貌を揺らして笑う
二戦隊副長ファーレンハイトをどやし付け。
常に妻たる覇王の影に怯える悲しき漢
チェルニーは差し出された書状を検め
「残ったらとか、残すに決まってるし(笑)」
という声も耳に入らぬほど
内容に見入り魅入られていた。
「……どうした?」
北東より駆け来たった隠密。その隠密より
丸めた書状を受け取ったファーレンハイト。
そしてファーレンハイトの差し出した書状を
そのままにチェルニーへと手渡したローディス。
これら三名及び参謀部よりの面々は
こぞって騎士団長に怪訝なる表情を向けた。
「フッ…… ハハハ!
やってくれるなサイにゃん!」
チェルニーは愉快げに高笑いした。
するとサイアスの名に如実に反応した
軍師の一人が書状をひったくった。
軍師一同は副官と顔を見合わせ肩を竦める
剣聖閣下を尻目に、その書状へと没頭した。
「ぅゎ、マジで! ありえないんですけど!!」
「しくった。あっちに混じれば良かった」
「てかアトリア何やってんのよ……
アレか。介護疲れでキレたか!」
「ありがち(笑)」
などと軍師衆はキャイキャイ姦しい。
よって所在無げなローディスらには
チェルニーと隠密が説明した。




