サイアスの千日物語 百四十三日目 その五十二
ラーズと彼の率いる抜刀隊5番隊10名が
サイアスの率いるヴァルキュリユル本隊と
合流を果たしたのは午前10時45分の事。
本隊が拠点を発って15分後の事であった。
ヴァルキュリユル本隊の装備する全車両。
その車輪には不整地踏破を補助すべく
ゴムの「靴」が履かされていた。
物資満載な大型貨車の屋根に乗る長弓兵や
大小のクァードロンに乗るベリルら曰く
乗り心地にはまだまだ難もあるようだ。
それでも路面に対し滑りはよく、望めば
かなりの速度で疾駆し得る状態にあった。
もっともヴァルキュリユルには歩兵として
工兵と職人計100名も居る。これらもまた
本「アイーダ」作戦における輜重なのだ。
進軍で過度に負荷を掛けてはその後の扱いに
支障を招く。ゆえに全体としてはアンダンテ。
「歩くような速さで」進んでいた。
音楽記号におけるアンダンテ。すなわち歩速は
飽く迄比喩表現だが、兵らには実際に足がある。
よって工兵衆100名は平原の人が平地を歩く
速さとされる分速20オッピを律儀に守った。
軽微と言えど相応に武装し戦闘状況を鑑みての
事であるから、実質としては平原の人の挙動
より負荷が大きくなる。
よってサイアスも高台において主力軍が採用
していた行軍様式を遵守し、15分進軍し
5分休息。これを繰り返す方針であった。
敵地の只中で敵襲の危険に晒されてもなお
悠然と平常通りに事を成す。この辺りにも
サイアスなる将の特色は顕れているようだ。
とまれサイアスは進発よりきっかり15分で
300オッピ丁度進軍せしめ、周囲を警戒
しつつ取る5分間の小休止を取るに至っていた。
高台に築いた拠点からオアシスまでは直線距離
で600オッピ。途上の障害物を迂回し進む
実の道のりとしては800オッピというところ。
つまり進軍進捗としては4割弱だ。
このまま大過なく済むならオアシスへは
38分後となる午前11時23分に到着する。
主力軍の予定到着時刻が午前11時35分で
あるからそれより10分は早い。よって
「現状の可戦臨界は10分だ。
相手ができそこないの機動中隊なら
お釣りがくる。遭遇したら始末しよう」
サイアスは周囲にそう告げた。
サイアスは一家専用のクァードロンの傍らで
愛馬にして名馬シグルドリーヴァの左側に
立ち、鞍へと軽く身体を預けていた。
裏手となるシヴァの右側ではアイノが
甲斐甲斐しくシヴァに話しかけている。
もっとも人馬はともに実にケロリとしていた。
恐らくは先天的にそうなのだろうが、
シヴァもまた眠り病と診て差し支えないほど
平素からよく眠る馬であった。
だがサイアスが来ると必ずムクリと起き
ひとしきり共に戯れる。平素はそのための
時間を捻出すべく寝ているようにも思われた。
お陰で今日は恐ろしく元気でかつ機嫌が良い。
ずっとサイアスと共に過ごせるのだから。
シヴァの巫女たるアイノにはそれが判る。
そのため知らず顔を綻ばせていた。
「今んとこ周囲にゃ敵影は無ぇな。
来るとしてもオアシス到着の間際か
その直後ってとこだろうぜ。
いっそちょいとカっ飛ばしてお先に
諸々始めちまうのも悪く無いかもな」
進軍速度を上げて予定より早くオアシスへ
到着し、浮いた時間で防衛陣の施工を始めて
はどうか、とのラーズの進言であった。
「その考えは判る。結果としてオアシスに
工兵100名全てが駐留する時間が増える
分、施工の進捗も良くなるだろうから」
とサイアス。
傍らではクリームヒルトが思案げであり、
背後のクァードロンではベリルが腕組みし
首を捻っていた。
「ふむ。乗り気じゃねぇみてぇだな」
とラーズ。
「ん? 何でバレた」
と特に感慨なくサイアス。
「戦場で百日もつるんでりゃあな」
「そういうものか」
二人して軽く笑いあった。
「ヴァルキュリユルとしては
長丁場のほんの序盤だから、
極力疲れを残したくないんだ。
兵らは実によくやってくれているが
その分着実に疲労も溜まっている。
士気の高さで隠しているだけだ。
今後の展開が読みきれない以上
今は緩急の緩に充てておきたくてね」
とサイアス。
ラーズをはじめ、
周囲は大いにこれに頷いた。
ヴァルキュリユルは「アイーダ」の後
「グントラム」さらには「ゼルミーラ」と
連続で展開する三つの作戦全てに参加する
見通しだ。ゆえにおちおち疲れても居られない。
ヴァルキュリユルは主力軍と共におこなう
大回りの行軍を避けた事で体力を温存し、
その分拠点設営で体力を消費した。
結果現状の疲労度合いはとんとんなのだ。
そして先行きが不透明な以上進んで負担を増す
真似はしたくない。そういう事であった。
「成程な。随分お優しい将軍様だぜ。
兵どもが感涙に咽びそうだ」
兵士は基本使い捨て。
なお傭兵は言わずもがな。
そう考える将が圧倒的に多い平原で
長きに渡り個人傭兵であったラーズは
自らの主に苦笑し、苦笑しつつも
とても誇らしく感じていた。
「優しい? それはどうかな。
一滴余さず絞りとる気なだけかも」
ツンと澄ましてサイアスは言った。
「ガワはちゃんと残すんだろ?
なら大飯喰らって寝りゃ元通りだ。
それが兵士の取り得ってもんだからな」
と笑うラーズ。
クリームヒルトやシモンも
釣られて笑んでいた。
兵は並の人より強い。単に武力が高い
だけでなく、生き物としてしぶといのだ。
多少の無茶は大飯大酒を喰らい呑み、大騒ぎ
して寝れば綺麗さっぱり。そういう生き物だ。
「寝る事にかけては負けない自信がある」
さらにツンと澄まし得意げなサイアス。
「まるで洒落になってねぇよ」
嘆息交じりに突っ込むラーズ。
皆して困惑しつつも苦笑して
ほどなく休息の5分が終了した。
1オッピ≒4メートル




