サイアスの千日物語 二十五日目 その二
未明にアウクシリウムを発った
カエリア王立騎士団による物資輸送の部隊は
サイアスの抱く期待や不安とは裏腹に、
頗る緩やかに進んでいった。
一様に甲冑に身を包む騎士たちは面頬を上げ
或いは兜を脱ぎ、馬具や装備を調整しつつ
時には雑談も交えていた。
「退屈そうだな、サイアス」
陽も随分と傾いた、そんな頃。
手持ち無沙汰のまま人形のように固まり
ひたすら静かに佇むサイアスに
同じ荷馬車の騎士が声をかけてきた。
「……拍子抜けしました。普通の旅みたいで」
それを聞いて騎士は笑った。
「今はまだ、な。何せここはまだ『内側』だ。
今は出来る限りの準備と余裕を、ってな」
騎士の告げる「内側」の意味を知るべく、
サイアスは進み往く荷馬車の周囲を見渡した。
四方は平地であり方々に草木が育ち、
そして陽光の下に人の営みの影はない。
かつて魔の軍勢が大挙押し寄せ、
人を文明単位で滅ぼしたのだと伝わる
平原西方では、ごく有り触れた光景であった。
だがよくよく目を凝らし見定めたならば、
所々に煉瓦や轍、即ち街道の痕跡がある。
歳月に曝されいずれ風化し消え往くだけの
それらはそれでもここがまだ、
人の生存圏なのだと物語っていた。
空回りした意気込み。淡々と佇む世界。
何となく気まずくなったサイアスは、
何とはなしに会話を続けた。
「騎士になられて長いのですか?」
精一杯思いついたのはその程度の言葉。
「んー、そうだな。そろそろ5年ってとこか」
だが騎士は気軽に応じてくれた。
「王立騎士団は大抵が良家の次男三男でな。
子供の頃は大事な跡継ぎ候補として、そりゃあ
たっぷり手間隙掛けて鍛え上げられるんだが、
当主が成人すれば御役ご免さ。
そうなると騎士か養子が関の山」
カエリアは平原中央で南北に並ぶ三つの大国のうち
最も北に位置する豊かな森林に囲まれた王国だ。
森林資源たる木材や果実が主産物で軍馬の生産も
盛んであり、安定した経済と文化を持っている。
王を頂点とした身分制度があり、常備軍である
王立騎士団は良家の子女で構成されていた。
「大変ですね」
サイアスはそっけなく言った。
「欠片も心がこもってないぞ。
それにお前に言われたくはない」
騎士は苦笑した。
「ま、もちっと気楽に生きられれば
良いんだろうけどな……」
流れゆく景色に目を細め、
誰にともなく、騎士は言った。
「っと。そろそろ野営地が見えてくるぞ。
今日はそこまでだ」
平原最後の都市アウクシリウムを経って
随分な時間が経ち、初夏の日差しが随分と地平へ
近づきだした頃。輸送部隊はとある廃墟についた。
部隊がゆったり広がって待機できる廃墟の広間、
その周囲には多量の瓦礫や建造物の基部。即ち
明確に人工物らしき残滓があり、とりわけ
西側にある折れた一対の石柱が目立っていた。
荷馬車から降りたサイアスが手持ち無沙汰のまま
石柱を取り止めもなくぼんやりと眺めていると、
輸送部隊の長ラグナが様子を見にやってきた。
「あの柱は城門の支柱さ。
ここは150年程前にこうなったそうだ」
なぜこうなったかは聞くまでもなかった。
ラグナは静かに言葉を継いだ。
「中央城砦を現在の位置に設営する、
その切欠となった街だ」
「城砦の位置? それは、つまり……」
サイアスは常々疑問に思っていた。
平原と荒野の狭間に位置し、
荒野に棲まう魔とその軍勢の脅威から
平原の人の世を護る、3つの西域守護城砦。
平原中央の三大国家のように南北に並ぶその
3城のうち、どうして中央の1城のみが
図抜けて西にへと突出しているのか。
そしてたかだか3城きりで、
どうして魔の侵攻が防げるのか、と。
平原と荒野の狭間の領域を
3城を結ぶ長大な城壁が隔てているわけでも、
3城を拠点とした防衛部隊が広域展開し
戦線を構築しているわけでもない。
魔の軍勢にその気があれば、城砦を無視して
いくらでも平原に侵攻できるはずだ。
……ここが人の生存圏の果てだとすれば、
城砦は境界の『外側』にあるということになる。
その結果、『内側』は比較的安全が担保され
平原西方も徐々に復興の兆しを見せていた。
それは、つまり。
「……そういうことになるだろうな。
だからこそ各国がこぞって兵員を補充し、
数を保っているのだろう」
サイアスの思慮を読み取ったラグナは
瞑目し、小さく頷きそう告げた。
平原西方の各生活圏から集められ、
城砦に送られた補充兵は、大抵数年を待たず死ぬ。
なぜなら彼らは魔に差し出された生け贄であり、
囮であるから。自分たちのテリトリーに突出して
エサ箱がある限り、魔は敢えて平原にまで
遠来の労を取ることはない。
人も魔も、互いに理解して境界を保っている。
つまりはそういうことになる。
「あまり悲観するな、サイアス。
我らとて、むざむざ喰われてやる気はないさ。
戦うことを禁じられている訳でもないしね。
事実ここ数十年でそれなりの数、仕留めている。
そして数の勝負であれば、
常にこちらが勝っているのだ」
魔は人より遥かに強大だが、
一方で人より遥かに数が少ないという。
でもそれは、誰かが確かめた上での話なのだろうか。
石柱を、そしてその先に続く見果てぬ世界を
遠望し思いに耽るサイアスを、ラグナは
微かに目を細め、優しげな眼差しで見つめていた。
「悩むなら戦の後に、と
散々教官に諭されたものだ。
君もうちの連中を見習って、早く休んだ方がいい。
明日はいよいよ『外側』だ」
ぽん、とサイアスの肩を叩き、
小さな布袋を一つ渡すと
ラグナは馬車の方へと歩きだした。
「これは……?」
中には小さな果実が詰まっていた。
粒揃いだが色も濃淡も様々だ。
「うちの特産だ。水気があって甘い。
赤いものから食べたまえ。
青いのはまだ苦いぞ」
ラグナは背後のサイアスにそう告げた。
そして片手を上げ、天幕へと消えた。