表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

四色精霊

作者: 守野伊音

 深い深い山の奥に、それは不思議な木があるという。

 美しい水に囲まれた小さな島の上に、一本だけ生えた大樹。



 旅人達はそれを、この世の奇跡と呼んだ。








 わたしは火の精霊。

 ここは精霊の住処だ。他にもいろんな精霊がいる。人間はいろんなところに住処を作ったけれど、わたし達精霊は、めったに場所を移動したりしない。大抵、精霊として発生した場所で過ごすのだ。



「火の精霊、どうしたんだ?」

「わあ! 水の精霊! びっくりした!」

 わたしの後ろからひょいっと姿を現したのは水の精霊だ。頭から爪先まで、水が流れるように長い。

 水の精霊に触られると、わたしはどんどん小さくなってしまうので、いきなり現れるとびっくりする。水の精霊は優しいのでわたしに触ったりしないけれど、それでもびっくりしてしまう。これは本能だ。水の精霊に抱きしめられると火の精霊は消滅する。

「そんなにびっくりしなくても、触ったりしないよ。で、どうしたんだい?」

 わたしの横に腰を下ろした水の精霊から染み出た水が地面を伝って、わたしのお尻がじゅっといった。

「あれ」

「あれ?」

 ゆらゆらとゆらめくわたしの指先が示した先を見て、水の精霊はああと合点が言った声を上げる。

 とても遠くだけれど、視認できる距離に『たてもの』が見えた。

「人間が住処を伸ばしてきてるな」

「うん。あんまりちかよってくると困る」

「そうだな」

 人間は、火の精霊を捕まえようとする。捕まえて『ぶき』にするのだそうだ。水より、土より、木より、岩より、風より、火を捕まえようとする。

 だから火が怒って触るなってすると、「やはり精霊は危険」とか「排除すべき」とか言い出す。自分達は攻撃するのに、わたし達はしちゃ駄目ってずるい。

 でも、水だって捕まえようとする。『べんり』なんだそうだ。


「水の精霊――? いないのか――?」

 後ろから水の精霊を呼ぶ声がする。

「ここだ」

 水の精霊が振り向きながら答えると、声が嬉しそうに近寄ってきて、きぃと声を上げた。全身が細くて、髪の毛はつんつんとあっちこっちを向いている。

「いっつも火の精霊が水の精霊といる!」

「いるよ――。木の精霊もすわろうよ」

「いやだ! 燃える!」

「も、燃やさないもん!」

 脅えたように後ずさる木の精霊に、ぷくりと頬を膨らませると、火花がぽこんと散ってしまい、木の精霊は余計に後ずさってしまった。

 しょんぼりと落とした私の肩の傍で、水の精霊が手をぱしゃぱしゃと軽く叩き合わせる。触るとじゅっと消えるので、これが肩ぽんぽんの代わりだ。ちなみに、わたしが木の精霊にする時も同じようにする。でも、近いだけでも熱いと怒られるので、あんまりしない。

 木の精霊は、仏頂面で水の精霊にしがみつくように反対側に座った。

「なにしてるんだよ」

「あれ、見てた」

「あれ?」

 さっきみたいにもう一度指で示すと、木の精霊は心底嫌そうな顔をする。

 人間は木の精霊も捕まえようとする。木の精霊の木で『たてもの』を作ると壊れないし長持ちするから、『ちえ』なんだそうだ。

わたしは、身体が斜めに切られた木の精霊の悲鳴を聞いたことがある。怖くて怖くて、体中の炎がぽんぽん音を立てて震え、怖くて泣きじゃくった。泣いて泣いて、どんどん小さくなるわたしを見かねた水の精霊が、触れないように気を使いながら、ずっと傍にいてくれた。

「人間じゃな」

 私の反対側ににゅっと現れたのは土の精霊だ。皺くちゃなのに、つるりとした肌をしている。水の精霊と土の精霊はとっても長く存在している精霊だ。わたしと木の精霊は、とっても若い。木の精霊は苗だからだ。

 人間は土の精霊も捕まえる。土の精霊を閉じ込めた土地で『のうぎょう』をすると、よく実るのだそうだ。

「弱ったのぅ。ちと、場所を移動することも考えねばならぬやもなぁ」

「我らが太古より住まいし地を、人間に明け渡す必要はない」

 水の精霊がごぽりと水泡を発しながら唸った。

「人間など流してくれる」

「水は気性が激しいのぉ」

「土に言われたくはない」

 水は普段はとっても優しいし、穏やかで、さらさら流れて微笑んでくれるけれど、怒ったらとっても怖い。濁流を作りだし、全て流してしまう。土もそうだ。普段はとっても温厚で、ゆっくり動くのに、水と一緒に怒ると凄まじい。

 木の精霊も、今はまだ小さな苗だけれど、大きくなったら、土と水が怒っても皆で止めることが出来るから凄いのだ。木の精霊の苗は土の中で強く強く絡みつき、水と一緒に大きくなる。

 一番弱いのはわたしだ。火の精霊は、なんにもできない。雷の精霊の火花や、石の精霊の火花から生まれた、ちっちゃい炎だ。

「土の精霊、どこかに行っちゃうのか? だったら、ぼくもついていく」

 木の精霊は、水の精霊と土の精霊がいないと存在できないので、泣きそうな顔をした。わたしもびっくりする。

「わ、わたしもいきたい!」

「やだ! おまえがきたら、ぼくが燃えるもん!」

「も、燃やさないもん! 燃やさないもん!」

 ぱちぱち音を立てて抗議しても、木の精霊はぷんすか怒って駄目だって言う。あんまり駄目だ駄目だって言うから、悲しくなってぽんっと火花が跳ねた。

 しょんぼりした私の背を、土の精霊がそっと撫でてくれる。あんまり強く撫でると、土で火は消えてしまうから、そっとだ。

「これ、木の精霊。火の精霊をそう苛めるでない。お前さんより年下なのだからな?」

「火はきらいだもん!」

「わしは好きじゃよ? 火が燃やした後の木は、いい栄養になる」

「きぃいいいいいいいいいいいいいい!」

 にやりと笑った土の精霊に、木の精霊は金切声を上げた。つんつん髪にぼんぼん節ができて、葉が大きく生い茂る。威嚇だ。

 水の精霊がひょいっとその背に手を置く。すると、木の精霊はうっとりと目を細めて、ぽんっと花が咲いた。




 大きな木の精霊も、岩も風も、石も草も花も、みんな人間のことで大事なお話があるそうだ。土の精霊と水の精霊も、他の土地に住む精霊と話し合いがあると、この森代表で出かけてしまった。土の中を駆けて一日、向こうでお話して、また一日で帰ってくるのだ。

人間が言う『せんりのみち』も、二つなら一日なのだ。



 留守番のわたしと木の精霊は野原で遊ぶことにした。木の精霊は沢がいいって言ったけど、あることを思い出したのかやっぱり野原でいいって言ってくれた。

 あることとは、以前わたしが、水苔の精霊を踏んでしまって消えかけた事だ。じゅってなって、足先がなくなってびっくりしたけど、たぶん水苔の精霊も凄くびっくりしたんだと思う。ゴケゴケとすごく怒られて、消してやるって言われた。怖くなってぴちぴち泣いていたら、水の精霊が助けてくれた。

『火の精霊を苛めるなら、この辺の水を全て干上がらせるぞ』

 そう言った水の精霊の背中しか見えなかったけれど、水苔の精霊は『ミズゴゲェ!』と鳴いていなくなった。ごめんなさいって何度も言ったけど、水苔の精霊はすごく急いでいたから聞こえなかったかもしれない。

 水の精霊はとっても優しい。

 わたしが存在を始めたとき、兄弟の火花は全部消えてしまった。唯一火花として残ったのはわたしだけで、どうしたらいいか分からなくて、一つでぴぃぴぃ泣いていた。雨も降ってきて、雨粒よりも小さなわたしがぴぃぴぃ泣いて消えかけていたら、その声に水の精霊が膜になってくれた。そして、雨の精霊に、わたしを避けて降ってくれるよう頼んでくれたのだ。

 今よりもっと小さかった頃は、自分が移動する風でも消滅しかけるほど弱かったわたしを、ここまで守ってきてくれたくらいとっても優しいのだ。




 木の精霊と二つで野原を遊ぶのも、なかなか大変だ。まだ小さい木の精霊は、虫に齧られやすいのである。

「わあ! 火の精霊! たすけて!」

「まって! まってまって!」

 柔らかい部分を虫にがじがじされて、きぃきぃ泣く木の精霊に、慌てて指先でそっと触れる。正確には、木の精霊に齧り付いている虫に指を近づけるのだ。わたしの熱で慌てて逃げていく虫にほっとしていると、うっかり木の精霊に触ってしまった。

「あっつい! ばか――! 火の精霊のばか――!」

「ご、ごめん!」

「うわああああん! 火の精霊のばか――! また、ぼくのまっしろい樹皮に焼けこげつくったぁ! うわああああん! きぃいいいいいい!」

「ご、ごめんね! ごめ……め、めらぁああああああああああ!」

「なんでいきなり発火するんだよ――! ばか――!」

「だ、だって、木の精霊の背中に、さっきの虫のおっきいのが!」

「きぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 虫をわたしの熱さで追い払っても、木の精霊はきぃきぃ泣いている。

 どうしよう、どうしようとおろおろしていると、木の精霊がはっと顔を上げた。

「火の精霊、ぼくのうしろに回れ! はやく!」

 てっぺんから爪先まで葉で覆い、びんっと全てを伸ばした木の精霊の後ろに慌てて隠れる。

 小さく縮こまった瞬間、風の精霊が凄い速さで駆け抜けていった。葉っぱの隙間を抜けてきた風にわたしの身体はちょっと吹き消される。さっきめらめらしておいてよかった。そうじゃなかったら半分くらいは消えちゃったかもしれない。

 風の精霊が駆け抜けていったのを確認して、木の精霊は葉っぱをしまった。

「風の精霊のばか――! あぶないじゃないか! 火の精霊は弱っちいから、すぐに消し飛んじゃうんだぞ! って、ああ! ちょっと小さくなってる!」

「めらぁ……」

「弱ってるぅ!」

 また生い茂って風除けになってくれている木の精霊の陰で、落ちた木の実や、ちぎれてしまった草を燃やしてぱちぱち火花を散らせる。熱いだろうに、こういうときの木の精霊は熱いなんて言わない。ただ、じっと見ている。わたしがまた元の大きさに慣れるまで、じぃっと待ってくれながら、こう言う。

「おまえ、ちゃんともどる?」

 わたしは、いつも答える。

「うん」

 存在する物全てを飲み込んで、決して消えることなく増え続ける土。同じように全てを飲み込み、停滞し、けれど流れ続ける水。それらに生み出され、数多の命を抱擁する木。

 火は、燃えなければ消えてしまう。何かを燃やさなければ生きられない。火は、精霊の中ではとても異質な存在なのだ。

 そもそも、火の精霊はとても少ない。そしてとても弱いから、存在が始まってもすぐに消滅する。精霊達は、土で生き、水で生き、木と生きる。火と相容れるはずがない。

 わたしは、水の精霊が守ってくれたから存在してこられたのだ。そうして土の精霊と会わせてくれて、水の精霊がわたしとばかり遊んでいるとぷっくり膨れて現れた木の精霊と会った。


 火は、火でしかない。何かを芽吹かせるわけでも、生かすわけでもない。人間が使う火は、とても恐ろしい。精霊を殺す火だ。

 それでも、頑張って頑張って、ぱちぱちと元の大きさに戻す。

 消滅したくない。始まったからには、終わるまでは精一杯生きたい。少なくとも、わたしの大事なみんながそう願ってくれている間は、存在していていいと思えるから。

 じっと縮こまって自分を保つ。

 少しずつ少しずつ元の大きさに戻っていく間も、木の精霊はじぃっと生い茂ってくれた。




 明日は水の精霊と土の精霊が帰ってくる日だ。

 わたしと木の精霊は、昨日とは違う原っぱで遊んでいる。

 途中で、鳥が舞い降りてきてわたしが吹き消されそうになったり、木の精霊が穴をあけられそうになって大変だったけれど、水の精霊と土の精霊がいないから、わたし達は二つで頑張った。

 木の精霊は、全身をびんっと生い茂らせて身体を大きく見せる。

「め、めしゃぁあああああ!」

「め、めらぁああああああ!」

 一緒に大きく見せて小鳥相手に威嚇したら、嘴で笑われた。しょんぼりだ。そして鳥は飛んで行った。やけに羽ばたかれたなと思ったら、ふんっと鼻息荒く胸を張った木の精霊がわたしを見て、悲鳴を上げる。

「き、きぃいいいい! 小さくなってるぅ!」

「ひ、ひぃいいいい!」

 まためらめらしてから、遊びを再開した。



 二つでどれだけ近くに寄れるか勝負してみたり、蟻の行列をじぃっと見ていたら、行列がわたしを避けて木の精霊に登りはじめて大変だったりした。そうこうしている内に、太陽が大きく真上にいる。夜明けからたくさん遊んだから、そろそろ森に帰ろうかと木の精霊と歩き始めた時、何だか妙な影が見えた。

「かくれろ!」

 それが何かわたしには分からなかったけれど、木の精霊は自分の手が焦げるのも構わずわたしを突き飛ばす。

 地面に倒れ込んだわたしは、少し消えてしまった。何が起こったか分からずに慌てて後ろを見ると、大きな影が木の精霊を掴み上げている。最初は熊かと思った。けれど違う。熊は、生き物は、わたしをとても嫌がるから、わたしの気配があるだけで近寄ってこない。だから、わたしの気配が分からず、分かったとしても近寄ってくる大きい動物は、人間だ。人間が、なんでこの森にいるんだろう。

「おい! お前ら見ろよ!」

 大きな影が、がらがらした声で怒鳴った。火がびりびり揺れる。

 すると、他にも何個かの大きな影が現れた。

「なんだ? お! 木の精霊じゃないか! しかも苗木だ!」

「こいつはいいな! これを村の中心に植えれば、村は安泰だ!」

「森と繋がってる根っこ切るの忘れるなよ。そうでなきゃ、森から他の精霊が出てきちまうからな」

「おお、分かってるよ。知識のない奴はそのまま連れ帰っちまって、森から出てきた精霊共に皆殺しだもんな」

 何が起こっているか分からなかったけれど、恐ろしいことを言われているのは分かった。だって、木の精霊の根っこは、木の精霊そのものなのに。実際に地面に根を生やしているわけではないけれど、この森で存在している精霊の証なのに。切ってしまったら、木の精霊はこの森と切り離されてしまうのに。

「はなせ! 人間! はなせ! ぼくにさわるな! やだっ、いやだっ……! やだぁ!」

 木の精霊はきぃきぃ叫んで、体中をびんっと伸ばして泣いているのに、人間は笑っている。

「ははっ! こいつは元気がいい!」

「これで向こう百年は安泰だな」

「だな、めでたいめでたい」

「かかぁも喜ぶさ」

「おお、お前のとこ、今度ガキが生まれるんだろ?」

「今日は祭りだな!」

 きぃきぃ、きぃきぃ、きしぃ!

 木の精霊が悲鳴を上げるのに、人間達は楽しそうに笑っている。

 なんで、どこに行くの。木の精霊をどこに連れていっちゃうの。

 わたしは慌てて石の陰から飛び出した。

「木の精霊!」

「ばか! でてくるな!」

 ぎしぃと一際激しく泣いて、木の精霊が怒る。突然飛び出したわたしに、人間達はちょっと驚いたようだったけれど、すぐに目の色が変わった。

「火だ!」

「火の精霊だ!」

「嘘だろ!? 本物か!?」

「捕まえろ!」

「珍しいぜ、これ!」

「今日の俺らはついてるな!」

「高く売れるぜ!」

「いや、村で使えばいい!」

「何にしろ捕まえろ!」

 人間達は、まるで違う生き物になったみたいに瞳をぎらつかせ、わたしに手を伸ばしてくる。

「火の精霊にさわるな!」

 袋に押し込まれそうになった木の精霊が勢いよく突き出した棘が、人間に刺さった。袋を持っていた人間は悲鳴を上げ、木の精霊を地面に叩きつける。

「このやろう!」

「おい、傷つけるなよ!」

「逃がすな!」

「火の精霊を捕まえろって!」

 叩きつけられた木の精霊の腕が、震えながら起き上ろうとして、ぽきりと折れた。

 ぽきりと、折れた。




 ぽきり、と。





 気が付いたとき、周りにはたくさんの精霊がいた。でも、みんな目が怖い。

 びっくりして後ずさりすると、何かふわりとした感触がして足元を見ると、真っ黒だった。野原は真っ黒になっていた。ふわふわしていたのは、焼け落ちた灰が重なっているからだ。

「出ていけ」

 岩の精霊が硬い声で言った。その足元で、石の精霊が半分黒こげになって泣いている。

 他の精霊も口を開く。

「これだから火は」

「人間は、傷つければ群れを成して襲ってくる厄介な生き物だ」

「元凶である貴様がいれば、貴様の物ではない火で森が焼かれる」

「火は、森にはいらない」

 草の精霊と花の精霊が泣いている。そよそよそよそよ、泣いている。

 彼らの仲間を、わたしが、燃やしてしまった。

「人間は我々が生かして帰した。森を襲わぬ条件として、貴様を森から放逐することで収まった」

「お前を消さないのは、水と土を慮ったからだ」

「出ていけ」

「出ていけ」

「火は、出ていけ!」

 濡れた石が、枝が、木の実が飛んでくる。湿った葉が身体に張り付いて、わたしは悲鳴を上げた。

 縺れる言葉を必死に組み立てる。

「まって、まって、まって。木の精霊、木の精霊は」

「もはや、貴様には関係無き事よ」

 ぴしゃりと言い放たれて、わたしは濡れた礫から転がるように逃げだした。

 走ったら自分の風で身体が削れていく。立ち止まろうにも、後ろから放たれる濡れた葉が、礫が、燃えるような言葉が恐ろしい。火の精霊なのに、燃えるような瞳が恐ろしくてならない。火の精霊なのに、目からは次から次へと涙が零れ落ちる。

 じゅうじゅうと自分が消えていく。

 わたしは火の精霊なのに、涙は水だなんておかしい。おかしいのに、土の精霊は言った。涙とはそういうものだと。

 じゅうじゅうとわたしが消えていく。でも、これでいいのかもしれない。森を焼いてしまうような火は、森には必要ないのだ。せめて、今まで仲良くしてくれた土の精霊にも木の精霊にもごめんなさいと言ってからにしたいけれど、それもかなわない。

 それに。

「水の精霊、水の精霊、水の精霊」

 どうせ消えるなら、一度だけでもいいから、思いっきり水の精霊に抱きついて消えたかった。わたしは誰に抱きついても、燃やしてしまうか消えてしまうかだから、抱きついたことも、抱きしめられたこともない。

 森を焼いてしまうような火は、そんな望みを抱いてはいけないと分かっていたのに、消えるなら、消えてしまうのなら、せめて水の精霊に会いたくてたまらなかった。



 わたしは、ぱちぱち泣きながら森から離れた。




 どこまでも追ってくる礫と言葉に追われるままに、わたしは森から離れた。

 気がつけば、遠くに見えていた人間の村にまで辿りついていて驚く。その頃には、わたしは随分小さくなっていた。

 人間はたくさんいた。村は住処としては小さいと水の精霊は言っていたけれど、見たこともないほど人間がいる。

 たくさんの人間は、小さく揺れるわたしを見下ろす。怖くて怖くて泣き出したわたしに、突然水がかけられた。

 じゅあっと音がして、一回りも二回りも小さくなる。呆然と見上げると、木の精霊の根っこを切ろうとしていた人間が、もう一度水を振りかけた瞬間だった。

 しゅあしゅあ悲鳴を上げても人間はやめてくれない。

「おい、あんまりやり過ぎると消えちまうぞ」

「大丈夫だろ、精霊だし」

「こいつは危険なんだぞ」

「精霊だからな」

 人間達はそう言いながら、わたしに水をかける。ついには、人間の小指ほどまで小さくなってしまった。

もう動くことも泣くこともできない私は、鉄でできた何かで掴まれて、鉄でできた何かに入れられた。

「本当にきたな、こいつ」

「ほらな、精霊共と取引したんだ」

「王都から討伐隊を組むぞと言ったら一発だったな」

「これなら、あの苗木ももらっときゃよかった」

 声が鉄の中でぐわんぐわん響く。

「欲を出せば足元をすくわれるぞ」

「それもそうだな。こいつがいれば、村が十年は食うに困らない金が手に入るんだ。充分だ」

「婆さんがさぁ、精霊に手を出しちゃなんねぇってうるさいんだよ」

「年よりはみんなそう言うさ」

 鉄の中は油が染みたよられた紙が入っている。震える身体をなんとかその紙まで引きずり、紙を燃やす。

「これで大丈夫かな? こいつ消えちまったりしないよな?」

「大丈夫だろ。あの大きさで俺達全員に火傷負わすようなやつだぞ?」

「そうそう。弱ってるくらいでちょうどいいって」

 大丈夫じゃないよ。こんな小さな紙じゃ、すぐに燃え尽きてしまう。

「欲を出さず、慎ましやかに生きるのが一番だ」

「全くだ」

「だが、今日くらいは祭りだろ」

「お、いいねぇ」

「妹がうまい菓子焼いたんだ。それも並べようぜ」

「でた、またお前の妹自慢」

 楽しそうな声が遠ざかっていく。

 音が途絶えて、わたしは紙にしがみつく。紙は小さくて、あっという間に燃え尽きる。

 消える。消えてしまう。

 ふわふわ泣きながら、わたしは願った。

 もしも、また存在できるなら、今度は水の精霊がいい。土の精霊でも、木の精霊でもいい。火以外なら何でもいい。誰かを傷つけるんじゃなく、誰かの形や存在を壊すんじゃなく、みんなに触りたい。わたしもみんなみたいに抱きしめられたい。誰かを育む輪に入りたい。

 そして、そして、水の精霊と手を繋ぎたい。

『雨も風も、こうしていると怖くないだろう?』

 そう言って、いつも膜になってくれた水の精霊。陽に当てて、水分を飛ばした葉に乗せて運んでくれる水の精霊。泣き虫で、すぐに小さくなっていくわたしにひどく狼狽して、あの手この手で泣きやませようとしてくれた水の精霊。

「水の、精霊…………」

 こんな終わりを迎えるのなら、あなたの胸に飛び込んで消えてしまえばよかった。そこで迎える終わりは、きっとこの世の何よりも幸せだったのに。

 消えてしまうのは怖いけれど、終わると思ったら恐怖より別のことばかりが浮かぶ。

 もっとありがとうと言えばよかった。もっと大好きと言えばよかった。おでかけする二つに『はやくかえってきてね』じゃなくて『いつもありがとう』って、木の精霊に『あっちであそぼう』じゃあくて『いつもあそんでくれてありがとう』って言えばよかった。


 だいすきだよって、ありがとうって、溢れるくらい言えばよかった。

 そうしたら、この涙はもっと温かかったかもしれない。



 ぽろりと落ちた涙を最後に、しゅんっと、最後の紙片が燃え尽きた。








 水の精霊は、森の異様な雰囲気にすぐに気が付いた。けれど、いや、だからこそ心配で、火の精霊の元へと急いだ。しかし、小さなゆらめきはどこにもいない。一緒の寝床にしていた洞にも、お気に入りの岩の上にも、倒木で組んでやった遊び場にも。

 土産に持って帰ったよく燃える木の実を寝床に置いて、水の精霊は土の中に溶け込んだ。木の精霊の姿もない。これはいよいよおかしいと、先に潜った土の精霊に問いかける。土の精霊は黙って森を探っていたが、不意にかっと目を見開いて土の中を流れた。無言でついていった先にあったものに呆然とする。

森の端の野原が焼け野原となっていた。嵐の番に雷でも落ちたのならおかしい光景ではない。だが、嵐がきた形跡はない。ならば、火の精霊しかいない。そして、この森に火の精霊は一つしかいないのだ。

 水の精霊はすぐに森の精霊に呼びかけた。水と土はどこにでもいける、どこにでもいる。水と土があるから森は成り立つ。その二つの呼びかけに、精霊達はすぐに集まった。大きな木の精霊に抱かれた、小さな木の精霊は、二つの姿に気付いて泣きながら駆け寄ってきた。

 そして、水の精霊は全てを聞いた。





「……売ったのか、あの子を。あんな小さな命を」

「森の安寧には小さすぎる犠牲です」

「精霊が人間に屈したか!」

「あえて敵対の道など、選ぶ必要はありますまい」

 人間が来ることなど当に分かっていただろうに。あの集落からの距離を鑑みれば、人間の足では一日近くはかかる。一言、一言でよかったのだ。その一言があれば、火の精霊も木の精霊も野原になど出なかった。

 案の定人間は欲を出し、火の精霊は本能のままに自分と木の精霊を守った。暴走だと精霊達は言ったけれど、本当に暴走であったのなら、木の精霊が無事なはずがない。

 森の精霊達は火の精霊を消滅させたがっていたが、その気になれば消滅させられていたのは森の方だ。それほどに火は強い。火の精霊が何からも脅かされるほど弱かったのは、火の精霊が優しかったからだ。

「水の精霊。あなたが気に病む必要などない存在です」

「所詮は火。森には必要のないものです」

 頷く精霊達に、木の精霊がぱしんと弾けて怒りを顕わにする。しかし、その顔はすぐに強張った。周りの精霊達も同じ顔になっていく。




「それでも、俺は、あの子を愛した」




 長い時の中で、様々な流れを飲み込んできた水の精霊の心は凍っていた。

 水であり、水とは異なる硬質で頑なな心を溶かしたのは、雨粒よりも小さな小さな命だった。

 ぴぃぴぃと、雨音より小さな声で、姿で、たった一つで泣いていた火の精霊。あの存在が、自分を水の精霊にしたのだ。誰もが喜んだ水の精霊である自分の手が触れられない、小さな小さな命は、それでも一心に自分を慕ってくれた。

 触れられないあの子を、それでも守りたかった。

 優しいが故に何より弱く、何より小さく、一瞬のきらめきを必死に生きる光を守ってやりたかった。

 火の精霊は長く存在できない。存在が始まってから長く生きる前に消えていく。燃え尽きるときが一番きらめく、悲しい命。水とはもっとも相容れない命。

 それでも、それでもだ。

 葉が揺れる様さえ喜んだ小さな命を、水が愛おしんで何が悪い。決して触れられなくても守ることはできると、寄り添って何がいけない。

 水が、森よりも育みたい存在を見つけただけのことだ。



 森中から水が引いていく音がする。精霊達は真っ青な顔で縋りついてきたが、水の精霊はそれを振り払った。

「森が壊れてしまいます!」

「ならば他所の水の精霊に頼め。俺は、人間に媚を売るために仲間を贄にする森など守るつもりはない」

「そんな!」

 木の精霊は抱きかかえられたまま、真っ赤な顔で水の精霊にしがみついた。折れた腕がぷらんと揺れる。

「ぼくも、いく」

「木の精霊」

「ぼくもいく。火の精霊は、そういう命なのに。燃やすけど、そういう命なのに! ぼくが、水を吸って土に生えるように、岩が砕けて石が生まれるように、鳥が虫を食べるように、蛇が鳥を食べるように、そういう命として生まれただけなのに! ぼくは水を吸うなっていわれたらおこるよ! けど、火の精霊はそういわれてもおこらなかった! 岩だって、水がいなきゃ砂になるくせに! みんな、何かがないと生きられないのに、火の精霊には何も糧にするなっておかしいじゃないか!」

 ぱしんと弾けた後、木の精霊はぱきぱきとしゃくり上げたが、決して涙をこぼさない。ぐっと食い縛り、目元を擦り続けている。

 その頭を撫でて、土の精霊は重たい腰を上げた。

「わしも行こう。ここには長く留まりすぎた。同じ精霊でありながら、小さな火の子どもすら守れぬようになってしもうた森にしたのは、代表であるわしと水の精霊の責じゃ。わしらは、ちとおぬしらを守りすぎたのぉ。長らく平穏だったから、臆してしもうたか。守ることを忘れて、切り捨てる道を覚えたか。まるで人間のように」

「お、お待ちください! 我らはただ!」

 言い募る言葉を遮り、土の精霊は少し悲しげに首を振る。

「そうして膿んでしもうた土地は、新たな風が入らねばなるまいて。新たな風を呼び込め、そうして一からやり直せ。精霊は、人になってはならぬのじゃ。精霊と人の共存の道を探すのは別に良い。だが、小さな命を贄にして人間の顔色を窺うは、もはや隷属じゃ」

「ですが、あれは火です! 火は我らとは異なるものではありませんか!」

「鉄のように人間が作り出した心なき物と違い、火は、我らと同じくして生まれた精霊じゃ。……お前達は、そんなことも忘れてしもうたのか」

 悲しげに瞳を閉じた土の精霊は、精霊達に背を向けた。水の精霊も流れるようにその後を追う。地面には水の精霊が通った後が川のように続いたが、すぐに土に染みこみ、 ついには何も見えなくなった。




 その日、人間の集落が一つ消えた。

 幸いにも死者はいなかったが、突如襲った山津波が家々をなぎ倒し、農園を飲み込んだ。死者が出なかったのは精霊の最後の温情だと、村一番の年寄りは言った。




 そうして月日が流れたある日、深い深い山奥で、旅人は不思議なものを見つけた。

 森の中にぽっかりと開けた場所に現れた湖だ。そこはいつでも並々と澄んだ水で満たされている。そのちょうど中心には、美しい島と、樹齢百年は超すであろう大木が聳え立っていた。

 そこまでならば神秘的な美しさを讃えるだけでよい。自然の神秘に胸を打つだけでよい。

 だが、旅人はみな一様に首を傾げる。

 何故ならば、一本の枝が燃えているのだ。美しい円を描いた枝ぶりの中、一か所だけ圧し折られたかのように歪に伸びる枝がある。その枝は、雨が降ろうが、風が吹こうが、火が消えることもなければ、他の物に燃え移ることもない。

 ただ、静かに枝と燃えている。



 またある日、旅人はその不思議な場所を通った。

 すると、湖の上に浮かぶ道も船もない島に人影を見つけた。

 青い長身の男と、茶色い老人と、緑色の青年が、燃える枝を見上げている。何かを話しているようには見えず、緑色の青年は、ただただじぃっと燃える枝を見つめて、やがてはっとなって青い男を見た。



 青い男がおもむろに両手を広げたそこに、赤い影が降った。



 青い男に抱きとめられた赤い影はきょとんと周囲を見渡し、再度青い男に視線を戻す。そうして何かを確かめるように青い男をぺたぺたと触り、顔をぐしゃぐしゃにした。

 勢いよく抱きついた赤い影を掻き抱いた男は、万感の思いを込めて、長い長い息を吐いた。





 深い深い山の奥に、それは不思議な木があるという。

 美しい水に囲まれた小さな島の上に、一本だけ生えた大樹。


 そして、土と水で生きる木によって生かされた、美しい炎。




 旅人達はそれをこの世の奇跡と呼んだ。

 しかし当の精霊達は、ただ自然の在り方だと笑うのみである。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 色々と胸にくるお話でした。
[良い点] 4つの優しさに心がめらめらと温まります。 脳内で可愛くかっこよく美しく上映されました。 あぁ、たまんねぇ。
[一言] 泣ける!! 胸が温かくなる話でした。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ