8.どうなるか分からない漠然の中で、佐久間信太郎は腹を決めた。
「負けたらどうなるかだぁ?」
練習スケジュール前半の模擬戦を終え、昼食をとっているときにそう口を切った信太郎に向かって、ゴンドゥは呆れたようにいった。
「今は最下ランクだからな。負けても生きてりゃなんとかなるさ。生きてりゃな」
その言葉はつまり、死ぬこともあるという証左に他ならなかった。
「死人が出るのなんざ、別に不思議でもなんでもないぞ」
と、笑いながらゴンドゥは続ける。
「前にうちのチームでやとってた奴も試合で死んじまったからな。相手が上位ランクから落ちてきたやつだったから、そこは実力差があったってことだ」
喋る内容からゴンドゥがなんの感慨も感じていないと見受けられるのは、それがこの世界の――少なくともコロッセウム内の――掟であり、日常であるということだ。
「死んだって遺族もいなきゃあ、配偶者もいないやつばっかりだぞ、元素機体に乗ってるやつらは。もともと奴隷だったのも少なくない」
自分は、この世界ではどんな存在だったのだろうか。
ここまで話の進むままについてきてしまった分、あちらとは肉体からして異なるこちらの身体がどういった理由で戦士になったのか、信太郎が知る由もなかった。身体中に残る傷跡の数々が何らかの戦闘の痕跡を語るのみでは、いったいどんな人生を送ってきたのか見当がつかなかった。
「ま、何を言ったって今更逃げられねーよ。さぁて、少し休憩したら午後の模擬戦を始めるからな。準備しとけよ。≪元素解放≫に大事なのは、元素機体との信頼関係だからな」
昼食を終えたゴンドゥは腰を上げると、自分の元素機体の元へと向かっていった。
1人残された信太郎は、白の元素機体を見やる。
直立不動のまま、自分の指示を待つのみの相棒に、これから命を預けようというのだ。
信太郎の胸中に不安が押し寄せる。敵はあのアーキッシュ・コージェイドだ。実力差は明白であり、それ以上に信太郎を委縮させる要素もあった。あちらの世界でも、信太郎は阿久津に営業成績で勝ったことがないのだ。
――勝てるのかな。
ふらふらと、足元のおぼつかないように白の元素機体へ歩いていく。近づくにつれ、白の元素機体に挙動に変化が表れていく。信太郎の感情を察知したのか、おびえるように震えていた。
「おまえも怖いんだよな」
そっと足の装甲に触れると、白の元素機体がゆっくりとその場に膝をついた。信太郎へ右手を差し出し、手のひらを開いた。
「乗れってか」
それが装甲に触れた信太郎の「何かに頼りたい」という弱気な心を察知した動きなのか、白の元素機体が自発的に行った動きなのかは分からなかった。だが信太郎にはなんとなく、後者に思えてならなかった。
手のひらに飛び乗ると、白の元素機体は、信太郎を自分の肩へと運んだ。
信太郎が以前自分を下敷きにした肩部装甲に降り立つと、白の元素機体がその巨大な顔を、こちらへ向けた。その二つの眼は、何かを訴えているようにも見えた。
信太郎が白の元素機体の頬をなでると、初めてこの機体に見たときに得た何か懐かしい感じを、以前よりも強く覚えた。
白の元素機体の二つの眼が、信太郎には気持ちよさそうに細められているような気がした。その瞬間――
「おまえ……」
信太郎は、一つの仮説に至った。
しかしそれを確認するためには、一度向こうに戻らねばならない。
どっかとその場にあぐらをかくと、信太郎は目を閉じた。
その意識は意外なほどすんなりと闇に溶けた。
◇
意識の覚醒は素早かった。
信太郎は布団から跳ね起きると、どたどたと足音を立てながら玄関へと向かっていく。
その足音に何事かと驚いて居間から顔を覗かせた母親には「シロの散歩に行ってくる」とだけ言い残した。
信太郎が玄関の外の犬小屋にたどり着くと、その中で、シロはまるまりながら眠りこけていた。
「おまえだったんだな、シロ」
覗き込むようにしながらつぶやくと、シロがゆっくりと目を開けた。
年老いてなお強いそのまなざしは、白の元素機体によく似ていた。
「信頼関係が大事らしいぞ」
犬に、人間の言葉が理解できるはずもない。しかしシロは、確かにうなずいた。
「ぼくとお前なら、誰よりも信頼しあってると思ってる」
シロは犬小屋から這い出してくると、いつになく尻尾を大きく振り続ける。
それは、燃える闘志の表れのようだった。