6.取り返しのつかないことをしてしまったと後悔するには、信太郎の状況把握能力は欠如していた。
アーキッシュ・コージェイドは、新進気鋭の若手戦士だ。
信太郎よりも早くにコロッセウムデビューを果たし、すでに3勝の勝ち星を上げている。巨大なハンマーを駆使した苛烈な攻撃は、敵の元素機体の四肢を粉々にするまで続けられる。その派手さも相まって人気も上昇してきていた。
現在は最下ランクではあるが、この実力なら早々にランクを駆け上がる筆頭であろう、というのが世間での一般的な評価だった。
「攻撃は精密さのかけらもない乱暴極まるもんだ。ハンマーの大きさのせいでモーションもでかい。今のお前でも避けれねぇことはない」
言葉には希望も見えるが、対照的にゴンドゥの表情は晴れやかではない。隣に座るレイチェルも同じようなものだ。
それだけで、いかにアーキッシュという男の実力が高いか、信太郎も察することが出来た。
「防御力を上げるのはどうですか? ほら、ゴンドゥさんも前にそう言ってましたし……」
信太郎の提案を受けて、しかしゴンドゥは難しい顔をしながら腕を組んだ。
「あん時は誰と当たるか分かってなかったからな。あれだけの規格の質量兵器となると生半可な装甲の増強じゃあ意味がない。動きの遅くなるだけこっちが不利だぞ。簡単に補足されちまう」
脳裏に焼き付いたダルマのような元素機体は、まさにその証明だ。ハンマーの迫りくるその時を想像して、信太郎はゾッとし、口を開けなくなった。同じように、整備士全員も押し黙った。
「回避優先で装甲は最低限かなぁ」
声を上げたのはレイチェルだ。
「どのみち当たったら壊れちゃうんでしょ? だったらそれしかないでしょ」
信太郎を含めて、その考えに至っている人間は多かったが、口に出さなかったのには理由がある。
あまりにも無謀すぎるからだ。
逆転の発想ではあるが、それが有効なわけではない。当たらないという状況を作り出せるほど、敵のレベルは低くないのだ。
「まあ、他の方法がないわけでもない。それを使えれば、勝てるやもしれん」
眉間にシワを寄せたまま、ゴンドゥがためらいがちに言った。
「そんな方法があるんですか?」
にわかに見えた希望に、信太郎は身を乗り出した。レイチェルや他の整備士も同様だ。
「正直な話をすると、あれが使えるか使えないかがこのコロッセウムの最上位にいけるかいけないかの境目だ」
ゴンドゥはもったいぶるように身をただした。
「おまえら、最上位ランクの試合は見たことがねーだろ」
はい、と答えたのは、ゴンドゥの次に古株の整備士だ。信太郎はもちろんのこと、レイチェルですら、最上位ランクの試合を拝んだことはなかった。
そもそも、最上位ランクの試合はコロッセウムでは行われていない。
フィールドを、外部の演習場に移すのだ。
「なぜだか分かるか?」
ゴンドゥの問いかけに答えられるものは、やはり誰一人としていなかった。
「危険すぎるからだ。元素機体の真の力を解放するわけだからな」
「真の力、ですか」
誰かが神妙につぶやいた。
つまりはそれが、ゴンドゥの言う他の方法に当たるのだろう、と信太郎は考える。ゴンドゥに危険すぎると言わしめた真の力を解放すれば、あのアーキッシュの元素機体にも――
そこで、扉をノックする音が響いた。次いで、
「ここがゴンドゥ工房のチームで間違いねーよなぁ」
その粗暴な口ぶりは、信太郎もつい最近聞いた覚えのあるものだった。だから扉が開かれる前から、その正体が誰なのか、分かっていた。
「邪魔するぜ」
乱暴に扉をあけ放ち部屋に入ってきたのは、阿久津コウジと同じ顔を持つ男――次の対戦相手となるアーキッシュ・コージェイドだ。裸の上半身の各所には、炎を模した刺青が入れられている。逆立つ髪は、黒から金に変わっている以外、あちらの阿久津コウジと全く同じだった。
近くにあった椅子を手繰り寄せると、アーキッシュはそれにどっかと腰をおろした。
「何か、用ですか?」
レイチェルが怪訝な顔でそう訊ねると、アーキッシュは不敵に笑ってみせた。
「んなもん偵察に決まってんだろ。他にあんのか乳デカ女」
仲間内の誰が口に出すこともなかったレイチェルの身体的特徴をズバリと言い放ち、フンとアーキッシュは鼻をならした。
レイチェルが視線を冷ややかにし、仲間全員が凍りつく中、信太郎は、あちらで阿久津コウジと初めて出会った時のことを思い出した。
その時にも同じようなことがあったのだ。セクハラ紛いの暴言を吐かれたのは麗地ミサキであり、内容も「メガネ女」ではあったが、阿久津コウジに似たこの男が、やはり似たような気性であることがおかしくて、信太郎は小さく笑ってしまった。
「なんでそこで笑うかな、もう!」
レイチェルは子どものように頬を膨らませ、プイとそっぽを向いてしまった。
「ああん!? 乳のデカいのは女としての利点だろうが、何勘違いしてやがる」
などと的外れな擁護を繰り出す姿まで、アーキッシュは阿久津コウジとよく似ていた。基本的に口は悪いが、くそが付くほど正直。それが阿久津コウジという人間だった。
「ぼくは、あんたは嫌いになれそうもないね」
信太郎がいうと「敵同士だぞ、気持ちわりぃ」と、アーキッシュは苦虫をかみつぶしたような表情になる。
「それで、俺が気にかけるほどいい作戦は考え付いたのかてめーらは」
部屋全体が緊張感に包まれた。
アーキッシュの言葉の端々から感じられるのは、絶対的な自信だ。3連勝という状況がそうさせているのか、あるいは本人のその気性ゆえか。信太郎はまよわず後者だと断言できた。だから決して、引いたりはしない。
「さあ。ただ、一方的にはやられないよ」
先ほどゴンドゥが口にしていた真の力を使いこなせれば、負けないはずである。まだその詳細を知らない信太郎ではあったが、戦う前から弱みを見せては勝てる勝負も勝てなくなると、自らを奮い立たせ、精いっぱいの挑発を返す。
「油断して、連勝記録をストップさせないように頑張ってくれよ」
アーキッシュの、両の口の端が、嬉しそうに吊り上った。立ち上がると、椅子に座っている信太郎を上から覗き込むようにして、顔を近づけた。息がかかるほどの至近距離だ。
「おもしれぇ。やれるもんならやってみな青瓢箪。2日後を楽しみにしとくぜ」
アーキッシュは捨てるようにそう吐くと、踵を返し、部屋を出て行った。
部屋全体の緊張の糸が途切れ、誰彼となく、深く息を吐いた。
「よくあんなこと言ったなぁ」
整備士の一人が、信太郎へ声をかけた。
「はは、まままままぁ、あああんなもんですよ」
今更になって、恐怖心と後悔が信太郎の胸中に押し寄せてきていた。椅子に座ったまま、足をガクガクと震えさせている。
「でも、ゴンドゥさんの言ってた真の力が使えればいいわけですからね。まだ希望は……」
「あのなぁ……」
ゴンドゥが重々しく口を開いた。
「最上位クラスの戦士になってやっと使えるレベルなんだぞ、真の力≪元素解放≫は」
それを聞いて、ゴンドゥの言わんとしていることを、信太郎はすぐに理解できた。
「一朝一夕で使えるわけがないだろ。ましてや元素機体に乗り始めたおまえがだ」
反省しろ、と信太郎は頭を小突かれた。
――もしかして、結構大それたこと、言っちゃったのか!?
だらだらと冷や汗の流しながら、信太郎は子犬のような目でゴンドゥを見上げた。
はぁ、とため息をつき、ゴンドゥはむんずと信太郎の腕をつかむと、そのまま引きずっていく。
「とりあえず特訓あるのみだな。時間がねぇ。レイチェルのプラン通りに装甲は最低限の回避重視でいく」
「それで、勝てるんでしょうか?」
一転して気弱になった信太郎は引きずられるままにつぶやく。ゴンドゥは即答することもなく、黙々と練習場へと進んでいく。そうしてようやく振り絞った一言は、
「まあ根性があれば、なるようになる」
日が暮れても続けられた訓練は、結局信太郎が白の元素機体のコクピット内で気絶するまで終わることがなかった。
◇
目を覚ました信太郎は、以前の頭痛とは比べ物にならない身体の痛みで、起き上がることが出来なかった。ほとんど感覚がない。重いまぶたは、再び自分を睡眠へといざなうように開かれることもない。
――起きないと。
意を決して目を開こうとすると、聞きなれない音楽が部屋に響いた。最初はそれがなんなのか信太郎には分からなかった。だが規則的に繰り返されるリズムが、目覚まし時計の音であると判断させてくれるのに、そう時間はかからなかった。
しかし、そうなると疑問点も生まれる。
こんなファンシーな音の目覚まし時計は、信太郎の家には存在しないのだ。
――何かが、おかしい。
おそるおそる薄目を開けると、天井の壁紙は木目調どころか、おしゃれな花柄であった。
それを目撃した瞬間、一気に信太郎の意識が覚醒した。ガバッと起き上がると、まず自分がパンツ一丁であることに気が付いて、寝ていた場所も薄っぺらな布団ではなく、キングサイズのベッドであることが分かった。部屋ももちろん自分の部屋ではない。化粧台なぞ、普通の男は利用しない。家具もインテリアも、どこを見ても女性の趣味に溢れていた。ベッドのとなりには犬のぬいぐるみまで横たわっていた。
「あっ、やっと起きた」
信太郎は、若い女性の声がしたほうに視線を動かした。その先にいたのは――
「このまま起きないのかと思ったけど、目覚ましには反応するんですね」
そういって笑う、レイチェルの姿だ。衝撃的なのはその恰好である。裾の長いパジャマのみで、下には何も履いていないように見える。あるいはパンツはしっかり履いているのかもしれないが、それも裾に隠れて確認できなかった。
「えっ、えっ、なんで君が……?」
信太郎が混乱しているのは、自分がこちらの世界の姿であるにも関わらず、レイチェルがこちらの世界にいたからに他ならない。
――あっちとこっちが混ざったのか!?
ただただ狼狽して目をしばたたかせる信太郎を尻目に、レイチェルは化粧台へと歩いていく。
そこに置いてある、ビンの底のように分厚いレンズの眼鏡を手に取った。それをかけると、信太郎へと向き直った。
「朝ごはん作りましたから、食べてくださいね。もうお昼近いですけど」
信太郎は息を呑んだ。
「麗地、さん……?」
そこにいたのは紛れもなく、自分の同僚の女性社員、麗地ミサキだった。