第4話 除霊
次第に目が慣れていくと乙矢には、そこは先程までとは別の場所に見えた。
まず、先程までは空は赤くなかった。
辺りはこんなに極彩色ではなかった。
「た、玉藻ちゃんなんなのこれ?」
驚いた乙矢は、とっさに玉藻に尋ねてしまった。
「落ち着け。ただの結界じゃ」
けっかい、今この子は結界と言ったか?
落ち着け、私。
結界なんてただの創作。ファンタジーの産物、どうせ私の聞き間違いだ。
「金剛界結守と言ってな、かなり異端ではあるが結界の一種じゃ」
また結界って言った。
どうやら乙矢の聞き間違いではなかったようだ。隣で早矢も、結界って本物なの、と目を輝かせていた。
目を輝かせて、って信じてるのか、ちょっと待てなんでこんなこと受け入れられているんだこの姉は。
そんな詮無いことを思いつつ乙矢がパニクっていると、紅蓮の前に昨日見た幽霊が立って、紅蓮に向かい右腕を振り上げた。
全くついて行けていない乙矢には、何がどうなっているのか理解出来なかった。
その幽霊に掌を向けて左手を突き出した紅蓮は−−
「金剛界曼陀羅」
と呟いた。
乙矢に聞き取れたのは、曼陀羅と言う言葉だけだった。
幽霊の右手が紅蓮の左手に触れるか触れないかの所で複雑な紋様の円形、所謂魔法陣と言うモノが現れて幽霊の右腕を防いだ。
まだ信じられない乙矢だが、ここまでの吃驚ショーを見せられては信じざるをえない。
この人は私のツマラナい日常をハチャメチャで破天荒なものに変えてくれるかもしれない、乙矢はそんなことを思った。
幽霊がその魔法陣から前に進み倦ねていると−−
−−破ッ−−
−−という声とも音ともとれないモノと共に紅蓮が左手を握りしめ、幽霊の上下前後左右を取り囲むように魔法陣が現れた。
そして、握りしめた左手を百八十度回転させると−−
−−轟−−
−−という音と共に全ての魔法陣が幽霊を押し潰した。
その後の事を乙矢はよく覚えていなかった。
気がついたときには乙矢達は玉藻に手を引かれ『幻想堂』の扉をくぐっていた。
そして、手を引かれるままに店内奥にあるソファーに座らせられた。
紅蓮が淹れた紅茶の香りを嗅いでようやく乙矢達は落ち着いた。
「士道さん、聞きたいことがあるんですけど」
「どうぞ、何でも聞いて下さい。私の分かる事でしたらお答えします」
紅蓮は不躾な乙矢の言葉に穏やかに微笑みながら答えた。
「じゃあ、お聞きしますね。あれは何だったんですか?」
乙矢の口調が強くなっているが、仕方のないだろう。正直未だに夢だったのではないかと乙矢は思ってしまう。
そんな乙矢の問いに答えたのは紅蓮ではなく、その隣に座る玉藻だった。
「あれがぬしが望んだ除霊じゃ」
除霊。乙矢は祈祷や御祓いなどを想像していたのだが−−あれが除霊なのか。
「でもTVで見るのと全然違いましたよ」
「当然じゃ、あんなのはただのパチモンじゃしな」
乙矢の問いに玉藻は間髪入れずに答えた。
しかしパチモンはないだろう。もう少し他に言い方はなかったのだろうか。
「あはは、パチモンかどうかは別にして、除霊の仕方は人それぞれだし、相手によって変わるものだからね」
人によって違うのは乙矢にも何となく理解出来たが、相手によって変わると言うのがわからなかった。
そんな疑問を抱いていると、やっと正気に戻った早矢が口を開いた。
「相手によって違うってどういうことですか? 御祓いする人によってやり方が違うのはなんとなくわかるんですけど」
どうやら乙矢が聞きたかった事と同じようだ。
「そうですね。例えばですが、ただの浮遊霊ならばおそらくイメージに近い祈祷で祓ったと思います。ですが、今回のは少し毛色は違いますが悪霊だったもので強制的に排除させていただきました」
悪霊だったのか。乙矢は幽霊がいると認識した後だからゾッとした。
あれ、下手したら私って危なかったのか。
「あの、あれって悪霊だったんですか?」
若干恐怖を感じながら乙矢は聞いた。
「ええ、先程も言ったように毛色は違いますし、あれではまだ人に危害は加えられませんけどね」
悪霊の定義など乙矢は知らないが、普通の悪霊と何か違うのだろうか。
「毛色が違うと言うことは普通の悪霊とは違う訳ですよね? 出来れば違いを教えて下れませんか」
穏やかに、しかし確かな意志を込めて早矢は聞いた。
「良かろう。特別に教えてやろうではないか」
それに答えたのは紅蓮ではなく玉藻だった。
「元来、悪霊と言うのは恨み、憎しみ、強い怒りを持った死者の霊魂が、永い時を現世に留まり昇華したモノを指す。そういった永い時を過ごし、人に危害を加えられる『力』を持った霊魂が悪霊と言う」
それは乙矢にも理解出来た。長い間恨みを募らせて、いつしか自分にはそれだけしかないと思ってしまうのだろう。
「じゃが、殆どの霊魂は悪霊になり果てる前に成仏する。祓われたり、自然に消えたりと色々じゃがな」
何故自然に消えるのだろう?
負の感情はそんな簡単に消えるモノでは無い。
そんなことを考えている乙矢を放って玉藻は話を続けた。
「じゃが“あれ”は違った。確かに強い恨みも持っていたであろうが、恨む対象も既に死んでおるから“あれ”の恨みも薄れておった」
確かに恨む相手がいなくなれば普通は自然に恨みも薄れていくだろう。
「しかしじゃ、どこぞの阿呆があそこで喧嘩をした。恐らくは血が出るくらいのな。ちょうどあの辺りに首を晒されておったんじゃろう、せっかく薄れかけていた恨みが、霊魂がその生の血と怒りに共鳴して間の段階をすっ飛ばして悪霊に成り上がった。じゃからあの時点では大した『力』もなかったが、あと少し時間があれば『力』を持っていたじゃろうな」
「ってことは、あとちょっと放っていたら傷つけられる人が出てたってことですか?」
「いかにも、その通りじゃ」
それは危なかった。今日『幻想堂』に来た乙矢は本当についていた。
「まあ妾から言わせもらえば自業自得じゃがな」
自業自得はないだろう。喧嘩した当人達ならいざ知らず関係ない人まで巻き込まれかねないところだったのに。
「何が気に食わんのかは知らんが、一つ言わせてもらおう。無知とはそれだけで罪なのじゃ」
無知は罪。良く聞くフレーズではあるが今回は無知とか関係ないと乙矢は思った。
「何となく玉藻ちゃんの言いたい事が分かる気がします」
横から早矢がそんな事を言った。
「ちょっとお姉ちゃん、何が分かるのよ。完全に巻き込まれ型のもらい事故みたいなもんなのに自業自得も無知もあったもんじゃないでしょ!」
そう、そこで事故が起きると知らなかって巻き込まれたのを自業自得と言われてはたまったものではない。
それとも未来予知をしろとで言うのか。
「乙矢の言ってる事はちょっと違うかな」
何が違うものか。乙矢には理解出来なかった。
「多分だけどね、玉藻ちゃんが言いたいのはそういうことじゃなくて、あそこで首を晒していた、幽霊が出ると噂されていた。なら、あそこで喧嘩なんか起きる前に士道さんみたいな人に頼んで御祓いしてれば良かったって事じゃないかな」
そうなのだろうか? いや恐らくはそうなのだろう。玉藻が感心したような目で早矢を見ていた。
「然り、しかしそれだけではない。今の人間は自分たちのことを他の生き物よりも二倍賢いと公言しておるくせに、世界には未知が溢れていることを認めようとせん。もし、幽霊がおると言う事実を知っておれば、もし本当に祓える者がおると知っておればもっと早くに手を打ったであろう」
確かにその通りだ。乙矢は幽霊なんてこれっぽっちも信じていなかった。御祓いなんて全部インチキだと思っていたのだから。
「本当に人間とは阿呆じゃな。理解出来ない事は信じない、ただそこに超然とあるモノを認められない。全く、昔のように将門や崇徳あたりが暴れてやれば認識を改めるじゃろうにな」
後半は乙矢には理解出来なかったが、碌なことではないと感じた。
「あはは、それは困るかな」
早矢は理解出来しているようだ。
「玉藻、流石にそれは僕らも困るな」
苦笑いを浮かべながら紅蓮もそう言った。
「あのね玉藻ちゃん。言いたいことはなんとなくだけどわかった。そうだよね、私も本当に今まで信じてなかったから」
乙矢の言葉を聞いた玉藻に−−理解出来たのか、阿呆にしてはなかなかじゃ。
と、乙矢は言われた。慌てて紅蓮が謝ったが、別に乙矢は気にしていなかった。なんとなくだが玉藻は毒舌だと理解していたからだ。
しかし、全く失礼なお子様だ。
「それより、聞きたい事があるんですけど。あの、玉藻ちゃんがさっき「人間は他の生き物より二倍賢いと公言している」って言ってましたけど、どういう事ですか? 一応私はそんなこと言った事も思った事もないんですけど」
乙矢の質問がおかしかったのだろうか、玉藻は小さな声で阿呆、と呟き、紅蓮は困ったように苦笑いを浮かべ、早矢は呆れたように大きな溜め息を吐いた。
何気に乙矢の姉である早矢の反応が一番酷い気がする。
「それはね乙矢ちゃん、人間の学名を知っているかな?」
と、紅蓮が聞いた。
「むぅ、士道さん馬鹿にしないでくださいよ。それくらい知ってます。ホモ・サピエンスでしょ」
自信満々に答える乙矢に、玉藻はクスクスと笑いだし、早矢はまた溜め息を吐いた。
「違うわよ乙矢。正確には、ホモ・サピエンス・サピエンスよ」
それは知らなかったと乙矢は思ったが、笑われたり呆れられたりするようなことが、どこにあったのかわからなかった。
「で、乙矢。ホモ・サピエンス・サピエンスの意味は知ってるかしら?」
早矢が乙矢に問うた。
「お姉ちゃん、流石にそれぐらい知ってるよ。ヒト、でしょ」
乙矢の答えを聞いた玉藻はとうとう声を出して爆笑し始める、早矢は三度盛大な溜め息を吐いた。
紅蓮だけは変わらず苦笑いを浮かべているが、何がおかしかったのか乙矢にはわからなかった。
「あのね乙矢ちゃん、ホモ・サピエンス・サピエンスの意味はね、正確には賢い・賢い・ヒト、なんだよ」
呆れている早矢にかわり紅蓮が答えた。
賢い・賢い・ヒト。
確か賢いって二回言っている。
何がそれくらい知ってるだ。
乙矢は今まさに、穴があったら入りたい気分だった。
「そういうことじゃ、理解したか」
ようやく笑うのを止めた玉藻が乙矢に言った。乙矢は恥ずかしさで真っ赤染まった顔でコクリと頷いた。
さらに軽く談笑した後、早矢がそろそろ帰ろうかと言い乙矢達は紅蓮達に礼を言って席を立った。
「ちょっと待って」
扉を出ようとした乙矢達に後ろから紅蓮が声をかけた。
何だろうと早矢と乙矢が二人で首を傾げていると、怪しげな物が並んだ棚から石ころを持って紅蓮がにやってきて、何かの模様が刻まれた石を乙矢達に手渡した。
「これはね、一応ちゃんと『力』のある御守りなんだ。今回くらいの事だったらその御守りがあれば問題ないから良かったら持っていって」
「ありがとうございます。でも本当にこんな物頂いてよろしいんですか?」
早矢がお礼を言い、そんなことを言った。
「もちろん、どうぞ持って行って下さい」
紅蓮はとても綺麗な笑顔でそう言った。
「ありがとうございます。大事にしますね。それと……」
「それと、どうしました?」
少し躊躇った後、乙矢は出来る限りの笑顔になり−−
「それと、また来てもいいですか?」
乙矢の言葉を聞いた紅蓮は、少し驚いたような表情になったが、すぐに真面目顔に戻り、とっても良い笑顔を乙矢達に見せ、そして−−
「またのご来店をお待ちしております。今後とも『幻想堂』を御贔屓に」
なんて言った。
乙矢達は『幻想堂』を出て、メインストリートを歩いていた。
『幻想堂』を出てから早矢の様子が少しおかしい。どうしたんだろうか。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
と、問い掛けると早矢は、にやけた顔を乙矢に向けた。
「良い、イケメンの笑顔凄くいい」
なんて言い、最後に紅蓮に貰った御守りを大事そうに胸元で握り締めていた。
これにて川沿い通りの幽霊編は終了です。
悪霊に対する説明は多分に独自解釈が含まれておりますが御容赦下さい。
次回予告
日常に戻った乙矢は喪失感を感じていた。
『幻想堂』で起きた一連の出来事を、神秘を求めていた。
そんなとき、ある一人の少女と出会い再び神秘に触れる事となった。
次回も出来る限り早く投稿いたします。
それでは皆様、拙作をここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。