第四十九章 華風蓮舞
部屋中に飛び散る水飛沫が、床にビチャビチャ音をたてながら、真っ赤な血を洗い流す。振り下ろされた雷犬神の刃は、まだ稲妻を纏っていた。その雷犬神をゆっくり、振り上げた千春の後ろで、漸が天地の体を踏みつけた。
絶鬼に斬られた傷口を、思いっきり踏まれ、体に激痛が走った。
「――!?」
声にならない位の激痛で、天地は苦しむ事しか出来なかった。傷口からは、更に血が溢れ床をまた赤く染めた。
魁人は漸に向って行こうとしたが、それを神谷が止めた。
「神谷さん、どうして止めるんですか」
「落ち着け。まずは、状況を見極めるんだ」
「天地君は、どうなってもいいって言うんですか?」
「天地を助けたい気持ちは分かるが、相手が隙を見せないとそれも出来ないんだぞ」
「でも!」
魁人と神谷が言い争っている間も、天地の傷口からは血が溢れ出ていた。苦しむ天地を見ているのが、由美には耐えられなかった。ゆっくりと、鞘から疾風丸を抜く。刃が薄らと輝きを帯びて、その周りを静かに風が流れる。
疾風丸を抜いた由美に気付いた、魁人は何か嫌な予感がした。
「神谷さん。由美さんが……」
「んっ!? あいつ!」
「止めましょう!」
「ああ」
止めようとした二人だが、すでに遅かった。静かに由美の唇が動き、疾風丸の刃の周りを取り巻く風が、徐々に勢いをます。その風は、由美の体を取り巻き始め、髪が舞い上がり服が激しく揺れる。
その風に漸と千春が気付き、様子を伺っていた。
「――……。華風蓮舞」
穏やかな風が部屋の中に流れるが、どこと無く怒りを漂わせている。そして、次の瞬間、由美の姿が漸と千春の背後に現れ、疾風丸を鋭く振り抜いた。だが、疾風丸の刃は二人に届かず、雷犬神によって受け止められた。刃と刃がぶつかり合う音が響き、火花が散った。
「その程度では、漸様を傷つける事は出来ません」
「……邪魔」
そう呟いた由美は、雷犬神を右に弾き千春の体勢を崩した。そして、隙の出来た左脇腹に蹴りを入れた。鈍い音が響き、千春の体が床に倒れこんだ。
「――うっ」
床に倒れる千春を見ながら、由美が振り抜いた疾風丸を土蛇神で受け止めた。鋭い爪の先が不気味に光り、由美の頬に触れる。
「格段に速くたったようだが、僕を傷つける事は出来ないよ」
「……その足……邪魔」
その瞬間、漸の体が床に崩れた。天地を踏みつけていた足を、由美が払ったのだ。床に崩れ落ちる漸のお腹を、蹴り飛ばし天地の前にかがみ込んだ。
「……大丈夫?」
「ウッ……。悪いな……」
「移動……するよ」
天地の体をゆっくりと持ち上げる。由美のか細い腕で、天地を持ち上げる事が出来るのは、体を纏う風のおかげだろう。天地は小さな声で、由美に何か呟いたが、魁人と神谷には聞こえなかった。
「何、話してるんでしょうか?」
「さぁ? でも、由美ってあんなに強かったのか?」
「知りませんよ。修行から帰ってきてすぐ、ここに来たじゃないですか」
「そうだったな」
ゆっくりタバコの煙を吐きながら、神谷は笑っていた。魁人は呆れながら、苦笑いを浮べた。暫くして、由美が天地と絶鬼をつれて神谷と魁人の方にやって来た。なぜ、絶鬼を連れて来たの二人にはわからなかった。
「何で、絶鬼が一緒なんだ?」
「俺が……頼んだ」
「頼んだって、なぜだ?」
神谷が珍しく、不思議そうな顔をした。とりあえず、天地と絶鬼を床に寝かせると、由美は疾風丸を構えた。
漸が薄気味悪く笑みを浮べながら、こっちを見ていたからだ。
「いやいや。油断しましたよ」
「全くですね」
漸と千春は、軽く服についた埃を払っている。そして、天地は漸の姿を見て、ある事に気がついた。それは、奴の右腕があると言う事だった。確か、あの時に腕は千切れたはずだった。
「お前……。その右腕は……」
「右腕?」
苦しそうにそう訊いた天地に、軽く首を傾げながら漸はそう呟く。そして、思い出したように言い放った。
「そうだったね。確か、僕の右腕はあの時に千切れたんだね」
ゆっくりとした口調でそう言って、黒フードから右腕を出した。その腕は継接ぎだらけで、不気味な腕だった。そして、その腕が誰の腕か知るのは、意外と早かった。
「その腕は!」
「まぁ、貴様らの思う通りだ。これは、この島に乗り込んだ貴様らの仲間の腕だよ。結構、使いやすくてね」
「ふざけるな!」
珍しく魁人が怒りをあらわにしていた。そんな魁人に、神谷がそっと何かを呟いた。何を呟いたかは、分からないが魁人はゆっくり頷き、水鮫神を構えた。
「天地君。僕は君が回復するまでの、時間稼ぎしか出来ないけど。必ず君が回復するまで、持ち堪えて見せるよ」
そう言って、魁人が笑みを見せたが、すぐに表情が変わった。覚悟を決めた、そんな顔付きだった。その事に天地はもちろん、気付いていた。魁人がそんなに持ち堪えられない事も。
「頼むぞ……。結構時間が掛かるからな」
天地はそう言って、五龍神に力を集めて水龍神に変化させ、自分の体と絶鬼の体の傷を癒し始めた。絶鬼の傷を癒すのには、理由があった。それに、絶鬼は漸に利用されていただけなんじゃないかと、思えてきたからだ。
傷を癒す二人を、タバコを吸いながら神谷は見ていた。
「でも、絶鬼の傷を癒してどうするんだ?」
「訊きたい事が、あるんで……」
「絶鬼にか?」
「エェ……」
傷を癒す天地は、ゆっくりとそう言って横たわる絶鬼を見た。胸を貫かれ絶鬼を、回復できるかは、わからなかったが何とか助けたいと思った。
漸と千春は魁人と由美を見て、不適に笑っていた。まるで、お前等じゃあ、役不足だと言っている様だった。ゆっくり間合いを見極めながら、向かい合っている。
魁人は腰を落とすと、ゆっくりと水鮫神を引いた。水鮫神の刃の周りには、霧状の水滴が集まり始めた。しかし、漸は余裕の笑みを崩さなかった。
「喰らい付け! 霧鮫連牙!」
水鮫神を突き出すと、霧状の水滴はいくつかにまとまり、そのまま鮫の形になって漸に向かっていく。無数に飛び交う水の鮫が、一気に漸に向かっていった。
「漸様!」
漸の方に行こうとした千春の前に、一瞬で由美が現われた。
「私が……あなたの相手……」
「私の邪魔をすると、痛い目を見るわよ」
鋭く睨み付ける千春の目を、由美はジッと見ていた。
一方、漸は不適に笑みを浮べながら、向って来る水の鮫をかわしていた。どこから襲い掛かっても、全てをかわしていく。
「まさか、こんな小さな鮫で、僕を喰らうというのかい?」
そう言って、魁人の居た場所を見た。しかし、そこに魁人の姿は無かった。
「あいつ……」
飛び交う鮫をかわしながら、魁人を探していると、シャンデリアの上から魁人の声が響いた。
「噛み砕け! 水牙鮫!」
シャンデリアから襲い掛かる水の鮫は、かわす事が出来そうになかった。だが、漸は焦らず両手にはめた土蛇神を、突き刺すと叫んだ。
「我を守れ! 土壁陣」
その瞬間、床が盛り上がり、漸の体を完全に覆った。水の鮫は、土の壁にぶつかり消滅した。




