第四十八章 裏切り
三つの戦いが行われる室内では、重苦しい空気が漂い、由美はそこに居るだけで、体中から汗が流れ出ていた。それだけ、重圧が掛かっているのだろう。気を抜けば、一瞬にして倒れてしまいそうだった。
水龍神を構えたまま、天地は絶鬼を睨みつけていた。白装束は裂けて、真っ赤な血で赤く染まっている。だが、絶鬼の表情は変わらず、ただ薄気味悪く微笑んでいるだけだった。
「さぁ、次は何を見せてくれるのかな?」
ゆっくりと天地に歩み寄る絶鬼の体から、血が垂れて床の所々に血痕が残っていた。天地の傷は完全に塞がり、水龍神は五龍神に戻っていた。
「フフフッ。次の龍を見せて貰いましょうか」
素早く刀を振る。天地は五龍神で、刀を受け止めるが、頬に薄らと血が滲む。やはり、完全に受け止めても、波動で体を斬り付けられる。絶鬼の刀から漂う殺気が、天地の体を切り裂いているのだろう。だが、それが分かったとしても、天地には防ぐすべがなかった。
天地は素早く絶鬼の刀を弾き、距離をとった。
「見たいなら、見せてやる」
「そうですか。それは、楽しみです」
絶鬼は微笑みながら、刀を下ろして天地を見ている。天地が力を集中すると、五龍神の刃の龍の刻印が、金色に光り始めた。そして、刃の周りに静電気が起り、バチバチと音を鳴らしている。
「目覚めよ! 雷龍神!」
雷龍神の刃の周りを稲妻が走り、床や壁のアチコチが砕けた。天地の髪もその静電気で、逆立っていた。その稲妻を目の当たりにして、絶鬼は嬉しそうに笑みを浮べる。まだ、余裕なのだろう。
「それが、金色の龍……。雷龍神」
「五龍神に封印される五龍の中で、最も扱い難く強暴な龍だ……。これが、切り札だ」
「最も扱い難く強暴か……。楽しみだよ」
「行くぞ」
不適に笑う絶鬼に向って、天地は鋭く雷龍神を振った。それを、絶鬼は軽々と刀で受け止める。澄み渡る音が聞こえ、激しく刃がぶつかりあう。その瞬間、雷龍神の刃の周りに集まった稲妻が、弾けて天地と絶鬼の体を襲った。
稲妻が絶鬼の胸を直撃し、絶鬼の体が宙に舞った。天地も稲妻を右肩に受けて、吹き飛ばされた。激しい爆音と共に、天地は背中から壁に激突した。壁は崩れて外の風景が見えていた。絶鬼は、床に落ちて動かなくなった。稲妻が効いたのだろうか。
瓦礫に埋もれていた天地は、ゆっくりと立ち上がり絶鬼の方を見た。稲妻を受けた右肩は、ズキズキと痛みあまり動かしたく無かった。
「グッ……。やっぱり、こいつは使いこなせないな……」
天地がそう呟いた時、倒れていた絶鬼の体がゆっくりと起き上がった。白装束の胸の部分が、稲妻を受けて黒くこげていた。だが、その顔には笑みが浮かんだままだった。
「今のは、驚きましたよ。しかし、自分がダメージを受けてしまっては、何の意味も無いですよ」
「言ったろ。俺もこいつは扱いきれない」
「そう言ってましたね」
意味ありげにそう言って、絶鬼は微笑む。そして、ため息を吐きながら、ゆっくりと口を開いた。
「君が、まだ五龍神を使いこなせていないのは、残念ですが……。もう終わりにしましょうか」
不気味なオーラを纏う刀を、ゆっくりと構えると、天地を睨み付けた。天地もすぐに、雷龍神を構えたが、遅かった。鋭い刃が天地の体を、斬りつけた。体からは血飛沫が勢いよく舞い、体中に激しい痛みを感じる。体は吹き飛び床に倒れ、床を真っ赤に染める。
反応できなかった。これが、絶鬼の本気なのだろうか。だが、絶鬼はまだ力を温存しているように思えた。
床に倒れた天地の体は、重たく立ち上がる事が出来ない。
「どうです? これが、僕と君との力の差です」
「ち……力の……差だと……」
「そうですよ。今の君は、本気を出していない僕にすら、勝つ事が出来ないと言う事です」
「クッ……」
体を起こそうとするが、どうしても動かなかった。傷口からはドクドクと、真っ赤な血が勢いよく流れ出ていた。右手に持った雷龍神は、五龍神に戻っている。
由美はそんな天地を、見ているのが辛かった。だが、体が動かなかった。絶鬼の恐怖が体を、硬直させているのだろう。
「……天地」
由美はそう呟き、天地の方を見つめていた。
苦しそうに顔を顰める天地に、絶鬼がゆっくりと歩み寄り、刀の刃先を天地の顔に向けた。
「残念ですが、もう終わりにしましょうか」
「ウッ……」
天地は死を覚悟した。その瞬間に、あの時の光景が蘇った。雨の降るあの日、右腕を負傷したまま阿修羅と戦い、死を覚悟した時の事を。あの時、死を覚悟して目を閉じた、そのせいで由美は……。そう思ったが、体に力が入らなかった。
「それでは、オヤスミなさい」
「寝るのは、お前だ」
「――!?」
鈍い音が辺りに響き、生暖かな真っ赤な血が、天地に降り注いだ。絶鬼の胸には、鋭い爪が突き出していた。天地には何が起ったのかわからなかった。ただ、目の前の絶鬼の白装束が、真っ赤に染まっていくのだけわかった。
「……ぐふっ」
絶鬼の口から、血が吹き出て床が真っ赤に染まる。辺りが一瞬にして、静まり返る。戦いを続けていた神谷と阿修羅も、絶鬼の方を見ていた。もちろん、魁人と夜叉も……。
絶鬼の胸から突き出た爪が、引き抜かれると体がゆっくりと倒れた。そして、その後ろに立つ黒フードの少年、漸と千春が立っているのが見えた。
苦しそうな絶鬼の声が、天地の耳に届いた。
「やっぱり……。裏切った……様……だ……ね……」
「フフフッ。いつまでも、人間の貴様に従っていると思ったか?」
「どういう事だ……」
漸を見ながら天地はそう言った。不適に笑いながら、漸は天地の質問に答えた。
「こいつは、オウガじゃない。ただの人間だ。まぁ、人間離れした能力を持っているようだがな」
「それでも、こいつは……」
「まさか、こいつを僕等がボスと認めていたと思うのか?」
漸のこの言葉に、魁人の近くに居た夜叉が怒りの声を上げた。
「お主! 主君を手にかけるとは、どういうつもりだ!」
「主君か……。そう思っているのは、君だけだよ。六鬼神の内、4人は絶鬼に不満を持っていたよ」
「どういう事だ!」
そう叫んだ夜叉に向って、不適に笑いながら漸は阿修羅の方を見た。阿修羅も、不適に笑みを浮べるとゆっくりと口を開いた。
「ようやく、俺も自由の身か……。これで、好きなだけ肉が喰える」
「まさか、お主!」
「驚いているようだな、夜叉」
この時、夜叉は悟った。阿修羅と漸は最初から、絶鬼を裏切るつもりだったのだと。だから、阿修羅は本気を出していなかったかったと。
その瞬間、夜叉は阿修羅に向って刀を振り下ろしていた。だが、刀は澄み渡る音を響かせながら、阿修羅の槍で受け止められていた。
「オイオイ。お前の相手は、俺じゃないだろ?」
夜叉に向って不適に笑いながら、阿修羅はそう言った。怒りで刀を持つ夜叉の手は震えていた。刃と刃がガチガチと音を鳴らす。
「どうやら、状況が変わってきたな」
神谷がタバコを口に銜えながら、魁人の方へ近付いてきた。相変わらずの神谷に向って、魁人が呆れながら言葉を発した。
「神谷さん……。真面目にやりましょうよ……」
「俺は、いたって真面目さ」
「そうだ! 天地君を!」
天地の事を思い出し、魁人は腰を低くして水鮫神を引いて、漸の方を睨み付けた。水鮫神の刃の周りを水の渦が取り囲んだ。
「噛み砕け! 水牙鮫!」
鋭く槍を突き出すと、水鮫神の刃の周りを取り囲んだ、水の渦が鮫の形になり漸に向って放たれた。水鮫神は、一直線に漸の方に向っていくが、その漸の前に千春が立ちはだかった。その右手には雷犬神が、構えられていた。
「轟け! 雷鳴」
勢いよく振り下ろされた、雷犬神から蒼い稲妻が放たれ、一瞬にして水の鮫を玉砕した。