第四十一章 不安な心
結局、一日を費やし傷を癒した一行は、まだ絶鬼の居る城に辿り着けずにいた。朝から海を辿りながら歩いているが、城はまだ見えてこない。
潮の香りが風に乗って、岸を歩く天地達の横を吹き抜けていく。先頭を歩く神谷は相変わらずタバコの煙を吹かしていた。そのタバコの煙はあるオウガの目印となっていた。そのオウガは例の如く、城の屋根の上からその煙を発見し、生き残ったハンターの数を数えていた。
「1…、2…、3……。7人か。ここに来て3人消えたか」
そう呟きボーガンに矢をセットする。カチッと音がして、矢がセットされた。
ボーガンの先を天地達の方に向けるが、引き金は引かない。暫くボーガンを構えたまま動かないが、急にボーガンを水平に構えると、引き金を引いた。
その瞬間、風を切る音と共に矢が放たれ、空を飛ぶ鳥の首に見事に命中した。鳥の首からは血が吹き出て、力なく地上へと落ちていった。その鳥が、タバコを吸う神谷の目の前を通過して地面に落ちた。衝撃で、鳥の頭が潰れ血が辺りに飛び散る。
顔色一つ変えず、神谷はその鳥の前にしゃがみこんだ。
「何か……落ちてきた……」
「ここは、色んな物が落ちて来るな」
由美の言葉に天地は空を見ながら言った。不思議そうな顔をして魁人が、天地の方を見ていた。何か言いたそうな表情だ。
それに、気付いた由美が魁人に訊く。
「どうかした? ……言いたい事は……言った方がいい」
「いや。大した事じゃないから……」
苦笑いしながら魁人は軽く手を振る。それをみて、由美は首を首を傾げた。
暫くしゃがみこんで動かない神谷に、始めに声を掛けたのは昴だった。
「神谷さん。一体何が落ちてきたんですか?」
「ンッ? 鳥の死骸だよ」
タバコを口に銜えたまま笑みを浮かべながら、顔の潰れた鳥の両羽を両手で広げながら昴の方に見せた。その瞬間、昴の悲鳴と共に神谷の左頬に、昴の鋭い蹴りが炸裂した。
「キャーーーッ!」
空気を切る音の後、すぐに鈍い音が響く。その蹴りの勢いで、神谷の持っていた鳥の死骸と、口に銜えていたタバコが海に飛んでいった。それを、見ていた天地・魁人・由美・神宮寺の四人は、呆れてため息がこぼれた。右手で頭を抱えながら魁人が首を振り呟いた。
「僕の尊敬する、師匠があんな人だなんて……」
「人選を間違ったな」
頷きながら天地は魁人の肩を軽く叩いた。魁人の口からため息が漏れる。
「は〜っ。この先、大丈夫かな?」
「……大丈夫……多分」
由美が魁人を励まそうとそう呟いたが、全然励ましになっていなかった。余計に肩を落とす魁人に、三上が眠そうな声で言う。
「きっと……皆の緊張を……解そうとしてるんだよ」
「そうですかね?」
「そうじゃないなら、人選ミスだね」
そう言って欠伸をしながら、三上は魁人の横を過ぎていった。最後の一言が余計だった。
あそこは「そうだよ」と言って欲しかった。魁人は肩を落としたまま、ため息ばかりをついていた。
「やばい……。かなり、落ち込んでる」
「そうだね」
落ち込む魁人の少し後ろで、しゃがみこんで話をする天地と由美。何度か魁人を見るが、相当凹んでる事はすぐに分かる。
「私の……せい?」
悲しげな瞳で、そう呟く由美に、押し殺した声で天地は呟く。
「いや。悪いのは……」
天地はゆっくりと神谷の方を睨む。由美は天地の視線をゆっくりと追う。神谷は、まだ昴に鉄拳と蹴りをお見舞いされていた。
それを見ると、なぜか天地と由美まで落ち込んだ。
「私達……。人選……ミスした?」
「そうだな……。あいつについて行ったのが全ての間違いだ……」
二人の口から同時にため息が毀れた。
相変わらず、静かな部屋。
シャンデリアが窓から差し込む陽の光りで、きらめきを放っている。
殺風景で何も無いこの部屋には、赤絨毯がドアから奥の階段まで続いていた。大きく開いた窓からは潮の香りと波の音が聞こえてくる。階段の上には大きな椅子があり、それに白髪の細目で細身の死に装束の絶鬼が座っていた。
その時、部屋のドアが軋む音をたてながら開く。部屋に黒フードを被った、少年が入ってくる。左腕は無く包帯が巻かれている。
ゆっくりと赤絨毯の上を静かに進む。階段の前で黒フードは足を止めて、椅子に座る絶鬼を見る。
「お呼びでしょうか?」
小さく低い声が、何も無い広い部屋に響く。ゆっくり笑みを浮べている絶鬼だが、その口調には怒りがこもっていた。
「うん。呼んだよ。なぜか、分かるよね?」
「さぁ? どうしてお呼びに?」
そう言って黒フードの少年は首を傾げる。そんな黒フードの少年に向って、絶鬼がゆっくりとした口調で言う。
「骸鬼…いや……。今は漸だったね。君を軍師として認めてはいるけど……。勝手な行動は止めたまえ。僕としては、君を失いたくはないからね」
「はい。以後気をつけます」
笑みを浮べる絶鬼に軽く頭を下げる漸。
漸は頭を上げると、ゆっくり口を開いた。
「それでは、絶鬼様に報告をしたいと思います」
「報告?」
「はい」
小さくそう呟くが絶鬼は表情を崩さず笑みを浮べている。
「実は、昨晩。密迹と那羅延が森に侵入したハンターと戦闘になり、命を落としました」
「そっか。密迹と那羅延が……」
「六鬼神が二人もやられた以上、全面的に奴らを――」
「いや。まだ、時間はある。ゆっくり楽しもうよ」
絶鬼はそう言って微笑む。
「そうですか……」
静かにそう言って、漸は絶鬼に背を向けてドアに向って歩き出した。その顔には怒りが表れていた。
部屋を出た漸の前に、千春の姿があった。
「どうでした?」
千春はゆっくりとそう訊く。それに対し、怒りのこもった声で漸が返答する。
「話にならん」
「そうですか」
「まぁ、奴の命も後わずか、それまで楽しませてやる」
そう言って漸は高笑いしていた。その笑い声は太い壁に遮られ絶鬼には聞こえなかった。
結局、天地達は昴に殴られ、気を失った神谷が目覚めるのを待っていて、先に進むことは出来なかった。神谷が目を覚ました時には、すでに蒼い空がオレンジ色に変わっていた。
陽も沈み暗くなった岸に焚き火の光りだけが輝いていた。今日は、雲も無く澄み渡る空にきらびやかに星が散っている。一番光りを放ち薄らと地上を照らすのは、満月だった。
「今日は、満月か……」
夜空に浮かぶ満月を見ながら天地が呟く。その横で魁人が欠伸をしながら、水鮫神の手入れをしていた。
潮風が焚き火を揺らす。静かに焚き火の音だけが響く。
昴は神谷を殴り疲れて眠りに就き、三上もいつもの如く眠りに就いている。神宮寺は自分のナイフの刃を、しっかりと手入れしていた。神谷はタバコを銜えながら、痛む体を休めていた。由美は焚き火を見ながら黙り込んでいた。
誰一人として、言葉を発しない。やはり、不安なのだろう。
その後も、言葉は交わさず、皆は眠りに就いたのだった。