第四十章 合流
結局、一睡もしないまま由美は神谷と森の中を歩いていた。
腰ほどの高さまで伸びた草の中を、足元に注意しながら二人は進んでいる。魁人は神谷の背中に、担がれ寝息をたてている。
緩やかな風が二人の進む草の上を撫でる様に吹き抜ける。草の匂いの先に海の匂いがした。その事で、進む先には海がある事が分かった。この島に上陸した岸に出るのか、はたまた、違う場所に出るのか全く分からないが、薄暗い森の中から出られたらな、それでよかった。
前進するにつれ、波の音も聞こえてきて、風に乗って潮の香りが漂ってきた。
茂みから聞こえる足音で、天地は目を覚ました。焚き火は消えて、灰と炭だけが残っている。昨夜までは黒雲がかかっていた空も、澄み渡り輝いていた。草を踏む足音は次第に近付いて来る。
鞘に入れたままの五龍神で、昴・神宮寺・三上を突付き起こした。昴はまだ眠そうな虚ろな目をしているが、一方の神宮寺は伸びをして首の骨をポキポキ鳴らしている。三上の方は――まだ、起きていない。
茂みが揺れて足音が早足になる。その音で、昴と神宮寺は立ち上がり武器を構える。
「な…何?」
「さぁ?」
「さぁって……」
「俺もさっき起きてな」
寝癖でボサボサの頭をしている天地をみて、昴は納得した。
天地達三人は、海に背を向けてしっかりと茂みを見る。道幅が狭いため、いきなり飛び出してきたら対応が出来ないだろう。
その時、茂みガサガサと揺れて、由美が飛び出してきた。
「天地!」
「エッ!? 由美」
驚きの声を上げた天地は五龍神の柄を握る手を緩めた。茂みから飛び出した由美は、天地に抱きついた。あまりの事に、驚いた天地は後ろに仰け反る。その瞬間、ある事に気付いた。
それは、自分のすぐ後ろが海だと言う事に。気付いたのが遅かった。
天地はバランスを崩し、抱きついてきた由美と一緒に海に、落ちそうになるが、とっさに由美を突き飛ばした。
「クッ!」
「キャっ」
由美が地面に倒れると、昴と神宮寺が駆け寄り、天地の方を見て叫んだが、そこには天地の姿はなく、波の音と水飛沫だけが上がっていた。
「あっ!?」
二人もようやく事態が飲み込めて、海を見た。荒い波に飲み込まれながらも、天地は必死に海面に顔を出している。
「だいじょーぶ?」
「ウッ…、プハッ…」
「返事が無いわね」
昴はそう言って神宮寺と顔を見合わせて笑っている。激しい波で、声を出す事の出来ない天地は手を振って、二人に助けを求める。
「あっ、手を振ってる」
「何、楽しんでるのかしら?」
「私達も振り返しましょう」
「そうね」
そう言って昴と神宮寺は、天地に手を振り返す。確実に、天地を見て楽しんでいる。もちろん、助けを求めている事は知っているのだ。由美は何も言わないで、波と葛藤する天地を見て笑っていた。
そこに、ようやく魁人を負ぶった神谷が茂みから出てきた。昴と神宮寺は神谷の方を見る。いたる所に草の葉が付いていた。
「はぁ…はぁ…」
「どうしたの? 息荒げちゃって」
「あっ? いや、お前らの声がしたから、走ったのはいいが、この草で足元が見えなくて転んでな……」
「それで……」
ゆっくりと神谷の足元から頭の先までを神宮寺は見る。
そして、神谷の背中の上で寝る魁人に気付いた昴が何か冷たい視線を神谷に送る。ズキズキと刺さる昴の視線を気にせず、笑いながら神谷は魁人をおろした。冷たい視線を送る昴の肩を由美が二度叩いて言う。
「あの……天地が……」
「ちょっと待ってて」
「でも……」
小さな声でそう言って由美は海を見る。そこに、天地の姿は無く、白い波が蒼い海に線を描いていた。いたって冷静な由美は、もう一度昴の肩を二度叩く。
「何? 由美」
振り向いた昴に由美は海を指差して小さく言った。
「天地が……」
最後の方は波の音で聞き取れなかったが、海を見ただけで状況はわかった。昴の甲高い悲鳴の様な声が辺りに響き渡る。
「キャーーッ! てててて、天地が!!」
「ンッ? そう言えば、天地の姿が見えないな」
「アーッ! そうだ、天地は海に!?」
昴の悲鳴で天地のいない事に気付いた神谷は、辺りを見回して天地の姿を探している。その横で、神宮寺が大声で叫んだ。その叫び声で、眠っていた魁人が目を覚まし、自分の目の前にいる昴と神宮寺の姿に驚き声を上げた。
「な、何で昴と神宮寺さんが!?」
「おっ、目を覚ましたか」
何食わぬ顔で笑いながら神谷は魁人の顔を見ていた。その神谷に掴みかかり、魁人は小さく低い声で問う。
「どういう事ですか? 神谷さん」
「ど、どういう事って……?」
「どうして、ここにいるんですか?」
「いや、俺等三人じゃあ、不安だろ? だから、天地達と合流したんだが、天地の姿は見えないな」
話題を変えようとする神谷に、魁人が更なる尋問をする。
「それじゃあ、最初から、天地君達の場所を知ってたんですね」
「いや、それはだな……」
口ごもる神谷を、睨みつける魁人。そんな二人の耳に飛び込む昴の悲鳴。
「キャーッ!」
視線が一瞬にして昴の方に向く。緑色の海藻が張り付いた腕が、昴の足に伸びていた。神谷と魁人が同時に立ち上がり、武器を構えるが、まだ傷が完全に癒えていない魁人は、目の前が眩み地に膝をついた。
その瞬間に海の中から水飛沫を上げながら、緑の海藻で顔を隠した奴が出てきた。それを見た瞬間に昴の叫び声と鉄拳が飛んだ。
「キャーーーーッ」
鋭い鉄拳は鈍い音を響かせ、その度に昴とは違う悲鳴が聞こえた。
「ギャーーーーッ」
何度か、止めに入ろうとした由美だったが、なかなか切り出せず、ただただオドオドするしか出来ないでいた。オドオドする由美の姿を見て、魁人は昴がサンドバッグにしているのが、天地じゃないかと気がつき、昴を止めたが、海藻の下の天地の顔は、ボコボコになっていて誰なのかわからない顔になっていた。
「どう言うつもりだ……」
水龍神で傷を癒している天地は、ムスッとした顔で昴を睨んでいた。ようやく、天地の顔の傷も引き原形が見えてきた。ここまで、回復するのに3〜4時間程度の時間を費やしていた。
そんな天地の顔を見ながら昴は、笑って話を逸らそうとしていた。
「由美。知ってたなら、天地だって教えてくれてもよかったのに」
「教えたよ……」
「え〜ッ! 嘘よ」
「本当」
「いつ?」
「天地が……岸に辿り着いたって、波の音で……聞こえなかった?」
そう言って首を傾げる由美。ため息を吐き呆れ返る昴に、天地の鋭い言葉が突き刺さる。
「ちゃんと確かめろ! 五龍神だって持ってたろ!」
「そんなの知る訳無いじゃない! 大体、殴られる前に海藻取るとか、声を出すとか出来なかったわけ!」
「叫ぶ前に、お前が悲鳴あげて殴りかかってきたんだろ!」
大声でもめている二人を見ながら、神宮寺は呆れていた。絶鬼との決戦が近いというのに緊張感を全く感じさせない。天地達を、見てると神宮寺は不思議と緊張が和らいでいた。
自分の傷を癒し終えた天地は、次に魁人の傷を癒していた。
「それにしても、酷いやられ様だな」
「そうかな?」
「そうだって……」
昴にボコボコにされていた天地の顔を見た後のせいか、自分の傷はさほど大した事のない傷の様に思えた。
木の陰で寝ている三上を見た魁人は口を開いた。
「三上さんは、まだ寝てるんだね」
「あぁ、三上さん。ずっと見張りしてたみたいだからな」
「へ〜ッ」
意外そうな顔で魁人は三上を見ていた。確かに、いつも寝ている三上が、夜中見張りをしているなんて想像もつかなかった。
この日は、結局一度もオウガには会わなかった。それが、逆に不思議だった。
まるで、天地達が体調を万全にするのを待っているかの様だった。