第八話「魔法の共感体質」
船窓の強化ガラスに雨粒が弾けはじめた。
海面の状態も判然とせぬ夜闇の彼方、雲がうねり、風が唸り、やがて雨滴は刻一刻、勢いを増し、ついには束となって激しく吹き寄せ、窓を叩いて流れ落ちてゆく。
「……降ってきたみたいね」
早苗はベッドの中央に身を横たえ、小声でささやいた。
時刻は午後十一時。
艦内消灯時間から三十分ほど経過している。
艦長室も消灯し、今は小さな常夜灯の薄明かりのみが広いベッドをやさしく照らし出していた。
遥と真里の年少組は、タオルケットにくるまって、なぜか二人、手を繋いだまま、もう安らかな寝息を立てている。
美佳は例によって、早苗の胸にすり寄っているが、まだ眠気を催すまでには至らないらしい。
「台風が来るって、夕方のラジオできいたよ」
美佳が応えると、隣りの鈴がうなずいた。
「この時期の台風は、進路がなかなか定まらないから。いったん来たら、いつごろ抜けるかわからないわ」
横から裕美がつぶやく。
「お天気が悪いと、作戦にも色々支障が出るわね。早めに通り過ぎてくれるといいけど」
「作戦、か」
早苗は、美佳の髪を右手でそっと撫でつけてやりながら、複雑な顔つきで天井を見上げた。
「詳しい説明は、明日の会議でやるって言ってたけど……、よく考えてみれば、この戦艦一隻で、大勢の敵が待ちかまえてる場所へ、正面から突撃するだなんて、無茶な作戦よね。塚口提督とか、偉い人たちには、何かちゃんとした考えがあるんだろうけど」
「んぅー……」
美佳が、早苗の胸にすっぽり顔をうずめたまま、首を振る仕草をした。
「美佳ちゃん……それじゃ、息できないでしょ」
早苗がささやくと、美佳は、おもむろに「ぷは」と顔を上げ、快活そうに笑ってみせた。
「えへへ、ちょっと苦しかった」
「もう、美佳ちゃんったら」
「塚口てーとくってね、突撃とか無茶とか、そういう、イセイがいいのが大好きなんだよ」
「……そうなの?」
「うん。かわちに乗ってたとき、ずっとそんな感じだったし」
「かわちって、確か、こないだまで美佳ちゃんが乗ってたっていう戦艦よね」
「そうそう。でね、塚口てーとくって、そのとき、かわちの艦長さんだったから」
「え、そうだったの? じゃ、もともとよく知ってる人なのね?」
「うん。みんな、その頃はキャプテンって呼んでたんだよ。そう呼べ、って言ってたし」
「キャプテン……? 確かに間違ってないけど、なんだか海賊みたいね」
「うん。おれは軍人にならなかったら、たぶん海賊になってただろうって、自分でゆってた」
「あ、やっぱり」
ふと早苗は、アイパッチにドクロの帽子、黒マントという、塚口提督の海賊姿を、なんとなく脳裏に思い描いてみた。
(……似合うかも)
「サナおねえちゃん、今日、塚口てーとくのこと、じっと見てたでしょ。晩ゴハンのとき」
「え……」
不意に指摘されて、早苗は一瞬、対応に迷った。
「え、ええ、見てたわよ、ほら、あの人って、せっかくお料理つくっても、いっつも、おいしいとかマズいとか、いってくれないから、気になってて、そ、それで」
あからさまに取り乱している。
「えー、それだけー? ひょっとして、ラブラブかなーって、思ったのに」
真正面から図星をつかれて、早苗はますます慌てた。
「んな、なに言ってんの。そんなこと全然ないわよ、ホントよ」
「んー……そっかぁ」
美佳は、ぽふっ、と再び早苗の胸に顔を預けつつ、ちらと裕美へ視線を送った。
裕美は、クスクス忍び笑って、美佳へウインクしてみせる。
思ったとおりね――と、その眼差しで語っている。
「ほ、ほら、そろそろ、あなたたちも寝ないとね」
早苗は、ごまかすように、ひたすら就寝を促した。
「ほら、美佳ちゃん」
わずかに身を起こして、美佳の肩に、そっとタオルケットをかけてやりながら、左右へささやく。
「鈴ちゃん、裕美ちゃんもね。明日はまた、早いから」
「はい」
「……おやすみなさい」
それぞれの返事を聞いて、早苗も安堵の息をつきながら、タオルケットに身を包んだ。
その肩へ、妙に満足げな顔して、美佳がもぞもぞ寄り添ってくる。
「おやすみっ、サナおねえちゃん」
嬉しそうにささやいて、その場へうずくまった。
(こりゃ、カンペキに見透かされてるわね……)
早苗はそう悟りつつも、まだ明言できる状況じゃないから――と自分自身に言い訳した。
自分の気持ちは、もうはっきりしている。
それに、どことなく、先方にも、少しは脈がありそうだとも感じていた。
女の勘――直感のようなもの。
しかし、それが確信に変わるまで、迂闊なことは口にできない、とも思う。
自分からアプローチをかけるにも、重要な作戦前という今の状況はタイミングが悪すぎる。それなりの地位にある身だけに、そうそう軽率な振舞いはできないし、今は何より、子供たちが後顧の憂いなく任務につけるよう、栄養管理や艦内の環境整備などを最優先に考えなければならない。有田少佐から実戦指揮のレクチャーを受ける約束もしている。
(今度の作戦が終わるまでは、そのへん集中しないと。塚口提督だって、多分、そう思ってるはず)
見れば、美佳はもう裕々と眠りについている様子。
その肩を抱き寄せながら、早苗も、そっと瞼を閉じた。
――こうも自分を慕ってくれる子供たちのためにも、まずは自分の責任を果たそう。後のことは、後のこと――。
そう自分に言い聞かせながら。
六月四日。
夜半から硫黄諸島一帯を襲った嵐は、夜が明けてもおさまらなかった。
むしろ風浪いちだんと猛り狂って、波濤は天に沖し、いまや護岸付近も滝のごとき豪雨、噴き上がる水煙に覆いつくされている。
午前七時三十分、魔法戦艦いずみ艦橋。
「柱島より入電!」
係官の報告が響く。
ちょうど朝食を終えた塚口提督が艦橋に姿を現した頃合だった。
「読みあげろ」
塚口提督は、常と変わらぬ悠然たる態度で指揮座に腰を据え、指示を下した。
「はっ。連合艦隊総司令部発、第七魔法戦隊司令部宛。本日〇九〇〇、岩戸作戦発動ヲ令ス。貴戦隊ノ奮戦敢闘ニ期待スルヤ切ナリ……以上!」
「ほう。さすがに、長官閣下もわかっていらっしゃる」
塚口提督は、かすかに口の端をつり上げた。
「ま、適切な判断です。こちらから予定繰り上げを求めるつもりでしたが、その必要もなくなりましたな」
湯山副司令が白い口髭を撫でながら評する。
塚口提督は重々しくうなずき、幹部集合を命じる放送を指示した。
午前八時。魔法戦艦いずみ及び、第七魔法戦隊の首脳部が艦橋に集結する。
「こんなお天気のなかを……出発ですか」
「こんな天気だからだ」
早苗の問いかけに、塚口提督は表情を消して答えた。
「虹十字の情報によれば、すでに敵戦力のうち相当数が、この日本近海に進出してきているという。当然、敵は我々の動向にも注意を払っていることだろう。それゆえ我々は、この暴風雨にまぎれて敵の目をくらましつつ、ひそかにここを出発する」
説明を受けた後、指揮座を離れ、艦長席についた早苗へ、有田少佐が書類を差し出してくる。
「詳しい作戦内容については、後ほどあらためてブリーフィングが実施されますが、その前に資料に目を通しておいてくださいね」
「これね、了解。……それはそうと、昨日は大変だったみたいね。ラボの設営、あたしも何か手伝えればよかったんだけど」
「いいえ、お気になさらずに」
有田少佐は、肩をすくめて笑った。
「塚口提督が、部隊の人手をこちらへ割いてくださったので、けっこう楽だったんですよ」
「あれ? そうだったんだ」
「ええ。艦長どのこそ、昨日は子供たちの相手で、お疲れになったのではありませんか」
「ううん。疲れるなんて。みんな、いい子だから……」
「あ、もうすっかり、お母さんって顔になられてますね」
からかい気味に指摘され、早苗は、つい頬を赤らめた。
「……まあ、その、悪くないかなって。こういうのも」
「よいことですよ、とても」
有田少佐は、目をほそめて、微笑みかけてくる。
「ただ、できましたら、艦橋にいるかわいい部下たちにも、同じく愛情をかけてやってくださいね。いつも、烹炊作業の時間が近づくと、すぐ艦橋を放り出してしまわれるので、みんな寂しがってるんですよ?」
おだやかな顔つきで釘を刺してくる。
「あー……あはは、そうね。ごめん」
早苗は、すっかり返答に窮して、苦笑を浮かべた。
午前九時。柱島の連合艦隊総司令部は、海軍軍令部と日本虹十字の共同立案による南極サーバー攻略計画、いわゆる岩戸作戦の発動を下令した。
九時十分。作戦第一段階として、魔法戦艦ふそうを旗艦とする第二魔法戦隊と、虹十字ルクセンブルク総本部所有の武装客船フェザースター号を旗艦とする虹十字教導部の各艦艇が、鹿児島県南端、薩南諸島の西方海域へ集結。第二魔法戦隊所属の魔女っ子十三名、虹十字側からはルーシー・トケイヤーを部隊長とする教導魔法中隊十五名が出撃した。
この中隊というのは、いずれも米太平洋第七艦隊から虹十字教導部へ一時的に出向扱いとなった魔女っ子たちで、ビーコンの識別信号にも、そのまま米海軍のものが用いられている。
のみならず、フェザースター号をはじめ虹十字側の各艦艇も、舷側部にUSネイビーのエムブレムとロゴを配し、ちょっと遠目には、米海軍所属の輸送艦隊くらいにしか見えないよう巧みに偽装されていた。
「さ、思いっきり暴れてきなさい。とことん派手に、目立つように。ただし、怪我しないよう気をつけて。これは演習ですからね、本気で殴りあったりしないように」
日本虹十字総代表、すなわち神楽瑠衣は、フェザースター号のブリッジから、そうルーシーらへ訓示を送った。
両者は高度二千メートルの上空において、正面から接触、激突する。
この戦闘は、様々な政治的配慮から、記録名目上では連合艦隊と虹十字教導部との合同演習となっており、しかし傍目には日米の艦隊決戦そのものと映るよう、細かい工夫がなされている。
その内実は、岩戸作戦の一環たる大規模な陽動作戦であった。
――時を同じくして、台風八号の暴風圏下にある硫黄島から、魔法戦艦いずみが悪天候を突いて抜錨、出撃。進路を北東に定め、最大巡航速度にて一路、ベーリング海峡を目指す。
「……ようするに、まっすぐ南極を目指すより、反対側へ進んで敵の目をあざむき、そこから地球を半周して南極へ……というわけですね」
午前十時、戦艦いずみ士官室。
第七魔法戦隊司令部及び戦艦いずみ首脳部によるブリーフィングの席上、早苗は、手許の資料を眺めやりながら、そう確認した。
議長席の塚口提督が静かにうなずく。
「そういうことだ。もう南のほうでは陽動作戦が始まっている。これから二週間に渡って継続されるという、きわめて大がかりな偽装演習だ。これに敵の関心を引き付けておきながら、我々は可能な限り迅速に北上し、ベーリング海峡を抜け北極海へ至る。北極海航路通過後は大西洋公海上を縦断し、まっすぐ南極をめざす。遅くとも二十日以内に目的地へ到達する」
塚口提督の説明が進むうち、居並ぶ幹部将校らの間に、軽いざわめきが生じはじめた。
無補給、かつほぼ全速航行による、実質地球一周。いかに最新鋭戦艦とはいえ、これはかなりの強行軍になる――誰もが、その計画の無鉄砲ぶりに少々驚かされた様子である。
続いて、肥田部長が説明をはじめた。
「我が艦内ラボでは、この航海期間を利用して、いくつか艦の武装の強化改良、新規装備の取り付けなどを実施する予定です。これにつき、艦内各部署から、それぞれ何名か作業人員を供出していただくことになっております。よろしくご協力下さいますよう」
「そんな話、全然聞いとらんが……」
草川主計長が首をかしげて訊ねる。
「ああ、主計科の皆さんは勘定に入っておりませんので、ご安心ください」
「なに?」
「主計科と軍医科の方々には、こちらの艦長さんのサポートや子供たちのケアに集中していただきたいので」
「……なんじゃ、そういうことか。わしゃまたてっきり」
草川主計長は、安堵したように呟いた。
「主計科というのは昔から、とかく、のけ者にされがちでな。我ながら、少々そのへん敏感になっとるようじゃ」
「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち……」
皮肉っぽく笑いつつ、横からそんな一節をうたったのは、軍医長の芦田少佐である。
草川主計長は深々と溜息をついた。
「そりゃ大昔の陸軍さんの小唄じゃろうが。まったく、どいつもこいつも、兵站というものを軽く見すぎじゃ。そんなだから旧軍は……」
「ま、まあまあ、ここでそんな話をするのは」
機関長の大庭少佐が、あわてて止めにかかる。
「どうも、あんまり緊張感がないわね……」
呆れたように早苗がつぶやくと、有田少佐は明るく笑って応えた。
「いいんですよ。今からそう緊張ばかりしていては、身がもちませんからね。航海は始まったばかりですから」
南極大陸東岸。
極彩色のオーロラ翻る夜空のもと、積雪氷床めぐる岩山地帯の頂点に峻然とそびえる六角の柱――南極サーバー。
旧ソビエト連邦レニングラッドスカヤ基地の跡地に建造された、この巨大データ蓄積基地は、特殊金属の外殻に覆われ、千年の腐食にも耐えるという構造を擁し、内部のあらゆるシステムは高度に全自動化、自律化をほどこされ、電源さえ確保されていれば、単独でほぼ永久に稼動し続ける、といわれる。
かつては、世界中から乗り込んできた五百名もの科学者とその家族らが内部下層に居住区を設けて逗留し、データ解析のかたわら、小さなコミュニティーを形成していた。
居住区の気温、照明、湿度、酸素濃度などの各環境を維持管理する役割は、もともとサーバー管理とは関わりのない別個のプログラムが受け持っていたが、二百年以上も放置されているうちに、いつしか統合化が進み、現在では単一の制御プログラムが内部一切をとりしきる構造へと変貌を遂げている。
居住区の一角。
もとは科学者らの家族子弟のためにと整備された託児施設に、幾人かの少女らが住みつき、ここ半年というもの、次第に仲間の数を増やしながら、現在に至るまで寝食をともにし続けていた。
最大で五十人の児童を収容可能という室内スペースに、薄緑の絨毯を敷きつめ、ベッドやテーブルを配置し、居住区倉庫内から生活物資を調達することで、いちおう物質的には、とくに不自由なく過ごせている様子である。
居住区全体で見れば、他の区画には、軍人を含め、何十人という多数の大人たちが、人質同然の扱いで分散、軟禁されているが、この託児施設は、少女たちの詰所として利用されているらしく、大人の影はどこにも見あたらなかった。
「んんー……おっかしいなぁ」
その託児スペースの一隅。
ティーカップの湯気漂うテーブルのかたわら、安楽椅子を揺らしながら、なにかマッチ箱大の機器を困り顔でいじくり回す少女の姿があった。
金髪おさげにまっ赤なリボン、ピンクと白のエプロンドレス、細い足には白タイツ――記録上ではつい先日来、行方不明となっている魔女っ子、アン・ベックウェルである。
「どうしました?」
と、声をかける人影を見れば、こちらは輝くばかりの金髪を肩に流し、たおやかな眼差しを向ける碧眼少女、メル・トケイヤー。青灰色のカントリー風ジャンパースカートをしずしずと揺らしつつ、アンのもとへ歩み寄る。
「うん、おじいちゃんやお友達にね、あたしは大丈夫だよって、メールを送ろうと思ったの。でも、全然送れなくて。ちゃんと動いてるのに、発信できないって出てくる」
「それは無理ですよ。ここは外部との無線通信が遮断されています」
「そうなの?」
「レイチェルが張り巡らせたフィールドの副作用です。ただ、そうでなくとも、あまり外部との連絡は好ましくありません。私たちの位置や動きが知られてしまうというのは……」
「発信元がわからなければ大丈夫だと思ったんだけど、ダメなの? あんまり、みんなに心配かけたくなかったから」
「ええ。気持ちはわかりますが、大人たちの軍隊が、ずっとレイチェルを狙っているんです。わずかでも隙を見せれば、ここに攻め込んできますよ。それではレイチェルが可哀想でしょう?」
「……うん。たしかに」
アンはうなずいて、端末をエプロンのポケットにしまいこんだ。
「レイチェルちゃんを守るために、あたしたち、ここにいるんだもの。やっぱりナイショにしとかなくちゃダメよね」
そう笑顔でつぶやく。
メルは手近の椅子に腰をおろし、テーブル上に手を組んで、おだやかな微笑をアンへ向けた。
「レイチェルは、とても怖がりさんですから……私たちみんなで、力を合わせて守ってあげませんと。仲間も、だんだん増えてきていますから」
「うん。そのために、またエレンさんたち、出かけたんでしょ?」
エレン――とは、フランス空軍所属の魔女っ子、エレオノール・シュイジーの通称である。
「ええ。また極東で大きな戦いが始まるかも知れないって、十二、三人ほど連れて、様子をうかがいに出られたようです。うまくすれば、私の妹を連れてこられるかも――と言っていましたけれど」
そこへ、新たな人影が近付いてくる。
「メル、新しい情報が入ったよ」
メルと同年代くらいの、やや浅黒い肌した背の高い少女で、上着の襟にアルゼンチン海軍の徽章をつけている。
名をスージィ・マクナガンという。「ロサリオの女豹」と称され、南米ではかなり顔を知られた魔女っ子である。
「あら、スージィ……どんな情報?」
「ナターシャが有線ネットから拾ってきた話よ。アメリカ軍の艦隊がニッポンの本土近くまで攻め込んで、かなり激しい戦いになってるって。キューシュー、とかいうところ」
「ああ、知っています。日本の南のほうですね。すると、エレンさんたちは、そちらに向かったのでしょうか」
「多分そうね。やっぱり、戦闘直後で消耗してる子は確保しやすいから……今度は、どんな子を連れてきてくれるかしら」
「……どうせなら、マリちゃんたち、連れてきてくれたらいいなぁ」
ふと、アンがつぶやく。
「マリ?」
メルが尋ねると、アンは嬉しそうに応えた。
「日本の子よ。こないだ、お友達になったの。とっても優しい子。仲間の人たちも、敵だったけど、でも優しくって、いい人たちだったのよ」
「お友達ですか……そういえば私も、日本軍にひとり、知ってる子がいますよ。お友達というより、ケンカ相手のようなものでしたけど」
「え、そうなの?」
「ええ。彼女、見た目はチビっ子ですけど、とんでもなく強くて……今まで何度も彼女と戦いましたが、一対一では勝てたためしがありません」
「へぇー、メル、あなたのナイトフェンサーでも斬れない子がいるんだ?」
スージィが、ちょっと驚いたように言う。
ナイトフェンサーとは、メルのトレードマークともいうべき巨大な騎士剣のことである。メルの魔力の源であり、普段は小さなイヤリングとなってメルの左耳を飾っている。
「そうですね……私と、あなたと、二人がかりくらいなら、なんとか互角にやりあえるでしょうけど」
「そ、そんなに?」
「ええ。もし彼女が味方にでもなってくれれば、これほど頼もしいことはないんですが……ただ」
メルは、わずかに眉をひそめた。
「私とミカさんは、どうにも、相性がよくないようで。……おそらく、またいずれ、どこかでやりあうことになるでしょうね。どうもそんな気がします」
物憂げにつぶやくメル――その双眸には、かすかに、明らかに正常ではありえない、ぎらついた光が踊っていた。
よくよく見れば、瞳孔が開き気味になっているのがわかる。
アンとスージィの瞳も、メルと同様、狂気に似た彩りを帯びて、彼女らの精神が普通の状態でないことを示していた。
不意に美佳は背筋を震わせ、両手で身を抱きかかえた。
「……いま、なんか、寒気が」
魔法戦艦いずみカフェテラス。
岩戸作戦発動から二日目の午後のことである。
「もうずいぶん北上してきてるものね。艦内暖房があるっていっても、身体を冷やさないように気をつけないと」
「うん……もう大丈夫」
裕美に注意を促され、美佳は笑ってうなずいた。
テーブル上には、暖かなカフェ・オレのカップが二つに、小さなキッシュパイが二皿。
テラスには、裕美と美佳の二人がテーブルをはさんで向かいあうのみで、余の人影は見あたらない。
「みんな、けっこう忙しいみたいね」
なんとなく周囲を見渡しながら裕美がつぶやく。
美佳は、カップを両手で支え持ち、熱いカフェ・オレをそっとひと口すすって、その味わいに満足したように、ほほえんだ。
「あー、おいし。……マリちゃんとハルカちゃんは、まだ部屋でお勉強中だって。通信学級の宿題、だいぶたまってたみたい。んで、リンちゃんは、荒光と一緒にヘリコプターの改造のお手伝い」
「ヘリコプター?」
「格納庫に入ってる、偵察用のやつ。あれ改造して、なんか別のことに使うんだって」
「へぇー、リンちゃんって、そういうのに興味あるのかしら」
「あとで、一緒に様子見にいこーよ」
「そうしましょ。あ、ところで艦長さんは?」
「サナおねえちゃんなら、ラボに行ってるよ。なんか、コエタのおねーさんに呼ばれたっていうかー、いきなりひっぱられて、連れていかれたよ」
「なあに、それ」
「さあ? なんだろね」
二人は同時に首をかしげた。
午後一時三十分。
魔法少女研究所、人材資源情報部臨時特設艦内ラボラトリー、略して艦内ラボにおいて、唐突に早苗の脳波測定が実施される。
「あの……いったい、なんでまた」
いかめしい機械類や、様々な研究器材が立ち並ぶラボの片隅で、早苗は丸椅子に座らされ、その頭にヘルメット状の測定機器を被せられながら、戸惑い気味にあたりを見回した。
艦内倉庫を改装したというラボの内部は思いのほか広く、二十名ほどの職員が、いかにも忙しげに立ち働き動きまわり、奇妙な活況を呈している。
「じっとしてて下さい。すぐに済みますから」
白衣姿の肥田部長が、操作盤に情報を打ち込みながら、有無をいわせぬ口調で言う。
そのかたわらでは、同じく白衣の井上主任が無言でモニターを注視し続けていた。
しばし沈黙の時間が過ぎて、早苗が眠気を催しはじめた頃あい。
おもむろに肥田部長が口を開いた。
「主任、どう?」
「悪くないですね。安定してます」
「よし、じゃ、今日はここまでにしましょう」
肥田部長は、早苗のもとへ歩み寄って、微笑みかけた。
「それ、もう取っちゃっていいですよ」
「はぁ」
早苗は、言われるままヘルメットを外して、肥田部長へ手渡した。
「で、これ、どういう……」
「知りたいですか?」
事情を訊ねるつもりが、逆に訊き返されて、早苗は鼻白んだが、それでもなおうなずいて説明を求めた。
「そうですか。ま、一応、知っておいてもらったほうが、こちらも何かとやりやすくなりますし。……よいしょ、っと」
肥田部長は、器材類の脇に置かれていた小さな丸椅子を引っ張り出してきて、早苗の正面に腰をおろした。
「そうそう、ついでに。ここで、あなたの魔法についても、こちらが把握している限りのことをお話しておきましょう。今後の参考くらいにはなるはずです」
「魔法について……今後?」
「ええ。ですが、その前にまず、今の検査についてですけど。現在、あなたの脳波が、きちんと正常な値で安定しているか、その確認のために、ちょっと測定させていただきました。結果はまずまず良好です」
「は?」
「エンパスというのは往々にして外部から流入する情報に惑わされやすいので、脳波が不安定になりがちなんですよ。いざというとき、あまり不安定な状態では困りますので、念のためです」
「えーと、あの、話がよく見えないんですが」
「エンパス……という言葉、聞いたことありませんか」
そう問われて、早苗は小首をかしげた。
心理学だか、小説だったか――学生時代にいくらか触れた書籍のうちに、そういう単語があったような気がする。
「確か、テレパシーとか、そんな感じの……超能力っぽいニュアンスだった気が」
肥田部長は、軽くうなずいた。
「まあ近いですが、テレパシーとかいうほど、そうハッキリしたものではなくて、なんとなく、他人の思考や感情を、おぼろげに感覚できてしまう……ことに、周囲の人間が自分に何を望んでいるか、どういう振舞いを求めているのか、そのへんの意識を把握しやすい人、空気を読める人、ということになります。受動的共感体質とでもいいましょうか。超能力というほど大げさなものじゃなく、現代人全体の一、二割くらいは、こういう体質を備えているといいますから、さほど珍しい現象ではありません」
「え……、ひょっとして、あたしも、そのエンパスだと?」
「そういうことです。いま申し上げたように、そのこと自体は、結構ありふれたお話なんですけど。エンパスは、周囲の感情や意識というのが見えやすい反面、良くも悪くも影響をうけやすくて、脳波や精神状態が安定しない事例が多いんです。ま、先ほどの測定結果を見る限り、今のあなたは大丈夫そうですが。それは近頃、軍隊という場所で、多少なりと人と交わりながら、精神を鍛えられてきた成果でしょうね」
「そ、それはどうも……」
早苗は、うなずきながら、内心ふと疑問をおぼえた。
自分がこの艦の子供たちにずいぶん懐かれていることと、その共感体質とやらは何か関係があるのだろうか――と。
「さて、ここから、あなたの魔法について説明しましょう。いまのエンパスの話とも密接につながっていることですので」
「はあ」
「まず、あなたは、いわゆる魔法少女でいらっしゃるわけですけど、ご自分の魔法とはどういうものか、きちんと把握しておられますか」
「え、……それはやっぱり、お料理を」
「ええ。そのお料理ですけど、あなたは毎日、艦内食の調理をお一人で担っておいでですよね。で、その献立は、毎回、どういう風に決められてますか」
「どういう、って。特に、深く考えてはいませんけど」
早苗は、少々困ったような面持ちで眉をひそめた。
肥田部長が、さもあらんという顔でうなずく。
「そうでしょうね。先に何か決めていた場合や、金曜の夜は別として、普段は、魔法のエプロンをつけて、呪文を唱えて――だいたい、その直後くらいの段階で、なんとなく、今日はこれとこれ、みたいに決めておられるんじゃないですか」
「……ええまあ、確かに。金曜日はカレーって海軍では決まってますけど、それ以外だと、けっこうギリギリまで何も思いつかないもので」
「それが、魔法を使ったとたん、適切なメニューを思いつく……そうでしょう?」
「え、ええ」
「そう。それこそ、あなたの魔法に隠された、もうひとつの作用です」
「……え?」
早苗は、いまひとつ要領を得ない顔つきで、きょとんと肥田部長を見つめた。
「おわかりになりませんか。あなたは、魔法を発動させることによって、ご自身のエンパスを爆発的に増幅させているのです」
「……?」
「ようするに。あなたは、メニューを思いつくのではなく、魔法によって増大したエンパスを通じ、艦内の人々の、あれが食べたい、これが食べたい、という願望を肌で感じとり、そのうちから、より大勢を満足させうるメニューを無意識に選んでいるのです」
「……!」
思わず、早苗は息を詰まらせた。
肥田部長の指摘ぶりにやや意表を突かれたというのもあるが、言われてみれば――と思い当たるふしも多々あったからである。
ごく少数の例外はあるにせよ、普段、烹炊所で魔法を使っているとき、早苗はとくに何か考えるでもなく、続々と献立を思いついては、無心にそれを実行するのが当たり前のようになっていた。てっきり、それはフリフリが自分に教えてくれているものと思い込んでいたのだが。
「実は先日、ある実験を行いまして」
肥田部長は、早苗の内心の戸惑いなぞお構いなしに続ける。
「ちょうど、夕食に鯨のお刺身が出た日のことです」
「実験? あの日にですか?」
「ええ。あの日は、この艦内ラボの設置作業のために、艦や戦隊の人員を割いていただいたわけですが。その作業現場に、こういうものを何枚か飾っておいたのです」
言いつつ、肥田部長は、白衣のポケットから、折りたたんだ紙片を取り出し、広げてみせた。
「鯨……?」
早苗は目を見張った。おそらく、ホエールウォッチングか何かの機会に撮影されたとおぼしき写真。水面に背を出し、豪快に潮を噴いている大きな鯨の姿である。
肥田部長はうなずいて続けた。
「そう、鯨です。さらに、これを見た人たちが作業のかたわら、ごく自然に鯨談義に花を咲かせるようにと、うちの研究員たちが水を向け、話題を誘導していきました。作業は交代制ですから、あとは放っておいても、そのうち艦内が鯨の話題で持ちきりになる、という寸法です」
「……まさか」
「そのまさかです。あなたは、我々が仕向けた、そういう艦内の空気を無意識に察して、あの献立を決めたのです。でなければ、いきなり鯨のお刺身なんて、まず思いつかなかったでしょう。あの日は、他にも豪華な食材がたっぷり揃っていたはずですし」
その言葉に、早苗もふと思い出す。
あの夕食時。士官室で、子供たちへ声をかけながら、遠目に塚口提督の様子を窺ってみた際、確かに――、いつになく喜んで食べてくれている、とハッキリ感じたのである。あのとき、早苗はフリフリをつけたままだった。ようするに、そういうことだったのだろうか。
「さて。ここまでは納得していただけましたか。あなたがエンパスであること、また、あなたの魔法が、そのエンパスを増幅させる、という、この二点ですが」
肥田部長が確認を求めてくる。
「まあ、その、一応……納得せざるをえない、というか」
こういう傍証を出され、自分でも思い当たるふしがある以上、早苗としては、素直にうなずくしかない。
ただ同時に、しばらく忘れていた、ある疑問が、これまでの肥田部長の説明とリンクして、早苗の胸中にふと再燃しはじめた。
「ちょっと、聞きたいんですが」
「なんでしょう?」
「あ、あのですね。あたしが、ここの艦長に選ばれたのって、もしかして、いまのお話と何か関係あるんでしょうか?」
自分はお飾りの艦長でしかない――自分が、ケース四二七という、きわめて珍しい事例に属する点から勘案して、早苗は勝手にそう思い込んでいた。
しかし、肥田部長の態度からは、どうもそうではなく、他に何か、歴とした理由があるように感じられたのである。
答えるに。
「ええ、ありもあり、大ありですよ?」
肥田部長は、平然と肯定してみせた
六月十一日、薩南諸島西方。
米艦隊と連合艦隊のせめぎあいは熾烈をきわめ、双方ともに突進、後退、また激突と、まさに一進一退を繰り返していた。
上空においては、魔女っ子たち数十名が絶えず入り乱れて嵐のごとき激闘を演じ、海上にあっては、軍艦と軍艦が咆えあうように無数のビームを撃ちかわし、時折小康状態を挟みつつ、死闘七日に及び、いまだ、いつ果てるとも知れぬ泥沼の争いが続いている。
――ように見える。
「……んで、衛星のほう、今どうなってんの。ほれ、映像さっさと出す!」
米戦艦に偽装した虹十字の武装客船フェザースター号。
瑠衣の叱咤がこだまするなか、ブリッジ前面に展開される大小二十のパネルスクリーンに続々、戦場とその周囲の状況が映し出されてゆく。
「南東、五十マイル……てことは、ええと、だいたい八十キロちょい……ええいややこしい、誰だ、レーダーの表記単位をマイルなんぞに設定しやがったのは」
瑠衣は、ブリッジの顧問席に座を占めつつ、忌々しげに頭を抱えた。
「もともと、この船は総本部の所有ですから……文句はそちらのほうに言ってください」
脇に立つ補佐の女性が、眉ひとつ動かさず、淡々と応える。
「んなことできっか、アタシの首が飛んじまう。ただでさえ、ずいぶん無理言って借りてきてんだし。ええとそんで、ここのポイントに、ひとつ」
複数の衛星映像のうちいくつかが、海上や島陰にひそむ小さな影のようなものを捉えている。
「こっちにも、ひとつ。これで九人目か。ようやく集まってきたなあ」
「生身で移動してるようですから、目標が小さすぎて、捕捉しづらいのというのはあります。それにジャミングもきついですね。おかげで、誰が誰だか」
「ま、位置が把握できりゃ上等だよ。……あと二、三人くらいは来てるはずなんだが、まだキャッチしきれんか」
ここで瑠衣がしきりと確認しているのは、偽装演習につられて南極サーバーからこの方面へ出向いてきている魔女っ子たちの動向である。
彼女らの基本的な行動パターンは、戦場付近の島嶼や岩礁などに息を潜めつつ、戦闘で疲弊したり、単独行動などしている魔女っ子を集中的に狙って攻撃し、力ずくで連れ去ってゆくというものだった。
例えばメル・トケイヤーなどは、四月中旬、伊豆諸島付近の戦闘において、池上美佳の魔法に吹き飛ばされた直後、複数の魔女っ子たちに一方的に襲撃され、以後消息不明となっている。
そういう彼女らのやり口を逆用して、南極サーバーの戦力をいくらかでも引き離し、日本近海へ引き付けておくというのが、今回の偽装演習の目的であった。
「――そろそろ頃合かね」
瑠衣は、おもむろに立ち上がった。
「引き揚げ信号出せ、今日はここまでだ。それから、明日以降、当初の予定どおりに西のほうへ戦線を移動させとけ。連中にゃ、あと四、五日くらいは、このへんにいてもらわんと困るからな。その後は、さっさと撤収しちまえばいい」
「承知しました。……で、代表、どちらへ?」
補佐が尋ねる。瑠衣は目をほそめ、「あたしも南極へ行くんだよ」と微笑んだ。
「海軍の要求は呑んだといっても、いちおう手続きってもんがあるし、あいつらが余計な物まで持って行かないように、監視する必要もあるだろ。これから空路で向かえば、じゅうぶん間に合うさ」
「……とか言って、本当は娘さんのことが心配なんでしょう」
「う」
図星だったらしい。瑠衣は、少しほろ苦い笑みを浮かべ、うなずいてみせた。
「まあ、確かに、それもないではないがな。でもそれだけじゃあないぞ、いちおう、れっきとした仕事だからな」
「ええ、わかっております」
「……よし。あとのことは任せるが、くれぐれも、子供たちに無茶させないようにな。頼んだぞ」
そう言い残すや、補佐の返答も待たずに、瑠衣はそそくさとブリッジから立ち去ってしまった。