第七話「魔法のパジャマ・パーティー」
六月二日早朝。
池澤中将率いる連合艦隊は、ようやく今次作戦の最終戦略目標たる硫黄島へと到達した。
夜明けとともに、すぐさま陸戦隊が上陸を開始したが、各所の米軍施設はすでに遺棄された後で、島内は無人の境と化していた。
午前七時七分、陸戦隊員らは、摺鉢山の頂上にいまなお一旒の星条旗がはためいているのを見て、これをポールごと引き倒し、かわって日章旗を打ちたてた。
第二艦隊旗艦ひたち艦橋にて、その報告を受けた池澤中将は、肩をすくめて「男の軍人というのは、どうでもよい事にこだわるものですね」と、一瞬苦笑をひらめかせたが、やがておごそかな声で、こう宣言した。
「現時刻をもって、晴嵐作戦を終了いたします。柱島へ打電、晴嵐去ル、天気晴朗ナリ――と」
翌六月三日午後。ひたちとともに港の護岸へ投錨していた魔法戦艦いずみのもとへ、三隻の艦艇が相次ぎ訪れてきた。
うち二隻は、呉から派遣された補給艦と給糧艦。
いま一隻は、大阪・天保山港から、通天閣のラボに所属する研究員十数名と、大がかりな機材一式とを運んできた民間の大型フェリーである。
ただちに燃料補給と食料、生活物資などの運び込みが行われ、同時に艦長席の卓上には、搬入物資の受領確認を求める書類の束が山と積まれていった。
今回、有田少佐は、肥田部長を責任者とする艦内ラボ新設にともない、その設置作業の監督役へと駆り出されてしまったため、早苗は一人でそれらの書類を決裁せねばならない。
そのかわり、というわけでもないが、暇をもて余して艦橋へ遊びに出てきた美佳ら五人の子供たちが、艦長席をとりまいて、早苗の仕事ぶりを眺めていた。
「サナおねえちゃん、物資って、どんなのが来てるの?」
「んー、ほとんど食料品ね。それも、やたら高級な食材ばっかり……熊の手とかフカヒレとか、いったい何を作らせる気なんだか」
次々と書類にサインを刻みつつ、早苗は、やや呆れ顔でつぶやく。
「トリュフに、キャビア、フォアグラ……世界三大珍味が揃いぶみ? 誰もこんなの頼んでないんだけど」
「まるで、豪華客船のレストランですね。すごいおカネかかってそう……」
裕美が、決裁済みの書類を眺めやりつつ、感心したように述べる。
「艦長さん、お菓子来てる?」
遥がわくわく顔で尋ねる。
早苗は「たくさんあるわよ」と微笑を向けた。
「遥ちゃんの好きなチョコナッツも、ちゃんと来てるから、楽しみにしててね。パフェのトッピングにしてあげるから」
「うん! えへへ、あれ好きなの」
「艦長さん……芋けんぴも、来てるかしら」
鈴が、書類の束をのぞき込みながらつぶやいた。
「ああ、ここに書いてあるのが、それね。芋けんぴ、十キログラム、って」
早苗が書類の一枚を指さして言う。
「嬉しいけど、さすがにそんな量、とても食べきれないわね……」
「にゃー」
「あー、そうだ、あたしもー」
急に真里が声をあげ、胸もとのポケットから、キャンディーを一粒、いそいそ取り出してみせた。特徴的な桜色の包装。数日前、英海軍の魔女っ子アンに手渡したものと同一の銘柄で、そう高価ではないが、あまり多くは生産されていないという。
「艦長さん、これは? これとおんなじの。もう、この一個しか残ってないの」
「真里ちゃんの大好物ね。もちろん届いてるわよ。今日中に酒保に入ると思うけど」
早苗の返事に、たちまち真里は「ほんとに?」と笑顔をはじけさせた。
(みんな、遠足気分ね)
一心にペンを走らせ続けつつも、いつしか早苗の頬は自然にほころんでいる。
子供たちに囲まれて、賑やかなデスクワーク。
海軍入隊以前には想像もつかなかった自分の姿がここにある。
もとをいえば、艦内食の不味さに閉口して、自ら烹炊作業を買って出たことが、結果として子供らの信任を得ることにも繋がったのだろう。
ただ、早苗としてみれば、子供たちがこうも自分に懐く理由は、それだけではないかも知れない、と感じている。
(みんな、確かに素直でいい子だけど、それだけじゃなくて……相性がいいっていうか、なんか、波長があってるような感じがするのよね。ちょっと不思議な感じ)
「ね、サナおねえちゃん、今夜は忙しい?」
にわかに、美佳が尋ねてくる。
「ううん、別にそんなことないけど。どうしたの」
「……えっとね、今日……また、サナおねえちゃんの部屋に、お泊りしたいの」
照れくさそうにつぶやく。
「……ええと」
一瞬、早苗は返答に迷った。
もとより早苗と美佳は家族同然。私人としては、美佳の申し出に何ら問題はない。
ただ現在は公務中、かつ他の子供らもいる手前、ここであっさり承諾してしまっては、公人として公平さを欠くことにならないか。ことに、美佳だけ特別扱いしている、との印象を他の子供らに抱かせることになりはしないか。そういう危惧が脳裡をよぎったのである。
「あー、ミカちゃん、ずるいー。また艦長さんひとりじめー」
早苗が返答するより先に、案の定というべきか、早速、真里が不満そうな反応を見せた。
「艦長さん艦長さん、あたしも一緒じゃダメ?」
そう便乗的に口走りつつ、すがるような瞳を早苗に向けてくる。
鈴が、横からぽそっとつぶやいた。
「マリちゃん……抜け駆けはよくないわよ。そういうことなら、あたしもご一緒させてもらいたいわね」
すると、遥まで、まるで二人の反応につられたように、懸命に声をあげはじめた。
「あたしも、あたしもっ、艦長さんと一緒に寝たいー!」
「ハ、ハルカちゃんてば、そんな大声出しちゃダメよ」
裕美があわててたしなめつつ、早苗の方へ向き直った。
「あ、あの……」
言いかけて、急に照れたように、口ごもる。
年長でしっかり者の裕美には珍しい態度だが、その言わんとするところは一目瞭然。彼女も、つい、他の子らと同様の心理にかられてしまったらしい。
一方、美佳は、きょとんとした顔つきで、周囲を眺め回している。
おそらく、こういう事態になるとは想像していなかったのだろう。
周囲の反応の過敏さに、やや驚いているようでもある。
ここは少々配慮が必要だろう――と早苗は感じたので、つと手を伸ばし、美佳の髪をそっと撫でつつ、こう提案してみた。
「美佳ちゃん。みんな一緒がいいって……どう? あたしは構わないけど……」
美佳は一瞬、困惑したような眼差しを早苗に向けた。
早苗と一緒に寝る――という行為は、これまで、美佳だけの、いわば特権のようなものだった。そのあたりで、何かしら、微妙な心理の揺らぎ、葛藤というべきものが生じていたのだろう。
――が、それもそう長いことではなく、やがて美佳は、おだやかに笑って、こう答えた。
「サナおねえちゃんが迷惑じゃなかったら、それでいいよ。どうせなら、みんな一緒のほうが楽しいもん」
「……そっか。じゃあ、それで決まりね?」
「うん!」
元気よくうなずく。途端、一同の空気が、ぱっと明度を増した。
「わっ、ホントに? ホントに、みんなでお泊まりしていいの?」
真里が嬉しそうに声をあげる。
「いいわよ。今日だけ、特別にね」
早苗はうなずき応えながら、ちょっと姿勢をあらため、「みんな、それで異議なし?」と、確認を求めた。
「いぎなーしっ!」
たちまち衆議一決。子供らは、みな息もぴったり、声を揃えて唱和した。
いずみ所属の魔女っ子について、その処遇や扱いの如何は、基本的に艦長たる早苗に一任されている。
したがって、子供らを一夜、艦長室へ宿泊させるという話も、早苗自身がそう決めたことであれば、誰も否やを唱える筋はない。
ただ、いずみ艦内には第七魔法戦隊司令部という、より上位の指揮系統が鎮座しており、早苗としては一応、上司たる塚口提督へ報告くらいはしておくべきだろう、と考えた。
もっとも、昨日来、塚口提督へ特別な感情を抱いていることを自身ではっきり把握しているだけに、そういう口実を設けておいて塚口提督に会う、会ってなにかしら言葉を交わしてみたい、という心理も、多少ないでもなかった。
ともあれ早苗は、デスクワークを済ませると、湯山副司令から塚口提督の所在を聞き出し、ただちに士官室へと赴いた。
「ほう……それはまた」
折しも、塚口提督は井上主任とふたり、コーヒー片手に何やら要談中だったが、早苗が歩み寄って報告するや、興味深げにうなずいてみせた。
「ぜひ、やりたまえ。魔法少女は魔法少女どうし、積もる話もあるだろう。お互い親睦を深める、よい機会だ」
かすかに笑みを浮かべつつ、塚口提督は快諾を与えた。
(そういえば、あたしも一応、魔法少女なんだっけ……)
早苗は、とうに少女という年齢ではないが、これは「魔法を扱える女性」に対し、虹十字や軍隊から一律に与えられる公称であり、当人が望むと望まざるとに関わらず、そのように呼ばれる習わしとなっている。
「む、しかし……」
塚口提督は、ふと小首をかしげた。
「いかに艦長用のベッドでも、六人も一緒となると、さすがに狭いのではないか。ベッドの追加が必要だろう」
「……あ、それは、確かに」
指摘されてはじめて、早苗もその懸念に気付いた。
我ながら迂闊――早苗は内心、赤面を禁じえなかったが、塚口提督はとくに気にするふうでもなく、手許の携帯端末のスイッチを入れ、誰やら部下らしき者へ呼びかけた。
「中尉。部隊用のベッドの予備は、どこに置いてあるかわかるか」
ややあって、端末のスピーカーから返答が聞こえた。
どうやら相手は専属副官の高木中尉らしい。
「……そうか。では、何人か使って、そいつを二セットほど、艦長室の手前へ運び込んでおけ。そう、艦長室の手前の廊下にだ、いいな」
そう指図する声も態度も、いちいち重厚で隙がない。
もともとそういう人なのか、あるいは意識してそのように振舞っているのか。早苗にはまだ、にわかに判別をつけがたい。
「……と、いうことだ。あとは、そちらでやってくれ」
端末を切りつつ、塚口提督は、早苗をかえりみて、かすかに笑った。
艦長室の手前に――とわざわざ指示したのは、艦長室は早苗の私室でもあって、そこへむやみに部下を立ち入らせるわけにはいかない、との配慮からであろう。それがわからぬほど鈍い早苗でもない。
内心恐縮の至り、耳朶の熱さを自覚しながら、丁寧に一礼をほどこした。
「お心遣い、感謝いたします」
謝辞を述べ、早苗は退出した。
胸中、いよいよ塚口提督への興味を深めながら。
「……わかりやすい人ですな」
早苗が士官室から立ち去ると、井上主任が、少々呆れたような顔して、そう感想を洩らした。
「何がだ?」
「おや、お気づきになりませんか?」
井上主任は肩をすくめて応えた。
「あれは、恋する女の顔ですよ。長年、うちの部長みたいな、すれた女性ばかり見てますとね、ああいう態度は実に新鮮に映るもんです。初々しくていいですなぁ」
「ふむ、そういうものかな」
「そう。ありゃ多分、あなたに気があるんでしょう」
塚口提督は、少し考え込むような顔つきを浮かべたが、やがて表情を消して、首を振った。
「……聞けば、彼女には社会人経験がないという話だ。となれば、上官たる者の前では、まだゆえなく緊張することもあろうし、それが態度に出ているだけではないかな」
「まあ、そう取れないこともないですが」
「大体もう、惚れた腫れた、というような年齢ではあるまい、彼女も」
当人が聞いたら泣きそうな台詞を口走りつつ、塚口提督はテーブル上のカップを取りあげ、熱いコーヒーをすすった。
ただ、塚口提督の言葉には微妙な矛盾が含まれている――井上主任はそれを察したようだが、かすかに苦笑いを浮かべただけで、もはやその点について言及しなかった。
「……さて、続きを頼む」
「ああ、そうでした。ええと」
促されて、井上主任は胸ポケットから携帯端末を取り出し、テーブルに置いた。
スイッチを入れると、空中にホログラフ写真が投射され、映像が浮かび上がる。
それは、伊豆鳥島付近から硫黄島付近まで、小笠原諸島一帯の海図を立体化したもので、各島嶼の位置地形から海流の方向、おおまかな風向きまで、一目瞭然に把握できる仕掛けになっている。
「位置は……このあたりですね」
井上主任が端末のセンサーに指先を滑らせ、しばらく操作を続けると、立体海図上に小さな光点がひとつ浮かんだ。
伊豆諸島南西部。鳥島から西南西約六十海里付近。
数日前、魔法戦艦いずみと英魔法戦艦ロドネーとが遭遇戦を繰り広げた一帯と、ほぼ同座標である。
「ロドネー側の情報によれば、おおよそこの地点で、アン・ベックウェルの識別ビーコンの反応が消えたそうです。おそらく、何らかの方法でビーコンの電源を切られたか、破壊されたものと見て間違いないでしょう」
井上主任が説明する。
塚口提督は腕組みしつつ、首をかしげた。
「我々の交戦域から、ほとんど離れていない……つまり、彼女はあの戦闘の直後に襲われて、そのまま消息を断ったというわけか」
「そうなりますね。しかもご丁寧なことに、上空に光学ジャミングを施し、虹十字の監視衛星の目をくらませたうえで、実行に及んでいるようです。おかげで、検証しようにも、参考にしうる映像が何もないんですよ」
「狡猾だな。次第に手口も進化しているということか。しかし、こんな重大事を、ロドネーの艦長は、なぜすぐ艦隊司令部へ報告しなかったのか」
「ロドネー艦長のチャーチウッド大佐は、個人的に艦隊司令官のガーランド中将とは何か確執があったようです。さらに、アン・ベックウェルはチャーチウッド大佐の孫娘でもありまして、多分、そのへんが関係してるんでしょう」
「……ようするに、含みのある上官に対し、身内のことで失態を晒すわけにはいかない……というところか」
テーブル上にカップを戻しながら、塚口提督はそう推論してみせた。
「そんなところでしょうな。おかげでこちらは状況の把握が遅れて、いい迷惑ですが」
井上主任は、ため息まじりにつぶやき、端末のスイッチを切ってホログラフを消滅させた。
「以上が、昨日、戦艦ロドネー及びイギリス東洋太平洋第二艦隊から虹十字へもたらされた、アン・ベックウェル失踪についての情報のすべてです」
「うむ」
うなずきつつ、塚口提督は、再度腕を組み、やや深刻げに眉をひそめた。
「メル・トケイヤーに続き、アン・ベックウェルまでも、あちら側へ行ったか」
「まず、そう考えて間違いないでしょう。きわめて優秀な魔法少女でしたが……」
「ああ。先日の戦闘でも、あの彩賀真里が、一対一では手も足も出なかったという猛者だ。あれが、メル・トケイヤーやエレオノール・シュイジーあたりと組んで出てくるとなれば、少々、話が難しくなるな……」
――エレオノール・シュイジーは、一連の事件当初、南極付近にて真っ先に失踪したフランス空軍所属の三名の魔女っ子のうちの一人である。
「プロヴァンスの女帝」
と称され、フランスを代表する撃墜王だったが、むろん、現在まで、その消息は不明となっている。
「メル・トケイヤーの件といい、今回の事件といい、どうも敵は、日本近海での活動を本格化させているように思われます。となれば、敵戦力の何割かは、いまなおこの近辺に潜伏を続け、次の機会を待っているかもしれません」
井上主任の指摘に、塚口提督はうなずいた。
「確かに、その懸念は十分ある。というより、そうであってくれねば困る、と軍令部は考えているようだがな」
塚口提督がつぶやくと、井上主任は不審げな面持ちで首をかしげた。
「何です、そりゃ」
「これは明日のブリーフィングであらためて説明するつもりだが……かの日本虹十字総代表どのが、ルーシー・トケイヤーをはじめ、アメリカ第七艦隊の魔法少女らをわざわざ借りうけたという、その理由だ」
「と、おっしゃいますと」
「ようするに。まず、ルーシーの部隊を陽動に用い、この日本近海へ、敵戦力をいくらかでも釘付けにしておいた上で、わが第七魔法戦隊を南極へ急行させ、手薄の敵本拠を一気に突かしめる……これが、虹十字と軍令部の共同立案による、今次作戦のおおまかな流れだ」
「ああ、なるほど」
説明をうけて、井上主任も、さもあらんとばかりうなずいた。
「敵がわざわざ日本近海まで出向いてきている、この状況を逆手に取って、一気に勝負をかけようというわけですか」
塚口提督は、ちょっと感心したように目を細めた。
「さすがに理解が早いな。ただこれは、敵がこの近辺に今なおとどまって活動している、という前提条件がなければ、そもそも成立しない作戦なのでな。軍令部としては、是非ともそうあってほしいと願っていることだろう」
「なるほど、事情はよくわかりました。しかし……」
井上主任は、少々わざとらしく困り顔を浮かべて、かぶりを振ってみせた。
「こうなると、我々としては少々、予定を立てにくくなりますな」
「確かに、そうなるな。今次作戦の発動時期は、当初予定では晴嵐作戦終了から一週間後となっていたが、状況次第では、明日にも出撃命令が来るやもしれん」
「やれやれ……ではこちらも、せいぜい作業を急ぐことにしますか」
井上主任は大儀そうにため息をついた。
「せめて、作戦が始まる前に、ラボの設置だけでも済ませておきませんと。もう昨日から突貫工事を続けてはいますが」
「そちらは任せる。司令部からも人手を出そう。艦内スタッフのほうは、すでに有田少佐らが出向いて手伝っているはずだからな」
「ぜひお願いします。……ははは、また徹夜になりそうですなぁ」
「ところで、肥田博士はどうした。彼女も、何か報告事項があると言っていたが」
「ああ、部長はいま、ちょっとした実験の最中でして。実験結果は今日の夕食時に判明する、と言っていましたよ。報告はその後になるかと」
「忙しいことだな。きみたちも」
「ま、お互いさまですよ。それでは……」
応えつつ、井上主任は、寝不足らしき目をこすりながら、少々おぼつかない足取りで士官室を辞していった。
その日、いずみ艦内における夕食の献立は。
鯨の刺身、茄子の吹き寄せ、車海老のみぞれ和え、春菊と椎茸のお浸し、蓮根と鴨挽肉の挟み揚げ、ホウレンソウの冷しポタージュ、デザートに甘夏ゼリー。
いかにも初夏らしく、食彩涼やかに。
食器の選別から盛り付けまで、凝りに凝った、早苗の自信作である。
「……料亭のごはんって、こんな感じかなあ」
とは美佳の感想。
ちょうど補給を受けた直後で、新鮮で豪華な食材が揃っていたこともあり、たまには豪勢に――と、必要以上に腕によりをかけた成果が、この和食膳だった。
「生の鯨なんて何年ぶりだろう」
「暑くて食欲なかったけど、これならいける」
「海老が……柔らかいのに、こう、歯ごたえが」
士官室の大卓に並ぶ、虹の宴のごとき食彩。
これを囲む幹部将校ら十数人、子供のようなはしゃぎようで、ああだこうだ口走りながら、忙しく箸を動かし続けている。
一方、美佳をはじめ魔女っ子たちは、当初揃って、ちょっと不思議そうな顔つきを浮かべていた。
みな、鯨肉の刺身というものを初めて見たからである。
まず鈴が、おろし生姜を刺身に乗せ、その生姜をくるむようにして、刺身の両端を箸でつまみあげ、そっと小皿の醤油をつけて、おそるおそる、口もとへ運ぶ――。
「ふぁ」
と、妙な声が、鈴の唇から洩れ出した。
「これ、おいしい……!」
このつぶやきを契機に、みな鈴に倣って箸をとり、たちまち、口々に「おいしい!」の声がはじけだした。
「鯨って、生臭くて固くてまずい、って聞いてたんだけど……」
裕美が、意外そうな顔して感想を述べる。
「話が全然違うわね。歯ごたえはしっかりしてるけど、でもやわらかいし、みずみずしくって……」
「それは尾の身っていってね。鯨のお肉のなかで、いっちばん、おいしいところなのよ」
エプロン姿の早苗が様子見に姿を現し、充実しきったような面持ちで説明を加えた。
「どう? たまには、こういうのもいいかな、って」
「うん、すっごいおいしい!」
美佳が元気よく応える。
「えへへ、おうち帰ったら、おとーさんに自慢しちゃお。あたしクジラさん食べたんだよー、って」
遥はすっかりご満悦の様子。
真里もつられて熱心に同調する。
「うん、あたしもあたしも。おかーさんにメールしよっと、クジラさんおいしかった、って」
「鯨だけじゃなくて、他のもちゃんと食べてね?」
早苗は、そう笑いかけながら、ふと、塚口提督らの屯する一隅へ目を向けた。
折角の自信作。今度はもう少し、ちゃんとした感想を聞き出したい――と思ったのだが、塚口提督は幕僚らと卓をともにしつつ、ちょうど給仕係に茶碗を突き出している最中で、いつになく食欲旺盛なように見える。
顔つきは相変わらず無愛想で、何を考えているやらさっぱりわからないが、一応、喜んで食べてもらえているらしい。
(よかった。あれなら、聞くまでもなさそう)
早苗は内心、安堵の息をついた。
「じゃ、みんな、またあとでね」
そう言い残し、早苗は、弾むような足取りで烹炊所へと戻っていった。
「……ね、艦長さんって、ひょっとして」
裕美が、美佳にささやきかける。
「うん、そーみたいだねぇ。いま、じっと見てたもん」
「え、なになに?」
真里が割って入る。
鈴が、真里へ顔を向け、諭すように言った。
「気にしないでいいの。コドモにはわからないことだから」
「にゃー」
「えー、なにそれ」
「じゃあ、今夜……聞いてみる?」
裕美の提案に、美佳は首をかしげた。
「サナおねえちゃんって、けっこう照れやさんだから……聞いても、ごまかされそうだけど」
「いいじゃない、それはそれで、わかりやすくて。もし興味がなかったら、わざわざごまかしたりしないでしょ」
「おぉー、なるほど。ユミちゃん、冴えてる」
美佳は感嘆しつつ、挟み揚げを箸でつまみあげ、音高くかじりついた。
「ん、これもおいしー! あ、それで、ユミちゃん、もしホントに聞くんなら」
「食べるか話すか、どっちかにしなさいな」
「あは、それもそうだね……じゃ、この話は、またあとで」
「ええ、そうしましょ」
二人は目をあわせ、ひそやかに笑みをかわしあった。
午後七時三十分。
早苗は草川主計長から主計科の人員数名を借りうけ、艦内備品の予備ベッドセット二基を艦長室へ運び込ませた。
艦長用ベッドを室内の中央へ移動させ、天蓋と支柱とマットレスを取り外し、その左右に予備ベッドを設置する。こうして三台のベッドを並べておき、大量のクッションを平らかに敷き詰め、さらに上からシーツをかぶせれば、急造特大ベッドの完成である。
「よし、上出来上出来。けっこう快適そうね」
早苗は満足げにうなずくと、主計科兵らをねぎらって退出させ、自らはいそいそと艦長室備え付けの台所へ向かった。子供たちの飲み物を用意するためである。
午後八時三十分。
設営を完了した艦長室に、パジャマ姿の魔女っ子たちが、一同打ち揃って訪れてきた。
「みんな、そこに座って。適当にくつろいでてね」
早苗に促されて、全員さっそくスリッパを脱ぎ捨て、広いベッドへあがり込む。
「わー、ふっかふかー」
遥が、シーツに飛び込んで、楽しそうにクッションの感触を確かめる。
「うわー、艦長さんのお部屋って、ゴウカだねー」
真里が、天井のシャンデリアを見上げて、興奮気味に感想を洩らす。裕美が当然といわんばかりうなずいてみせた。
「そりゃね、艦長さんだもの。この船で一番偉い人のお部屋なんだから」
「うんうん、すっごいおカネ持ちってカンジだよねー」
「……微妙に、話がかみ合ってないわよ」
「にゃー」
鈴が横から、体育座りのポーズで突っ込みを入れた。パジャマ姿になっても、相変わらずその肩には黒い子猫の荒光がしがみついている。
「はい、お待たせ」
早苗が、銀色のトレイにグラスを載せて、ベッドへ歩み寄ってくる。
早苗のパジャマはコットン生地の上下。デザインはオーソドックスだが、薄いピンク地のそこかしこ、小さなスコッティードッグの意匠がちりばめられている。
「あ、サナおねえちゃん、それ新しいやつ?」
美佳に訊かれ、早苗は上機嫌でうなずいた。
「そう、海軍に入る少し前に、通販でね。ベッドヘッドっていう、ずっと昔のブランドの復刻品なんだって。端末ネットで見かけて、あんまり可愛いかったから、つい買っちゃったのよ」
ベッド上に、そっとトレイを置く。
六個のグラスに、よく冷えた、少々濁りのあるドリンク。
「さ、どうぞ。こぼさないように気をつけてね」
「はーいっ」
「いただきます」
「あっ、冷たい」
子供たちが一斉に手を伸ばし、続々、グラスへ口をつけはじめる。
「えへ、あまずっぱくって、おいしい。これ、なに?」
遥が、グラスを両手で支え持って、中身を覗き込む。
「レモネードを冷やしたのよ。手作りだから、お店で売ってるのとは、ちょっと違う味になっちゃったかも」
早苗は、そう応えながら、自らもベッドに腰を落ち着けた。
「艦長さんって、すごいね。なんでもつくっちゃう」
真里が憧憬の眼差しを向けてくる。
「そういう魔法なのよ。あたし自身は、大したことは何もできないの」
「え、そうなの?」
「そう。でも、あたしのエプロンは、お料理のこと何でも知ってて、それをあたしに教えてくれるの。だから、みんなのゴハンがつくれるのよ」
早苗の言葉に、真里は少々考え込むような顔になったが、すぐに笑って、こう言った。
「でもでもね、そのエプロンさん着れるのは、艦長さんだけでしょ? あたしたちの魔法とおんなじだよね。だったら、艦長さんがいなくっちゃ、エプロンさんだけじゃ、お料理できないでしょ? だからね、やっぱり艦長さんはスゴいの!」
大輪のヒマワリのごとき天真爛漫の笑顔で、そう言いきる。
その明るさに、早苗もつられて、笑顔になった。
「そっか。うん、そうよね。ありがと、真里ちゃん」
「えへへー、どういたしまして」
得意げに胸をそらす真里。
「そういえば、みんなは、どういうきっかけで魔法が使えるようになったの? あたしは初めてあのエプロン着てからだけど……」
早苗の問いかけに、遥が真っ先に答えた。
「んとねー、これ、つけてからー」
ショートの髪を揺らして、右手をかざしてみせる。
人差し指に収まる黄金色のリング。
表面には、言語不明の小さな文字列が、こまごまと彫り込まれている。
「何かの文章みたいだけど……さっぱり読めないわね。何が書いてあるのかしら」
早苗の見たところ、楔形文字に近いような印象はあるが、正確なところは、まるでわからない。
「なんて書いてあるかは、あたしもわかんないけど、ルーン文字、っていうんだって。それでね、この子の名前は、ドラウプニル、っていうんだよ。おとうさんにもらったの。すっごーい昔につくられたんだって。そんでね、願いがかなう、っていうから、あたしカラダ弱かったから、つよいカラダになりたーい! ってお願いしたら、なんか、変身できるようになっちゃった」
「へええ」
一同、感心したように息をつく。
「ハルカちゃん、体弱かったんだ」
裕美が尋ねると、遥はこっくりとうなずいた。
「でも、変身できるようになってから、もう病気とかしなくなってね、だから、いまはダイジョーブなの」
嬉しそうに語りつつ、そのまま裕美に水を向ける。
「ね、ユミちゃんは? どんなキッカケ?」
「え、私……」
急な質問に、裕美は、かすかに戸惑うような素振りを見せた。
「うーん。私の場合は、代々、コズミック・スターを受け継いできたっていうだけで、特に、きっかけっていうほどのことは」
「代々?」
美佳が首をかしげる。
「ええ。二百年くらい前に、小さな隕石が、ご先祖様の家のそばに落ちてきてね。その隕石を割ってみると、中から綺麗なブレスレットが出てきたのよ」
「あ……それがコズミック・スター?」
「そう。それでその当時、ご先祖様の娘さんが、コズミック・スターと直接お話して、色々と聞いたらしいの。ただの金属に見えるけど、実は生き物で、宇宙人っていうか、そういうことらしくて」
「へええー」
またも一同揃って息をつく。
「で、コズミック・スターが、ご先祖様に約束してくれたんですって。自分の意識は、これからおよそ五千周期の間、眠りにつかなくてはならない。その間、自分を大切に扱ってくれるなら、かわりに人間にはない大きな力を貸してあげる、星の力をきみにあげる、って。五千周期っていうのは、私たちの時間で、およそ五十六億七千万年くらいだそうだけど」
「……弥勒菩薩みたいな宇宙人ね」
鈴がぽそりとつぶやく。裕美は、つい苦笑を浮かべつつ、話を続けた。
「まあ、そんなわけで、コズミック・スターは代々、家宝として、わが家の長女に受け継がれてきたのよ。約束を交わしたご先祖様がたまたま長女だったから、そういう伝統になったみたい」
「じゃあ、コズミック・スターって、もう二百年も、約束を守ってくれてるんだ。リチギなんだねえ」
美佳が感心しきりにうなずくと、裕美は「全部が全部、事実とは限らないけどね。なんせ昔のことだから」と、少々意味深っぽく微笑んだ。
「で、ミカちゃんは確か……」
「うん、あたしは、サナおねえちゃんにプロン買ってもらって。ちょうど、小学校入ったとき」
美佳は、ふと早苗のほうへ顔を向けた。
「はじめは、ふつうのヌイグルミだったよね」
「……そうなのよねぇ」
思い出すように、早苗はしみじみ応える。
「入学のお祝いにってプレゼントしたんだけど。あれが、なんであんな風になったのか、あたしには、いまだにさっぱりわからないのよね」
「うん、あたしも、理由とかはよくわかんないけど」
美佳は、もっともらしく腕組みして、「んー」と唸ってみせた。
「思い当たることっていったら、プロン買ってもらった後、一回、変な夢を見たくらいかなあ」
「夢?」
裕美が尋ねる。
「うん。夢のなかで、プロンが、すっごい大きなドラゴンに変身して、空を飛び回ってたの。それで、あたしも一緒に飛びたい、って声をかけたら、どこかから返事がして、なら、一緒に飛ぼう、って。試しにジャンプしてみたら、ホントに飛べたの。そのときは、それで目が覚めちゃったけど」
「……それで、魔法が使えるようになったの?」
「ううん、魔法が使えるようになったのは、それからちょっと後の話だよ。二年生のころかな、あたし、道で、走ってきたトラックとぶつかりそうになっちゃって。そのとき、たまたまプロンをかかえてたんだけど、あぶない! って思ったら、急にプロンが、まっかに光ってね。で、気がついたら、プロンがいなくなってて、かわりに、あたし、変な杖を両手でぎゅうぎゅう握ってて。目の前見たら、トラックがひっくりかえって、煙噴いて、ぼーぼー燃えてたの」
一同、「ほおー」と息を呑んだ。
「ビックリしたけど、でも、すぐわかったよ。プロンがあたしを守ってくれたんだって。それから、いつでも好きなときに変身できるようになったんだよ」
そう締めくくり、美佳はちょっぴり得意げに笑った。
「トラックが燃えて……中の人は、どうなったの」
鈴が質問するのへ、早苗が横から答えた。
「横転するときに外へ投げ出されて、さいわい、ほとんど怪我はなかったそうよ。ただ、あのとき、あたしは家にいたんだけど、いきなり警察から電話がかかってきて、美佳ちゃんが事故にあったって聞かされて。正直、心臓が止まるかと思ったわ。まあ、本当に無事でよかったけど……」
心底感慨を込めて、早苗がつぶやく。
美佳はしおらしくうなずいた。
「うん……心配かけてゴメンね」
「ね、ミカちゃん、どーせだったら、そのヌイグルミさんも、連れてきてあげたらよかったのに」
真里がつぶやく。
「ううん、だいじょーぶ、ちゃんと来てるよ」
「え? どこどこ?」
真里はあわてて周囲を見回した。
美佳が「ここだよ」と、両手を前に差し出す。
軽快な破裂音とともに、手品のごとく、丸々太った赤いドラゴンのヌイグルミが突如姿を現し、美佳の胸に抱えられた。
「ひゃっ! びっくりしたー!」
驚声をあげる真里。美佳は笑って説明した。
「プロンは、いつでもあたしと一緒にいるんだよ。普段は目に見えないけど、あたしのそばを、ふわふわ飛び回っててね。出てこい! って頭の中で念じたら出てくるの。あたしが変身できるようになってから、こんな風になったんだよ」
「へええーっ、そうだったんだ。ゼンゼンわかんなかった」
「マリちゃんも、それ、いっつもつけてるでしょ。それとおんなじことだよ」
と、美佳は、真里の胸元のペンダントを指さした。
「よし、じゃ、次はマリちゃんの番ね」
裕美が促すと、真里は「はーい!」と、元気よく応えた。
「これねっ。フラワー・メダリオン、っていうの」
ペンダントを指先でつまみあげてみせながら、真里は語りはじめた。
銀色に輝く、やや大きめの楕円のメダル。きわめて精緻なチューリップの花の彫刻が施され、表面は真珠のごとく、単純な金属ではありえない複雑微妙な光沢を帯びている。
「ずっとずっと前、まだ、よーちえん行ってたときね。あたし毎日、お庭でお花さんにお水あげたり、落ち葉のお掃除とかしてたの。うちのお庭って、おっきいサクラの木があってね、その下に、ヒマワリとかチューリップとか、おかあさんが、たくさん植えてくれたから」
「へぇー。マリちゃんち、お花さんいっぱいなんだぁ。いいなぁー」
遥が羨ましそうにつぶやく。
「えへへ、いいでしょ。すーごいキレイなんだよー」
にっこり笑って、真里は話を続ける。
「そんでねっ、いっつも思ってたの。このお花さんたちと、お話できたらないいなー、オトモダチになりたいなー、って。そしたら、お庭のすみっこで、なにかキラキラ光ってたの。なんだろー、って、そこ掘ってみたら、このメダルが出てきて。おかーさんに、これなに? って見せたら、おかーさんビックリして、これ、魔法のメダルだって。おかあさんが小さい頃に、お花の妖精さんにもらったのとおんなじものだって」
「おかあさんが?」
美佳が、不思議そうな顔して訊いた。
「うん。おかあさん、コドモの頃は魔法が使えて、お花さんとお話できたんだって。でもオトナになってから、いつの間にかメダルをなくしちゃって、魔法も使えなくなっちゃった、って。それでね、あたしも魔法使える? って聞いたら、おかあさん、ナイショの呪文を教えてくれたの。んで、ためしに呪文をとなえてみたら、なんかメダルがぴかーってなって、ホウキとジョウロが出てきて、お洋服も変わってね。そいから、お庭のほうから声が聞こえてきたの。こっちこっちーって。行ってみたら、チューリップの妖精さんたちが、あたしを呼んでたの。オトモダチになりましょう、って。それからあたしも、お花さんたちとお話できるようになって、いろんな魔法も使えるようになったんだよ」
「へええ……なんだかメルヘンチックな話ね……絵本みたい」
裕美が、呟きつつ、うっとり溜め息をつく。
「えへへ、そう? でね、もうなくさないようにって、おかあさんが、メダルをペンダントにしてくれたの」
「……手製のペンダントにしては、つくりがしっかりしてるわ。けっこう器用なお母さんなのね」
「にゃ」
しげしげと眺めて、鈴が評する。
「だって、おかあさん、ジュエリーデザイナーだもん。そういうおシゴトなんだよー」
「納得。……いい仕事してるわね」
うなずく鈴へ、遥が声をかけてくる。
「ねーねー、リンちゃんは? リンちゃんのキッカケ! 知りたいなー」
なぜだか、目が輝いている。
「……私の話なんて、多分、つまんないわよ」
素っ気無く応える鈴。しかし、ふと周囲を見渡せば、いつしか全員の視線が鈴に集まっている。
短い沈黙の後、鈴は小さく息つき、かすかに笑みを浮かべた。
「しょうがないわね」
手許のグラスに軽く口をつけてから、鈴はおもむろに語りはじめた。
「あれは……確かまだ、小学校にあがったばかりの頃ね」
――霊峰富士の山麓、密々と地表を覆う大樹海。
高宮神社は、代々、その樹海の最深部にあって、人知れず世にも知られず、じつに千六百年、ただひたすらに、ある御神体を護持し奉ってきたという。
神武東征、蝦夷征伐、坂東武士の反乱、源平合戦、元寇、戦国、維新まで――刀槍弓馬の戦場を往来し、刃に生き、刃に散った、無数の、名も知れぬもののふたち。
その無念の霊魂が、やがて何かに導かれるごとく富士の麓に集い、凝り固まって、ついに一振りの太刀の姿をとった。
明治初期、これに荒光の名を与え、そこに篭った諸霊を鎮め、慰めんため、高宮神社を建立したのが、鈴の遠い遠い先祖の一族である。
「……なんだけど、私は、小さい頃から毎日、そのご神体を勝手に持ち出して、オモチャがわりに遊んでたのよ。木を斬って薪をつくってみたり、岩を試し斬りしたり。何でも面白いように斬れるから、ついね」
「つい……って」
裕美は、驚くやら呆れるやら、なんとも複雑な面持ちで鈴を見つめた。
「いまの話からすると、……荒光って、オバケのカタマリなわけ?」
「まあ、それに近いわね」
裕美に問われて、鈴は平然と答えた。
「ふぇぇ、その猫ちゃん、おばけなの?」
遥が驚いて後ずさりする。
鈴は、なだめるように、おだやかな眼差しを遥に向けた。
「安心なさい、そんな怖いものじゃないわ。いわゆる怨霊と違って、別に誰かに恨みがあるとか、それで悪さをするとか、そういうことはないの。やり残したこと……やりたいことがあって、その思念だけが、この世にとどまっている人達だから」
「にゃん、にゃにゃー」
そのとおり、と言いたげに、黒猫の荒光がうなずいた。
「やりたいこと?」
美佳がつぶやく。
「私が毎日、荒光を振り回してるうち、だんだん、刀の声が聞こえるようになったの。石や木を斬るのは、もう飽きた。戦いたい、戦わせてくれ……って」
「戦い……?」
「そう。もともと荒光は、戦場で死んだものの、まだ戦い足りない、もっと戦いたかった、そういう、どうしようもない馬鹿なサムライたちの荒ぶる念がひとつに集まって、こういう形をとったもの。戦うことしか知らない愚かな人達だから、いつまでもあきらめ悪く、この世にとどまろうとする」
鈴の語り口は、俄然、千年の凍土のごとき冷徹無情の響きを帯びはじめた。その言葉には一片の容赦もない。
一同、あまりの言い様に、みな声もなく、ただ固唾を飲んで聞き入った。
「彼らがあまり憐れに思えて、私は言ったの――戦う方法はある、やりかたは知っている。そんなに戦いたいのなら、私に見返りをよこしなさい。そうすれば、願いをかなえてあげてもいい――と」
「……見返り?」
早苗が目をみはって訊ねる。
「ようするに……私が魔法少女と名乗って、軍隊へ入れば、戦場に出られる。殺しても死なない、大勢の魔法少女たちを相手に、永遠に戦い続けることができる。だから私に、そのための力をよこしなさい……そう言ってやったの。荒光は答えたわ。ぜひ、その戦場へ連れていってくれ、と。それで契約を交わして――あとは、見てのとおりよ」
「にゃーん」
黒猫の荒光が、甘えるようにひと声鳴いて、鈴の首筋に頬をすり寄せる。
「ま、普段は、こんなだけど」
「なんだか、すごい経緯ね……」
早苗は、感嘆と困惑のないまざった顔つきで、溜め息をついた。
「――すると、鈴ちゃんは、自分から軍隊に入ったの?」
「そう。うちの家系は代々、荒光の魂を鎮め、慰めるのが仕事だったから。だったら、神社の飾り物にしておくより、やりたいようにさせてやったほうが、よっぽどいいと思って。両親も反対しなかったわ。それに……」
鈴は、ふと顔をあげて、自分を注視する仲間たちの姿を、じっくり眺め渡した。
「私自身、樹海の奥で、先祖のいいつけを守って引きこもってるより、軍隊でも行って、広い世界を見てみたいと思ってた。おかげで、ここのみんなとも、こうして話ができるのだから、われながら悪くない判断だったと思う」
鈴は、淡々と話を結び、グラスに残るレモネードを静かに飲み干した。