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第六話「魔法のアップルパイ」

 艦内カフェテラス。

 ルーシー・トケイヤーは、いずみの魔女っ子たちと席をともにしながら、なにやら不満げな様子でアメリカンをすすっていた。

「……会議とやらは、まだ始まらないのか」

 不機嫌そうにたずねるルーシーへ、美佳は「あせらない、あせらない」と、なだめるように笑顔を向けた。

 ルーシーはすでに変身を解いている。

 長い金髪は三つ編みにまとめ、あまり飾り気のない薄緑色のブラウスに、深いポケットの付いた青灰色のジャンパースカート。

 聞けば、姉とお揃いの普段着なのだという。

 そういうルーシーの様子には、戦場にあるときの暴風のような荒々しさはなく、素朴なカントリー少女の風情を漂わせている。

 右耳に、小さなハート形の銀製イヤリング。これが彼女の魔力の源「ブルー・デューク」で、実戦時には、このイヤリングが例の物騒な長戟に変化するらしい。

 ルーシーは、ふと、カップから口を離し、小さくつぶやいた。

「……熱い」

「あれ、ルーシーちゃん、猫舌?」

 美佳が、目の前のオレンジパフェにスプーンを入れながら尋ねる。

 ルーシーは、むっつりとうなずいた。

「まあ、そうだ」

「じゃ、そこの荒光と同じだね」

 と言って、鈴の肩にしがみつく黒猫を指さす。

「にゃ、にゃー」

 黒い子猫が、なぜか嬉しそうにうなずき、鳴いた。

「……確かに、荒光も猫舌だけど。化け猫のくせに、そういうとこだけは普通の猫と変わらないから」

 鈴が、かすかに笑みを浮かべてつぶやく。

「どうでもいいが……」

 ルーシーは、静かにカップを戻し、テーブルを囲む美佳ら五人を、ざっと眺め渡した。

「……とんでもない顔ぶれだな」

 呆れ気味に感想を述べる。

「全員、テレビや雑誌で何度も見た顔だ。わが合衆国の脅威、恐るべき子供たち、とか、そういう見出しで」

「あら、わたしたち、そんなに有名?」

 祐美が、テーブル中央に鎮座する、大きなアップルパイにナイフを入れながら応えた。

 一切れずつ、慣れた手つきで二つの小皿へ取り分け、真里と遥の前へ置いてやる。

「はい、どうぞ」

「わ、ありがとー」

「えへへ、おいしそう」

 真里と遥は、大喜びでフォークを握り、無邪気にパイをつつきはじめた。

 ルーシーが、再びカップを手にして言う。

「有名だ。悪い意味でな。いまは戦争中だから、そういう扱いになるのは仕方ない」

「ふぇ?」

 遥が妙な声でつぶやく。

「ミカちゃん、あたしたち、ワルモノ?」

「んー。アメリカじゃ、そうなんだって」

「えー、そんなのやだなぁ」

「でも、戦争がおわったら、イイモノもワルモノもなくなるよ、多分」

 美佳が応えると、真里がやけに熱心に同意を示した。

「うん、そうそう。せんそー終わったら、ルーシーちゃんもお友達だよね。ねっねっ、そしたら、メールアドレス交換しよーね」

「……また始まった」

 ぽそりと、鈴がひとりごちる。

「こら、マリちゃん、お口に物入れて喋んないの」

 祐美が、穏やかにたしなめながら、ハンカチで真里の口もとをぬぐってやる。

「あ、そうだ。ルーシーちゃんも、これ食べてよ。せっかく、サナおねえちゃんが焼いてくれたんだから」

 そう言って、美佳がアップルパイを一切れ、小皿に取り分け、ルーシーの前に置いた。

「サナおねえちゃん……というのは、さっき、甲板に出ていた人か。おまえと、何か話していた……」

「うん、そうだよ」

「おまえの姉か?」

 そう真顔で尋ねられると、美佳は、ちょっと返答に窮したような顔して、首をかしげた。

「んー、えーと。なんていうか……となりの家に住んでてね、ほんとのおねえちゃんじゃないけど、でもほんとのおねえちゃんみたいな感じで、ずっと前から……」

「……ああ。いや、なんとなくわかった」

「それでね、サナおねえちゃん、ここの艦長さんなんだよ」

「艦長? 全然、そんな風には見えなかったが……軍服すら着ていなかったぞ」

 横から祐美が応える。

「うちの艦長さんって、軍属なのよ。正式の軍人じゃないから、軍服は着ていないの」

「……日本では、軍属が戦艦の艦長をやってるのか?」

 戸惑うルーシーに、美佳が、再度パイを勧めにかかる。

「でねっ、サナおねえちゃんってば、すっごくお料理上手なんだよ。ほら、それ、食べてみて」

「戦艦の艦長が、お料理……どうなってるんだ、この国の軍隊は」

 ルーシーは、キツネ色のパイに、おそるおそるフォークを入れた。

 ひとくち、静かに含む。

「――!」

 不意に、ルーシーの眉がはね上がった。

 春雷に驚き羽ばたく小鳥のような表情――白い頬が、みるみる薔薇色に染まってゆく。

「おいしい!」

 たちまち、笑顔がはじけた。それまでの不機嫌など、一時に吹き飛んだ様子である。

「すごい! こんなおいしいパイ、初めてだ」

 美佳は得意気に笑った。

「へへへ、とーぜん。サナおねえちゃんのお料理は世界一だもん。お菓子もね」

「ああ、これは確かに……!」

 ルーシーは、ふと、目もとをほころばせ、美佳の顔を見つめた。

「少し、羨ましいな」

「え?」

「いや。うちのメル姉さまは、なにかと不器用な人でな。こういうの、ダメなんだ」

「そうなの? ……メリュって、なんかお嬢さまっぽいし、そういうの得意そうに見えたけど」

「その発音、なんとかならんのか……まあいい。メル姉さまは、スポーツも勉強も完璧なんだが、家事がからきしなんだ。家にいても、クッキーひとつ焼けやしないし、少々だらしないところもあるしな。私が世話してあげないと、ひとりじゃなんにもできない人だから、今頃、色々と苦労してるんじゃないかと思って……」

 小さくため息をつく。

 そんなメルの仕草に、なにか感慨を誘われたのか、美佳は気遣わしげな眼差しを向けて、励ますように言った。

「多分、もうすぐ、どこにいるかわかるよ。そのための会議だって言ってたしね」

「ああ、そうだったな」

 ルーシーは、応えつつ、軽く肩をすくめてみせる。

「別に、心配なんかしてないけどな。まったく、手のかかる人だ」

 そう言ってフォークを握りなおし、パイをつつきはじめた。

 冷淡な口調と裏腹に、頬はありありと紅潮しており、容易にその内心を窺い知ることができる。

 美佳は、席から立ち上がり、コーヒーポットを手に取ると、静かにルーシーのカップへ注いだ。

「もう、あんまり熱くないよ」

 笑顔でささやく。ルーシーは、ちょっぴりほろ苦い笑みを浮かべて「ありがとう」と、短くこたえた。



 同時刻。

 米太平洋第七艦隊は、ルーズレッド照射後、日本側からの停戦受諾を確認し、全面撤収の準備にとりかかっていた。

 第七艦隊はここに惨たる敗北を喫したが、これは一局地戦の失地にすぎない。

 すでに、第七艦隊と交代するべく、太平洋第六艦隊がハワイを発ち、硫黄島方面への進出を開始しているという。それからしても、アメリカ海軍、ひいては合衆国の戦争継続の意思は明白であり、まだ誰も、これで戦争が終結するなどとは夢想だにしていなかった。

 事後処理に関わる人々も、敗北のショックは浅からずといえ、いずれの復仇を誓い、かえって発奮勇躍して、各々の作業へ取りかかりはじめている。

 負傷者の回収、治療、各艦艇の動力機関の応急修理、戦闘記録の整理、ハワイ太平洋艦隊司令部への連絡報告――やるべきことは多く、かつ、すべてにおいて迅速さが求められている。

 こういう火急の時に、招かれざる客が、わざわざジェットヘリにて旗艦パープル・リッジへ舞い降りてきたと聞き、第七艦隊司令官ハリー・クリンスマン大将は心底から眉をしかめた。

「この忙しいときに、ややこしいのが……」

 そこいらの民間機なら警告を出して追い払うところだが、そのヘリは黒塗りの機体に虹十字のシンボルを刻みつけている。

 クリンスマン大将は、渋々、受け入れを指示し、後部甲板のヘリポートへ着艦させた。

 参謀長ボブ・ギブソン中将が、力なく首を振ってつぶやく。

「おそらく、メル・トケイヤーの件だろうな。ルーシーが日本艦隊と接触して、機密を洩らしてしまったのだろう……結局、我々の努力も徒労に終わったか」

「当然、ガールズの人権保護規定にのっとり、即時停戦とメルの捜索とを要求してくるだろうな。幸か不幸か、この海域での停戦はすでに決まっておるし、その点は問題ないが、ただ……」

「うむ。なにせ、あの虹十字が、通信一本で済むところを、わざわざここまで乗り込んできたのだ。ただで済むはずがない。何を言い出してくるやら」

 二人とも連日の激務に疲労しきって、すっかり顔から血の色が失せている。ともに揃って観念の吐息をついたところへ、年配の将校が歩み寄ってきて報告した。

「これより直接、艦橋へお伺いする、と言っていますが」

「なに? いったんガン・ルームへ通して、しばらく待たせろ、と指図しただろうが」

 クリンスマン大将は、殺気立った眼光を将校へ向けた。

 その剣幕に、将校が肩をすくめたとき、艦橋出入口から、うら若い、もしくはうら若いように見える、スーツ姿の日本人女性が、麗しき黒髪なびかせ、足どり颯爽と艦橋へ歩み入ってきた。

「いえいえ、お構いなく。待たされるのは嫌いでして。待たせるのは好きなんですけれどね」

 周囲に、あまり笑えないジョークを飛ばしつつ、ずかずかと指揮座へあがりこんでゆく。

「ハリー・クリンスマン大将というのは、あなた?」

 いきなり姓名を呼ばれ、クリンスマン大将は、やや鼻白んだ様子で答えた。

「その通りですがね。失礼ながらお嬢さん、いくら虹十字の使節とはいえ、無断で艦内をうろつかれては困りますな。ガン・ルームにて、しばらくお待ちいただけませんか」

 かろうじて理性的に、かつ、精一杯の虚勢を込めて、クリンスマン大将は威儀をととのえた。

 日本人女性は、そんなクリンスマン大将の心理を見すかすように、薄ら笑いを浮かべている。

「あら、怖い顔。よほどお忙しいのでしょうね。では、後日あらためてお会いすることにしましょうか……場所は、そう、ルクセンブルクの第三会議場なんていかが?」

 ルクセンブルクは虹十字の総本部が置かれている場所である。その第三会議場は、別名を「糾弾の間」ともいって、虹十字が敵性ありとみなした人物や組織を強制的に出頭させ、弾劾裁判にかける場所として、あまねく悪名が伝えられていた。

「い、いや、それはご勘弁いただきたい。しかしですな、こちらにも」

 鼻をひくつかせながら、なお何か一言あらんとするクリンスマン大将へ、女性は冷然たる眦を向けた。

「私は日本虹十字総代表、神楽瑠衣と申します。そうお時間はとらせませんよ、私も忙しい身ですので」

「総代表……!」

 クリンスマン大将は、うめき声を発した。

 虹十字の各国総代表といえば、一国の首脳に匹敵する大物である。

「……お話を伺いましょう」

 クリンスマン大将は、観念したようにうなずき、参謀用の席のひとつを瑠衣にすすめた。

 瑠衣は、鷹揚に腰かけ、悠然と脚など組んで、早々、本題へと切り込んできた。

「そちらの事情は承知しています。メル・トケイヤー特佐の失踪――あきらかに、あなたがた第七艦隊、及び太平洋艦隊司令部の監督不行き届きですね」

「……」

「あまつさえ、あなたがたは、その事実を長らく隠蔽し、我々虹十字へは一片の報告すら寄せられなかった。これは虹十字憲章及び淡路島条約への重大な違背行為であり、近々、アメリカ海軍そのものが保護規定及び報告義務違反に問われることになるでしょう」

「すべては我々の一存であり、責任は我々にあります。海軍とは関わりのないことで……」

 ギブソン中将が苦しげに述べるのへ、瑠衣は冷たい微笑で応える。

「いいえ。メル・トケイヤー特佐といえば、アメリカでもトップクラスの撃墜王、合衆国の国家的英雄ではありませんか。それほどの人物を、失踪するに任せ、我々へひとことの報告もなく、ただ放置しておくなど言語同断。これはもはや、個人や個々の組織の問題というよりは、合衆国それ自体に、魔法少女の保護義務を軽視する体質的問題が内在しているものと断じざるをえません。それゆえ、我々は現在、合衆国への制裁措置も視野に入れつつ、今後の対応を検討しているところです」

 瑠衣の弁舌は、渓水の滔々と流れるごとく、息もつかずつかせずその主張を展開する。

 口調はおだやかだが、内容は弾劾そのものであり、言葉の進むにしたがって、一艦隊を預かる司令官や参謀長ともあろう男どもが、端なくも顔色を失い、見るから表情を凍りつかせていった。

 虹十字による「制裁」――様々な例があるが、もっとも代表的な手口として、当該国の軍隊などに所属するすべての魔女っ子たちへ、虹十字最高意思決定会議の名において即時退役を呼びかける、というものがある。

 おおよそ虹十字の庇護下にある魔女っ子たちは、自分たちに与えられた諸権利も、虹十字の存在あらばこそ、という事情をよく心得ていた。それゆえ虹十字がそうと決めれば、彼女らは迷うことなく退役してしまう。当然、軍隊からは大量の離脱者が生じ、軍組織はたちまち弱体化、無力化の一途を辿ることとなる。

 実質、一国の軍隊を解体するにも等しい措置だが、すでに多くの実例があった。かつてこの制裁を適用されたロシアやインドなどの諸国は、以後、陸海軍の再建まで、じつに二十年近い歳月を費やさねばならなかった。

 虹十字の本懐は魔女っ子たちの互助と権利擁護にこそあって、個々の国家の都合など、何ら意に介するものではない。だからこそ、世のいかなる国家も軍隊も、虹十字の意向に沿うように組織を運用し、その機嫌を損ねぬよう、最大限の注意を払い続けているのである。

 クリンスマン大将は、額に汗を滲ませつつ首を振った。

「我々に罪なしとは言いませんが、さすがに、それは厳しいですな……」

「虹十字としては当然の主張です。むろん、制裁を含めた今後の対応とは、あくまで検討中のもので、いまだ決定事項ではありませんが……そう、いまのところは」

 瑠衣は、わざわざ最後の一節を強調しつつ、含み笑いを向けた。

 すなわち脅迫と、それに基づく取引き、その開始を告げる合図である。

 クリンスマン大将も、どうやらそれと察したらしい。

 額の汗を拭って、やや姿勢を正し、声をひそめて語りかけてきた。

「総代表。あなたが、あえて、ハワイの司令部でもホワイトハウスでもなく、まず、じきじきにここへ見えられたのは、我々にも何か救いの道が残されている、ということを示されんためではありませんか。違いますかな」

「おや、さすがに鋭くていらっしゃる」

 瑠衣は、仕済ましたり、という顔して、そっと口の端をつりあげた。

 虹十字の制裁は、すなわち、合衆国軍の崩壊を意味する――そうなれば、現場当事者たる彼らとて、ただで済むはずがない。回避しうるものなら、ぜひその条件を提示してほしい。

 そうクリンスマン大将は言っているわけで、これは瑠衣の脅迫に屈し、取引きのテーブルに乗ったということである。

「では、少し場所を変えて、じっくりお話しいたしましょうか。司令官、あなたのプライベート・ルームへご案内くださるかしら」

 瑠衣は、すうっと目を細め、妖しげにほほえんだ。

 地獄の魔女の微笑とは、かくもあろうか――クリンスマン大将は、ただ、力なくうなずくばかりであった。



 いずみ艦橋。

 時刻は午後二時を過ぎたあたり。

 早苗は艦長席に腰かけつつ、いかにも手持ち無沙汰な様子で、卓に肩肘つきながら艦橋後方の一角を眺めやっていた。

 その眼差しの先には、指揮座に悠々と膝を組む塚口提督。

 そして、先刻ヘリで押しかけてきた白衣姿の若い男女。

 三人は額を寄せ、もう二十分ほども、なにやら熱心に話し合い続けている。

「気になりますか?」

 有田少佐が、小さな紙カップを手に艦長席へと近づいてきた。

 そっと指揮卓へカップを置き、早苗にすすめる。

「よろしければ、どうぞ。自販機のですけど……」

 早苗は、小さく伸びをして、有田少佐の方へ向き直った。

「うん、ありがとう」

 カップを手に取り、熱いブラックを静かにすする。

「ね、少佐」

「はい、なんでしょう」

「さっき、これから会議がある、って言ってたけど、いったい何の会議?」

「今後の行動予定についてです。現作戦の終了と同時に、当艦には、すぐに次の任務が与えられる予定ですので、その説明ですね」

 早苗は軽く首をかしげた。

「その、次の任務っていうのは、さっき美佳ちゃんと一緒に降りてきた金髪の子……ルーシーさんだっけ、あの子と、なにか関係があるの?」

「まだ詳しいことは私も聞かされていませんが、塚口提督がおっしゃるには、非常に密接な関係がある、ということです」

「非常に密接、って……そんな重要人物なの、あの子」

「ええ。ただ本来、ルーシー嬢をわが艦へ招待する予定はとくになかったのですけれど。そこは現場の判断ということで」

 早苗がちらと指揮座へ視線を向けると、塚口提督は、あいかわらず白衣姿の二人と話し込んでいる。

 何をひそひそ話しているのか。

 塚口提督といえば、普段は重厚でとっつき難く、指揮をふるえば豪胆無類――そういうイメージがあるので、あのように密議にふける姿というのは、早苗としてみれば、ちょっと似つかわしくないような気がしていた。

 そういえば、つい先ほどには、第二艦隊司令長官という女性に「修ちゃん」などと呼ばわれ、なにか一方的に怒鳴りつけられている様子だったが、これも普段のイメージからは、あまり想像のつかない一幕だった。

 そもそも塚口提督と第二艦隊司令長官と、一体どういう間柄なのか。

(相変わらず、よくわからない人よね……)

 そんなことを考えたとき、早苗はふと、胸のあたりに、小さな痛みをおぼえた。

 なぜこう、いちいち気になるのか。

 むろん、おおよその見当は、早苗自身にもついている。ただ、それを言語化して、はっきり意識する段階には、まだ至っていなかった。なぜとはなく、意識のどこかで、そうした心の動きにストップがかかっているのである。

「……艦長どの。コーヒー、さめちゃいますよ?」

 有田少佐が、意味ありげな微笑を浮かべて言う。

 早苗は、「ああ、そうよね」とか口走りながら、ふたたび紙カップに口をつけた。

「あー……そういえば、さっき、お姉さんがどうとか言ってたっけ、あのルーシーって子。次の任務って、もしかして、そのあたりと何か関係あるの?」

 有田少佐が答えようとしたところへ、通信席あたりから、複数の将校らの、なにかざわめく声が聴こえてきた。

 何事かと早苗がそちらへ顔を向けると、若い通信将校が慌てて報告した。

「ひ、ひたちが、第二艦隊旗艦が、こちらへ突っ込んできます!」

「……え?」

 早苗は、咄嗟にどう対応したものかわからず、つい、有田少佐をかえりみた。

 有田少佐は、なぜかくすくす笑っている。

「大丈夫ですよ」

 ――第二艦隊旗艦ひたちは、単独、猛然と飛沫をあげ白浪蹴立て、マスト高く翩翻とZ旗をはためかせつつ、戦艦いずみめがけて急接近をはかってきた。

 あわや正面衝突というところで、微妙に艦首をめぐらし、いずみの右舷へと取り付いて、ひたと静止する。

 よほどの操舵名人の仕事であろう。いずみとひたち、水上に前後違いに並んだ両者の舷側は、二メートルと離れていなかった。

 ひたちの甲板上から、陸戦隊員らの手によって、いずみの上甲板へと渡し板がかけられる。その手際の見事なこと、いかにも揚陸指揮艦所属の精鋭ならでは、息を呑む間もないほどの鮮やかさである。

「えーと、あの……何が起こってるの、いったい」

 いずみ艦橋。

 早苗は、呆然と有田少佐に尋ねた。

 有田少佐がそれに答えるより早く、騒々しい軍靴の駆け足が廊下のほうから響いてきて、たちまち一人、軍服姿の若い女性が、艦橋へと闖入してくる。

 女性は、他には一切目もくれず、そのまま艦橋後方へと駆け込んでいった。

 このとき、塚口提督は指揮座にあって、なお肥田部長らと謀議中であったが、ただならぬ態で走り寄る女性の姿に、肥田部長も井上主任も恐れをなして、驚き慌てつつ左右に身を避けた。

「しゅーうちゃーん!」

 歓喜のかけ声も高らかに、床を蹴って、塚口提督の胸へと飛び込んでゆく、その女性は――。

 誰あらん、第二艦隊司令長官、池澤秋菜中将その人であった。



「もーっ、修ちゃんたらっ、ホントにホントに危なかったんだからぁっ。なんでもっと早く来てくれなかったのよぅ。でもなんとか間に合ったから、今回は許してあげるけどねっ」

 池澤中将は、満面笑みをうかべ、嬉しそうに口走りつつ、塚口提督の背にしっかと両腕を回し、その胸元に頬をすり寄せてくる。

「今日は修ちゃんのおかげで勝てたけど、でもあたしも頑張ったでしょ、だから褒めて褒めてっ。でもってぇ、あとで一緒にお茶しようねえ。もちろん修ちゃんのオゴリでっ」

 脳もとろけんばかりの甘いささやき。

 いっぽう塚口提督は、表情をひきつらせながら、なんとか当人を引き剥がそうとしている様子。

 さながら蛇に胴体を咥え込まれて、それでも逃れようともがいている蛙のようなありさまである。

「こ、こら、離れんか……というか、どさくさにまぎれてタカるなっ、俺より給料貰ってるくせにっ」

「女はいろいろお金がかかるのっ。そんなの常識でしょぉ。だーかーらー、ね、修ちゃん、月末まで、ちょっと貸してくんない?」

「誰が貸すかっ。いままで、貸した金を返しにきた試しなんぞ、一度だってないだろうが」

「なによ、上官の命令に逆らう気? そーんな悪い子は……こーだーっ!」

 池澤中将は、いきなり身を乗り出すや、両腕をつと伸ばして塚口提督の頭をおさえ、自らの胸もとへ、ぎゅっと抱え込んだ。

「うぉっ! や、やめんかっ!」

 塚口提督の叫びに呼応するように――。

 早苗は、無意識のうちに音高く席を蹴とばし、つい、その場へ立ちあがっていた。

 なぜか、自然と、体がそう反応してしまった。

 頬が熱い。頭に血がのぼりかけている。

 なにやら衝撃的な光景を目のあたりにして、早苗の心に、ぼうっと、小さな情念の火が灯った。

 あれを止めなければ。

 やめさせなければ――。

 なぜだかそう思ったとき、すかさず有田少佐が、その心の炎へ消化剤を浴びせかけてきた。

「相変わらずですね、あのご姉弟は」

 さりげなく、そう述べる。

「……え」

 ご姉弟?

 早苗は、思いもよらないひとことに、まずわが耳を疑い、心の中で小首をかしげ、ついで有田少佐のほうへ向き直って、確認を求めた。

「あ、あの二人って、姉弟なの?」

「おや、ご存知ありませんでしたか?」

 しれっと、有田少佐は答えた。

「池澤中将と塚口提督……あのご姉弟は以前から、会えばいつでも、ああいう具合でして。海軍では、ちょっとした名物ですよ」

「名物……」

 呆然と、早苗は立ちつくした。

「でも、苗字が……って、あっ、もしかして、そういうこと?」

「ええ、そういうことです」

 早苗が急に気付いて尋ねたのは、池澤中将が既婚か否か、ということである。

 有田少佐はうなずき、説明した。

「池澤中将どのは、二年ほど前にご結婚なさって、いまの姓になられたのです」

「な……なーんだ……そういうこと」

 不意に、早苗の全身を脱力感が包んだ。へなへなと席に座りなおし、安堵の吐息をつく。

 よかった……と、声には出さないが、心底から、そう胸をなでおろしていた。

 同時に。

(ああ、やっぱり、そういうことだったんだ)

 そう内心で、ひとり納得していた。

 ようするに、自分が塚口提督をどう思っているか、早苗はこのとき初めて、はっきりと認識できたのである。

(妬きもち……かぁ。何年ぶりかな、こういう気分って)

 やけに冷静に、早苗は自己の意識を分析する。

 大学卒業以来、色恋沙汰はおろか、人付き合いも最小限にとどめて、長年、家事手伝いの日々を送ってきただけに、こう異性を異性として意識する感覚が、近頃鈍っていたのかもしれない。

 だからこそ、塚口提督の存在を気にかけつつも、そういう自分の気持ちをはっきり定義づけることが、なかなかできなかったのだろう。

 ――指揮座を見やれば、あの姉弟はなお、なんやかやと、じゃれあいを続けている。

 塚口提督という人には、普段は厳然として取っ付きにくい印象しかないが、実の姉に対してだけは、そう取り澄ましていられないらしい。

 そのギャップが、早苗には、かえって好ましいように感じられた。



 午後二時三十分。

 戦艦いずみ士官室において臨時説明会議が召集される。

 出席者は、第七魔法戦隊司令、塚口修一少将。

 同戦隊副司令、湯山大佐。

 同戦隊首席幕僚、渡辺中佐。

 魔法戦艦いずみ艦長、神楽早苗軍属大佐。

 魔法戦艦いずみ副艦長、有田聡子少佐。

 いずみ空戦隊長、雛園祐美軍属少佐。

 空戦隊副隊長、高宮鈴軍属少佐。

 空戦隊員、所沢遥軍属少佐。

 空戦隊員、池上美佳軍属少佐。

 空戦隊員、彩賀真里軍属少佐。

 魔法少女研究所人材資源情報部長、肥田妙子博士。

 同情報部、分析担当主任、井上和人博士。

 ゲストとして、アメリカ海軍太平洋第七艦隊、第二十九任務部隊所属、ルーシー・トケイヤー特尉。

 オブザーバーとして、第二艦隊司令長官、池澤秋菜中将。

 同艦隊副司令官、田村少将。

 同艦隊参謀長、新谷少将。

 オブザーバー三名は、会議内容を傍聴し、概要を連合艦隊総司令部へ報告する役割を担う。

 会議は、塚口提督を議長とし、その専属副官たる高木中尉が書記の任を務めることとなる。

「さて、みなさん」

 いきなり壇上にて重々しく第一声を放ったのは、白衣姿の肥田部長である。

「近頃――世界各地、といっても、南米やアフリカ、ヨーロッパが主ですが、それらの地域において、ある重大な事件が頻発しております」

 こう切り出したうえで、肥田部長は、虹十字から得た情報を脈々と語りはじめた。

 各地において、魔法少女たちが続々、行方不明となっていること。

 それも、たんなる失踪ではなく、組織的に誘拐されていること。

 その誘拐の実行犯もまた、複数の魔法少女たちであること。

 すでに被害者の総数が、軍人、民間人も含めて、五十余名にも及んでいること。

 そして、アメリカ第七艦隊のエース、メル・トケイヤー特佐も、その被害者の一人であること、などである。

 あらかじめ知っていたらしい塚口提督など、第七魔法戦隊首脳部はともかく、それ以外の出席者らにとって、これは青天の霹靂であった。

 誰もが驚きにうたれ、たちまち議場は騒然として、軽い混乱を呈しはじめる。

 とくに子供たちは一様にショックを隠せない様子で、普段は冷静な鈴や祐美さえ不安げに眉をひそめ、遥はいつしか美佳の手にしがみつき、その美佳は早苗にしがみつき、と、どうにも落ち着きを失いかけていた。

 真里だけは、いまひとつ事情を飲み込めていないらしく、ただきょとんと周囲を見回している。

 ――ルーシーは、唇を震わせながら、首を振った。

「ありえない。あの強いメル姉さまが、みすみす誘拐なんて」

「残念ながら、事実よ。それを知らせるために、あなたにここへ来てもらったの」

 肥田部長は厳然と告げた。

 ルーシーは、なお納得いかない様子で、壇上の肥田部長を睨みつけた。

「証拠は……あるんですか」

「ええ、いまから出すわね」

 肥田部長は、さらりとルーシーの眼光を受け流し、かたわらの井上主任を見やった。

 井上主任は黙してうなずき、なにやら端末の操作をはじめる。

 途端、士官室の照明が落ち、同時にホログラフパネルが議場中央の天井近くに浮かびあがった。

 動画ではなく静止画、それも相当に写りが荒く、かろうじて、人物の顔が判別できる程度のものである。

 一枚目には、白い衣の金髪少女が、海面へ身を横たえ、波間に浮かんでいる有様。気を失っているように見える。

 続けて二枚目が表示される。複数の人影――それぞれ装束格好はまるで異なるが、おそらく魔女っ子の一群――が、長衣金髪の少女を、よってたかって抱えあげようとしている。こちらはやや解像度が高く、金髪少女の顔も、より鮮明に映りこんでいた。

 二枚目が表示されると、ルーシーは、その場から立ちあがっていた。

「メル姉さま……!」

 見間違うはずはなかった。ずぶ濡れで、意識もなく、血の気も失せて蒼白な少女の顔は、確かにメル・トケイヤーその人である。

 暗い議場にざわめきが生じた。米太平洋艦隊のトップエースが、謎の集団によって、今まさにさらわれようという姿。口頭の説明だけでは半信半疑でも、こう生々しい証拠を突き付けられては信じざるをえない。

 ルーシーは、力なく座りなおした。

「信じてもらえたかしら」

 肥田部長の声とともに、ホログラフパネルは消滅し、室内に照明が戻った。

 ルーシーは無言だった。

 よほど衝撃だったのだろう。肩を落とし、ただ悄然とうつむくばかり。

 美佳が、気遣わしげな眼差しをルーシーに向けている。それにもルーシーは気付かぬ様子だった。

 井上主任が、神妙な顔つきで補足しはじめた。

「いまのは、虹十字の魔法監視衛星チックルが捉えた映像です。場所は伊豆鳥島付近の太平洋上、日時は四月十六日、午後一時頃――記録によれば、この日、メル・トケイヤー特佐は、魔法戦艦かわち所属の空戦隊と交戦し、その直後、消息を断ったということですから、その記録と、写真映像とは、日時も場所も完璧に一致していることになります……」

 写真について、ひとしきり説明を終えると、肥田部長らはいったん席に下がった。

 かわって塚口提督が壇にのぼり、おもむろに語りはじめる。

「諸君らには、この会議の目的、次なる任務の内容について、すでに、おおよその推測がついたものと思う」

 殷々と響く声は、相変わらず独特の重みと厚みを備えて、聞く者の背筋を打ち胸を叩き、誰もが、つい姿勢を正さずにはいられなった。

「すなわち、一連の魔法少女誘拐、その完全なる解決こそ、我々の任務である。――もとをいえば、第七魔法戦隊とは、当初より、この目的のため編成された部隊であり、これまでの対米英戦などは、いわば前哨戦にすぎん。いまようやく、我々は本然の目的へ向け、その入り口へさしかからんとするものである」

 塚口提督はここにおいて、これまで秘められてきたいくつかの水面下での事情を、はじめて列席者たちに明かした。

 一連の魔法少女誘拐事案の解決へ向け、かなり早い段階で、虹十字が日本政府、なかんずく海軍への協力を要請していたこと。

 また、その見返りとして、昨今泥沼に陥っている日米英戦争の調停役を虹十字が引き受ける、という政治的取引が海軍に持ちかけられていたこと、などである。

 ――日本政府並びに海軍は、討議のすえ、取引きを承諾し、虹十字が求める戦力の抽出へと取りかかった。

 それは、最新鋭戦艦を母艦とし、連合艦隊最高の戦力を集結させたうえ、少数精鋭をもって運用される、新たな特別部隊の編成である。

 以後、軍令部は、謎の誘拐組織、その捕捉と殲滅を念頭に置いた種々の調査と作戦立案に入り、いっぽう連合艦隊は、必要とされる人材の選定と再配置を急速に進めていった。

 すなわち、海軍トップクラスの実績を誇る五人のエースを基幹戦力とし、就役直前の新造艦いずみをその母艦と定めたのである。

 このようにして、虹十字の要請に基づく臨時編成部隊――第七魔法戦隊の陣容が整えられ、今次の晴嵐作戦の発動をもって、その初陣と決せられたのである。

 それらの話の続くうち、議場は次第にざわつきはじめた。

 驚きの声をあげる者、嘆息とともにうなずく者、首をかしげて周囲に説明を求める者など。ことに子供たちは平静ではいられぬ様子で、ひそひそ声を交わしあっている。

「そーかぁ、あたしたち、悪い人たちをやっつけに行くんだね」

 真里がつぶやく。祐美から説明を受け、ようやく、ある程度は事情を理解できたらしい。

 祐美はうなずいて、真里の頭を撫でてやった。

「そうよ。わたしたち、そのために、ここに集められたんですって」

「……ようするに、正義の味方ね。あまり、わたしの柄じゃない気もするけど」

「にゃー」

 鈴が、表情を消して、肩の荒光とささやき交わしている。

 オブザーバーの第二艦隊の面々も、互いに顔を見合わせ、何やらつぶやきあっていた。

 ルーシーは、いかなる内心でか、顔をあげて、塚口提督の姿を凝視している。

 その塚口提督は、説明を終えると、肥田部長らへ登壇を促しつつ、自らは席へ戻った。

「えー、みなさん、ご静粛に……。いまご説明いただきましたように、日本政府と海軍、虹十字とは現在、密接な協力関係にあります。必然的に、わが研究所も虹十字と共同歩調をとることになり、その一端として、私どもがここへ派遣されてきたわけです」

 ふたたび壇についた肥田部長は、そう前後の事情を明かしつつ、井上主任に合図を送った。

 井上主任は、端末に指を滑らせながら、肥田部長のあとをついで、淡々と語りはじめる。

「今回、私ども魔法少女研究所は、ここの艦内に臨時のラボを設置し、そこから皆さんへの技術的支援と、各種の資料、情報の提供を行う予定になっております。そこでまず、それらの手始めとして、虹十字から提供された資料と、我々がこれまで調査しえた情報とをあわせて、これより皆さんにご覧いただきます」

 議場の照明がかき消えて、またも闇の中にホログラフ・パネルが浮かんだ。衛星映像である。多くの者は、それが地球上のいかなる地点を映し出したものか、とっさには判別がつかなかった。

 画面の大半が、地表を覆う、ぶ厚い幾重もの雲に隠されている。

 ただ中央の一部分にのみ、台風の目のごとき小さな穴が開いていた。

「これは先月、魔法監視衛星ミントから撮影された衛星写真です。位置は、おおよそ南緯七十度、東経百六十度……南極大陸の東沿岸、やや内陸寄りの岩山地帯です」

 次第に映像が拡大されてゆく。

 渦巻く群雲のうちに、針で刺したような小さな空隙が見える。

 そこをめがけて焦点を絞り、クローズアップを続けるうち、やがて、その隙間の向こうに白く閉ざされた地上の姿がのぞきはじめた。

 それは氷に覆われた平野と、峨々たる岩山の険峻とが織りなす、起伏豊かな地形である。

 大小の隆起おびただしく輻輳する地表、そのうち、わけて一段切り立った岸壁の頂に、黒い影のような何かが突き立っている。

 よくよく見ればそれは人工物で、金属製らしき外壁に覆われており、窓のないタワービルというふうなたたずまいになっていた。

(……あれって)

 ふと、早苗は既視感にとらわれた。

 いま映像内に拡大され続けている、奇妙な建造物。その外観に見憶えがあった。

 学生の頃、歴史資料として、何度かその姿を収めた写真や映像に触れる機会があった。

 それは特殊合金製で、全高五十メートルほどの巨大な六角柱の形状をなしており、建造から実に二百六十年もの時を閲しているという。

「南極サーバー……」

 早苗は、思わずつぶやいていた。



「ようするに、原因は、コンピューターの暴走ってことよね」

 会議解散直後。早苗は、艦橋へと続く廊下で、有田少佐と肩を並べ歩きつつ、そう確認を投げかけた。

「人工知能とか何か、そういうプログラムなんでしょ」

「まあ、大体そんなところです」

 有田少佐は、少々考え込むような顔で応えた。

 およそ一時間に渡る会議のなかで、肥田部長と井上主任の二人は、入れ替わり立ちかわり、南極サーバーの概要と現状、誘拐事件との関係、第七魔法戦隊の最終目標などについて、熱心に説明を加え続けた。

 それによれば、南極サーバーとは、およそ二百六十年前に実施された、リチャード・ムセ博士の主導による魔法少女解析プロジェクトの副産物であり、世界各地の研究所から送信されてくる各種実験データを集積するための大型サーバー基地として建造されたものという。

 しかし、プロジェクト終了後、南極サーバーは早々に放棄されていた。

 すでに内部のデータは各地の研究施設へコピーされていたし、もともと膨大な維持費用がかかるうえ、撤去にもまた天文学的な費用を要するということで、そのまま捨て置かれてしまったのである。

 当然、その時点で外部からの電力供給も途絶え、サーバー内部のあらゆるシステムはシャットダウンさせられていたが、補助用の自家発電施設と、その制御部だけは、接続されたままになっていた。

 ――放置され、次第に、誰の記憶からも忘れ去られてゆきながら、サーバー本体は堅固な特殊合金の殻に守られ、なお待機状態で生き続けていた。

 太陽光と風力によって生成されるわずかな電力を長い長い時間をかけて水素変換システムに蓄え続け、近年、何らかの拍子に、本格的に再起動してしまったらしい。

「で、そこの、制御プログラムとかが、勝手に色々やりはじめた、と。そこまでは、あたしにもすぐ理解できたんだけど、その後がどうにもね」

 早苗は、ちょっと苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。肥田部長らの説明は、そのあたりから俄然ヒートアップし、いかにも学者らしく素人には理解の難しい専門用語を早口に並べたてて、列席者らを困惑させたものである。

「確かに、少々わかりづらい説明でしたね」

 有田少佐は、微笑しつつ、早苗の顔を仰ぎ見た。

「内部の諸施設を維持管理するための、自律学習型自動制御システム……そのメインプログラムが、サーバーに蓄積されていた数千人分にも及ぶ魔法少女たちのデータにアクセスし、魔法のシミュレートを試みはじめた……自律学習型とは、ようするに、自己学習を繰り返しながら判断力と処理能力を自力で補完してゆくものですから、魔法というもののデータに触れた際、その力を、どうかしてサーバー保全に役立てよう、と自己判断したのかもしれません」

「で、何の間違いか、それに成功しちゃったわけね」

「ええ。それも、きわめて厄介な魔法の再現に」

 井上主任の説明では、その魔法は一種の催眠効果を有し、人間の精神に強烈な刷り込みを与え、意識を変化させてしまう。

 通天閣のラボに残る資料によれば、二百六十年前のプロジェクト被験者のひとり、レイチェルという少女が同様の魔法を用いていた記録があり、南極サーバーの制御システムも、レイチェルのデータを参照し、その能力を再現したものであろう、と虹十字側では推測しているという。

「他人の心を勝手に書き換えて、言いなりにしちゃうわけね……。確かに厄介な魔法だと思うけど。ただ、そもそも、機械が魔法を使うなんて、ちょっとありえない気もするんだけどね」

「いちおう前例がありますから。例えばAMCなども、もとは、ある魔法少女の能力をシミュレートし、その人工的な再現に、不完全ながらも成功したものですし。南極サーバーの自律システムが自力で同様の成功を収めている可能性も確かにあるわけです。それに、なにせ二百六十年も放置されていたわけですから。その間、どんなふうに自己進化を遂げてきたのか、我々には想像がつきません」

「アンチマジックコーティングか……そういえば、そんなのもあったわね」

「南極サーバーは、そうやって擬似再現させた魔法の催眠能力を用いて、南極付近の群島住民、船舶や航空機の乗員などをシステムに取り込み、サーバー維持と防衛のための端末として使役しはじめたわけです。取り込まれた人々は、サーバーに命じられるまま、仲間を増やすため各地へ出かけてゆき、別の人々をさらってくる。その人々もまた、システムに取り込まれ、端末にされてしまう……それら被害者のなかには当然、魔法少女も含まれていたことでしょう。そうした流れのなかで、魔法少女を専門にさらってくるグループが次第に形成されていったのではないかと……、ラボの方々は、おそらくそれが、今回の連続誘拐の正体だろうと推測なさっておられるわけです」

 二人は自動販売機の前へさしかかると、ふと同時に足を止めた。

 早苗は、スカートのポケットから財布を引っ張り出しながら言う。

「なるほどね。で、それをどうかして停止させれば、とりあえず事件解決ってわけね。それが、あたしたちの任務、と」

「はい、よくできました」

 有田少佐はほほえんで、軍服の胸ポケットから素早くカードを取り出し、早苗より先に販売機の受け入れ口へ差し込んだ。

「ご褒美として、奢りましょう。どうぞ」

「え、悪いわよ、さっきも……」

「いいんですよ。そのかわり」

「そのかわり?」

「お食事のメニューなんですが……近いうちに、また、あのフライをひとつ、お願いできませんか」

 有田少佐は、よほど早苗のフィッシュフライが気に入ったらしい。

 はにかみながら「お願い」する、その顔つきといったら、さながら恋する乙女のような可憐さ。

 早苗は、ついおかしくなって、軽く吹き出してしまった。

「うん、わかった。そんなことなら、お安い御用よ」

 二人は買い物を済ませると、軽く一礼を交わしあって別れた。

 有田少佐は艦橋へ、早苗は烹炊所へ。

 それぞれに、なすべき仕事があった。



 午後六時三十分。

 米太平洋第七艦隊から、第二艦隊旗艦ひたちへ、撤収開始が通告された。

 第二艦隊司令部はただちに、戦艦いずみへ移乗中の池澤中将のもとに報告を回した。

 ちょうど夕食後。池澤中将は、カフェテラスにて、塚口提督と二人、食後のコーヒーを嗜んでいるところだった。

「あちらさん、そろそろ撤退を始めるそうよ。彼女、どうするの?」

 池澤中将は、手にした通信端末の音声を切りつつ、同席者に尋ねた。

「……ルーシー・トケイヤーか」

 塚口提督は、なにやら大儀そうに腕組みしながら、真面目くさった顔つきで言う。

「あわよくば、こちらの戦力にと思ったが、そうもいかなくなった。先ほど虹十字から連絡があってな。なるべく早めに、身柄をあちらへ返還せよと」

「あら、それは残念ね」

「なんでも、向こうの第七艦隊から、魔法少女一個中隊ぶんの戦力を虹十字が借りうけることになったらしい。いったいどんな手段で、それほどの戦力をぶん獲ってきたのか知らんが……」

「で、ルーシーさんも、その戦力に含まれるのね」

「ああ。彼女には、その中隊を指揮させて、別働戦力として我々のサポートにあたらせるそうだ」

「なるほど、そういうこと」

 池澤中将は、卓上のカップを取り上げて、やや表情をあらため、塚口提督を見据えた。

「修ちゃん。この作戦……かなり難しいと思うんだけど」

 そう眼差しを向けられると、塚口提督も、わずかに眉をひそめた。

「確かに難儀な作戦だ。おそらく、これまでの戦場ルールなど、今度の相手には通じんだろう。淡路島条約の枠外での戦いとなれば、下手を打つと死人が出る可能性もある」

「だから虹十字もずっと手を出しかねてたのね……あそこには、子供たちだけじゃなくて、行方不明の民間人が大勢いるはずだし」

「そうだ。だが、誰かがやらねばならんことだ。作戦のほうは、すでに軍令部とラボが共同で策定を済ませているし、我々軍人は、ただそれに従うまで。あとは、ここの艦長と、子供たち次第ということになる」

「噂の艦長さんね……。そういえば、いいとこのお嬢さんだって聞いてたけど、あんまりそういうふうには見えないわね。さっきのお夕食も、ずいぶん家庭的っていうか、素朴っていうか」

「だが、旨かっただろう」

 塚口提督が、かすかに笑みをたたえながら言う。

 池澤中将は、ちょっと意外そうな表情を浮かべた。

「あら。男子厨房に口出しせず、味がどうだろうと食えればいい、ってのが修ちゃんの信念じゃなかったっけ」

「……近頃、考えが変わった」

「もしかして、あの人のお料理のおかげで?」

「そんなところだ」

「……まあ、確かにおいしかったわね、あの人のお料理。それに、けっこう気配りも細かいし。料理の盛付けとか見てると、そういうのって結構わかるから」

「ほう、そういうものか」

「ね、修ちゃん、あの人と結婚しちゃえば?」

 突如、冗談めかした口調で提案する。

 ただ、顔は笑っているが、その目つきには、案外と真剣味が滲んでいた。

 それと察したものかどうか、塚口提督は、少々苦笑しながら、ゆっくり首を振った。

「そいつは、ちと困るな。よりによって、かの日本虹十字の総代表どのを、お義母さまと呼ばねばならんのだぞ」

「あー……そりゃ、怖いわね、ちょっと」

「それに、そもそも先方は、俺なぞ眼中にあるまい。この艦内だけを見ても、俺より若くて魅力的な男は、いくらでもいるしな」

「それはわかんないわよ、修ちゃんにその気があれば……」

「まあ、どっちにせよ、今はそういう場合ではない。艦長には作戦に集中して貰わんとな」

 塚口提督は、おもむろにテーブルからカップを取り上げ、中身をひと息に飲み干した。

「……ま、そういうことにしときますか」

 池澤中将も、あえてそれ以上は言及せず、わずかに目をほそめ、静かに自分のカップへ口をつけた。



 いずみの後部甲板に照明が灯った。

 もう日は暮れきっている。

 西寄りに、ちぎれ雲をまとい輝く上弦の月。

 満天、銀砂の降るがごとき星空の下、ライトアップされた甲板上で、虹十字のジェットヘリがゆっくりとローターを回し、離陸準備を始めている。

 時刻は午後八時を過ぎたあたり。

 ルーシー・トケイヤーは、三つ編みの金髪を潮風になびかせながら、見送りに出てきた美佳たち五人と、ヘリ搭乗口の手前で、静かに向き合った。

 その手に小さな白い紙袋を抱えている。

「……色々、世話になったな」

 おだやかにつぶやくルーシーを、美佳は、ちょっと複雑な顔つきで見つめている。

 ルーシーは、なんでもない、というように、明るい口調で美佳に笑いかけた。

「そんな顔をするな。私なら、もう大丈夫だ。そういつまでも落ち込んでいられないからな」

「そっか……それなら、いいんだけど」

 美佳は、少し安堵したように微笑み、うなずいた。

 裕美が言う。

「どうせなら、一緒に戦えたらよかったのにね。わざわざ別行動なんてしなくても」

「いや、それは無理だ」

 ルーシーは苦笑いを浮かべ、首を振った。

「そう言ってくれるのはありがたいが、おまえたちと私とじゃ、力が違いすぎる。私がついて行っても足手まといになるだけだろう。私はせいぜい、おまえたちのサポートに徹することにするよ。虹十字からも、そういう指示が来てるしな」

 ヘリの内部からパイロットが呼びかけてきた。

「そろそろ時間です、乗ってください」

「承知した」

 ルーシーはうなずき、踵を返しかけたが、ふと足を止め、ふたたび美佳の方へ向き直った。

「そうだ、忘れるところだった……ミカ」

「え、どうしたの」

「艦長さんに、よろしく言っておいてくれ。さっき、わざわざこいつを手渡しに来てくれたんだ」

 そう言って、ルーシーは、手にしていた小さな紙袋を胸に抱いて、そっと撫で回した。

「手作りのクッキーだそうだ。持って帰れ、って……。ただ、私も急いでたから、ろくに礼を言う暇もなくてな」

「うん、わかった。ちゃんと伝えとくね」

「少し会っただけだが、なんだか不思議な人だな、おまえの姉さんは。他の大人たちとは、ずいぶん違った感じがする。うまく言えないが、こう、気持ちが落ち着くというか……それに、とてもいい人みたいだ」

 ささやくようにルーシーが言う。

 美佳は嬉しそうにうなずいた。

「あたりまえだよ。あたしの自慢の、サナおねえちゃんだもん」

 そう応えてから、ふと、美佳は表情をあらため、ルーシーの目を見据えた。

「メリュのことは、あたしにまかせて。ゼッタイ、取り返してあげるから」

 決然と告げる。

 メル・トケイヤーが誘拐されたタイミングは、先日の美佳との戦闘の直後であった。美佳の一撃を受けて気を失い、海面に墜落したところをさらわれたのである。美佳はそのことに責任を感じているようだった。

 ルーシーは、静かにうなずき返した。

「悪いのはさらった連中だからな。おまえのせいじゃない。ただ、メル姉さまと渡り合えるのは、この世界中でただ一人、おまえだけだ。もし、メル姉さまが敵として出てくるようなことがあれば……そのときは、もう一度、ぶっとばしてやってくれ。それで目をさましてくれれば、言うことなしだ」

 ルーシーはそう言い残すや、身をひるがえし、ヘリに乗り込んだ。

「ばいばい、またねー」

「また、あおうねーっ」

 遥と真里が、手を振って声を投げかける。

 ルーシーは、後部座席から手をかざし、それらの声に応えた。

 ゆっくりとキャノピが閉ざされる。

 やがて、轟音とともに、ジェットヘリは、星またたく夜空へと舞い上がっていった。

 その姿を見上げながら、それまでずっと無言だった鈴が、無表情につぶやく。

「……惜しいわね、彼女。荒光が、猫舌仲間だって、喜んでたのに」

「にゃん」

「あら、荒光だけじゃないでしょ」

 裕美が、からかい気味に言う。

「リンちゃんだって、そう思ってたんじゃない? あなたも猫舌でしょ」

 鈴は、少しうつむいて、「……まあね」とだけ答え、また顔をあげて、夜空を眺めた。




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