第二話「魔法の艦長」
五月二十二日、十八時二十分。
魔法戦艦いずみは、艦長神楽早苗軍属大佐、副長有田聡子少佐の両名を迎え入れ、呉軍港より進発。一週間の試験航海の途についた。
本来の慣例なら、新造戦艦の処女航海に際しては、海軍や政府の要人も列席し、大がかりな式典が執り行われるものだが、今度に限っては、艤装を済ませ、物資を積み終えるやドックを出て、接岸も投錨もせず、湾内で艦長と副長の到着を待ちうけ、二人を収容するや即、逃げるように進発と、何にせよあわただしい船出であった。
この試験航海の目的は、巡航時の各種データの取得、全速試験、乗組員の育成訓練、戦闘演習など多岐に渡っている。
「連合艦隊からは、一刻も早い戦力化をと、矢のような催促でして……戦局も、あまりよくありませんから」
出航を急いだ理由について、有田少佐はそのように語るのだった。
「それは、あたしにも理解できるけど」
早苗は、艦橋中央の艦長席に座し、傍らに立つ有田少佐へ、少々不満そうな顔を向けた。
「そういうことだったら、人手が必要でしょ。あたしも何か仕事やったほうがいいんじゃない?」
「艦長どののお仕事は、そこへ座っておられることです」
「……むぅ」
にべもない対応に、早苗は頬をふくらませた。
五月二十六日早朝――試験航海出発から四日目のことである。
位置は豊後水道を南へ抜けたあたり。予定では、午前のうちに艦内演習を実施、午後には全速試験を行うことになっている。――が、これら艦内におけるあらゆる行動指揮権は、もっぱら副長たる有田少佐が執行し、早苗はただ艦長席から見物しているだけであった。
早苗は軍属として必要最低限の知識は初期の研修で教え込まれたが、幹部将校としてはいまだ何らの知識も与えられていない。むろん実務など到底こなせるはずもなく、結局、何事につけ他人に代行してもらうしかない状況だった。これはなかなかの苦痛で――針の蓆、といってよい。
早苗が起居している艦長室は、床に赤絨毯、天蓋つきベッドに、船窓には絹のカーテン、壁にはいかにも高価そうな油絵、天井には黄金色のシャンデリアと、贅をつくした内装に覆われており、食事と会議に使用する士官室も、貴族サロンでもあるような大理石の壁、黒檀の大卓、燦爛たるシャンデリアに彩られている。
こういう贅沢な環境が整っているうえに、連合艦隊総司令部からは、――区々たる軍務など、艦内スタッフで可能な限り処理し、艦長に負担をかけぬよう――と、有田少佐はじめ乗組員総勢五十名ことごとく厳命をうけているため、身辺の世話まで至れりつくせり、仕事といえば艦長席に黙って座っているだけ――という日課であった。
早苗にしてみれば、どうにも分不相応な待遇を受けているようで落ち着かないし、忙しそうに立ち働く艦橋要員らの姿など見るにつけ、申し訳ない気分にもさせられるし、なにより、なすべきことが一切ないので、退屈きわまりない。
この状況に追い討ちをかけるように早苗を苛立たせたのは、食事の味気なさである。
いずみは運用システムの大半が高度に自動化され、そう人手を必要としない構造になっている。かつて、このクラスの戦艦を運用するには二千名からの乗員を必要としたものだが、いずみの最大乗員数はわずか百五十名、しかも現在は試験航海の段階ゆえ、まだ五十人が乗り込んでいるに過ぎない。
それら乗員へ供される食事は、すべて自動調理システムでまかなわれていた。一般兵員と幹部将校とでメニューに違いはあるが、いずれも機械調理で、味覚的な工夫などはあまり考慮されていない。
「そりゃ、見ためは豪華だし、栄養も量も申しぶんないと思うけど、どうもね……」
その日、艦内演習終了後の昼食時。
この四日というもの、あえて黙って耐えてきた早苗も、とうとう音をあげて、こう不満をあらわにした。
「いくらなんでも、これはさ……呉で研修受けてたときのほうが、よっぽどおいしいゴハン出てたよ」
このとき、士官室へ食事に来ていた将校は、総勢十名ほど。機関長、砲術長、軍医長など、各部署の長が会席するなかでの発言である。
「それは言わないお約束です」
隣席の有田少佐が困り顔に応じた。
「配膳はともかく、調理は極力、人手を介さないシステムですから、こまかい味付けまでゆき届かないのは、どうにも致しかたありません」
「材料のほうは、結構いいものを仕入れとるんですがね」
主計長を務める草川主計少佐が横あいから口を挟んだ。定年間際のベテラン軍人で、経理、被服、烹炊など、艦内における主計科の仕事を統括する立場の人物である。
「ワシらはまあ、こういうのにも慣れとりますが。お若い艦長どのには、やはり味気ないでしょうな、この機械調理というやつは」
「確かに正直、おいしくないです……」
主計長の言に、早苗は素直にうなずいていた。
「でも材料がしっかりしてるのなら、ようするに、誰かがお料理すれば、もっとちゃんとした味になるわけよね。……誰かが」
ふと、早苗は有田少佐へ顔を向けた。
「少佐?」
「はい、なんでしょう」
「……あの、さ」
早苗は、少し遠慮がちにたずねた
「調理システムとは別にさ、この艦、ちゃんとしたキッチンって、あるのかな」
「烹炊所のことですか?」
「そう、それそれ」
「確かにあるにはありますが……当艦ではまだ、必要もないので、封鎖されたままですね。何らかのトラブルで自動調理システムが使えない場合の非常用ですので」
「……使わせて」
「はい?」
小首をかしげる有田少佐へ、早苗は真剣そのものの眼差しと口調で、一気にたたみかけた。
「今後、士官食は全部、あたしが作るから。その烹炊所、使わせてほしいの」
決然たる表情で懇願する早苗に、有田少佐は、とんでもない、という顔をしてみせた。
「艦長どのにそんなご負担をおかけするわけには。どうしてもということでしたら、誰か手の空いてる者に命じて、つくらせるようにしますから……」
「手が空いてる人なんて、どこにもいないじゃない。ギリギリでやってるんでしょ、この艦」
「は、はい、しかし」
「でもあたしなら暇だよ。なんせ何もやることないんだから。午後の全速試験だって、どうせただ座ってるだけでしょ。だったら、その間に、お料理くらい、いくらでも作れるから。毎日だって、十人分や二十人分くらい、楽勝よ」
ここぞと、早苗は勢いよく詰め寄った。有田少佐は、そのあまりな剣幕に二の句を継げなくなってしまう。
「味は保証する。自信あるんだから」
早苗がいったん言葉を切ると、士官室全体を、短い沈黙が覆った。
居並ぶ将校らの誰も、早苗と有田少佐のやりとりに割って入ろうとはせず、ただ静かに視線を注いでいる。
早苗は、周囲を眺め渡してから、あらためて、皆へ向かって述べた。
「――あたしの魔法は、こういう事のために使うものなんです。ひとつ、任せてみて下さい」
この一言が決定打となった。
有田少佐は、微笑とともにうなずき、おだやかに告げた。
「承知しました。でもあまり、ご無理をなさいませんように」
早苗の顔に、ぱっと喜色がひろがった。
無聊数日、ようやく何かしら、やるべき仕事ができた――そういう歓びであった。「お飾り」として、ただ座っているよりは、動いているほうがよほど気楽だと思えた。それが自分の得意分野なら、なおさらのこと。
「じゃ、さっそく、今夜のぶんから、あたしが作るから。……で、少佐、その烹炊所ってどこに?」
「ワシが案内しましょう」
草川主計長が、椅子を引いて立ち上がった
「それと、うちの科員に、器材と材料を運ばせましょう。補助の人手は必要ですかな?」
「いえ、調理はひとりで大丈夫です。荷物のほうは、お願いします」
「では手配しときましょう」
草川主計長がうなずくと、早苗は俄然、張り切った様子で、「エプロン持ってくるから!」と言い残し、士官室から駆け去っていった。
慌しい靴音が、次第に遠ざかってゆく。それまでただ黙して見守っていた砲術長の首藤少佐が、ふと呟いた。
「……仕事をさせないことで、かえって本人には負担をかけておったようだな。難しいものだ」
一同、つい苦笑をかわしあった。
いずみの建造以来はじめて、烹炊所に灯りが点った。
内部は早苗の想像以上に広々とした空間で、必要な設備も充実している。
草川主計長の指図で器材と食材が運び込まれ、ガスも通じるようになると、早苗は主計科員らを追い出して、ひとり、清潔な床に両足を張り、愛用のエプロンをかけ、慣れた手つきで腰紐をゆわえた。
――薄い桜色した、魔法のエプロン。
もともとは、小学六年生の頃、母親の瑠衣が買い与えてくれたものだった。見ためには変わったところはなく、特徴といっても、ちょっとしたフリル飾りが付いている程度。それで当時、早苗はひそかに、このエプロンに「フリフリ」という名を付けた。
そのときからである。不思議な魔法が早苗に備わったのは。
「フリフリ」を身につけたとき、早苗の意識には、古今東西の様々なレシピ、時宜にかなった献立が自然なイメージとなって湧きだし、あらゆる調理器具も加減自在、意のまま操れるようになる。
これが早苗を魔女っ子たらしめる力――魔法料理であった。
(いくよ、フリフリ)
心で呼びかけ、唇には、秘密の呪文。
桜色のエプロンが、忽然、真珠のごとき光沢を帯び、淡い輝きを放ちはじめる。
「さてと……まずは、アレか。ここなら広いから、手加減なし、全力でやれるね」
右手に包丁を握り、念を集める――。
手始めに製作するのは、アイリッシュ・シチューを原型とする伝統の海軍料理、肉じゃがである。
早苗がおもむろに包丁を振り上げると、麻袋に収まっていた大量のジャガイモ、そのうちおよそ一キログラムぶんが、ひとりでに、次々、宙へ舞い上がった。
「やっ!」
と、包丁を振り回せば、軌跡が光の螺旋を描き、刃はたちまち風を呼び、空気は見えざる渦を巻いて宙なるイモの群れを撃ち、皮をはぎとり芽を除き、割って、切って、角をとり――瞬く間に、乱切りに整形されたジャガイモが、水を張った鉄製のボウルへと、ばらばら落ち込んでいくのだった。
そうするうちにも、もう人参、玉葱、糸蒟蒻、などの具材も空中へ浮かんでいるし、いつの間にか大鍋は火にかけられ、じわじわ油煙を噴きはじめている。
そこへ牛肉の一塊が、次はおのれの番といわんばかり、ふわりと漂ってくる。早苗が、それっ、と包丁を突き出すと、輝く白光の輪舞が肉を裂き、スライス、こま切り、三センチ――あえなく切り分けられ、ことごとく大鍋の油煙へ、続々放り込まれてゆく。
早苗は別の鍋に火をかけ、昆布と鰹のだし汁をとりつつ、さらに宙へ向け刃を振るい、玉葱を櫛切りに、人参は乱切りとして、軽く刃を入れた糸蒟蒻ともども、次々、大鍋へ叩き込んでいった。
食材が油に馴染んだ頃合、大鍋にだし汁を加え、アクを取りつつ煮立ててゆく――はや次なる料理の食材を準備しつつ、火力を弱めて砂糖とみりんを加え、落とし蓋して、五分。
使い終えた器材を洗い、十数匹もの鱈をさばきながら、大鍋には醤油を加え、さらに煮込んで――グリーンピースをぱらりと散りばめ、ひと煮たち。
こうして肉じゃがが完成したとき、すでに別の鍋には満々と油がたたえられ、脇には衣を帯びた鱈の切り身が山と積まれている。
「さッ、次は揚げ物」
肉じゃがの出来ばえは上々――。早苗は、心身とも充実という顔して、楽しげに、新たな作業へとりかかった。
包丁をひとつ振るたび、箸を繰るたび、ヘラを返すたび、かならず虹の光彩があふれ、あらゆる食材は指揮者のタクトに従うように、様々な和音を奏でつつ確実に調理されてゆく。
器材は鳥雲のごとく飛び交い、風が舞い火焔が踊り、作業台にはたちまち無数の皿が並んで、暖かげな湯気、芳香をたちのぼらせるのだった。
この日、士官室の大卓にのぼった献立は。
肉じゃが、白身魚のフライ、ホウレン草と小魚の和え物、キャベツとコンソメのスープ、昆布とトマトのサラダ。他に、人参を使ったカップケーキなど――。
早苗の包丁さばきはとどまるところ知らず、結局、士官食のみならず、全乗組員にゆきわたって、なお余るほどの分量を、半時間という迅速さで完成させている。
それらは主計科の人手を用いて、ただちに士官室と科員食堂へ運ばせ、両者分け隔てないメニューを配膳させた。
通常、軍艦の食事というのは、豪勢なかわり毎回実費を要する士官食と、セルフサービスの無料配給となる一般兵食とがあって、両者では当然食事の質は変わるし、メニューもずいぶん違ったものになるのが慣例だが、早苗は、この壁を一気に取り払って、皆に同等の食事をと、腕によりをかけたのである。
「全艦、同じ食事を」
そう艦長として命じられれば、誰も、否とはいえない。
夕刻。士官室に集った人々は、まず出揃った料理の見ためが意外に素朴なことに驚いた。総じて家庭料理であり、山海の美味薫醸を並べたような贅沢なものではない。
席につき、それらを実際に食すや、たちまち、そこかしこから感嘆の吐息があふれ、続いて早苗への賞賛の声があがった。
「大したもんだ。肉じゃがというのが、こんな旨いもんだとは、ついぞ知らなんだ」
と、草川主計長が絶賛すれば、有田少佐も、白身魚のフライを頬張りながら、いまにも感涙こぼさんばかり、しみじみ述べる。
「こんな美味しいフライ、初めてです。なんというか……。幸せって、こういうことなんでしょうか」
機関長の大庭少佐、砲術長の首藤少佐らの古兵らも、「旨い、旨い」と夢中のように語るし、軍医長の芦田少佐などは、「うちのかみさんも、これくらい上手けりゃ……」と、つい、こぼすような始末であった。
「よかった、みんな喜んでくれて」
早苗も得意顔である。
「今後、希望のメニューとかありましたら、いつでも聞かせてください。材料さえあれば、なんだって作れますよ」
こう高らかに宣言するのへ、有田少佐が、少々気遣わしげに早苗を見る。
「今後……ですか。我々にしてみれば有難いお話ですが、この試験航海後、わが艦は正式配備となり、配属乗員数は、いまの三倍に膨れあがることになります。その全員分ともなりますと……」
「なに言ってんの、全然余裕よ」
早苗は強気な笑みを浮かべる。
「今日だって、これ、三十分もかかってないんだから。一日三食、百五十人分としても――ま、たいしたことないわね」
「しかし、本当に、それでよろしいのですか? 補充人員が来れば、そこから人手を割いて烹炊作業にあてることもできますが」
有田少佐の言葉に、早苗は笑って首を振った。
「あたし、他に取柄がないからね。艦長の仕事は、だいたい、少佐が代行してくれてるでしょ? だったら、あたしは、あたしにしかできない仕事がしたいのよ。今日、やってみて、はっきりわかった。これがあたしの仕事だって」
力強く言いきる。
早苗は、もう覚悟を決めきっていて、その表情にも、一片の迷いも逡巡もないようだった。
有田少佐は静かにうなずいた。
「そこまでおっしゃるなら……。わかりました。ですが、せめて烹炊作業がない時間帯は、艦橋にいて下さいね」
「や、やっぱり、そういうときは、ちゃんと座ってないとダメ?」
「むろんです。そちらが本業ですから」
「むぅ、あれ退屈……」
早苗は、子供っぽく口をとがらせてみせ、将校一同の笑いを誘った。
深夜。
柱島泊地に繋留中の連合艦隊旗艦、揚陸指揮艦「しなの」艦橋。
連合艦隊の枢要をなす幹部らが居並ぶなか、電信官が歩み寄ってきて告げた。
「いずみより定時報告です。現在まで、すべて問題なし、と」
「……そうか」
連合艦隊司令長官、小沢政三郎大将は、短くうなずいた。
「どうやら順調にいっておるようだな。あの素人艦長が何か我侭でも言っておりやせんかと、少々心配しておったが」
「なにせ、ここ何年も、自宅にひきこもっていたそうですからな」
と、先任参謀の出崎少将が応じる。
「それだけに、扱いは慎重にと、乗員らへ指示してあります。すぐ辞められたりしては、たまりませんので」
「うむ。で、今後のことだが」
「段取りは、ほぼ済んでおります。塚口少将は、すでに呉鎮守府へ到着し、手続き中です。他の人員も、あらかた呉へ向かっております」
「そうか。ところで……彼女は、本当にあのままにしておいてよいものかね。これからでも、いずみへ教官なりと派遣し、最低限の幹部教育だけでも施してやるべきじゃないかね」
「そのために、有田少佐がついているのです。なにせ海兵次席の秀才ですからな。任せておいて、まず問題ないでしょう」
「……そうか、あの子がついておったな。ただ、なにせ若い……ちと不安ではあるが」
海軍の幹部教育機関としては、海軍兵学校と海軍大学校がある。兵学校はいわゆる士官学校に相当し、これを卒業して任官後、一定以上の勤務実績を上官に認められた優秀な士官にのみ、海軍大学校への受験資格が与えられる。これに合格して海大入学をはたし、なおかつ優秀な成績で卒業することが、キャリア軍人の必須条件であった。有田少佐も、そういう難関をくぐり抜けてきた若手キャリアの一人である。
「晴嵐の発動まで、あとわずか……」
小沢長官は、複雑な面持ちで、両手を腰に回し、ゆっくり窓外を振り仰いだ。
「戦力は揃いつつある。なんとしても、勝ってもらわねばな」
魔法戦艦いずみは、一週間の試験航海を終えて呉へ帰還した。
しかし休む暇はなく、連合艦隊司令部から、待っていたとばかり新たな辞令が届いている。
要約すると。――魔法戦艦いずみは、六月一日付をもって連合艦隊に正規配備となり、新設の第七魔法戦隊へ編入、同戦隊旗艦と定む。戦隊司令部の設置運用すべく、すみやかに要員受け入れ準備せよ――と。
いずみは帰還後ただちにドックへ入り、主機関や艤装の点検を受けた。この間に、補充の人員やら物資やら続々と集結しだして、手続き、確認、搬入、乗り込み、報告、行きかう人々の足音、ざわめき、クレーンやコンベヤの機械音など、たちまち艦内外とも喧騒雑然、慌しい空気をみなぎらせはじめた。
早苗も艦橋にあって種々の決裁に追われており、有田少佐に手伝ってもらいながら、書類の束にペンを振るっていたが、そこへ係官が駆けつけて報告した。
「塚口少将が到着なさいました」
「あれ、もうそんな時間?」
早苗は、きょとんと顔をあげた。
「戦隊司令の人よね。まだ約束の時間には随分早いような……」
呟くうちに、見るから雄偉な一将校が、靴音高く艦橋へ踏み込んできた。
戦隊司令といえば、本来ならタラップで出迎えねばならない相手である。早苗はあわてて席を離れ、腰を折って上半身を前傾させる海軍式敬礼をほどこした。
「……ご苦労」
短く答礼する将校の声に聞き憶えがある。早苗が姿勢を戻して顔を上げると、やはり見憶えのある姿がそこに立っていた。
「あ、鎮守府で……」
早苗は動揺気味に口走った。刃を太陽にかざしたような、ぎらぎらした厳しい眼光と、無愛想だが精悍な顔つき。広く逞しい肩。そして相変わらず、軍服の着こなしは少々だらしない。
「奇遇だな」
と、青年将校は眉ひとつ動かさず答えた。
目と目が合う。
年の頃は、早苗と同じか、それよりやや上くらいだろう。一見、青年の双眸はただ厳しく険しいばかりだが、早苗は、その奥深いところに、どこか穏やかな、温もりを感じさせる何かを見ていた。
――悪い人ではない。
確たる理由はないが、早苗はそう直感した。
「お、お出迎えもせずに、そ、その、失礼、しました。わたしは、神楽早苗軍属大佐、当艦の艦長です」
つい、口調がたどたどしくなる。
耳朶が熱い。
先日、この人物への敬礼を忘れてしまったことなど思い出して、早苗は無性に恥ずかしい気分になっていた。
「塚口修一だ。先日、少将になった……ここで、第七魔法戦隊の指揮をとることになる。以後よろしく頼む」
素っ気ない口調で言う。
声には、相変わらず独特の重みがあった。
「こ、こちらこそ」
早苗は、いまや耳全体を真っ赤にして、短く応えた。
有田少佐が自己紹介を行う間、早苗は、なんとなく下を向いて、戸惑い気味に自問自答していた。
(お、おかしいなぁ、……なんであたし、こんな恥ずかしがってるんだろ)
「艦長どの?」
有田少佐が、不思議そうに早苗の顔をのぞき込む。
早苗はあわてて顔をあげた。
「あ、ご、ごめんなさい。……ええと、塚口、少将――閣下、その、連合艦隊からは、何か」
「閣下は不要だ。そうだな。提督、でいい」
「はい?」
小首をかしげる早苗に、有田少佐がフォローを入れる。
「提督とは、艦隊指揮官に付される称号です」
「え、あ、そうなんだ。では、……提督」
「ああ。連合艦隊からは、我々がこの艦に乗り込んだ時点をもって、第七魔法戦隊の発足とみなし、積み込み作業が終わり次第、すべての予定を繰り上げ、戦隊司令の指揮下にて作戦行動へ入るように……そう指図を受けている」
「質問、よろしいでしょうか」
有田少佐が尋ねる。
「第七魔法戦隊とは、魔法艦隊所属の新設部隊と推測しますが、当方にはいまだ、なんらの説明も来ておりません。よろしければ、命令系統の帰属や、所属艦艇の内訳など、詳しくお聞かせ願えませんでしょうか」
「この艦だけだ」
「は?」
「第七魔法戦隊の所属艦艇は、この戦艦いずみのみ、と聞いている」
有田少佐は、軽くまばたきした。
「それは……、いずみ単独で、一個戦隊を編成する、ということですか」
「そうだ」
塚口「提督」は、無愛想にうなずき、淡々と語る。
「今後当面の間、戦艦いずみは、単独で、ある作戦行動に従事する。それにともない、艦の指揮とは別に、独立した作戦指揮系統を置き、第七魔法戦隊という部隊名を新たに割り振ることになった。形式上は魔法艦隊の所属だが、実際の指揮系統は連合艦隊司令部の直属となる。いわゆる独立部隊というやつだ」
「独立部隊……ですか。なるほど、その点は諒解しました。では今後、わが艦が従事するという、ある作戦行動とは、どういった内容なのでしょう」
「……それよりも」
塚口提督は、不意に話をさえぎった。
「どうやら、先ほどから、次の来客がお待ちかねのようだ。作戦の話は、あとにしよう」
言いつつ、背後の艦橋出入口へ向け、肩ごしに呼ばわる。
「いつまでも隠れてないで、出てきたらどうかね」
ややあって、複数の小さな人影が、出入口の陰から、ぞろぞろ姿を現した。
「なんだ……ばれてたみたい」
「ちぇー」
「あーあ、ビックリさせてあげよーって、思ってたのにー」
ため息まじりに、めいめい呟く声は、落胆しているようにも、少々ばつが悪いというようにも聞こえる。
共通なのは、ちょっと照れているような、はにかみを含む、幼い顔つき。
服装は、ジャンパースカートやサンドレス、ブラウスにキュロットなどと各人まちまちであるが、皆それなりにおめかししている様子である。
一団、互いにうなずきあい、しめしあって、艦橋内へ駆け込んできたかと思うと、早苗たちの前へ整列し、一斉に、敬礼がわりのお辞儀をしてみせた。
いずれも十歳前後の少女らと見え、その胸もとには、軍属の証たる階級章。今後、戦艦いずみの所属となるべき、小さな魔女っ子たちであった。
「よろしくおねがいしまーす!」
声を揃えて、元気よく挨拶する。
「ええ、よ、よろしく」
早苗は、なにか、気圧されたような顔つきして応えた。
「いつから、あそこにいたの? 全然気付かなかった……」
「えへへ、でしょ、でしょ? みんなで、艦長さんをビックリさせてあげようって思って、こっそりかくれてたんだよー」
小柄で、少しくせっ毛の少女が、ほがらかに言う。すると、その隣りに立つ、やや年長と見える娘が「こら、失礼でしょ」と、たしなめた。
「それにしても、早かったのね。到着は夕方くらいって聞いてたけど」
早苗がそう訊ねるのへ、年長の少女が丁寧な口調で応じた。
「はい、その予定でしたが、連合艦隊のほうから、急ぐようにと連絡がありまして……」
そこへ、有田少佐が質問を投げかける。
「到着予定は五名と聞いていましたが、ひとり足りないようですね?」
「それは――」
誰かが答えようとしたとき、けたたましい靴音が響き、あらたな人影が、勢いよく艦橋へ闖入してきた。
その姿を視界に認めるや、早苗は、不意に銃声をきいた鴨のごとく慌てふためいた。
「ばーんっ!」
かけ声も高らかに、整列する少女らの間をすり抜け、満面、はじけるような笑顔とともに、早苗の胸めがけて、飛び込んできたのは――。
「み、美佳ちゃんっ?」
「えへへ、ちょっと遅れちゃった」
魔法の熾天使ミカ、すなわち池上美佳、その人であった。
海軍に所属する魔女っ子は例外なく士官待遇である。
早苗のような特例中の特例はともかく、通常、魔女っ子の階級は、下は少尉からはじまり、上は大佐まで、能力、経験、実績などに応じて随時昇進してゆく。
実際には、魔女っ子が活躍できる期間は概して短く、佐官級まで昇進できる者は稀だが、この日、魔法戦艦いずみに参集した五名は、全員が少佐の階級を有し、経験実績いずれも海軍トップクラスという精鋭たちであった。
――その顔ぶれは。
コードネーム「魔法の閃光ユミ」
雛園祐美、十一歳。
五名のうちでは最年長。その容姿や物腰も、他の四人と比較すれば、かなり大人びているように見える。
魔法のブレスレット「コズミック・スター」の所有者。その魔力で二十歳前後の美貌の女性へと変身し、空中に無数の光の槍を生みだして自由自在に操り、遠距離からあらゆる敵を討ち貫く。星々の輝きをまとい、あでやかな漆黒のロングドレスをひるがえして優雅に戦場を舞う姿から、海軍内では、星の女王と呼ばれることもある。
コードネーム「魔法の烈風ハルカ」
所沢遥、八歳。
くるりと大きな黒い瞳と、ショートカットの黒髪が印象的。
普段は引っ込み思案でおとなしいが、古代遺跡から発掘されたという魔法の指輪「ドラウプニル」の魔力で、しなやかなアスリート風の少女拳士へと変身成長する。その剛拳は音速を超え、その怪力は巨大戦艦を片手で放り投げるという格闘の鬼。変身中は性格も一変し、勇猛果敢で強気一辺倒という、より戦闘向きのメンタリティを備えるようになるが、少々血気にはやりすぎる一面もある。
コードネーム「魔法の剣豪リン」
高宮鈴、十歳。
腰まで届く長い黒髪の少女。前髪は額に垂らして切り揃え、雪白の肌、眉涼やかに、伏せがちの睫は黒々と濡れて、さながら市松人形のように、物静かで儚げな風情を漂わせている。
普段はシンプルなワンピースをゆったり着こなしているが、実戦時には黒袴姿に白鉢巻の合戦装束を身にまとい、この世にただ一振りという魔法の日本刀「荒光」を握りしめ、真っ先に敵勢へ斬り込んでゆく。その刃は鋼鉄を断ち割り、海を裂き、山をも砕くが、蒟蒻だけは斬れない、らしい。
コードネーム「魔法の精霊マリ」
彩賀真里、七歳。
一同のうちでは最年少。フリルたっぷりのサンドレスで身を飾り、小柄な体を目一杯に動かして懸命に自己表現する姿は、さながら風に揺れる鈴蘭のごとし。
茶色がかったくせっ毛と、人懐こい笑顔が特徴。「フラワー・メダリオン」という魔力源を胸にさげ、魔法のドレスを身にまとい、魔法のホウキで空を飛び、魔法のジョウロで虹を描き、魔法のスコールを降り注がせる。
彼女の魔力は多方面に様々な効果を発揮する。兵器類や攻撃魔法を無害な植物に変化させたり、傷ついた人々に癒しをもたらすことや、戦いに破壊された自然環境を復元するなど、ほぼ万能に近い力を秘めている。
コードネーム「魔法の熾天使ミカ」
池上美佳、九歳。
普段はこれという特徴もない普通の小学生だが、ひとたび魔法の宝杖「プリンセス・バーナー」を握りしめれば、たちまち紅蓮の炎を身にまとう灼熱の魔法少女となる。
その魔力は単独で大都市を焼き尽くす熱量と破壊力を秘め、海軍内では、歩く絨毯爆撃とか天翔ける火薬庫とか、なにやら物騒な異称で呼ばれることも多い。
いずれ劣らぬ力量を誇る、五人の小さな魔女っ子たち。
彼女らは魔法戦艦いずみの直掩部隊となるべく配置され、形式上は艦長たる早苗の直属であった。
ただし作戦行動時には、魔法戦艦いずみそのものが第七魔法戦隊司令部の隷下に入るため、実質上、戦隊司令たる塚口提督が彼女らの戦闘指揮を執ることになる。
「さっきは、心臓とまるかと思った……」
早苗は、困り顔でストローをくわえ、グラスのメロンソーダを一気に吸い上げた。
艦内カフェテラスの一隅。
早苗と、魔女っ子たち五人と連れだって、親睦会がわりのティータイム。
白い円卓に紅茶やジュース、ケーキやクッキーやらを並べ、たがいに笑いさざめきあいつつ、食べたり飲んだりはしゃいだり、皆すっかりくつろいだ様子である。
五人の魔女っ子たちはいずれも異なる方面の部隊から召集されており、もとは互いに一面識すらなかったが、三日前、呉の海兵団施設ではじめて合流し、いずみの帰還までの間、寝食をともにしていたという。もとより順応力ある子供たちのこと、三日も交われば十年来の戦友も同然の仲である。
「そんなにビックリした? 連絡、そっちにいってなかったのかなあ」
美佳が首をかしげる。早苗は意外そうな顔つきで応えた。
「連絡なんて何も……だから、まさか美佳ちゃんがここに来るなんて、思ってもみなかったよ」
「あたしも、つい今朝、聞かされたところだったんだよ。サナおねえちゃんが軍隊に入って、いまは戦艦の艦長さんやってるって。で、あたしたちも、今日からその戦艦に乗るんだって。そんなの全然知らなかったから、あたしもビックリした」
「そりゃ、まあ……、入隊したの、たった二週間前のことだから……。ただ、あたしも、そのことを美佳ちゃんに報告しようと思ってたんだけどね。急に配属先が変わったとかで、全然連絡つかなくて困ってたのよ」
「ねーねー」
と、横あいから、最年少の彩賀真里が早苗に笑顔を向ける。
もとは魔法戦艦「かが」の所属で、おもに日本海方面の戦闘に参加していたという。
「艦長さんも、魔法つかえるんだよね?」
「んー、一応ね。でも、みんなみたいに、戦いに使えるものじゃないけど」
「そうなの?」
「そう。でも多分、みんなの役には立つと思うよ」
「お料理の魔法……でしたっけ。ミカちゃんから聞いていますよ」
こちらは一同で最年長の雛園祐美。オレンジジュースを手に、おだやかな視線を早苗に向けている。
呉に出向く直前まで、魔法戦艦「むつ」の空戦隊に所属し、長らく最前線勤務を続けていたらしい。
早苗は微笑とともにうなずいた。
「今日からさっそく、みんなのぶんも作るから。楽しみにしててね」
「え? 艦長さんが、みんなのゴハンつくるの?」
大きな目をぱちくりさせながら、そう尋ねるのは、所沢遥。
おっとりした顔つきからは想像もつかないが、一同では最も豊富な戦闘経験を擁し、魔法戦艦「ながと」の一員として太平洋全域を駆け巡ってきたという。
「他にゴハンつくる人、いない……の?」
その遥が、なにか不安そうにつぶやく。
(あたし、そんな頼りなく見えるかな……)
と、内心苦笑しながら、早苗は遥の髪を撫でてやった。
「いないんじゃなくてね。あたし一人で充分なのよ」
「そうなの?」
と、遥は、なぜか美佳のほうをかえりみる。
美佳は誇らしげにうなずいた。
「サナお姉ちゃんのゴハンは、えーっと、テンカイッピン、だよ。すっごくおいしいんだから」
真里が、途端に目を輝かせ、声をあげた。
「へーっ、じゃあ、じゃあ、ホットケーキとか、つくれる? おいしいホットケーキ!」
「それ、ゴハンじゃないよ」
「にゃー」
高宮鈴が、ふとつぶやいた。
左肩に、小さな黒猫がしがみついている。
この黒猫、外見からは生後数ヶ月くらいの子猫としか思われないが、実際は魔法の日本刀「荒光」の化身で、魔法生物とでもいうような存在であった。
彼女は、この荒光を携えて、おもにオホーツク方面を転戦しており、魔法戦艦「はるな」の主力として少なからぬ戦果をあげてきたらしい。
「えーっ、ホットケーキはゴハンだよー」
真里が口をとがらせる。
「じゃあ、じゃあ、リンちゃんは、どんなゴハンが好き?」
唐突な質問に、鈴は、眉ひとつ動かさず答えた。
「ビーフストロガノフ」
一瞬、一座の空気が止まった。
皆、やや意表を突かれたらしい。
遥が、きょとんとした顔で訊く。
「……びーふ?」
「煮込み料理よ」
「にゃー」
答えつつ、鈴は、ちらと早苗へ眼差しを向けた。なにか補足を求めているようである。
「え、えーっと、ロシアの煮込み料理ね。でも、考え出したのはフランス人のコックさんだったから、フランス料理ってことにもなってるわ。薄切りのお肉に玉葱、トマトなんかをスープで煮込んで、仕上げにサワークリームを加えて、バターライスとかと一緒にいただくの」
早苗の説明に、一同、「へぇー」と、感心したようにうなずいた。
美佳がたずねる。
「なんか、すごいおいしそう。サナおねえちゃん、それ、作れる?」
「そりゃもちろん」
「わぁ、じゃそれ、食べたーい!」
真里が身を乗り出すと、祐美も「わたしも食べたことないから、興味あるなぁ」と、同意した。
「そういうことなら」
早苗は一同を見渡した。
「今日の晩ゴハンのメニュー、ビーフストロガノフに決定、ね。みんな、異議なし?」
「いぎなーしっ!」
魔女っ子たちは、元気に声をそろえて唱和した。
その頃、いずみ艦橋。
塚口提督は指揮座に腰を下ろし、魔女っ子たちの資料へ目を通していた。
かたわらには有田少佐の姿。
「魔法艦隊に属する各戦隊から、ひとりずつ……トップエースばかりを引き抜いて、ここへ集めたわけだな。まさに、錚々たる顔ぶれだ」
資料を卓へ投げ置き、腕を組む。
「軍令部のプランに、連合艦隊もよく応えているようだな」
「ですが……」
有田少佐は、わずかに眉をひそめた。
「まさか、わが艦単独で、晴嵐の要を遂行せよとは。以前、長官閣下からお伺いした計画には、そのようなことは何も……方針が変わったのでしょうか」
「不満か?」
塚口提督は、おだやかに有田少佐の顔をかえりみた。
「大艦隊をぞろぞろ引き連れても、むしろ邪魔なだけだ。この艦の戦力だけで充分、遂行可能だと思うがな」
「……それは、わかります。あの顔ぶれを見れば」
「ならば、少しは上の事情も汲んでやりたまえ。正面に米英艦隊という大敵をかまえ、一方で虹十字の要求にも応えねばならん。こういう曲芸をやらかすのに、軍令部も連合艦隊も相当苦心しているはずだ」
「……はい」
有田少佐が神妙にうなずくのへ、塚口提督は、かすかな笑みを浮かべた。
「こちらとしては作戦指揮に集中したい。当面、この艦での面倒事は、すべてきみに押し付けるざるをえん。苦労をかけるが、ひとつ頼むぞ」
「いえ、私などは。提督のほうこそ、これから大変ですよ」
「お互いさまだ。しかるべき時期までに、やれるだけのことをやる。それだけだ」
塚口提督は、軽く手を振った。退出せよ、との合図である。
有田少佐は敬礼をほどこし、艦橋から退出していった。
残った塚口提督は、卓上の資料をつまみあげ、あらためて資料の内容を一瞥していたが、そこへ担当官が歩み寄って告げた。
「連合艦隊総司令部より無線電話が入っております。虹十字からメッセージが届いた、とかで」
「……そうか」
塚口提督は、これあるを予期していたように、悠然と立ちあがった。