第一話「魔法の家事手伝い」
神楽早苗は大阪北部のベッドタウンに生まれ育ち、平凡な成績で大学へ入り、平凡な成績で卒業した。
その後は、就職せず、結婚もせず、ひたすら実家にあって、家事手伝いの日々をもう四年も続けている。
「そのうち、いい男みつけるから……」
周囲には、こう口ぐせのように語るが、二十七歳という年頃にして化粧っ気もなく、服飾に気を遣うそぶりもなく、そもそも市街へ出ることも滅多にしない暮らしぶりで、誰もそれを真に受ける者はいなかった。
四月下旬の昼下がり。
ベッドで惰眠をむさぼっていた早苗は、自室の大型情報端末――ほとんどゲーム用途くらいでしか使っていない――からの呼び出し音で目をさました。
「あぁ……なによぅ、もう……」
睡眼をこすり、けだるげにベッドから這い出し、キーボードに指をのせる。
ほどなく端末モニターの主電源が入り、同時に怒声が轟いた。
「早苗っ! テメェ、まだ寝てたのか!」
「お、おおおお母ちゃん?」
奇声とともに、早苗は、はね起きた。
「おうよ、テメェの母親だよ! 悪いか!」
映像パネルに浮かぶのは、眉目うるわしき女性の姿である。
ウェーブのかかった長い黒髪、濡れるような睫。赫怒に歪む口もとさえ凛然と整って、「お母ちゃん」という単語が、あまり似つかわしくないような、そういうみずみずしい美貌であった。
「いえ、あの、ご、ご機嫌いかが……」
「よろしいわけねえだろ! こんな時間までゴロゴロ寝やがって。どうせ毎日ゲームばっかやってんだろうが」
「そ、そんなことないよ、家事くらいはちゃんと……」
「やって当然だろうが、いまテメェは居候も同然の身だぞ? 一体いつになったら、いい男とやらを連れてきてくれるんだ」
「あー……はは、は……。で、あの、お母ちゃん、いまどこに……?」
「ああ、成田に向かってるとこ。空港に入っちまうと、手続きやらなんやら忙しいから、その前に、と思ってな」
どうやら、母親は車中から携帯端末で接続しているらしい。
早苗は、少々首をかしげた。
「また急な仕事?」
「そうだ。まだ当分、戻れそうにないな」
「そう……」
「そういうこったから、家のことは頼むぞ。帰ったら窓枠の埃、チェックすっからなァ」
(……どこの小姑じゃ)
早苗は内心苦笑いしながらも、「はいはい、ちゃんとやります」と、愛想よくうけおった。
やがて端末の映像が消え、部屋に静寂が戻ると、早苗は肩を落とし、大きく溜め息をついた。
(いつもながら、なんていうか――あれで、五十近いんだもんなー……)
早苗はこの小さな二階建ての家に、母親の瑠衣と二人で暮らしてきた。
父親は早苗が十二歳の頃に病没している。瑠衣も仕事で世界中を飛び回っており、あまり家には戻ってこない。二人暮らしとはいうものの、この十数年、早苗は実質ひとりで家を預かっているような状況だった。
(……ああ、もうお昼過ぎてる)
早苗は、あわてて階下へかけ降りた。
この日は約束があって、夕方までに、大切な客が訪ねてくることになっている。
愛用のエプロンを締め、いそいそとキッチンに入ると、早苗は饗応の下ごしらえにとりかかった。
早苗の唇から、なにやら呪文めいたささやきが、吐息のように、そっと洩れ出す。
包丁を握ると、その刃が白くまばゆく輝いた。
おもむろに俎板へ向かい、一心に野菜を刻みはじめる。
三秒でキャベツ一個を千切り、二秒で大根の皮を剥ぎ取って細切れ、一秒足らずで魚を三枚におろす――。
目にも止まらぬ早業。人並の手際とも思われない。
早苗のエプロンが、陽光を受けた真珠のように、つややかに輝いている。やわらかな乳白色の光が、エプロンから早苗の全身へと伝い広がり、早苗に何かしらの力を与えているようだった。
早苗は、歴とした「魔女っ子」である。
ただし、いわゆる「戦う魔法少女」たちと違って、その魔法は限定的なものだった。せいぜい料理を手早く上手にこなせるという、ささやかな能力に過ぎない。
早苗自身は、なくても特に困らないが、便利だとは思っている。その程度の「魔法」であった。
材料の下ごしらえを終えると、早苗は鍋に火をかけ、ふと手を休めた。キッチン傍らに備え付けられたテレビモニターの電源を入れる。
「……以上、京都、加茂川から、中継でお送り致しました。続いて本日の大本営発表、担当は辛光アナウンサーです。辛光さん、昨日は大変な騒ぎでしたねぇ」
「はい、辛光です。先日、強敵アメリカ太平洋艦隊を相手に、久々の大戦果を挙げた日本海軍魔法艦隊。その戦闘から三日後となる昨夜午後十時、呉軍港へ凱旋をはたした魔法艦隊は、詰め掛けた報道陣と関係者、ファンの方々の盛大な出迎えをうけ、……あ、これ、映像出てますか? これですね、ご覧のとおり、もう大変な人だかりで、艦隊首脳の方々もなかなかタラップから降りられないほど、熱狂的な歓迎ぶりでした」
「ああ、これはすごいですねぇ」
「今回の戦果ですが、一度の会戦で二十四名を撃墜というのは、日本の魔法艦隊はじまって以来、四番目という大記録なんですね。しかも投入戦力は日本側が七名、アメリカ側二十六名と圧倒的な開きがあって、さすがに厳しいといわれていたんですが、終わってみればアメリカ側は戦力のほとんどを喪失したのに対し、わがほうでは二名が軽傷を負ったものの、それ以外には大きな被害もなく、今次作戦の最終目標であります伊豆諸島周辺海域、その制圧奪回にも成功しました。まさに完勝ですね」
「辛光さん、それでですね、今回の、まさに大戦果だったわけですが、海軍のほうではその勝因を、どのあたりにあったと判断してるんでしょうか」
「海軍の公式コメントについては、夕方のですね、鈴木海軍大臣の記者会見を待たねばならないんですが、いま手許にあります大本営発表資料を見る限り、コードネーム、魔法の熾天使ミカ……、この方のスコアが実に驚異的でして、単独で撃墜十九、アシストも二、記録しています。やはり、彼女の大活躍こそが勝利の原動力になったとみて、まず間違いないと……」
鍋が煮えた。
薄暮の頃。
インターホンが鳴り、待ち人の来訪を告げた。
早苗が玄関のドアを開けると、満面の笑顔とともに、小さな子が、胸もとへとびこんできた。
「ばーんっ!」
「おーっ、元気そうだね! おかえり、美佳ちゃん」
「ただいま、サナおねえちゃん」
いまや海軍にその人ありとうたわれる魔女っ子。コードネーム「魔法の熾天使ミカ」こと池上美佳は、そう朗らかに応じて、白い歯を見せた。
いま、美佳の髪は、戦場にいたときと異なり、つややかな黒髪である。服装も、そこいらの同年輩の少女らと変わりばえはない。荷物は足元のスポーツバッグひとつ。何を詰め込んだものか、やけに大きく膨らんでいる。
「三ヶ月ぶりかぁ。ちょっと背、伸びたね」
「ちゃんと、好き嫌いしないで食べてるから。サナおねえちゃんに言われたとおりに」
「うん、偉い。それに、大活躍だったってね、テレビでやってたよ」
「そりゃもう、頑張ったもん」
「じゃあ、今日はそのへんの話、聞かせてね。美佳ちゃんの好きな物、いろいろ準備しといたから。泊まっていくでしょ?」
「うん! お父さんもお母さんも、帰りは明日になるって言ってたから」
言いつつ美佳は、子犬のような仕草で早苗にじゃれついてくる。早苗は笑みを浮かべた。
「お隣りさん、いつも忙しそうだもんね。うちもだけど」
神楽家と池上家は、もともと隣りどうしで、親の代からそれなりに交流があった。
早苗と美佳は、年齢はずいぶん離れているが、お互い一人っ子で、親が仕事の都合で滅多に家に戻らないという同じ家庭事情を抱えていた。早苗は美佳が生まれた直後から、実の妹のように美佳をかわいがり、世話を焼いてきたのである。美佳のほうでも、早苗を姉か、もうひとりの母のように慕って、ふたりは長年睦まじく過ごしてきた。
二年前、美佳が軍部からのスカウトを受けたことで、状況は大きく変わった。美佳は両親や早苗と話し合って、散々迷った末に海軍入りを決めた。それ以来、美佳は艦隊勤務となって一年の大半を洋上で過ごすことになり、早苗はその帰りを心静かに待っている。二人はそんな間柄であった。
――やがて、リビングにて、食卓を埋め、湯気をあげる、できたての料理の数々。
肉じゃが。ロールキャベツ。大根とキャベツのサラダ。そして美佳の大好物の、白身魚のフライ――を前に、美佳は目をかがやかせた。
「わはぁー、おいしそーっ。いただきます」
「デザートもあるからね。ゆっくり食べて」
「うん。……んー、おいしーっ!」
美佳は、満悦顔で、はずむように箸を運びはじめた。
嬉しそうにフライを頬ばり、こぼれるような笑顔を見せる。
早苗は、そんな美佳の姿に目を細めた。
「今回の休暇って、いつまで?」
「んー、とね。日曜日まで。それで、月曜日の朝、お迎えの車が来るから、って」
「三日か……今回は短いなぁ」
「なんかね、新しい戦艦ができたから、あたし、そっちに移るんだって。あ、そうだ。あたしね、また昇進したんだよ。少佐になったの」
「へえ、じゃ、お小遣い上がるね。頑張ったからご褒美ってこと?」
「えへへ、そうだよ。でもねえ、上がっても、あんまり、使い道って思いつかないんだよね」
「じゃあ、お洒落しちゃえば? 新しいお洋服とか小物とか買って」
「んー、よくわかんないよ、そういうのって。ね、明日、そういうお店連れてってくれる?」
「実はあたしも、あんまりそのへん詳しくないのよね。――よし。あとで端末検索して、それっぽいお店見つけてさ、明日そこに一緒に行くって感じで、どう?」
「うん、さんせー!」
軍属の魔女っ子というのは大抵、その能力をラボによって見い出され、軍にスカウトされた者たちである。軍属にも階級があり、実績に応じて進級する。ただ正規軍人のそれと異なり、魔女っ子の階級差は、かならずしも身分差を意味するものではない。せいぜい、経験や能力を示す目安、という程度のものでしかなかった。
その夜。二人は同じベッドに入り、遅くまで、こもごも語りあった。
美佳は、横になりながら、早苗の胸にしがみついて離れない。
早苗は、そんな美佳の頬に手をあて、撫でてやるのだった。
「ね、サナおねえちゃん。なんで、結婚しないの?」
「んー……結婚はねえ。相手ってもんが要るから……。あたしなんかと結婚したいって人、そういると思えないし」
「そんなことないよぉ。サナおねえちゃんって、お化粧とか全然してないのに美人だし」
「あはは、ありがと。そりゃまぁ、本気で探せば、いるかもしれないけどね、そういう物好きな人。でも、なかなかその気にはね」
「あたしが男の子だったらなぁ。サナおねえちゃんの、おムコさんになれるのに」
「ううん。いいの。美佳ちゃんとは、今のまんまで。……あたしは、充分だから。ね」
早苗は微笑んで告げた。
美佳は、わずかにまばたきしたが、やがて、「……うん」と、小さくうなずいて、早苗の胸に頬をうずめた。
大阪――といえば。
琵琶湖という水瓶から溢れ出た水が、山野を巡り、南北の流れと合して、いつしか近畿の東西を横切る大動脈となり、淀川の名をもって大阪湾へ注ぐ。
この淀川流域を北限として、南は和泉山脈、東は生駒山地まで続く平野部一帯を、総じて大阪平野と呼びならわす。
はるか千五百年の往古には、水の都といわれ、また商都としてもたいそう繁栄した地域と伝えられる。現代においては、行政単位としての大阪府という名称はあっても、運河や大規模商業地といった古い面影を偲ぶものはほとんど残されていない。
大阪平野の地表は、ここ百年来、相次ぐ整備改造によって一面コンクリートの海と化し、学校と研究施設と先端技術ベンチャーの高層建築群が妍を競うようにそびえ立つ学術都市へと変貌している。
西暦三四七二年。大阪学究都市。
土地の造成だけで六十年以上、各種大学の招致移転、施設建造におよそ四十年。近代的学問と研究の総本山として、人類の物理的、精神的進歩を目的に世界の頭脳が集い、日々これ研鑽、新たな発見と成果はここに相次いで、いまや大阪こそ人類の知識と知恵と新技術の集積地ならんと、日ごと世人の認識をあらためさせつつある巨大新興都市である。
大規模な都市整備の波は、大阪全域をくまなく洗い尽くし、旧時代の遺物をほぼ拭いさっていたが、わずかな例外はあった。文化財指定を受けた一部の史跡・建造物群がそれで、かつて新世界という呼称で親しまれた地域にも、そのような例外のひとつを見ることができる。外観はただ古色蒼然とした苔むす尖塔にすぎない。
塔の名を、通天閣という。
近年になってから外観を模して建て直したというものではない。幾度も改修されてはいるが、正真正銘、千五百年余の風雪に耐えてきた、きわめて由緒ある歴史的建造物であった。
この通天閣が、実際いかなる理由で現代にまで生き残り、またどのように用いられているか、ほとんど世間には知られていない。したがって、大方には色あせた文化財という認識しか持たれていないが、ここには日本軍の最高機密、陸海両軍部の共同直轄特別研究機関たる魔法少女研究所――マジカル・ラボラトリーともいい、たんにラボとも呼称される――が設置され、日夜、多数の優秀な人材が、魔女っ子に関わるあらゆる情報の収集と、その分析とに明け暮れていたのである。
通天閣地下十八階。人材資源情報部。
広大なオフィス内に、東西の最先端企業に匹敵する贅沢な設備を揃え、豊富な資料と情報を駆使して、あらたな人材、すなわち魔女っ子を捜索発見し、適性を分析し、関係資料を作成して軍部へ提出することが、この部局の主任務である。
軍部は、その資料をもとにスカウトすべき魔女っ子を選考し、さらに適性に応じた兵科、配置の振り分けを行っていた。そのため、軍部は人材資源情報部を戦力確保に直結する最重要部署と位置付けており、予算の優先配分、優秀な研究人員の増強配置など様々な優遇措置を与えている。
「これ、あと何人いるの……」
デスクに突っ伏し、ため息をつく白衣の女性ひとり。
彼女のデスク上のホログラフモニターには、無数のウインドウが開かれ、そのひとつひとつに、先日来、各地の情報員によって収集されてきた新たな魔女っ子たちの情報が、ところ狭しと記載されている。
白衣の女性は、肥田妙子という。
二十六歳の弱冠ながら、複数の博士号を持ち、人材資源情報部の部長をつとめる、自他ともに認める才媛であった。
ただ、コエタタエコという、回文のごとき自分の名前を嫌っており、周囲の者どもには、たんに「部長」とだけ呼ばせるようにしている。
「今年は豊作よねえ。なんでこう毎年毎年、魔法少女ってのは、出てきては消え、また出てきては消えるのかしら」
「それが解明できれば、まさに世紀の大発見なんですがね。……ま、一杯どうぞ」
横あいから声をかけるのは、これも若い白衣姿の男である。
分析担当主任の肩書きを持つ井上和人、二十八歳。手にしたコーヒーカップを肥田部長のデスクに置き、ウィンドウを眺め渡しながらつぶやく。
「ラボ創設から、はや二百年余り……。莫大な費用、最高の設備、綺羅星のごとく揃えられた優秀な頭脳……そのすべてをあげて、ずっと研究を続けてきたにも関わらず、我々はいまだ、何ひとつわかってはいないわけですよ。そもそも、魔法というのは何なのか、その根本さえも」
魔女っ子。もしくは魔法少女。
下は六歳前後から、上はおよそ十八歳くらいまでの、ごく普通の少女が、ある日突然、特異な能力に目覚めて魔女っ子になるのだという。
その能力は各々でまったく異なり、魔女っ子となるきっかけや、魔力の源であるとか、そういう都合も各人各様に違いがある。
たとえば、親に買い与えられた人形やヌイグルミなどの玩具が、いきなり言葉を語り、持ち主の少女に魔法を授けた――だとか。空から杖が降ってきて、それを握ると魔法が使えるようになったとか、大病を患い、生死の境をさまよった後、何やら悟りを開いて、強大な魔法の力を得た、など。
その魔法の効果や威力も、一都市を殲滅する歩く天災のような者から、花瓶に花を咲かせる程度の、ちょっとした手品師くらいな者まで、一概に分類しえぬほど多岐に渡る。
しかも、この年頃のすべての少女が一律に魔女っ子になれるのでもなく、ごく一部、何かしらの条件やら資格やらを満たした者だけの特権のようなものであるらしい。
また、魔女っ子がその魔法を駆使できる期間は大抵限られていた。わずかな例外を除き、およそ成人前には魔法の力は自然に抜けて、普通の女性に戻ってしまう。
なぜ、幼い少女に限って魔女っ子となれるのか。どのような条件、いかなる資質が必要とされるのか。
そもそも、魔法とはいったい何であるか。
詳しい事は、今日まで、なにひとつ解明されていない。
記録によれば、魔女っ子は、西暦三二〇〇年代初頭、世界各地において突然、何万人という膨大な規模でもって同時多発的に出現したとされる。その不可思議な力は、たちまち世界中に大小無数の事件と騒動を巻き起こし、全人類を驚かせた。
文字どおり降って湧いた異常事態である。世界の各メディアは恐慌寸前に陥った。
ここで世間の注目を集めたのが、当時、各分野の第一線とされた科学者たちの動向である。彼らは相次いで魔法と魔女っ子への否定的見解を発表し、パニックの沈静化につとめた。科学万能をうそぶいてやまぬ彼らにとって、魔女っ子の出現は、自分たちの喉もとへ突きつけられた重大な挑戦だったのである。
学者らはこぞって述べた――魔法など非現実的で、ありえないものである。自称魔法少女らの引き起こす種々の超常の力も、物理的な現象であることは間違いなく、必ずや科学的合理性に沿って説明できる、と。
主張を実証するには、まずサンプルを採取し、データを集めねばならない。必然、魔女っ子たちは、学者らの研究材料と目され、執拗な追跡調査をうける羽目になった。
珍獣狩りの標的にされてはたまらない。一部の魔女っ子たちはこの事態に反発し、あるいは逃げ回り、あるいは逆襲に打って出た。魔女っ子たちと学者たちの確執は世界各地で様々なトラブルを生み、なかには地方都市が潰滅した例すらある。その一方、素直に協力を申し出る魔女っ子も少なくなかった。彼女らも、自分が何者なのか知りたかったのである。
そうして収集された魔法及び魔女っ子の各種データは、全世界を結ぶサーバーネットワークを介し、南極に新たに設置された巨大サーバー基地を軸として、逐一、各地の研究所へ送信され、大がかりな分散共同解析にかけられた。
総勢二万人超に及ぶ、各分野の一流学者陣が、一大プロジェクトを組み、魔女っ子の能力、その根源となる何ものかについて、あらゆる物理法則、あらゆる方程式、あらゆる仮説理論にあてはめ、無数の仮定を立て、徹底的に実験分析を繰り返し――。
五年後、参加者ほぼ全員が降伏を表明した。
「魔法なる物理現象。その実在は認められるも、その原理、力学、いずれも甚だ不規則にして解析不能。我ら、いかなる手法をもってしても定理化するあたわず、……後進にすべてを託す」
当時の米国ヒューストン大教授リチャード・ムセ博士は、こうコメントを発し、この時点での唯物的科学の敗北を宣言した。
同じころ、京大教授の野田清作博士は、病身をおし、死の直前まで分析を続けながら、なにひとつ成果があがらず、最後に「私には……わからない」と言い残して、息を引き取っている。
ようするに、どの学者も、魔法というものがあまりにでたらめすぎて、解析もパターン化もできない、と匙を投げたのである。
膨大な維持費用を要する共同解析は、ほどなく沙汰やみとされ、南極の巨大サーバーも破棄された。以後は、各研究機関において、予算と人員の許す範囲内で、個別に解析にあたることとなり、日本をはじめ各国は、これまで得たデータを回収して、独自に魔法研究用のラボを建造しはじめた。
――数千年前。人類はウイルスの存在を知らず、その病を癒す方法もわからなかった。病原ウイルスの特定は、電子顕微鏡なる発明の出現を待ってはじめて可能となったのである。魔法もまた、現実に存在する現象ではあり、いずれ、いっそうの科学の進歩により、その謎を解明できる日が来るだろう――。
これもムセ博士の声明の一部である。
巨額の資金と無数の研究人員が投入された魔法解析プロジェクト。その終焉後に残ったのは、そういう半ばやけくそ気味な希望的観測であった。
一方、この科学の断末魔に重なるごとく、新たなる研究学問の潮流、その産声も響きはじめていた。
魔法を研究対象とする人々の立場、アプローチは様々だが、彼らの根底にある思想は、おおまかに見て二極に大別できる。
かたや、あくまで頑なに、魔法なる現象の正体をどうにかして究明すべき、というもの。
かたや、より実際的に、魔法の有効利用を模索するべき、というもの。
魔法研究というジャンルの出現当初は、前者に携わる人々が圧倒的多数だったが、年々、後者へと移行が進み、いつしか、そちらが主流として幅をきかせるようになった。
たとえば、火を道具として用いるのに、あえてその原理や公式まで詳しく知る必要はない。火がもたらすメリットとデメリットを理解し、正しく制御することが肝要である。実際、原始の人類は、そのようにして火を我が物とし、活用してきた。
ならば魔法も同じことではないか?
そのよってきたるところを解明するのは、さらなる科学の進歩を待つとして、いま確かに実在する魔女っ子たち、その能力がもたらす様々な効果、これをいかにコントロールし活用すべきか、という実用的観点である。
「ブラックボックスには蓋をせよ。製造者責任は神様が負ってくださる……だっけか。誰の言葉だったかしら」
肥田部長は、けだるそうな仕草で、カップに口をつけた。
「オレンジ・ベックフォード博士ですね」
井上主任が答える。
「確か、もとは優秀な女医さんだったのが、自分の娘がいつの間にか魔法少女になって空を飛んでいるのを目撃し、魔法研究者に転じた、とか」
「……あまり医者らしい発言じゃないわね」
魔法とは、ブラックボックス付の実用的新技術――ひとたび、こういう考え方が芽生えたとき、すでに世間は、魔法の存在とその有用性を認識し、種々の試行錯誤をはじめていた。
歴史における、ある約束事。すなわち火、火薬、核分裂、核融合、などの例に沿うごとく、魔法の軍事利用というものが、まず熱心に研究された。
索敵、攻撃、防御、移動、輸送、医療、通信、設営……、軍事に限っても、魔女っ子の想定応用範囲はきわめて広汎に渡るが、より効果的な運用方法を探るのには、実際に多くの魔女っ子を軍籍に招いて、事例を蓄積し、分析を重ねる必要があった。ここ通天閣のラボも、もとをいえば、そういう目的から設置された機関である。
「適性を調べ、適所へあてがえ、ってね……そりゃいいけど、こうも数があるんじゃ、時々やってらんなくなるわ」
肥田部長は、軽く頭を振って、デスク上のホログラフウィンドウ群を眺めやった。そこに示されているだけで、百名以上もの日本人魔女っ子の個人情報がひしめいている。
日本は、世界的に見ても魔女っ子の自然出現数が異常に多い地域である。これを追跡調査する側の負担も相当なものがあった。
およそ七十人の情報員が、つねに日本全国を駆け巡り、噂や風聞をもとに魔女っ子を捜し出すのだが、いざ捜し当てた後も、その能力、人柄、家族構成など、可能な限りの個人情報を隠密裡に収集し、ラボに報告せねばならない。肥田部長は、こうして集められた膨大な資料のすべてに目を通し、各種の決裁を下すべき立場にあった。
井上主任が肩をすくめて言う。
「なにせ、ここにある個人情報はすべて最上級国家機密。部長の裁可なしには、こちらで勝手に処理できませんから。今日も残業確実ですなあ」
「そんなこと、嬉しそうに言わないでよぅ……」
コンソールに指先を滑らせながら、肥田部長は、少し口元をとがらせてみせた。
いくつかの顔写真付き詳細情報ウインドウが拡大される。
「なんせ候補は多いけど、能力的には、いまいち軍隊に向いてない子ばっかりなのよね。実戦要員限定だと、なおさら……」
「これなんかどうです? 夢乃沙里、十二歳、属性AL、適性B」
「遠距離攻撃属性か。結構珍しいかも。でもちょっと適性が弱くない?」
「では、こちらは? 歌月舞衣、十歳、属性S、適性A」
「属性がね。今回は、もっと実戦向きの子が欲しいって、海軍からも陸軍からも言われてんのよ。これはパスかな」
「サポートとしてはかなりの能力があるようですが……ま、そういう事情では仕方ありませんな」
「他は……。えー。神楽早苗、二十七歳、属性S、適性D……」
ふと、肥田部長の指が止まった。
「なに、これ」
「なに……といわれましても」
「いや、こんなのが魔法少女って、ありえないでしょ。そもそも少女じゃないし。二十七って、あたしより年上じゃないの」
「はあ。何かの間違い……。いやしかし、うちの者が、そんな馬鹿げたミスをやらかした例なんて、いままで聞いたことがありませんが」
そこで、井上主任は、何か思い当たったように顔色を変えた。
「――まさか」
「な、なによ」
「部長、そのウインドウの下のほう、そう右下の……」
「これ? 付帯事項、ってあるわね」
「ええそれです、開いてみて下さい」
促されて、肥田部長はコンソールを操り、新たなウインドウを開いた。
――三十秒後。二人は、顔を見合わせ、つぶやきあった。
「ケース四二七……。これ、本当に間違いないの?」
「確かにそう書いてありますね。しかも、うちの調査員とは別ルートから情報を押し込んできた形跡があります。事実なら、おおごとですよ、これは」
「主任。いますぐ担当調査員に確認を。裏が取れたら、指定どおり海軍に連絡して」
「承知しました」
井上主任は、やや緊張した面持ちで携帯端末を取り出し、ナンバーを打ち込みはじめた。
神楽家。
早苗の寝室。
端末モニターの向こうから、愉快そうな声が響いた。
「いやー、そうかそうか、うちの早苗がねえ、あはははは、いやー、面白い事もあるもんだねぇ」
「お母ちゃん、笑いごとじゃないって」
早苗は憮然とモニターを睨んだ。
デスク上には、海軍省から配達されてきた「選考通過報告」の封筒がある。
ラボによって軍隊への適性を認められた魔女っ子に対し、陸海軍いずれかがスカウトを決定後、当人宛に直接送付してくる機密書類で、いわば軍からのスカウト予告状である。内容を見ると、既に海軍省人事局によって「魔法の家事手伝いサナ」なるコードネームまで勝手に命名されていた。
モニター内の瑠衣は、さもおかしくてたまらない様子である。
「だってお前、笑いごとだよ、こりゃ、どう考えたってさ。魔法少女だぞ? お前トシいくつだっけ?」
「だから、それは、さっきも言ったじゃないの。特殊なケースだって」
「いやまあ、わかってるさ。ケース四二七だっけ……あたしなんか、ずっとお前が当たり前みたいに魔法使ってるの見てるから、珍しいともなんとも思ってなかったけど。それがまさか、百年に一人出るか出ないかってケースだったとはねえ」
ケース四二七とは。
魔女っ子には、およそ原因不明の年齢制限があり、成人前には次第に魔力も弱まって、普通の女性に戻ってしまう。ところが、ごく稀に、二十代、三十代となっても、もとの魔力を維持し続ける例外的な魔女っ子が出現する。これがケース四二七で、その名称は、かつての魔法解析プロジェクトにおける四百二十七番目の被験者が、当時唯一の二十代の魔女っ子であったことに由来する。魔女っ子の発生以来二百五十年、歴代魔女っ子総勢三十七万八千人余のうちでも、記録に名をとどめるのは三名のみという、きわめて稀少な存在であった。早苗は、通天閣のラボにより、ケース四二七の四人目の該当者として正式に認定され、同時に海軍が獲得の意思を示してきたのである。
「ようするに、珍しいから確保しとこうってこったろ? そうでもなきゃ、お前に軍からお呼びがかかるなんて、ちょっとありえねーだろうし」
「そりゃまぁ。あたしの魔法なんて、あのエプロン着たときだけ、ちょっと料理の腕が上がるくらいで、軍隊なんかで役に立つようなもんじゃないし。そもそも、あたしはこの家から――」
「出るつもりはない、か?」
瑠衣の目もとから、ふと、笑みが消えた。
鋭い視線が、モニター越しに早苗を射抜く。
「どうしても嫌なら、断ればいい。軍属になるかどうかは、任意なんだろ」
「……う、うん」
「ただなぁ。いいトシして家に引きこもってたって、なんもいい事ないだろうが。そりゃ今は戦争中だから、いったん軍に入れば、そう滅多にゃ帰ってこれないだろうが、家のことは、業者なりなんなりに任せときゃいいんだしさ」
「……お母ちゃんは、それでいいの?」
早苗の問いに、一瞬、瑠衣は沈黙したが、やがて、うなずいて応えた。
「いいさ。確かに、家に帰っても誰もいないってのは寂しいもんだけど。お前が、そのために、ずっと家にいてくれてるってのも、わかってたよ」
瑠衣の端麗な唇に、おだやかな微笑が浮かんだ。視線もやわらいで、その表情にも声にも、母親らしい慈みが滲みだしている。
「でもな。もうそろそろ、お前も、自由に生きていいんじゃないか? あたしや、死んだ父さんのために、いつまでも気を遣うことなんてないよ」
「お母ちゃん……」
「だからな、遠慮せず行ってこい! だいたい、あの美佳ちゃんだって、海軍で立派に働いてんのに、姉貴分のお前がいつまでもゴロゴロしててどうすんだ。同じ海軍なら、端末から海軍専用の回線が使えるから、連絡も取りやすくなるだろ。そのほうが美佳ちゃんも喜ぶんじゃないか?」
「え、そ、そうかな?」
「おうよ。そんでな、ついでに軍隊のなかで、若くて使いでのある、いい男を探すんだよ。ちょうどいい機会じゃないか、ん?」
「あ……。それは、確かに、いい感じかも」
瑠衣の豪快きわまる物言いに、いつの間にやら、早苗もすっかりその気になっていた。
やがて早苗は、額をあげ、晴ればれと笑った。
「わかった。あたし海軍に行くよ」
かくて。
コードネーム「魔法の家事手伝いサナ」こと神楽早苗は、長年のひきこもり生活を捨て、日本海軍へと身を投じることになった。
魔法戦艦いずみ。
全長二百六十五メートル、全幅四十メートル、総重量六万トン。
主武装として十八インチ無限加速粒子砲三連装九門、五インチ対空熱線砲連装二十門、AMCジェネレータ四基。
新開発の水素変換エンジン搭載により、最大速力六十ノットを誇る、日本海軍の最新鋭艦である。
建造計画の初期段階においては、魔法戦艦「かわち」級の三番艦となる予定であったが、起工直前、軍令部の戦力整備計画変更にともなってエンジンの換装を決定。あらためて新型として再設計を施された経緯を持つ。
新型エンジンの採用により、従来艦との比較において速力、主砲出力ともに飛躍的に向上しており、艤装面でも旗艦設備や魔女っ子運用施設の充実がはかられ、他に類を見ないほどの豪奢な内装と抜群の居住性を擁している。
大型戦艦らしく、そのシルエットは重厚典雅に、海上の城郭ともいうべき壮大な外観は威容堂々と力感あふれ、まさに海軍の守護神というにふさわしい風格を備えていた。
連合艦隊、いや全海軍の輿望を担って誕生した巨大戦艦。
その初代の艦長ともなれば、並々ならぬ重責である。当然、経験実績よほどの人材にあらねばと、軍令部としても慎重に討議し、日々吟味を重ねていたが、やがて海軍省から新たな資料が提出され、軍令部内は突如、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。海軍省の提示した新たな艦長候補について、軍令部内は推進派と阻止派に分裂し、喧々たる議論を戦わせはじめたのである。
「士気向上の観点からすれば、望ましい人選といえないこともない」
「艦長職など飾りのようなものだ。たいした問題ではない」
「これが実現すれば、虹十字と、わが海軍の関係は、より一層緊密なものになるだろう」
――などとする推進派に対して、阻止派は真っ向から噛み付いた。
「軍属に戦艦を預けるなど、前例なき暴挙である。軍の秩序を何と思っているのか」
「虹十字との関係重視はわかるが、いきすぎではないか。媚態ととられ、今後、ことごとに足もとを見られかねん」
「当人の資質に問題がありすぎる。到底、ものの役に立つと思えない」
会議場の激論は幾日も続いた。
争点は、なんといってもまず、前例なき大胆な人事であるということ。さらに、候補とされるその当人に、艦長たる資質が到底見あたらない、ということにあった。
推進派は、艦隊勤務の経験豊富な古兵らが多数を占めている。いずれも、かつて最前線にあって軍属の魔女っ子らと苦楽をともにしてきた、いわゆる歴戦の苦労人が揃っていた。
彼らはその経験ゆえか、意見も態度も受容性に富み、前例旧例へのこだわりもさほどには見受けられない人々だった。
「面白いではないか。やらせてみたら」
総論としては、大体そんな具合になる。
いっぽう阻止派には、比較的若い海軍エリートが多かった。若いといっても四十代かそこらにはなるが、海軍兵学校、海軍大学校を経て、キャリア参謀として軍令部入りをはたし、既存の海軍のシステムと秩序に則って順調に出世してきた人々である。彼らとしては、本来海軍と縁もゆかりもない人物がシステムを無視して割り込み、あまっさえ軍属の身で正規軍人らを指揮しうる立場に就くなど論外な暴挙であった。
そういう感情論に加えて、その艦長候補たる人物が、まるで無能としか思えない点などからも、「けしからん話である」というのが、おおよそ彼らの総論となっていた。
この騒動の端緒を切った海軍省側は、軍令部内の推進派、阻止派のいずれにも加担しようとはせず、海軍大臣の鈴木剣太郎も「提案はした。これ以上、何も言うことはない。結論はそちらで出せ」と、丸投げを明言していた。
やがて軍令部長の新房清和大将が自ら事態収拾に乗り出し、議論は一応のまとまりを見た。
――海軍省推薦の艦長候補とされる人物については、軍令部としてこれを了承し、今後予定されている、とある作戦の準備及び実施期間中のみ、新造艦いずみをその人物に預けることとする。ただし、あくまで期間限定の人事であり、当該作戦終了と同時に、すみやかに解任手続きを取り、そこから、あらためて人事をやりなおす、という結論に行き着いたのである。
この議論は、当初から、もっぱら軍令部の内輪もめに終始している。実際に魔法戦艦いずみを運用することになる連合艦隊は蚊帳の外であった。
その連合艦隊司令長官の小沢政三郎大将は、事後、軍令部より本件を通達されるや、烈火のごとく怒りをあらわし、柱島からジェットヘリで単身、霞ヶ関の軍令部オフィスへ乗り込んで、新房部長へ詰め寄った。
「戦況は一進一退、いまや国家の興廃も、わが海軍のここ一手にかかるという、きわめて重要な局面ではありませんか。いずみは、その局面打開を担う中核的存在であったはず。それをあんな、軍人ですらない、ど素人に預けるなどとは。なぜかくも無茶な人事を強行されたのか」
口角泡を飛ばさんばかりな猛抗議に、新房部長は肩をすくめて、こう答えた。
「本件は、虹十字の、あのお嬢さんの肝煎りでな。報告書を見て気付かんかったかね。苗字が同じだったろうが」
「……なんですと?」
たちまち、小沢大将の顔色が一変した。
「では、もしや、あのお方の?」
先までの血色も一気に失せた様子で、驚きもあらわに訊き返す。
新房部長は、静かにうなずいた。
「君も知っとるだろう、岩戸作戦……あれに使うんで、戦艦、それも、現時点で最速最強のものに乗せてやって、南極まで連れてゆけと、そりゃもうやかましく要求してきおったのだ。鈴木さんも、急にそんな話を持ちかけられて、ほとほと困ったらしいが。虹十字のほうも、よほど事態が逼迫しとるようでな。どうしても断れんかったらしい」
「すると、岩戸開きの……」
「うむ。ようやく見つかったわけだ。灯台もと暗しとはこのことだな」
「しかし、だからと言って、いきなり艦長というのは」
「それも考えがあってのことだ。一応、すでに軍属としてスカウトしておる以上、ゲスト扱いにはできん。戦闘には向かんから、他の子供らと同列に扱うのも難しい。といって下働きなんぞさせたら、後でお嬢さんからどんな因縁をつけられるか、想像するだに恐ろしいわい」
「そ、それはわかりますが……」
「ラボの資料を見ると、あまり取柄のない人物ではあるが、子供らとの親和性だけは図抜けておるようでな。そこを活用することにしたのだ。せいぜい鄭重に迎え、あとは優秀な補佐役をつけておけば、実務のほうも、そう支障はない。結局、わが軍の作戦上の要求と、虹十字側の要求と、その双方を踏まえて、こういう措置に落ち着いたわけだ」
こう諄々と説かれても、小沢大将は、なお承服しきれぬという顔つきで「むむ……」と唸った。
「頑固者め。まだ納得できんというなら、そもそもこんな話を急に持ち込んできた虹十字のほうに言うのだな。……その度胸が貴官にあるならば」
小沢大将は、一瞬、憤死せんばかりの形相で新房部長を睨みつけたが、やがて肩を落とし、深々と嘆息をついた。
「……どうも、やむを得ませんな」
――このときをもって、魔法戦艦いずみ、その初代艦長の座は、関係部署すべての承認を得て確定した。
以後は、ただ当人の到着、乗艦を待つばかりとなったのである。
「無理ですよ、そんな」
広島県呉市。
海軍呉鎮守府本部、正面ポーチ前。
早苗は、海軍のスカウトに応じた直後、担当官の案内で呉へと連れてゆかれ、そこで一週間の研修を受けた。
その研修最終日の午後のことである。
呉は、千五百年の歴史を閲する巨大軍港と、その管理防衛部局たる鎮守府を擁する海軍の街で、横須賀、佐世保とともに海軍三大拠点のひとつとされている。
呉鎮守府の敷地内には、鎮守府本部、港湾防衛隊、海兵団本部、水交社など、様々な関連施設がひしめいており、経理学校、砲術学校、機関学校といった各科の教育機関もここに軒を連ねていた。早苗はそれらのうち、魔女っ子専用の教育施設である海軍特殊軍属養成所において、軍属としての基礎的なレクチャーを受け、この日の午前中までに全プログラムを修了していた。
午後。早苗は、研修官から鎮守府本部へ赴くよう指示され、徒歩にて本部建物へと向かった。その目的地までさしかかるや、道端で見知らぬ将校に呼びとめられ、いきなり辞令と階級章を手渡されたのである。
いわく、五月二十二日付をもって、神楽早苗を海軍大佐待遇軍属に任じ、魔法戦艦いずみへの艦長着任を命ず――と、ある。
辞令書には海軍軍令部長、新房清和大将の署名がなされており、それを携えてきた将校自身も軍令部付の参謀であるという。むろん、早苗は仰天し、その驚きのあまり、つい、こう抗弁してしまった。
「だって、艦長ですよ? いきなり大佐ですよ? あたしつい先週まで民間人ですよ? こんなの務まるわけないじゃないですか」
「……ま、落ち着いてください」
大尉の襟章をつけた将校は、気難しげな顔つきで早苗の言葉を制した。
「小官は、たんなる連絡役で、質問や抗議にはお答えできんのです。本来、このような形で辞令をお渡しするなど、軍令部としても不本意なのですが、なにぶん緊急を要する状況でして……詳しい事情は、いずみへ乗艦後、関係者へ直接お訊ねください。予定では今夕一六〇〇、いずみから、こちらへお迎えが来るはずです」
言うだけ言うと、将校は敬礼をほどこし、足早に立ち去っていった。
「え、あ……ちょっと、待って」
あまりな事態に、早苗はしばし呆然、言葉も出なかった。
やがて我に返り、手許を見れば、渡された階級章は確かに軍属大佐を示し、辞令が正式なものであることも間違いない。
とはいえ、なぜ自分が――当然、この疑念は湧き上がってくる。
(いくらなんでも、ありえない……)
ひとり悩む早苗へ、背後から声をかける者があった。
「少し、よろしいか?」
あわてて振り向くと、長身健躯、見るも雄偉な軍服姿の一青年が早苗を見おろしている。
眼光はぎらぎらと鋭く、ひきしまった顔つきは精悍そのもの。肩幅広く、威風あたりを払って姿勢堂々たるものあり、ただ惜しむらくは、軍服の着こなしが少々だらしない。総じて見れば、どこか時代遅れな無頼漢というような風采である。
「鎮守府本部というのは、ここでよいのかね?」
その声は、おだやかだが、腹に深々と響く重みがあった。
「あ――はい、そうです」
早苗が、戸惑いつつ応えると、青年は、目もとの険をやわらげ、かすかに笑った。
「そうか、ありがとう。ようやく辿りつけた……」
どうも道に迷っていたらしい。
「ときに、きみは民間の人かね」
そう尋ねたのは、早苗が私服姿で、それを珍しいと感じたものだろう。
日本軍においては、陸海とも、魔女っ子には軍服、拳銃、軍刀などの装備は支給されず、それらの着用・佩用義務もない。ただ階級章だけは、勤務中に限り、任意の服装の任意の場所へつける慣わしになっていた。海軍の魔女っ子の階級章にはビーコンが内蔵されており、実戦時には持ち主の位置情報を母艦や所属基地に発振する機能を備えている。
「ええと、軍属です、一応」
「ほう……では仕事中だったのかな。呼び止めて悪かった。頑張ってくれたまえ」
青年は、軽い会釈を残し、大股に本部建物へと歩き去っていった。
早苗は、その背中を見送りつつ――青年が、あきらかに幹部将校らしきこと、その将校に敬礼するのを忘れていたこと、などに、ふと思い当たり、急に耳朶を熱くして、肩をすくめた。
(あー……やっちゃった……研修で、あれほどいわれたのにな……)
日本海軍の敬礼は、着帽時は挙手敬礼、無帽時は腰を曲げてお辞儀するというのが、旧来からの慣例となっている。
早苗は正規軍人でなく軍属なので、敬礼は義務ではないが、そこは最低限の礼儀として、目上に対しては、お辞儀くらいはしておいたほうがよい、と教わっていたのである。
相手が気にとめず早々に立ち去ってくれたからよかったが、これが直属の上官でもあれば、おそらく、あまりよい顔はされなかったであろう。
(やっぱり、何かの間違いよねえ。こんなあたしが、大佐で艦長なんて)
と、小首をかしげたところへ、横あいから、新たな靴音がきこえてきた。
早苗がそちらへ視線を寄こすと、純白の軍装をまとった年若い女性将校が、早苗のもとへ歩み寄ってくる。
小柄で、腰は細く、ずいぶん華奢な体つきと見えるが、白い海軍帽からショートの黒髪を風に流しつつ、双眸は凛と前を見据え、唇をきゅっと結び、足どりは胡蝶のごとく軽やかに、颯爽、可憐、花も羞らうばかりである。
早苗は、呆然と見とれた――同じ女でありながら、自分と、こうも違うものかと、つい妙な感心を抱いたものである。
女性将校は、つと足を止め、踵を鳴らして両足を揃え、見事な挙手敬礼をほどこした。白い頬に薄朱がさして、わずかに上気しているようにも見える。
「小官は、連合艦隊参謀、有田聡子少佐です。神楽早苗大佐どのでいらっしゃいますね?」
「え、あ――はい」
大佐どの――などと突然呼ばわれて早苗は内心戸惑ったが、しかし先の失敗は繰り返さじと、慌てて答礼がわりにお辞儀をした。
それを静かに見届けてから、有田少佐なる女性は、仰々しい口調で告げた。
「小官はこのたび、連合艦隊総司令部より、魔法戦艦いずみ副長の任を拝命いたしました。不束者ながら、誠心誠意、この大任に全力を尽くす所存であります。どうぞ、宜しくお願いいたします」
「は、はあ……」
「つきましては、すでに、いずみは湾内に遊弋して、我々の乗艦を待ちうけているとのこと。車と大発を用意してありますので、どうぞ、こちらへ」
「え、まだそんな時間じゃ……さっき一六〇〇って」
「申し訳ありません。現在、すべての予定が繰り上がっておりまして」
「ちょ、ちょっと待って」
早苗は、先刻来の疑念を、この有田少佐なる女性にぶつけてみた。
「あたし、先週、ここに来たばっかりなんだけど。いきなり艦長とか、何かの間違いとしか」
「ええ。その件は、こちらも承っております。間違いではありませんよ」
おそらく、早苗が質問してくることは、あらかじめ想定済みなのだろう。有田少佐は微笑を浮かべて、なだめるように言った。年の頃は二十三、四、というところ。生真面目そうな顔つきが、そうほころぶと一転、じつにつややかで潤った表情になる。
「突然のことで、驚かれるのもご無理はありません。ですがご安心ください。小官が連合艦隊総司令部にてお伺いしたところでは、大佐どのには、着任後、ただ艦長席についておられればそれでよく、海軍および連合艦隊は、それ以上の何かを大佐どのに求めることはない、ということでした」
「……は?」
「また、区々たる軍務などは、可能な限り、小官はじめ艦内スタッフが適切に処理し、大佐どのにご負担をおかけせぬよう、全力をもって補佐せよと――そうも仰せつかっております」
早苗は、まばたきしながら、有田少佐の顔を見つめた。
「えー……と、あの、要するに?」
「要するに。とくに仕事はありませんので、ただ座っておられるだけでよいですよ、ということです」
「そ、そういうのって、ありなの?」
「はい」
きっぱりと、迷いなく、有田少佐は答えた。
「ですから、どうぞ細かいことはお気になさらず、どっしりと構えていてください」
「……は、はあ」
早苗は、急に肩から力が抜けていくのを感じた。
研修を終え、これからいかなる激務が待ちうけているものかと、身構えていたところである。
まさか、仕事はないので座っていろ、などと命じられるとは。
脱力感のなかで、早苗は内心、あれこれ推測してみた。
海軍にしてみれば、ケース四二七という物珍しさにつられてスカウトしたものの、重要な仕事を任せるわけにもいかず、といって部署を与えないわけにもいかず、扱いに困っていたのではないか――。
(それで、とりあえず、お飾り……とか。そういう感じになったのかな……)
有田少佐が、不思議そうな面持ちで早苗の顔を見つめている。
「あの、大佐どの?」
早苗は慌てて顔をあげ、気の抜けた声で応えた。
「あー……いや、なんでも。あはは。わかりました。うん」
力ない笑みを浮かべ、早苗はうなずいた。
「納得していただけましたか? では早速、車のほうへ参りましょう」
早苗の内心を知ってか知らずか、有田少佐はやけに元気一杯、颯爽たる足どりで、早苗の先にたって歩きはじめた。
早苗は、少々肩を落としつつ、悄然、そのあとへついてゆくのだった。
通天閣、地下二階。
ラボ勤務者専用喫茶スペース「チャッピー」カウンター席。
白衣姿の男女が、並んで席につき、静かにセイロンティーのカップを傾けている。
店内に他の客の姿はなく、天井備えつけのスピーカーからは「月光」の調べが延々と流れ続けていた。
「……忙中閑あり、ね」
ため息とともに、ぽそりと呟いたのは、白衣姿のかたわれ、人材資源情報部長の肥田妙子女史である。
「たんに仕事放り出して逃げてきただけですけど」
と、こちらは分析担当主任、井上和人。
「じゃ、忙裏閑を偸む……」
「どっちでもいいですよ」
苦笑しつつ、井上主任は、空になったカップを受皿に戻した。
「で、聞きましたか、例の」
「ん? なにを」
肥田部長が小首をかしげるのへ、井上主任は、胸ポケットから紙片を取り出し、「これですよ」と示してみせた。
それは、海軍軍令部の書類のコピーである。
「あなた、どこでそんなもの……あ、この人」
「ええ、あのケース四二七該当者です。なかなか大変なことになってるようで」
「……はー。ずいぶん思いきった人事ね」
「ええ。軍令部も連合艦隊も、今回、この人事を実現させるのに、相当な無茶をやらかしたとか」
「相手が相手だもの。ぞんざいには扱えないってことね」
肥田部長は、薄い笑みを浮かべながら、ティーカップを軽く爪ではじいた。チン、と澄んだ音が響く。
「とはいえ、こういう配置にした以上、少しは役に立ってもらわないと、税金の無駄遣い、ってことになるわよね」
「どう役立てるか、そこが肝心なところですけどね。あの人の能力というのは、実戦とは、そう関わりのあるものじゃありませんし。ま、だいたい推測はつきますが」
「あの能力は、当人にとっては諸刃の剣よ。そりゃ、子供たちには好かれるでしょうけど。あんまり負担かけると、すぐパンクして辞めちゃうわよ、あの人」
「でしょうね……適性分析の結果を見ても、軍や国家への忠誠意識、帰属意識には乏しい人のようですし、さらに社会経験が少ないので、忍耐力という点でも懸念があります」
「なんせ、魔法の家事手伝い、だもの。そのまんまじゃないの」
「そういえば海軍って、時々、妙なネーミングしますよね。魔法の喧嘩番長、とか、魔法の辻斬り、とか。ああいうコードネームって、誰が名付けてるんでしょうかね」
「なんか、海軍省の人事局に、それ専門の部署があるらしいわよ。そんなとこにもわざわざ職員置いて給料払ってるってんだから、馬鹿みたいな話よね。税金の無駄遣いじゃないの」
「なんとも、楽そうな仕事ですな。羨ましい限りで」
笑って井上主任が言うと、肥田部長は深い溜息で応えた。
「はあ。そうよねえ。そんな仕事なら、残業とかもなさそうだし、ほんと羨ましい……。こちとら、これからまた仕事に戻んなきゃなんないってのに」
「ええ。今日はあと十人分くらい、分析と決裁が残ってますからね。また残業確定ですよ」
「もう徹夜は嫌よー……はあ」
慨嘆一声、肥田部長は、がっくりとうなだれた。
魔法戦艦いずみは、すでにドックを出て湾内に遊弋中という。
早苗は、有田少佐とともに護岸から小型発動機艇へ乗り込み、いずみの舷側へむけて航走していた。
――日は暮れかかっている。
紫雲西空に散って、星は銀の小粒のごとく。水面すでに晦く、ただ揺らめく波に、夕陽の余光がてらてらと映えるばかり。
「申し訳ありません、すっかりお待たせしてしまいました……」
有田少佐が、ハンドルをさばきつつ、すまなそうに言う。
「仕方ないよ、エンジントラブルじゃ。でもこれ、ずいぶん年季の入ったボートよねー。……揺れるし」
「本来なら、もっと大きな舟艇がありまして、そちらへ乗っていただく予定だったんですが。その大発に、たまたま空きがなくて……本当に申し訳ありません」
「そんなに謝らなくていいって。けっこう楽しいよ、これ」
「そう言っていただけると、助かります」
「しかし……アレよね、なんていうか……」
前方をふり仰ぐと、薄暮の空の下、威容傲然、城郭のごとき巨艦が、その背に白燈赤燈の光彩点々と添えて、水上静かに横たわっている。
早苗は歎息を洩らした。
「ただもう、すごい、としか言いようがないわね、こうも大きいと」
「大きいだけではありませんよ」
有田少佐は誇らしげに語る。
「最新のエンジン、最高の設備、最強の火力、鉄壁の防御力。いま世界中を探しても、これだけの性能を擁する戦艦は、他にありません。これが……」
そこまで言って、ふと、有田少佐は、早苗に微笑をむけた。
「大佐どの。あなたの、船なんですよ」
「あ……あたしの?」
早苗はあらためて、いまや眼前に迫りつつある魔法戦艦いずみの姿を、目を凝らして見つめた。
「そっか……。これ。あたしの船なんだ」
このとき、艦の中央部に煌く信号灯のひとつが、みじかく瞬いた。
おそらく早苗らの接近を知って、受け入れ準備をと、艦内で指図でもあったのだろう。
だだ早苗には――戦艦が、挨拶のウインクひとつ、投げてよこしたようにも見えた。
――これから、よろしく。
そう語りかけてきた気がした。
(こちらこそ――)
声には出さず、早苗は、そっと心の中でささやいてみるのだった。