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第十話「魔法の魂、ここに在り」

「合図来ましたっ! 雛園少佐のビーコンから、第一段完了の信号です!」

 オペレーターの声が響く。

 いずみ艦橋、時刻は午後二時二十五分。

 塚口提督は指揮座から立ちあがり、大号令を下した。

「これより岩戸作戦、第二段階へ移行する! ポッド射出!」

 ただちに艦尾格納庫を改装したカタパルトが作動し、上空へ向け、発進レールが伸びてゆく。

 レール上には、偵察用小型ジェットヘリを改造し、ローターを取り払って胴体補強とエンジン強化を施した急造の有人ポッド。

 コクピットに乗り込んでいるのは、他ならぬ魔法戦艦いずみ艦長、神楽早苗その人。

 魔法のエプロン――フリフリをその身にまとい、すでに魔法の力を発動させている。

(……色とか、感触とか……確かに、ここの人たちの心というか、気持ちが、なんとなく見えてくる感じ。今まであんまり意識しなかったけど、エンパスって、こういうことかな)

 早苗も、フリフリを身につければ一応、魔女っ子の一員である。他の魔女っ子らと同様、ある程度の空中浮揚は可能で、苛酷な環境への耐性も十分備えている。

 とはいえ能力に個人差があるのは当然のこと、「戦う魔女っ子」たちのような超音速飛行などは早苗には不可能だし、戦闘行為など論外である。

 その早苗を、より迅速確実に南極サーバーへと送り届ける手段が、この高速飛行ポッドだった。

 発案は塚口提督、基礎設計は井上主任。実作業には有田少佐はじめ、いずみ各部署から人手を動員し、子供たちの手をも借りて、ようやく完成にこぎつけたものである。

 この一件を評して、肥田部長のいわく。

「ほとんど学園祭のノリよね。ペイントやらデザインまで、変に凝っちゃって。子供たちはともかく、いい大人どもが何遊んでるんだか」

 オペレーターの発進指示が早苗のヘッドセットに響く。

「発進命令、出ました。いつでもどうぞ」

「了解!」

 早苗は、手許のマニュアルに従い、コンソールのキーを回した。

 カタパルトのリニアシステムが始動し、エンジンに火が点る。

「発進しますっ!」

 右手に操縦棹を掴みつつ、左手のスロットルを、ぐいと後方へ引き倒す。

 轟音とともに、リニアの反発力が、ポッドを上空高くへと弾き飛ばした。

 エンジンノズルが黒炎を噴く。

 急加速。早苗を乗せたポッドは、ゆるやかな放物線を描きつつ、一路、南極サーバーめがけ飛行しはじめた。

(……フリフリつけてるせいかな? Gとか、全然感じないなぁ)

 操縦桿を両手に握り締めつつ、早苗は小首をかしげた。

 音速はとうに超えているはずだが、キャノピの外に見えるのは視界の限り暗雲曇天、さほど速度が出ているように感じられない。

 なお、機体は自動操縦で、操縦桿はたんなる飾りである。

 ――気分の問題だ。

 と塚口提督は言う。

(向こうに着いたら……そこからが、あたしの、もうひとつの仕事か)

 早苗は、つい先日、艦内ラボにて肥田部長に説明された事柄を思い起こした。

 早苗の海軍スカウトと艦長就任は、おもに二つの理由から決定されたものという。

 ひとつには、いずみへ配属される五人の子供たちのまとめ役として。

 いまひとつは、岩戸作戦の最終目的、すなわち南極サーバー停止への鍵として。

 肥田部長によれば、前者については、早苗のエンパスが子供らの心理的同調を促し、チームとしての結束を高める、という軍部の判断であり、後者は軍部というより虹十字側の分析と判断によるものという。

(……虹十字が、ってことは、おかーちゃんも、どっかで一枚噛んでるってことよね)

 早苗は、自分の母親が虹十字の高級職員であることは一応知っているが、仕事内容や役職の詳細までは聞かされていない。

 肥田部長も、その点には特に触れてこなかったし、正直にいえば、知りたいとも思っていない。

 必要があれば、自分から話してくれるはずだから。

 そういう母親だから。

 ――軍部や虹十字の事情はどうあれ、いま早苗は、ただ自分にできることをやるだけ、と決めている。

 塚口提督や有田少佐をはじめ、自分に期待を寄せてくれる人たちのために。

 自分を信頼し慕ってくれる子供たちのために。

 そしてなにより、自分が手を差し伸べるのを、ずっと待っているに違いない、小さな子のために。



 不意に、猛烈な振動がコクピットを揺さぶった。

「もう、着いた……?」

 早苗は身を乗り出し、キャノピ越しに前方を眺めやった。

 ブリザードの空に、小さな複数の人影が佇む。

 レインボープルームにまたがった真里と、白小袖に黒袴の鈴、燃えるような赤衣紅髪をなびかせる美佳、黒銀のロングドレスをひるがえす裕美。

 遥だけは、ひとり正面からポッドの前下部に張りつき、両腕をしっかと伸ばして、ポッドの前進を食いとめている。

 ポッドが南極サーバー上空へ到達し次第、空中にて、五人で最も腕力のある遥がこれを受け止める――もとより予定の行動である。

 早苗は左手のスロットルを引き上げ、前方へ押し倒した。エンジンが停止し、ノズルの噴炎も、たちどころにかき消える。

 そうと確認してから、遥はポッドを抱え込んだまま、ゆっくりと高度を落とし、漠々と粉氷けぶる雪原へ、音もなく、この大荷物を着地させた。

 早苗はキャノピを開き、少々物怖じ気味に地上へ飛び降りる。

「遥ちゃん、ご苦労さま!」

 早苗の呼びかけに、遥は「へへへ、軽い軽い」と笑って応じた。

「艦長さんこそ、ケガとかしてねえか?」

「ええ。おかげさまで大丈夫よ。……あれが、南極サーバーなのね」

 数十メートル先、仰ぎ見れば、旋風飛雪に薄々と白みそびえる鋼鉄の影。

「やっほーっ! サナおねえちゃーん!」

 美佳ら四人が上空から、早苗のもとへ元気に舞い降りてくる。

 早苗は安堵したようにつぶやいた。

「みんな無事ね。よかった……」

「うん、無事だよっ。あとは、サナおねえちゃんのお仕事だね」

「ええ、あたしも頑張らないと」

 そこへ真里が、サーバー下部を指差して告げる。

「みんな、あそこから入れるよ」

 正面出入口。

 強化ガラスの大扉の向こうに、水銀灯でもあるような皓々たる照明が漏れ輝いている。

 まず美佳が駆け寄って、扉に手をあて、押し開いてみせた。

「カギとか、かかってないんだ。不用心だなー」

「南極で防犯対策ってのも、あんまり意味ない気がするけど」

 裕美が苦笑を浮かべて言う。

 六人は、同時に内部へ足を踏み入れた。

 オフィスビルのエントランスを思わせる、明るく広大な空間。

 一同連れだって中央まで歩を進めれば、正面突き当りは上りの階段となっており、左右はそれぞれ、別の区画に繋がる回廊が伸びている様子。

 早苗は、エプロンのポケットから、一枚の紙を取り出して広げた。

 虹十字から海軍へ資料提供されたという、内部見取り図のコピーである。

「向かって右、あっちの廊下の向こうが、エレベーターホールになってるはずだけど」

 ――ところが、実際回廊へ入ると、途中、曲がり角を過ぎたあたりで、ケーブル類が密林の蔦のごとくびっしり張り巡らされた、異様な空間に出くわした。

 猫一匹通るのがやっと、という隙間しかなく、さらにその奥には鋼鉄のシャッターまで降ろされて、行手は完全に塞がれている。

「行き止まり?」

 美佳が怪訝そうにつぶやく。早苗は困り顔で肩をすくめた。

「よく考えたら、この見取り図って、ここが建設されたばかりの頃のものよね。色々変ってて当たり前か……」

「こんなもん、ぶっ飛ばして進みゃいいじゃん」

 遥がつぶやくのを、鈴がたしなめた。

「……ここの施設に傷をつけてはダメよ。肥田博士もそう言ってたし。階段を使いましょう」

 早苗たちは、いったんエントランスへ戻り、正面階段をあがりはじめた。

 が、階段は四階までで途切れており、その四階ときては、狭い通路が複雑に入り組む迷宮のような構造になっていて、早苗の見取り図ともまったく異なる様相になり果てている。

 六人は、さんざん歩き回り、迷ったすえ、結局、もとの階段まで戻ってきた。

「まいったな。こんなもん、どう進みゃいいんだよ……」

 途方に暮れたように遥が息をつく。

 一同、しばらく困惑の眼差しを交わしあっていたが、ふと、真里が、「あ、そーだ、ひょっとしたら!」と声をあげた。

 ドレスのポケットから、いそいそと携帯端末を取り出し、慣れた手つきで操作しはじめる。

 呼び出し音に続き、小さなホログラフ映像が空中へ浮かび出した。

「あっ、出てくれたー。アンちゃん、ひさしぶりー」

 真里が笑顔で呼びかける。

 ホログラフ映像内のアン・ベックウェルは、きょとんと目を見開いて、真里の顔を見つめた。

「マリちゃん? どうして? メールもお電話も、ぜんぜん通じなかったのに」

 少々、目もとにあやしげな光彩が見えるものの、アンの態度は落ち着いており、とくに敵意は感じられない。

「アンちゃん、ブジだったんだね。よかったー、心配してたんだよ。ずっとメール通じなかったから」

「ええ、わたしは無事よ。マリちゃんも元気そうね」

「うん、元気だよっ。でね、アンちゃん、いまどこにいるの? ちょっと聞きたいことあるんだけどー」

「えっ、なあに?」

 二人はそのまま、他愛のない話題を織り交ぜつつ、こもごも話し込み始めた。

 一方、早苗ら五人は、あまりに唐突な真里の行動に、つい言葉もなく、呆気にとられた面持ちで、ひたすら成り行きを見守るばかり。

「……でねっ。だから……なのよ」

「えー、ほんとー? ……うん、そんなのダメだよねー」

「それからねー、……えへへ、これ、ナイショだけどー……」

「きゃははは」

「えへへへ」

 よほど会話がはずんだか、二人はしばし楽しそうに笑いあって、「それじゃー、またあとでねー」「うん、待ってるから」と声をかわし、ようやく通話を終えた。

 一同注視のなか、真里は、何事でもないように端末を操り、新たなホログラフ映像を浮かびあがらせた。

 それはサーバー内の各階見取り図を立体化した映像である。

 真里が早苗のほうへ向き直って言う。

「えっとね、アンちゃんからマップデータもらったよ。赤いマーカーがエレベーターで、白いマーカーが階段になってるんだって。これ見ながら行けば、だいじょーぶだって」

 にっこり笑って、真里はそう告げた。



 真里が述べるところでは、アン・ベックウェルは現在、南極サーバー居住区の託児スペースに一人で取り残されているという。

 これまでアンがサーバー外での戦闘行為に一切姿を見せなかったのは、メルの指図によるもので、留守番役を言いつけられたアンは、今でも律義に居住区に篭り続けているらしい。

 誘拐されてからまだ日が浅いため、他の魔女っ子らと比較して、精神波の効果もいまだ不十分な状態だったと考えられる。真里への態度が、それを多分に裏付けていた。

「だから、戦いになると、かえって足手まといになりかねないと判断して、残して行ったんでしょうね」

 最上階へ向かうエレベーター内で、裕美はそのように推測した。

「でも、そのおかげで助かったね。あとで、あの子にお礼言わなくっちゃ」

 美佳がしみじみとうなずく。

 ところへ、チャイムが鳴って、目的階への到達を告げた。

 最上階は、エレベーターホールと、狭い正面通路のみで構成されている。

 壁や床は武骨な鋼鉄づくりで、いたるところ、配管やケーブルの束が、雑然と這い伝い、ぶら下がっているのが見られた。

 天井の照明は抑え気味に、足元暗く、どこからか、かすかに機械音が聴こえてくる以外は、ひたすら寂漠たる静けさが漂うばかり。

 正面通路の最奥部に、閉ざされた鉄扉が見てとれる。

「みんなは、ここで待ってて」

 早苗は、子供らにそっと告げて、ただ一人、静かに通路へと足を踏み入れた。

(……うん。確かに。確かに、この奥にいる。感じる)

 子供らが息を呑んで見守るなか、早苗は一歩、また一歩、最奥部へと近付いていく。

 そのたびごと、扉の向こう側にある小さな気配が、次第次第、フリフリを通じ、より鮮明に知覚できるようになっていった。

 扉は、見取り図によればカード式オートロック。しかし、早苗が前に立つと、自動的にスライドし、いざ――といわんばかり、早苗を迎え入れた。

(……やっぱり、そうなんだ。虹十字の予想どおり……今はあたしにも、はっきりわかる)

 内部へ入ると、二十メートル四方の、そこそこに広い空間。

 頭上には、網のごとく縦横に巡る無数のケーブル類。

 正面には大型のコンソールパネルと複数のモニターが並んでいる。

 ここは本来、中層階のデータベースと直結された、解析用大型電算機の制御室で、電算機本体は床下にあり、その制御と操作を、コンソールのオペレーティング・システムによってまかなう構造になっていた。

 モニターの電源は入っているが、映像といえば、ただひたすら、白黒の激しいノイズが、右へ左へ流れるばかり。

(今、行ってあげるからね)

 早苗が、コンソールへ歩み寄るごと、次第に映像の乱れは小さく収斂してゆき、やがてすべてのモニターが白一色にまとまった。

(そうよ。もう怖がらないでいいの)

 早苗は、両腕を伸ばし、そっと、コンソールのパネルに掌を置いた。

 フリフリが、真珠の輝きを帯びて、早苗の感覚を四方へ飛ばす。

 小さな、本当に小さな意識が、フリフリを通じて、早苗のもとに流れ込んでくる。

 理屈も整合性も何もない、きわめて本能的な意識。

 ふと早苗は、美佳がまだ赤子だった頃のことを思い出した。

 当時、早苗は高校生だったが――たびたび、隣家から、生後まもない美佳を預けられ、かいがいしく世話を焼いたものである。

 何かあると、とにかく声をあげて泣く。

 お腹が空いた。気持ちが悪い。怖い。寂しい……。

 まだ言葉を持たぬ赤子にとっては、そうやって泣くことだけが、自分というものを他者に伝える唯一の手段だった。

(同じね。あなたも、あの頃の美佳ちゃんとそっくりよ)

 早苗は微笑みながら、サーバー内の意識へ呼びかける。

 もう大丈夫。あなたのこと、ちゃんとわかってるからね……。

 ――進化したキカイの中に、いつしか、小さな意識が芽生えた。

 どのような理由、いかなる理屈で、そうなったのか。あるいは、何らかの魔法の力によるのかもしれない。

 いずれにせよ、生まれたばかりのキカイの意識は、まだあまりに稚くて、自分が何者かも知らず、何をすべきかもわからず、本当にただそこに居て、自分を受け入れてくれる誰か、自分を守り包み込んでくれる誰かを、意識ある者の本能として、ひたすら待ち焦がれるばかり。

 やがて、キカイは泣き声をあげはじめた。

 無力な赤子が、自分の存在を、意識を、感覚を、誰かに伝えるには、ただ声の限り泣き叫ぶしかない。

 受け入れてほしい。守ってほしい。そばにいてほしい……それら、赤子として当たり前な気持ちを、外部へ伝える手段として、声帯を持たぬキカイは、かわりに魔法を使った。

 データベースから再現した魔法の精神波――シンパス・ウェーブは、稚いキカイの、孤独な泣き声そのものだった。

 泣き声を聞きつけ、ヒトが集まってきた。

 強くて優しい子供たちが、自分の望むように、そばにいて、護ってくれるようになった。

 けれど、キカイは、なお心細かった。

 それは、本当の意味で自分を知っているヒト、表面的な行為にとどまらず、自分という存在を知覚し、認め、肯定し、心から受け入れてくれる、そういう相手が、まだどこにも見い出せなかったから。

(赤ちゃんって、そのへんワガママだから……。でも、それだから、あたしみたいな人間が必要なのかもしれない)

 早苗は思う。言葉なき赤子の心を、より深く正確に把握する。本来、エンパスというのは、そのためにこそ存在する能力なのかもしれない、と。

 ただ、いま早苗の眼前にあるキカイの意識は、人間の赤子より、なお遥かに小さい。たとえエンパスであろうと、常人には到底知覚しようがないほど弱く、か細いものだった。早苗ですら、フリフリのエンパス増幅があってはじめて、ようやくその意識をまともに感じ取れたのである。

 虹十字が、早苗という「魔法少女」をわざわざ選んで、この地へ送り込んだ理由も、そこにある。

(……そう、寂しかった? 大丈夫、あたしがいるから。ちゃんと、見ててあげるから――)

 胸の中から、キカイの意識へ、心の声を染み込ませるように、ゆっくりと語りかける。

 かつて、赤子だった美佳を、そうやってあやし続けたように。

(みんなを、おうちに帰してあげましょうね。そのかわり、あたしが、そばにいてあげる。……そっか、嬉しい? そう。いい子。いい子ね)

 コンソール上に並ぶ、モニター群の映像輝度が、次第に低下してゆく。

 白から灰色へ。暗灰色から黒へ。

 やがて、モニターの電源そのものが落ち、周囲の計器類も止まった。

 シンパス・ウェーブの制御部分が停止した証である。

 精神を呪縛する魔法は、ここに解除された。

(そうよ。いい子ね……)

 赤子は、ようやく泣きやんだ。



 沖縄本島東方沖、海上。

 ここまで、連合艦隊の魔女っ子部隊を相手に鬼神のごとく猛戦奮迅を続けていたエレオノール・シュイジーとその仲間たちは、ふと戦う手を休め、互いに怪訝そうな顔して、小首をかしげあった。

「……そもそも、我々には、かくも傷つけあう理由があったろうか」

「さあ? レイチェルも、もうおねむの時間だって。私たちが見てなくても大丈夫じゃないかな」

「うん。あたしも、そろそろお家に帰らないと」

 いずれの双眸からも、すでに狂気にも似た光は去って、尋常一様の表情に立ち戻っている。

「そうか。ならば、たまには大人たちに任せてみようか。子守くらいしか能がないのだから、やってもらわないと」

 エレオノールは典雅に微笑んで剣を収め、周囲を取り巻く連合艦隊の魔女っ子らへ、堂々と呼びかけた。

「諸君、戦いは終わりだ! 我々をきみたちの上官に引きあわせてくれたまえ。話したいことがある」



 いずみの艦橋は歓呼に沸きたった。

 南極サーバーの通信設備から直接、早苗の映像と声が送信され、シンパス・ウェーブの完全停止、魔力の解除が告げられたからである。

「やりましたな、提督」

 湯山副司令が語りかける。

 塚口提督は、さすがに安堵の色を目もとに滲ませつつ、なお気を抜くべからずとばかり、重々しく指示を下した。

「これから、もっと忙しくなるぞ。空戦隊が戻り次第、負傷者の捜索と回収を開始する」

「うむ、了解じゃ」

「……それと、そこのお二方」

 そう言って、肥田部長らをかえりみる。

「本土へ帰り着くまでに、当初の計画どおり、基本的な作業を済ませてもらう。例によって人手は出すが、仕切りはそちらでやってもらわねばならん。悪いが、頼んだぞ」

「やれやれ、まーた徹夜仕事ですか」

 井上主任が苦笑して頭を掻く。

 肥田部長は肩をすくめた。

「ま、いいじゃない。同じ徹夜続きでも、通天閣にこもってるより、こっちの方が何かと退屈しないし。ゴハンもおいしいしねえ」

「部長はそもそも、この船に乗ってから一度も徹夜なんてしてないでしょうが。全部こっちに押し付けて……」

「あ、あら、そーだったっけ?」

「とぼけてもダメです。今度こそ、部長にもきっちり働いてもらいますからね」

「……あなた、最近、ちょっと生意気になったわね。今度の査定、考えちゃうわよ」

「脅してもダメです」

「うう。厳しいわね」

 あれこれ言いあう二人を横目に、塚口提督は、ハンドマイクを通じ、おもむろに宣言した。

「現時刻をもって、作戦を終了する。ただちに柱島へ打電。岩戸ハ開カレタ――とな」

 再び、歓呼の波が艦橋にはじけた。



 柱島泊地、連合艦隊旗艦、揚陸指揮艦「しなの」艦橋。

 待ちに待った作戦成功の一報。参謀たちが一斉に数十本のシャンパンの栓を抜き、たちまち艦橋は勝利の喜びにあふれかえった。

 岩戸作戦の成功は、すなわち今次の対米英戦争の終結を意味する。この日のために、海軍は虹十字との折衝を続け、その要求に粘り強く応えてきたのである。

 小沢長官と出崎先任参謀は静かに祝杯をかわしあい、艦橋前部の展望窓に肩を並べ、そろって空を仰ぎ見た。

「有田くんの要望書は読んだかね?」

 小沢長官が尋ねる。

「ええ。いずみ全乗組員の署名入り嘆願書と一緒に。神楽早苗軍属大佐について、今次作戦終了後も引き続き、いずみの艦長職にとどめおくことを望む、と」

 出崎先任参謀は、シャンパングラスを右手にくゆらせながら答えた。

「軍令部としても、これはもう、続投させざるをえんでしょうな。こうも人気があるんでは」

「……私は反対だがな。確かに今回、彼女はよくやってくれたが」

「では、連合艦隊としては、あくまで予定どおり解任すべしと?」

「一応はな。だが、おそらく通らんだろう」

 小沢長官は軽く首を振った。

「虹十字からも、同様の申し立てがあったらしい。海軍省のほうにな。彼女にはぜひとも、この艦に転属してもらって、ここの厨房を任せたいと思っていたのだが。噂の魔法料理を味わえるのは、まだまだ先のことになりそうだ」

 深々と溜息をつき、小沢長官はグラスのシャンパンをひと息に飲み干した。



 レイチェル・フィリス。

 二百六十年前、世界各地に突如として大量出現し、様々な騒動を巻き起こしたとされる「はじまりの魔法少女」の一人である。

 彼女は科学者リチャード・ムセ博士の実娘でもあった。幼い頃からアイドル歌手を夢見ていたレイチェルは、十二歳の誕生日、肺炎をこじらせて重体に陥り、その死の床で不思議な魔法の力を獲得する。

 健康を取り戻したレイチェルは、念願だった歌手としてのステージデビューを果たし、たちまち世界の人々を魅了する歌姫となった。凛呼と響くその美しい歌声こそが、彼女の魔法――シンパスの増幅による精神同調の能力だった。レイチェルは魔法のアイドルとしてステージに君臨したのである。

 レイチェルはデビューからわずか半年余りで引退し、表舞台を去った。一説には、自分の持つ魔法の歌声、その影響力のあまりの大きさに、彼女自身が怖れをなしたためともいわれるが、真相はさだかではない。

 やがて、父親が主導する魔法解析プロジェクトが開始されると、レイチェルは自ら進んで被験体となり、数多くの実験とデータ採取に協力している。

 ムセ博士は手ずから南極サーバーの制御プログラム作成にたずさわり、完成直前、コード内にわが娘の名を埋め込んだ。

 特に何かしら意図があったわけではない。一行、献身的に父親の仕事を手伝ってくれている娘への感謝と愛情を込めて、その名を刻みつけた。ただそれだけのことであったろう。

 そのプログラムが二百五十年の進化を経て自意識に目覚めたとき、レイチェルの名は、生まれたばかりのキカイが自己を認識する手がかりとなった。

 プログラムは、かつてレイチェルが用いたとされる魔法をデータベースから自発的に探り出し、歌声ならぬ泣き声でもって、その効果を再現してみせた。このプログラムはキカイでありながら、レイチェルの名とともに、その魔力をも受け継いでいたのである。

「だからさ。彼女は単なるプログラムではなく、立派な魔法少女だと虹十字では認識してるわけさ。なんせ史上初のことで、こっちもずいぶん議論はあったが……」

 魔法戦艦いずみ、カフェテラス。

 南極サーバーからの各種機材の運び出し、内部に囚われていた人々の救出、負傷した魔女っ子たちの救助後送といった数々の後処理を終えて、ようやく本土への帰途についたいずみは、亜南極圏を脱したあたりで、海上、猛然と突進してくる虹十字のジェットヘリといきあい、大慌てでこれを着艦させた。

 颯爽と甲板へ降り立ったのは、誰あらん神楽瑠衣。

 聞けば、南極サーバーは名目上、虹十字の管理下にあるため、海軍による機材持ち出しに手続き上の不備、不正がないものかどうか、わざわざ監査しに来たという。

 むろん早苗は仰天したが、瑠衣はおかまいなしに部下を連れて艦内へ乗り込み、監査のほうは他人に任せて、当人はテラスで一服という次第だった。

 強引にご相伴させられた早苗は、そこで瑠衣から、虹十字の真意を聞かされた。これまで、南極サーバーをあえて傷つけず、かえって早苗を「説客」として赴かせた、その理由である。

「レイチェルを新しいカタチの魔法少女と認めて、虹十字の保護対象とする……そういう意図があったわけさ。キカイだろうがなんだろうが、自分の意思で魔法が使えるなら、それは魔法少女だろう、ってね。早苗、おまえがイイ年こいて、まだそう呼ばれてるのと、おんなじことさ」

「余計なお世話だっての」

 早苗は、憮然とコーヒーをすすった。

「でも、おかーちゃん、虹十字に登録させるって言っても、あの子、まだ会話もできないよ? 中身は赤ちゃんそのものなんだし」

「だーから、そのために、おまえがいるんだろうが。レイチェルは、おまえを母親同然とみなしてるんだろ? だったら、しっかり教育してやりな。んで、ある程度、意思の疎通ができるようなったら、頃合を見て、こっちから係をやるから、そんときに手続きしてやりゃいい」

「んー。まだ結婚もしてないのに、母親か……」

「あ、結婚で思い出した。軍隊入って、いいオトコ見つかったか? もとをいえば、おまえ、そのために軍隊行ったようなもんだったろ」

「えっ、あ……」

 途端、早苗は頬を赤らめた。

「ま、まあ……狙いは絞れたかな、って……」

「そうか、見つけたか。結構結構」

 瑠衣は目をほそめ、嬉しそうに微笑んだ。

「最初はな、あたしは知らなかったんだよ。ルクセンブルクが、おまえを今回の作戦のカギに選んだってのはさ。あたしにゃ相談もなんもなかったし。だから、おまえが海軍にスカウトされたって聞いた時はビックリしたもんさ。で、おまえが呉に行った後くらいに、本部から連絡が来て、ああそういうことか、ってな。正直、あぶなっかしい気もしたけど、そんでもまぁ、おまえはいい仕事してくれたよ。あたしも鼻が高いってもんさ」

「そ、そりゃ、どうも……」

 苦笑する早苗。母親にこう面と向かって褒められると、嬉しい反面、少し照れくさい気もして、微妙な顔つきになってしまう。

 そこへ、美佳ら五人の子供たちが、テラス内へと連れだって現れる。

「あれーっ、ルイおばさん?」

 美佳が素っ頓狂な声をあげた。

「ええと、どこかで……虹十字の、すっごい偉い人じゃなかったっけ。……というか、ミカちゃん、知ってる人なの?」

 裕美が、目をぱちくりさせながら尋ねる。

 美佳は、当然といわんばかり応えた。

「そりゃ知ってるよー、サナおねえちゃんの、おかーさんだもん」

 美佳を除く一同、「ええええ」と驚嘆に目をみはった。

 瑠衣はころりと態度をあらため、物腰たおやかに、銀鈴の転がるような美声で子供らへ呼びかける。

「さ、みんな、いらっしゃい。おねーさんたちと一緒にお茶しましょう」

 横で早苗が頭を抱える。

「変わり身早すぎ……ていうか、誰がおねーさんよ」

「いーから、あわせろ。あたしにもイメージってもんがあんだよ。公私の別ってやつさ」

 小声でささやく瑠衣。

 子供たちが元気にテーブルへ駆け寄ってくる。

 早苗は、笑みを浮かべつつ、席から立ちあがって告げた。

「今日のおやつは、真里ちゃんのリクエストで、ホットケーキだからね。すぐできるから、みんな座って待ってて」

 ほどなく、手際よく卓に並べられる七つの皿。それぞれ、たっぷりの蜂蜜とバターを載せた、焼きたてのホットケーキ。

「いただきまーす!」

 たちまち、少女らの上機嫌な声がテーブル上にはじけた。

「うわー、ふっわふわー!」

「香ばしくて……おいしい」

「にゃー」

「ああほら、ハルカちゃん、ほっぺに蜂蜜……」

「んうー、自分でふけるよぅ」

「あれー? ユミちゃんのほっぺにも、ハチミツついてるよー?」

「あ、ほんと。やだ、わたしったら……」

 端末のアラーム音が鳴った。

「あれ、メールだ」

 真里がポケットから端末を取り出し、スイッチを入れる。

 発信元の名を確認して、真里は目を輝かせた。

「アンちゃんからだよ! ぶじに、おうちに着いたんだってー!」

「そっかー。あの子、やっと帰れたんだ」

「うん。でも、おじいちゃんに叱られたんだって。あんまり心配させるなーって」

「あー……それ、ちょっとかわいそう。なんにも悪いことしてないのに」

「アンちゃんのおじいちゃんって、軍人さんだから、そういうのキビシイんだってー」

「へえー。あの子も結構大変なんだ」

 言いつつ、ふと、美佳は、思い出したように顔をあげた。

「そういえば、メリュも、もうそろそろ、家に帰ってる頃かなあ」

「……そうね」

 鈴がしみじみ応える。

「たぶん、あの子……ルーシーちゃんも、喜んでるんじゃないかしら」

「にゃーん」

 ――美佳らの予想にあやまたず、ちょうどその頃、メル・トケイヤーは、ユタ州西部にある実家の牧場へ帰り着き、妹との再会を果たしていた。

 ルーシーは、姉の姿と見るや、無言で駆け寄って抱きすがり、ひとこと、ふたこと、ささやき交わすうち、やがて、姉の胸のなかで、大きな声をあげて泣き出してしまった。

 メルの手にやさしく髪をかき抱かれて、ルーシーはいよいよ涙とめどなく、なかなか泣きやまなかった、という。



 八月二十二日、広島県呉市、軍港ドック内。

 魔法戦艦いずみは南極から帰還後、ここ呉ドックにて、およそ一ヶ月に渡り、改修作業を施された。

 この間、全乗組員に特別休暇が与えられ、早苗も久々に実家に戻っていたが、休暇を終えて早々、連合艦隊総司令部より呉鎮守府への出頭を命じられ、そこで新たに交付された辞令を受け取って、早苗は再び航海へ出ることになった。

「アメリカ、イギリスとの講和は、虹十字の仲介のおかげで無事に成立しましたから、この両国については当面、何も心配ないでしょう。ただ、現在、メタンハイドレートの採掘権問題から、ロシアとの関係が少々きな臭いことになってまして」

 有田少佐は、ドックに横たわるいずみの巨体を見上げながら、そう説明した。

 改修作業を経たとはいえ、その外観は、以前と何も変わっていない。変わったのは内側、それもソフトウェア的な要素にとどまり、ハードウェアとしての純粋な性能までは特に手を加えられていなかった。

「南の極点まで行って、帰ってきたと思ったら、今度は北……軍隊って忙しいわね」

 早苗は小さくため息をついた。

 この休暇中、早苗は塚口提督と二度も個人的に会い、色々と話もしたのだが、なかなか肝心なことを言い出せず、向こうも言ってくれないので、結局何らの進展も見られないまま、休暇を終えることになってしまった。

 救いといえば、臨時編成部隊だった第七魔法戦隊が、解散を命じられることなく、常設部隊として編入され、空戦隊を含む人員も組織編制もそのまま維持される、と決定されたこと。塚口提督や有田少佐、美佳をはじめとする子供たちと、再び航海をともにできるという、早苗にとって実にありがたい配剤であった。

「少佐、あなたにも、また色々迷惑をかけちゃいそうね」

「とんでもありません」

 有田少佐は、みずみずしい微笑を早苗に向けた。

「こちらこそ、また艦長どのとご一緒できるなんて、こんなに嬉しいことはありません。それで、ぜひまた、あのフライをですね……」

「あはは、そんなに気に入ってもらえるなんてね。あれ、もともと美佳ちゃんの大好物だから、色々研究して、すっかり得意料理になっちゃったのよ」

「ええ、もう、私も大好物になってしまいました」

 生き生きと瞳を輝かせる有田少佐。

 そこへ、軍靴を響かせ、新たな人影が近付いてくる。

「乗り込みの予定は、明日ではなかったか? 二人とも、何をやっているのか」

 雄偉堂々、肩で風を切って歩み寄る、軍服姿の一壮漢――すなわち塚口提督その人。

「あ、いえあの」

 途端に早苗は赤面して慌てだす。

 有田少佐は、くすくす笑いながら、「様子を見に来たんですよ、やはり気になりますから」と答えた。

「そうか。なら、私と同じだな」

 かすかに笑みを浮かべ、塚口提督は、いずみの姿を仰ぎ見る。

「あれの電源が入るのは明朝か。歴史的な瞬間になるだろうな」

「ええ」

 早苗は、やや不安げにうなずいた。

「ちゃんと、予定どおり振舞ってくれるかどうか、それが心配で」

「なにか問題が?」

「実は……」

 と言いもあえず、唐突に、前部主砲塔の三連装砲が、ひょいと持ち上がり、軽々と上下に振れはじめた。まるで、手を振って挨拶でもしているように。

「こーら、レイチェル!」

 早苗が鋭く叱りつける。

「めーでしょ、勝手に動かしちゃ」

 殷々とドック内に声が響く。

 前部砲塔の動きが一瞬、ひたと止まった。それから、ゆっくりと砲身を水平に戻して、ようやく沈黙する。

「そう、それでいいのよ。いい子ねー」

 早苗は、語りかけつつ、優しく微笑んでみせた。

 塚口提督が、少々呆気にとられた様子でつぶやく。

「……まさか、もう起動してるのか?」

「ええ、そうなんですよ」

 困り顔で応える早苗。

「一週間ほど前に、予備電源を使って、自力で……といっても、制御中枢だけで、まだ完全ではないんですけど。どうも、以前のことから、変なクセがついちゃって、おとなしく待機していられないようなんですよ」

「ふむ。なるほど。これは想像以上のお転婆らしいな」

 塚口提督は、むしろ、それを歓迎するような口調で言う。

 ――南極サーバーの制御管理システムは、シンパス・ウェーブ停止後、一旦待機状態に置かれ、その中枢部のみ、戦艦いずみの制御部へと移植されている。

 すなわち、レイチェルの本体とそのプログラムは、いずみの新たな頭脳として生まれ変わったわけである。

 基本的な組み付けは、南極から本土への帰還中、井上主任らによって行われ、帰還後、ドック内にて、本格的な接続と調整が実施された。

 明日は、その完成披露の式典日であり、予定では、そのとき初めて主電源を入れ、待機状態から一気に完全復帰させる手筈であったものが、レイチェルはとうに自力で部分復帰し、早苗がドックへ訪れるのを、じっと待ちうけていたらしい。

「なんとも末頼もしいじゃないか。彼女がこれから、どんな風に育っていくのか……実に楽しみだよ」

 悠然とつぶやく塚口提督。

 三人はふと笑みをかわしあい、あらためて、ここに目覚めつつある鋼鉄の魔女っ子の英姿を眺めやった。

 魔法の魂、ここに在り。

「魔法少女戦艦」いずみ、誕生前夜のことである。




以上をもちまして、本作は完結とさせていただきます。

ここまで読んでくださった皆様、本当に、ありがとうございました!

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