第九話「魔法は虹になって」
六月二十二日、インド洋上亜南極圏、マクドナルド諸島南方沖。
硫黄島からベーリング海峡、北極海、大西洋から亜南極圏へと夜を日に継いで急行また急行、赤道をまたぎ、南回帰線を越えて休みなく大海原を進むこと実に十八日――。
魔法戦艦いずみは、世界最速戦艦の名に恥じぬ快足ぶりを発揮し、いよいよ最終目標たる南極大陸東岸部を指呼の間に仰ぎつつあった。
「確認しておく。南極サーバーの予想早期警戒範囲へ到達後、作戦第一段開始、予定時刻は艦内時間明朝〇七〇〇。以後、第二段階への移行については、状況に応じ、こちらで判断する。極めて厳しい気象条件下での行動だ。各自、手もとの資料にもう一度、よく目を通しておけ」
午後二時、士官室。
ブリーフィングの席上、ボードに貼り出された大図面を前に、塚口提督は、出席各員へ作戦内容の確認を促した。
黒檀の大卓を挟んで、席を連ねる将校たち、魔女っ子たち。ここにきて、大人たちの間には、常にはない緊張の色が滲みはじめているが、子供たちのほうでは、さほど普段と変わった様子はなく、至極マイペースに振舞っている。
「さっきの……あの話。ASWFとかいうの、ホントに効果あるのかな」
室内のざわめきにまぎれるように、美佳が小声で裕美にささやきかける。
「アンチマジックコーティングの改良版って。でもあれ、全然なんの役にも立ってなかったよね」
「……確かに。言われてみれば、ちょっと不安よね」
裕美がうなずいて同意を示す。
「万一、効果がなかったら、あたしたちまで南極のコンピューターに取り込まれちゃうかも」
「そこっ、聞こえてるわよぉ、そんな心配は無用だと、さっきも言ったでしょ」
卓の向かい側から、肥田部長の鋭い眼光が飛んでくる。
「我が研究所の自信作なんですからね。これでも開発には結構苦労したのよ。ベースになる金属粒子はAMCと同じものだけど、ナノマシンで粒子の動きを制御して、ミクロン単位の極小の防護膜を形成させ、これを網状に何億、何兆重にも織りあわせて、南極サーバーから放射される魔法精神波の波長のみを遮断するってわけ。基礎理論はともかく、実現させるのには骨が折れたのよ。ジェネレーターの小型化も大変で……」
「ふぇー、何言ってるかゼンゼンわかんないよ」
遥が困惑したようにつぶやく。
「うん。でも、なんかスゴいねえ」
真里は、なぜか感心げにうなずいている。
「南極サーバーかぁ……メリュや、アンちゃんも、そこにいるのかな。無事だといいけど……」
ふと眉をひそめる美佳。早苗が、そんな美佳を励ますように微笑みかける。
「きっと無事でいるわよ。だから、あたしたちが、その子たちを元に戻してあげなきゃね」
「……敵として、こちらを妨害しに出てくる可能性が高いわね。まあ、もともと敵だけど」
「にゃあ」
鈴が、ぽそっと述べる。
「そのときは、そのときだよ」
美佳は、むしろ望むところ、というように、力強く言い切った。
「そうなったら、手加減なしでぶっとばして、目を覚まさせてあげるから。ルーシーちゃんからも、そう言われてるしね」
「ええー、アンちゃんも、ぶっとばしちゃうのー? そんなのかわいそうだよー」
真里があわてて口を挟んでくる。
美佳はちょっと首をかしげて答えた。
「んー。あの子は大丈夫じゃないかなあ。いくら操られてても、マリちゃんとはケンカしたがらないと思うよ」
「え、そっかな?」
「だって、あんなに仲良くなったんだから。多分、ちゃんとおぼえてるはずだよ」
「……うんっ、きっとそーだよね。もしまたアンちゃんに会えたら、今度はイチゴ味のキャンディー、食べさせたげよーっと」
真里は、心配げな顔つきから一転、また明るく笑ってみせた。
その日の夕刻。早苗は不意に艦内放送で呼び出され、第七魔法戦隊発足以来初めて、塚口提督の執務室へ足を踏み入れた。
「忙しいところを済まん。いくつか確認しておきたいことがあってな」
「いえ……」
早苗は、胸の鼓動を抑えるのに苦心しつつ、塚口提督のデスク前に足を揃えた。
室内には、調度らしき物は特に見当たらない。
早苗の艦長室の半分程度のスペースだが、内装は簡素を通り越して無機的で、鉄製の執務卓の他には、正面の壁に大小二振りの日本刀が掛けてあるのが見えるだけである。
部屋の主の性格そのまま、無愛想のきわみのような光景に、早苗はやや呆れもし、いかにもこの人らしい、とも思った。
出入口から見て左側に、これも鉄製の頑丈そうな扉があり、どうやら塚口提督の私室に通じているらしい。
作戦手順について、いくつかやりとりをした後、ふと塚口提督が尋ねた。
「子供たちの様子はどうかね」
「……みんな、いつも通りです。こういうときは、あたしなんかより、あの子たちのほうが、ずっと肝が据わってますね。慣れてる感じで」
塚口提督は、さもあろう、とうなずいた。
「彼女らは経験も実績も豊富なエースたちだ。今回の作戦も、あの子たちにしてみれば、我々が考えているほど大層なものとは意識していないだろう」
「ええ、確かに、そう感じます」
「……だがな、艦長。明日の作戦、我々大人は、みな張り切っている。この艦の連中だけでなく、連合艦隊や軍令部のお偉いがたも、虹十字やラボの者たちも、政府の役人どもまで……なぜだかわかるか?」
「え……」
突然問われて、早苗は返答に窮した。
「艦長、きみの存在だ」
「は?」
「今回の作戦というのは、すべて、きみという存在と、その能力を基準に組み立てられたのだ。それは、きみが作戦上、最も重要な局面を委ねられる唯一の存在だからだが……同時に、きみは魔法少女といっても、立派な成人でもある。子供たちにできないこと、子供たちのために大人ができること。そういう任務を、きみが責任をもって、きっとやり遂げてくれる。その期待が皆の励みとなっている」
あの塚口提督が、これほど諄々と語るのも珍しい。
早苗は意外な感にうたれたが、また同時に、塚口提督の言わんとするところ、意図するところを、言葉からでなく、その語り口から感じとることができた。
「提督は、ひょっとして……虹十字の誓い……のことを」
尋ねられて、塚口提督は当然のごとくうなずいた。
「あれは、いわゆる公然の秘密というやつだ。軍事や政治にたずさわる人間で知らぬ者はおるまい」
虹十字の誓い。それはいまや完全に死後となったラテン語を原文とする、いにしえの魔女っ子たちの秘密の誓約である。
原文から訳するならば――。
泣かないで、涙を拭いて
戦おうよ、世界を変えるために
大人たちから、戦場を取り上げてしまおう
血を流しあう権利を、命を弄ぶ権利を、ことごとく奪い去ろう
もう誰の涙も見たくないから
大人たちに任せておけないから
わたしたちが戦場に立ち、力をつくして、争ってみせよう
血の空を、涙の海を、みんなの魔法で吹き飛ばそう
そのとき魔法は虹になって、きっと世界を変えるから……
おおよそ、そういう内容になる。
誰の筆になるものかは、現在まで諸説あって、特定されていない。
時期とすれば虹十字の設立前後。
いまだ淡路島条約による保護もなかった当時から、いつしか、敵味方にわかれて各国から従軍する「戦う魔女っ子たち」の合言葉となり、また自分たちの魔法の力をもって世界の変革を志す決意のあらわれとして、少女らの口から口へと、世代を超えて語り継がれてきたという。
「……私自身もそうだが」
塚口提督は、ふたたび語りはじめた。
「世の大人たちは、みな、あの文言に接するたび、ため息をつかずにはおれん。自分たちが、とうに子供らに愛想をつかされているのだと知ればな」
「……」
「だが、世の中がどうであろうと、本来……大人たちは、子供たちを守るための存在だ。子供たちを守り、育むために、大人という先達は、手を尽くし、立ち回り、働き、戦っている。それが本来あるべき姿だ。それが逆になるというのは……それは、歪みだよ」
塚口提督の口もとに、かすかに、どこか寂しげな笑みがのぞく。
「その歪みをあえてしてでも、誰にも血を流させまいというのが、あの子たちなのだ。その志は諒として、ならばせめて、戦場以外の場所では、大人がすべての責任を負ってやるべきだと私は思っている。いや、軍事にたずさわる大人たちの多くが、同じように思っているだろう」
虹十字の誓い。そこに込められた、魔女っ子たちの決意――その重みを知ってなお、大人の側にも、さらに負うべき責任がある、と塚口提督は言う。
「皆が、きみに嘱する部分というのも、まさにその点だ。子供たちが危険に晒されている今こそ、子供たちのために、自分たちも何かをしてやりたいと、皆、懸命なのだよ。きみには、そういう大人たちを代表して、大人なりの責任を果たしてもらいたいのだ」
語り終え、塚口提督は、あらためて早苗へ、双眸清々と、おだやかな眼差しを向けた。
いつもの厳然、人を萎縮させるがごとき険しさは、そこには感じられない。
塚口提督の意図は、はっきりと早苗に伝わっている。塚口提督は、大人側の立場から、魔女っ子であり大人でもある早苗へ、いまバトンを託したのだ。子供たちを守るための戦い。そのアンカーたれ、と。
早苗は心の中で、見えざるバトンをしっかと握りしめた。
(やっぱり、あたしの勘、間違ってなかった)
早苗は、胸中深々とつぶやく。
悪い人じゃない――初対面のとき、なんとなく、そう感じていた。
今思いおこせば、自分がエンパスであるがゆえに、そうと感じられたのかもしれない。いずれにせよ、子供たちを守るために――その一心で戦場を駆け巡っている人。
悪い人であるはずがなかった。
(あたしも……自分にできることを精一杯やってみよう。子供たちのために。この人と一緒に……)
ごく自然に、早苗は塚口提督へ丁重なお辞儀をほどこしていた。
素直な敬意と、それ以上の想いを込めて。
北半球の日本が夏六月ならば、南半球の極点は真冬。
当然この時期、南極大陸一帯は厚い氷雪に閉ざされている。
空に太陽は昇らず、いわゆる極夜の闇のうちに密雲低く渦を巻き、地上に吹き晒す豪風飛雪とめどなく、過酷な自然が猛威を振るう摂氏マイナス四十度の大地。
魔法戦艦いずみは、いよいよその極寒の大陸へと接近をはたし、南極サーバーの警戒域へ突入しつつあった。
艦内時間で六月二十三日、午前六時三十分。
虹十字の分析資料によれば、南極サーバーを中心とする、およそ半径八百キロ圏内は、南極サーバーのレーダー探知範囲であると同時に、サーバーから放射される魔法精神波――虹十字が命名するところのシンパス・ウェーブ――の有効範囲とされている。
エンパスを受動的共感と称するならば、シンパスはその真逆。能動的に外部へ向け共感意識をもたらし、対象者を心理的同調へと誘う能力である。
南極サーバーの人工知能は、この作用を機械的に再現しており、自らの意識を魔力を帯びた特殊な精神波に変換して、絶えず周囲へ放出し続けていた。
ひとたび精神波の直撃を浴びれば、常人は無論、たとえ魔女っ子といえど、たちまち人工知能との心理的同調を強制され、まず正常ではありえない精神状態に書き換えられてしまう。したがって、この精神波を無力化する手段を講じることが南極サーバー攻略の必須条件であった。
またさらに、衛星写真による解析では、サーバーの位置から半径五キロ圏内には、複数の魔女っ子による交代制の警戒シフトが敷かれており、外敵の侵入に絶えず目を光らせているという。
これらの障害を排除し、沿岸から南極サーバーまでの到達ルートを確保することが、第七魔法戦隊の当面の戦術目標となる。
「……問題は、第二段への移行のタイミングだ。ポッドは飛ばせるようになっているな?」
いずみ艦橋。
すでに艦内では第一戦闘配備が発令され、各部署ことごとく臨戦態勢下に置かれている。
塚口提督の問いかけに、湯山副司令が答えた。
「それは心配無用。お嬢ちゃんたちが手伝ってくれたおかげで、早めに作業が終わって、テストもできましたからな」
「――予想警戒範囲到達まで、あと五分を切りました」
係官が報告する。
「よし」
塚口提督は力強くうなずき、艦長席の早苗へと令した。
「艦長、主砲発射だ」
「了解」
素早く応えて、早苗はハンドマイクを手に指示を下す。
「前部主砲塔一番二番、ASWF展開準備」
艦橋前面のコンソールにて、砲術オペレーターが命令を復唱する。
「了解。前部主砲塔一番二番、ASWFジェネレーター接続。広域放射モード、セット。チャージ完了まで、あと二十秒……」
カウントダウンが始まる。艦内の誰もが息を呑み見守るなか、コンソールのエネルギーゲージが急激に上昇してゆく。
「……三……二……一……、チャージ完了ッ!」
「目標前方! 前部主砲塔一番二番、斉射!」
早苗の号令とともに、いずみの前部三連装主砲塔二基六門の砲身が一斉に咆哮した。
まばゆい白銀のビームが、遥か前方へ向け扇状に拡散放射される。
たちまち、いずみの進路方向にオーロラのごとき大規模な干渉磁場が発生し、虹色の輝きが、艦橋のメインスクリーンを覆いつくした。
アンチ・シンパス・ウェーブ・フィールド。
いずみの主砲出力を利して、シンパス・ウェーブへの干渉粒子を一斉放射し、進路方向へ、およそ直線距離で四十キロ程度まで、扇形に広がる特殊な力場を展開し、南極サーバーの精神波を遮断、安全圏を確保するという、通天閣ラボ開発の新兵器である。
主砲斉射から数十秒を経て、オーロラの光彩が消失したとき、サブモニターを監視していた井上主任が指揮座へ報告した。
「フィールド形成を確認。成功です」
「ここまではな。いまの一発で、敵もこちらの存在に気付いただろう」
塚口提督は指揮座から立ち上がった。
「全戦隊、最大戦速! これより、敵レーダー圏内へ突入する!」
天雷一喝、朗々たる大号令に呼応して、いずみは猛然、船足を速め、波濤を蹴ちらし突進を開始した。
同時刻、沖縄本島東方沖、上空七百メートル。
払暁からまもなく、赤紫に染まる東雲の空に、無数の閃光群がはじけあって、離合集散、激突を繰り返している。
轟音、爆炎、雷火疾風、膨大なる魔力が続々四方へ炸裂してはかき消え、また炸裂しては消えてゆく。
その戦場の只中に、ルーシー・トケイヤーの姿もあった。
「こうも手ごわいとは……」
激戦の疲労に肩で息しつつ、魔法のハルバード――ブルー・デュークを握り締め、ルーシーはなお勇躍、周囲複数の敵と渡りあっていた。
すでに偽装演習の段階ではない。
ここまで、第二魔法戦隊と虹十字船団による陽動は一応成功し、南極サーバーの敵戦力を釘付けにするという当初の目的は果たしたものの、いつまで待っても負傷者も落伍者も出ないことに業を煮やした敵集団が、すでに撤収準備に入っていた両部隊へ襲い掛かってきたのである。
最終的に十三名の敵戦力が沖縄近海に集結していた。いずれも各国エース級の強力な魔女っ子たちである。
これを迎え撃つは、連合艦隊、虹十字教導部の両者を合し、総勢三十二名。しかしエレオノール・シュイジーを中核とするエース部隊の奇襲攻撃は、数的劣勢をものともせず迎撃側を蹴散らし打ちのめし、その戦力の大半を容赦なく海面へ叩き落としていった。
いまや、迎撃側は、ルーシーの指揮下にある、わずか七、八名の小部隊のみとなり、かろうじて隊伍を保ちながらも、今なお次第に追い詰められ続けている。
さらには、すでに帰るべき艦隊、船団まで激しい攻撃に晒されており、虹十字旗艦フェザースター号、第二魔法戦隊旗艦ふそう、周囲の小中型艦艇ともども、いずれも損傷甚だしく、彼方此方に白煙黒煙を噴き上げつつ、海面上ひたすら喘ぎ漂っているような状況であった。まだ死者こそ出ていないが、各艦艇とも相当数の負傷者を抱えている。
「どうせなら、最初からこうしていればよかったのさ。一人ずつこっそり連れて行けば、あまり騒ぎを大きくせずに済む、などとスージィが言うものだから……」
銀のフルーレをたずさえ、唐突にルーシーの眼前に立ちはだかる、金髪長身の一少女。年の頃は十三、四くらいと見えるが――。
「……」
ルーシーは、つい茫然と、目を見張った。
そのあまりに絢爛な立ち姿――鮮やかな白に統一された古典的ヨーロッパ軍装風のいでたち。
銀の肩当て、胸には黄金の飾緒がきらめき、真紅のマントをひるがえして、歌劇の麗人でもあるごとく典雅優美なたたずまい。
白貌まばゆく、唇涼やかに、颯爽とフルーレをかざす身ごなしも、まことに華やかなものがある。
ただ惜しむらくは、その双眸に正気の光が欠けていた。
かろうじて焦点は定まっているが、そこに、意思や気力というものが、およそ感じられない。
「エレオノール・シュイジー……か」
ルーシーはブルー・デュークを構えなおし、油断ならじ――という面持ちで、エレオノールを睨み据えた。
「プロヴァンスの女帝」
と称されるフランスの撃墜王は、ルーシーの眼光など気にもとめぬように、落ち着き払った物腰で語りかけてくる。
「やあ、ようやく会えたね。ルーシーというのはキミだろう? どうかな、このままおとなしく、ぼくについて来てはくれまいか。キミの姉君からも、あまり手荒にはしないよう言われているんでね」
「断る!」
叫ぶや、ルーシーは即座にエレオノールめがけ打ちかかった。
が、エレオノールは、風に舞う薔薇のひとひらのごとく、あくまで優雅に身をひるがえし、ルーシーの戟先に空を切らせた。
「即答か。その思い切りのよさ。姉君とよく似ている」
言いつつ、するりとフルーレを突き出す。
途端、切っ先が、恐るべき速度でルーシーの喉元めがけ飛んでくる。
ルーシーは、かろうじてブルー・デュークの柄にエレオノールの一閃を受け止めたが、その衝撃に、身体ごと後方へと大きく弾き飛ばされた。
「うッ……! なんて馬鹿力……!」
どうにか体勢を持ち直したものの、ルーシーは、このただ一合に、彼我の力量差を悟ったようである。
空を漂うように、ゆるりと近付いてくるエレオノール。ルーシーは強いて気を取りなおし、長戟の刃を振りかざした。
「勝てないまでも……艦隊がここを離れるまで、せめて時間を稼がないと」
碧い双瞳に覚悟を燃やし、ルーシーは、再度、エレオノールへ飛びかかっていった。
「……どうやら、ASWFは効いているようだな」
いずみ艦橋。塚口提督が、幕僚席の一角に腰を据える肥田部長へ声をかけた。
「まっ、当然でしょお」
肥田部長は、いかにも鼻高々と胸をそらしてみせる。
魔法精神波の有効半径突入から五分。
現在までのところ、艦内人員の誰にも、とくに変調は見られない。
「特定の波長のみを、ナノマシン制御の金属粒子の網を重ねてカットする。理屈としては単純なものですけどね」
井上主任が、サブモニター席から説明を加える。
「ただ、通常の波長ではなく、微弱ながらも魔法の力を帯びており、これが波形パターンを乱数化させている、というのが難しいところでして。AM粒子というものがなければ、多分、我々でもお手上げだったでしょう。あれで魔法の作用を中和し、本来の波形パターンを復元しながら、網にかけ、徐々に波長を弱めて、消滅させるわけです」
「ふむ。単なる飾り……と言われてきたAMCの技術が、意外なところで役に立ったか。世の中、わからんものだな」
塚口提督は腕組みしつつ、納得げにうなずいた。
「展開範囲の狭さが難点ですけどねえ。こればかりは……」
肥田部長が残念そうに嘆じる。
いずみの主砲出力をもってしても、ASWFによる安全圏保持範囲は、一斉射あたり、せいぜい左右前方四十キロ程度。
南極サーバーの位置する大陸東岸到達まで最大戦速にて前進を続ける場合、およそ二十分おきに主砲斉射を繰り返し、安全圏を前へ前へと押し拡げてゆかねばならない。例えるならトンネル工事のようなもので、掘削しては前進、また掘削しては進み、という按配になる。
南極サーバーの位置は、沿岸から三十キロほど内陸の岩山地帯にあり、いずみが沿岸まで到達しえれば、最後の一斉射で南極サーバーそのものをASWFの有効圏内に取り込み、シンパス・ウェーブを完全に無力化することができる。
「しかし、そこへ辿り着く前に、敵の迎撃が出てくるでしょうな。それも結構な数が」
湯山副司令がつぶやく。
「どうせならば、なるべく早めに出てきてもらいたいものだ。こちらが沿岸へ寄せれば寄せるほど、気象条件が悪化して、レーダーでは発見しづらくなる」
応えつつ、塚口提督は、艦橋中央に座す早苗の姿を眺めやった。
「艦長、有田少佐はどうした」
「少佐でしたら、カタパルトデッキへ行っていますよ」
「デッキ?」
「はい、ポッドの最終調整とか。ここ何日か、少佐はずっと、あれの手伝いをやってくれていましたから」
不意に、艦橋全体に警報が鳴り響いた。
レーダー手が報告する。
「レーダーに反応! 十二時方向百二十キロ、高度五百メートル、質量きわめて小、数は十二……! 接触まで約二十分!」
「来るか。予想より早いな」
塚口提督はうなずき、指示を下した。
「空戦隊発進! 直掩として前面の敵へ備えよ。戦闘空域はASWFの有効範囲内に限定される。決して艦周辺から離れすぎぬよう、心して行動せよ!」
一方、美佳たちいずみ所属の魔女っ子たちは、作戦第一段の開始とともに、早々とスタンバイフロアへ駆け込んでいる。
各自変身、武装も終え、手具脛引いて敵の来襲を待ち構えていたところ、いよいよ出撃の命は下り、少女らは決然とうなずきあった。
スタンバイフロアの天井が、重々しい機械音を響かせながら開いてゆく。
「リフトアップ、スタート」
艦内放送が流れ、エレベーターが始動した。
静かな鳴動とともに、床がせり上がりはじめる。
「もし、メリュが出てきたら……」
美佳のつぶやきに、裕美が応えた。
「わかってるわ。そのときは、あなたが行ってちょうだい」
「そうそう。そんかわり、他に強そうなの出てきたら、アタシにやらしてくれよな。ぜってーフルボッコにしてやっから」
遥が、旺盛な戦意をもてあますように、銀の拳を振りかざした。
「でもアンちゃんは、なぐっちゃダメだよ。あたしが、戦わないでって、ちゃんとお話するから」
真里が、大きなリボンを頭の上に揺らしつつ遥をたしなめる。
「ああ。また泣かれちゃかなわねえしな」
「……ハルカちゃんてさ、強いカラダになりたいって指輪にお願いしたせいで、ついでに性格まで強くなっちゃったんだろうね」
苦笑とともに美佳が評すると、鈴が「同感」とうなずいた。
「ま、頼もしくていいと思うけど」
鈴がそう呟いたのとほぼ同時に、リフトアップが完了した。
前甲板上に五人の少女が並び立つ。
低雲垂れ込める暗い空から、おびただしい粉雪が風に乗って吹きつけてくる。
その向かい風を突っ切るように、五人は一斉に飛び立っていった。
戦う魔女っ子たちは戦場を選ばない。
空陸はむろん、水中でも宇宙空間でも、生身でいかなる場所も行動自在となし、既存の物理法則などまるで眼中にもないといわんばかり、どこでも勝手気ままに振舞ってみせる。
冬の南極圏――極低温とブリザードが万物を凍てつかす酷烈な気象条件も、彼女らにしてみれば多少肌寒さをおぼえる程度で、特に障害というほどのこともない。
「……せっかく出てきたんだし、あれ、先に片付けてしまわない? 万一、いずみがぶつかったら大変なことになるわよ」
戦闘に先だって、裕美が提案した。
彼女らの視線の先、数キロ前方の暗い海面上に小さな氷塊が漂っているのが見える。
否、それは見せかけに過ぎず、実際は質量の大部分を水中に没した巨大な氷山であった。
「そうだね。まだ、敵がこっちへ来るまで少し時間ありそうだし」
美佳が同意を示した。
一同うなずきあって、氷山のもとへ翔け寄ってゆく。
美佳がプリンセス・バーナーを振るい、水中へ火球を打ち込むと、たちまち水面下で爆発が生じ、大氷山は轟音とともに四方へ砕け散った。
その破片が、十メートル規模の無数の小氷塊群と化して、続々と浮かび上がってくる。
そこへ、裕美がコズミック・スターをかざし、数百条という光の槍を一斉に叩きつけ、すべての氷塊を、より細かな砕片へと分解していった。
「まあ、これくらいやっとけば安心でしょ」
裕美は、一息つくように海面を眺めわたした。
「……他にも、こういうの、あるかしら」
鈴が訊ねるのへ、レインボープルームにまたがった真里が、小手をかざして彼方を見やりつつ「いくつか見えるけどー、でも、だいぶ遠いよ」と応えた。
遥が肩をすくめる。
「いちいち全員でやることもねえだろ。各自で見つけ次第、近いやつから潰してくってカンジでいいんじゃね? 戦いのついでにってことでさ」
「ええ、それでいいと思うわ。……ミカちゃん?」
ひとり、美佳が顔をあげ、上空へ鋭い眼差しを向けている。
「だいぶ近づいてきてるよ。みんな、準備はいい?」
「ああっ、バッチリだぜ」
「……今宵の荒光は、血を吸いたがってるわ」
「リンちゃん、いま朝だよ? 暗いけど」
「ミカちゃんそれ、突っ込みどころが違うわよ」
などと言いあいつつ、少女らは肩を並べて上空へ駆けあがり、いずみの直上、高度千メートル付近にて、おのおの迎撃の姿勢をとった。
ちょうどそこへ、いずみの主砲がASWFの第二射を放ち、まばゆい白銀のビーム光がはるか前方へと広がってゆく。
「……来るっ!」
美佳が声をあげた。
目も眩む輝きの中から、複数の影が此方めがけて飛び込んでくる。
「いいタイミングで撃ってくれたわね。向こうの子たち、みんな怯んでる」
「行こうぜ!」
遥が先陣きって飛び出し、鈴と美佳が続いた。真里と裕美は、やや高度をとり、より上空から仕掛けにかかる。
遥が、敵の先頭にいた少女へ挑みかかり、おうっ、と右拳を打ちあげた。身をかわす暇もなく、少女は腹を打たれ、声すらあげず彼方へ吹き飛んでゆく。
続いて鈴が剣光一閃、荒光を斜めに振り抜き、宙に衝撃波を奔らせて、二、三人の敵をまとめて左右へ弾き飛ばした。
上空から、粉雪にまじって、七色の花びらが戦場へと降り注ぎはじめる。
ちょうど美佳めがけて巨大なボウガンを構えていた敵魔女っ子のひとりが、いきなりカラフルな花弁の渦に巻き込まれ、ふと気付くと、ボウガンのかわりにトウモロコシを握りしめていた。
そこへすかさず、美佳がプリンセス・バーナーをかざし、猛烈な火炎を噴きつける。
敵魔女っ子は、黒焦げになった焼きトウモロコシを握ったまま、納得いかぬという顔で墜落していった。
「あーあ、トウモロコシ、こげちゃったねー」
上空から真里の声が届いて、美佳は「うん、ちょっと、もったいなかったかも」と笑った。
「マリちゃん、次は、おイモさんにしてあげたら?」
真里と並んでコズミック・スターを振りかざしつつ、裕美が冗談まじりにつぶやく。同時に無数の光槍が空中にきらめき、音もなく眼下の戦場へ殺到していった。
狙いは敵魔女っ子たちの後続一群。ほどなく三、四人が直撃を浴びて、ぱらぱらと墜ちてゆくのが見えた。
形勢不利と見たか、やがて残った敵は散開して、早々と引き上げはじめる。
「おいっ、もう逃げんのかよ、待ちやがれッ」
後を追わんとする遥へ、鈴がひょいと手を伸ばし、いきなりその襟首を掴んで引き留めた。
「うわっ! な、なんだよ」
「……あれは、私たちを、いずみから引き離そうとしてるわ。見え透いた擬態よ。乗ってはダメ。あの子たちにしてみれば、いずみさえ沈めてしまえば、それで事足りるわけだから」
「あっ、そーいうことか。クソっ、セコい手使いやがる」
「こっちがその手に乗らないとわかれば、すぐ戻ってくるわ。そこからが勝負ね。第二波、第三波というのも当然あるでしょうし」
鈴は、雪風に黒髪をなびかせながら、遠く東の空を仰ぎ見た。すでにASWFの干渉磁場の輝きも消え去り、視野に入るのは、ひたすら暗灰色の曇天と、そこから風に乗って押し寄せる、白い雪片のおびただしい連なりばかり。
常人ならば数メートル先の視界もわからぬような天候だが、少女らの目は、このような状況でも、数キロ先までしっかと見通している。
美佳が声をあげた。
「――ん、戻ってきたよ。リンちゃんの言うとおり。今度は、ふた手にわかれてるみたい。上と下から」
「そう。なら、上はユミちゃんたちに任せましょう」
鈴はうなずいて、左右へ告げた。
「下のほうは私たちで。私が中央、ミカちゃんは左、ハルカちゃんは右。いい?」
「うん、いーよ」
「おう、任せな!」
三人は一斉に身構えた。
午前十時、奄美大島南部。
深林、鬱蒼と並びそびえる大樹長木、空を覆うおびただしい枝々と蔦蔓。
それらの織りなす濃密な緑と、うららかな自然のうちに、ルーシーは息をひそめ、じっと周囲の様子を窺い続けていた。
今朝がた、エレオノールらと矛を交える間に、いつしか部隊の者らは討ちつくされ、さしもルーシーも満身創痍、撤退やむなきまで追い込まれて、一時間ほども方々逃げ回ったあげく、この森林へ飛び込んだのである。
周囲に響く鳥獣の美声奇声、風にがさがさ揺れる枝葉のざわめきとともに、時折、鈍い爆音が遠くから聴こえてくる。
「あいつら……また艦隊のほうへ向かったのか? それとも」
擦り傷だらけの肌に血を滲ませながら、ルーシーは疲労しきった四肢になお力を込めて立ちつくし、息をととのえ、耳をそばだて続けた。
ごく至近に、ぴゅんっと、風切り音が鼓膜を突いて迫り来る。
爆発。白濁したエネルギー光が一帯に炸裂した。
たちまち付近の木々も草花も灼きつくされ、あるいは爆風に吹き飛ばされ、目を覆うほどの火煙と土煙が天へと噴きあがってゆく。
ルーシーは間一髪、空中へ飛び上がって難を逃れたが、上空から、森林の中央に大穴が穿たれている様子を眺めおろし、憮然とつぶやいた。
「森が滅茶苦茶に……あいつら、本当に見さかいなしだ」
背後に気配を感じて振り向けば、輝くフルーレ片手に、悠々、空中にたたずむエレオノール・シュイジーの姿。
「怪我をしてるのか……。悪いことは言わない、もう降参したまえ。すぐに手当てをしてあげよう」
見回せば、五、六人という残敵が、四方から二人のもとへ近寄りつつある。
「くそっ、まだこんなにいたのか。どうすれば……」
いまは四面皆敵。どうにも進退窮まったと見えた、そのとき――。
はるか東方の海面上から、忽然、幾数十本というビームの束が伸びてきて、エレオノールや周囲の少女らの傍らを、次から次へ、かすめ去っていった。
「何だ?」
エレオノールがマントをひるがえして見やれば、水平線の彼方より、海面を埋めるがごとき大艦隊が、四方八面、ビームを撃ち放しつつ、鋼の怒涛と化して此方へ殺到しつつある。
その直上から、太陽を背に、隊伍整然と飛翔してくる、新手の魔女っ子たちの大部隊。
「え、援軍……?」
ルーシーは茫然とつぶやいた。
昨日来の情勢から、九州方面の戦雲急なり――と見た池澤中将が、麾下の艦隊を率いて硫黄島を進発、さらに周辺の諸部隊をも糾合して、これまで急ぎ駆けつけて来たのである。
集結戦力は最終的に艦艇合計四十五隻、魔女っ子三十一名と、晴嵐作戦の動員規模をも凌駕し、ことに艦艇数は連合艦隊総戦力の六割にも及んでいた。
名目上はあくまで演習であるが、それにしても、これほどの戦力が一度に動員される事態というのは、連合艦隊の歴史上でも稀である。
「はりま、かい、増速しつつ、前部主砲、一時方向仰角五十七度、五秒後に一斉射。続いてこんごう、ひぜん、十二時半、仰角四十六度へ前部主砲一斉射。あおば、きぬがさ、ふるたか、もがみ、艦隊前面に弾幕展開」
第二艦隊旗艦ひたち艦橋。
池澤中将は指揮座に端然と腰を据え、沈着に指示を飛ばし続けている。
オペレーターが報告を寄せた。
「確認しました。第二魔法戦隊、虹十字教導部、いずれも指揮系統は健在。ただし各艦艇の損傷甚だしく、空戦隊も壊滅、もはや戦線維持は不可能とのことです」
「……間に合ったというべきか、それとも、手遅れだったというべきか。微妙なところですね」
池澤中将は、困ったように首をかしげかけたが、すぐに気を取り直し、ハンドマイクを握った。
「空戦隊の突入と同時に、全艦隊、救助艇発進。負傷した魔法少女らを回収しつつ、第二魔法戦隊及び虹十字教導部の救護に向かってください」
その空戦隊――艦隊直上から、陽光燦爛と輝きを放ち、風を巻いて突進する無傷新鋭の魔女っ子集団。
そのうちに、以前ルーシーと鳥島上空で渡り合い、最後まで戦い抜いた五人の少女らの姿も見える。エレオノールらも、もはやルーシー一人にかまっておられず、列をなし、この戦力を正面から迎え撃たんと身構えた。
たちまち周囲は乱戦となって、ルーシーはからくも危地を脱し、その場から逃れることができた。
「まさか、あいつらに助けられるとはな……」
ルーシーはひとり、傷だらけの身で第二艦隊の直上まで辿りつき、ここにようやく安堵の息をついた。
いずみが南極大陸沿岸の氷床地帯へ到達したのは艦内時間の午後二時過ぎ。
ここまで主砲斉射二十回、進路上の氷山を空戦隊が除去すること四度、敵魔女っ子の来襲も三波に及んだが、それらすべての障害を退け、いずみはようやく、最終目的地へあと一歩というところまで迫ってきていた。
美佳ら空戦隊の面々も、交代で食事や休息をとりつつ、いまなお周辺の警戒に索敵にと、元気に上空を飛び回り続けている。
ほどなく、いずみの主砲照準が直接、南極サーバーを捕捉するまでに至り、塚口提督は艦の静止を命じるとともに、最後の主砲斉射を下令した。
早苗の号令一下、前部主砲六門、二十一度目の咆哮。
銀に輝く強烈なビーム光が、内陸部めがけ、上下左右へ拡散しつつ伸びてゆく。
沿岸より約三十余キロの断崖上。風雪に煙る特殊金属の六角柱へ、まばゆい燐光が波のごとく押し寄せ、一瞬にその全容を押し包んだ。
――続いてナノマシンによる放電現象が発生し、紅雷蒼電、立て続けに無数のスパークが空間を奔り、弾け、駆け抜けてゆく。
次第に大規模な干渉磁場が形成され、虹色の光彩がサーバーの周囲を埋めつくしていった。
「フィールド展開を確認……! 南極サーバーをフィールド内に取り込みました。これで、シンパス・ウェーブの発生源を抑え、完全に無力化できるはずです」
井上主任が、ほっとした様子で報告する。
「うむ。ようやく、ここまで来たな」
塚口提督は力強くうなずいた。
「で、敵の動きはどうなっている。レーダー」
「はい。熱源探知では、第四波と思われる一群が、相変わらずこちらへ接近を続けています。方向十二時半、数は四……いや、三に減りました。どうも、このブリザードのせいか、誤差が出やすいようで」
レーダー手が報告する。
塚口提督は顎に手をあて、眉をひそめた。
「いずれにせよ、敵の動きには変化なしか」
「まあ、想定の範囲ではありますけど」
肥田部長が肩をすくめて呟く。
「一度、サーバーに取り込まれた者は、たとえ精神波の影響を脱しても、すぐ元通りとはいかない……虹十字の予測通りですね。それが魔法精神波と称される所以。彼女らが南極を遠く離れて、なお平然と活動を続けられる理由も、そこにあるのでしょう」
「ならば、予定通りに」
塚口提督は、艦長席へ視線を向けた。
早苗は、塚口提督のほうへ、ひとつうなずいて見せ、静かに立ちあがった。
傍らの有田少佐をかえりみて、おだやかに告げる。
「少佐……あとは、お願いね」
有田少佐は、背筋を伸ばし、靴音を立てて足を揃え、早苗へ向け、あの見事な挙手敬礼をほどこした。
「お任せ下さい。艦長どの、どうかご無事で」
白い頬に、ほんのわずか、機械油のしみがこびりついている。先刻まで早苗が乗り込むポッドの調整作業を続けていたのである。
ベストは尽くしました――彼女の顔つきからは、そういう晴れやかな気持ちが見てとれる。
艦橋後部の高座へ目をやれば、塚口提督はじめ、第七魔法戦隊首脳部も、いつの間にやら集合整列し、総出で、早苗へ敬礼を向けている。
「艦長」
ふと、塚口提督が声をかけてきた。
「頼んだぞ」
口調こそ素っ気無いが、眼差しには、本心から早苗を励まそうとする暖かさがある。
早苗は、胸の奥に小さな鈴の音が鳴り響くのを感じた。
自分の頬が、たちまち上気していくのがわかる。
「はい!」
早苗は笑顔で返答し、一礼をほどこすと、弾むような足取りで艦橋をあとにしていった。
一方、艦外では美佳ら空戦隊が、南極サーバーめがけ最後の突進を敢行している。
いずみの静止位置から南極サーバーまでの直線ルートを確保するため、敵の抵抗は、これを完全に排除しておかねばならなかった。
高度三百メートル付近。
目的地まであとわずか十キロというあたりで、スージィ・マクナガン率いる小隊三人と遭遇。いずれも、ここまでとは比較にならない手練れ揃いである。さしものいずみ空戦隊も、鎧袖一触とはいかず、足を止めて応戦せざるをえなくなった。
美佳と真里のみ、その場から先行し、残る三人で敵を食い止めにかかる。
「そりゃーッ!」
遥の右脚が風を切り、スージィの腹を蹴りつけんとする。スージィは両腕を交差させて遥の蹴りを受け止め、「くおおッ」と声を発しつつ、右手のアーミーナイフを振るった。
きわめて洗練されたコマンド格闘術の動き。その速さと鋭さも、到底尋常なものではない。
「くそっ、なんだこいつ、やたら慣れてやがる」
遥は次第に防戦一方へ追い込まれはじめた。身体能力では互角だが、素手とナイフの間合いの差に苦しんでいるようである。
鈴も意外な苦戦を強いられている。
小さなヌイグルミを操るゴシック・ロリータスタイルの少女。連れているヌイグルミは、犬か狼か、そういう獣をデフォルメしたような、見た目は愛らしい姿だが、これが持ち主の少女の意のまま飛び回り、吠える、噛みかかる、口から火を噴く、目からレーザーは飛び出す、あげく素材が異常に柔らかく、いくら突いても斬っても、まるで荒光の刃を通さない。
「……参ったわね」
鈴は、いつもの冷静さにも似げず、困惑顔でつぶやいた。
裕美はといえば、巨大なガトリングガンを両腕に抱えた物騒な金髪少女に追いたてられ撃ちまくられて、ひたすら逃げ惑う羽目に陥っていた。
スイス風の民族衣装を思いきり派手に飾りたてたような服装だが、その穏気なイメージとは裏腹、想像を絶する銃撃の嵐にさらされ、裕美もなかなか反撃の機会をつかめないでいる。
「さ、さすがに、スイス傭兵の腕前は確かね……」
「冗談言ってる場合じゃねーぞ! こいつら、なんとかしねーと」
「じゃ、相手を変えましょう」
鈴が提案する。
「そうね。それなら……こういう組み合わせで」
裕美が応えた。三人は素早くアイコンタクトを交わしあい、戦法を切り替える。
裕美は、ガトリング砲の火線をかいくぐりつつ、一旦上空へ退避し、距離をとった。
しつこく裕美へ砲口を向けんとするスイス少女へ、鈴が横ざま飛びかかり、瞬刃、ガトリングガンの砲身を真っ二つに斬って落とす。返す刀で少女の胴を打ちすえ、とどめに上段から袈裟懸けに斬りおろす。
さしもスイスの傭兵少女も、この斬撃には耐えきれず、短い叫びをあげて墜落していった。
「よくも!」
スージィが、仲間の仇とばかりアーミーナイフをかざし、鈴のもとへ迫り来る。
そこへ、上空から、長さ三丈、太さ二尺になんなんたる光の槍――というより巨大な杭、が音もなく降ってきて、スージィの胸を貫いた。裕美がコズミック・スターの全エネルギーをひとつに束ねて叩きつけたものである。
「うそ……!」
信じられない、という顔して、スージィは暗い海面へと堕ちていった。
残るは一人。遥は、周囲を小うるさく飛び回る魔法のヌイグルミにやや辟易した様子だったが、やがておもむろに左手を伸ばし、その首筋をむんずと掴んだ。
「成層圏まで……」
つと足をあげ、大きく振りかぶる。
「飛ぉんでけええええーっ!」
大音声の掛け声とともに、掴んだヌイグルミを、はるか上空へと放り投げる。
たちまちヌイグルミは音速を超え、雲間の彼方へと消え去った。
「ああーっ、あたしのレーベちゃんがぁー! なんてことすんのよー!」
持ち主のゴシック・ロリータ少女は悲鳴をあげ、大慌てで、半べそかきつつヌイグルミの行方を追いかけていった。
「レーベちゃん?」
遥が頭をかきながら尋ねる。
「……ライオンちゃん」
鈴が、ちょっと考え込むような面持ちで応えた。
「犬にしか見えなかったけど。もしかして、あれ、ライオンのつもりだったのかしら……」
上空から裕美が戻ってくる。
「片付いたみたいね」
「おーよ。あの二人も、そろそろ向こうに着いてるだろうな」
「……追いかけましょう」
三人は肩を並べ、再び南極サーバーへと突進を開始した。
その頃。
峨々たる険峻めぐる断崖上、屹立する六角塔の膝元へ、美佳と真里は連れだって舞い降り、しばし様子見にと、雪を踏みしめ歩き続けた。
轟々と吹きすさぶブリザードの向こうに、全高六十メートルという鋼の壁が立ちそびえて、二人の視界を覆っている。
「だれかいるみたい」
真里がつぶやく。
「うん」
美佳は、きっと眉を引き締め、前を見据えた。
南極サーバーの玄関口――雪に埋もれた階段上、強化ガラス製と思われる両開きの頑丈そうな扉が見てとれる。
その手前に、長さ四尺、幅広厚刃の大騎士剣ナイトフェンサーを携え、雪の妖精でもあるごとく静かに立ちつくす白い衣の少女。
「……メリュ!」
美佳が声を投げかけると、メル・トケイヤーは、むっとしたような顔つきで口を開いた。
「ミカさん……いいかげん、その発音、なんとかなりませんか?」
「ならない」
あっさり応える美佳。
「だってしょーがないでしょ、できないんだもん」
「……相変わらずですね」
メルは、ゆっくり剣を振り上げ、切っ先を美佳らへ差し向けた。
蒼い双眸はしっかと見開いているが、瞳の縁あたりに異様なぎらつきがあり、まともな精神状態ではないと、ひと目にわかる。
「いったい、どういうおつもりなのですか。あんな物騒な戦艦なんか連れてきて……おかげで、レイチェルがひどく怯えています」
「レイチェル? ……もしかして、ここのコンピューターのこと?」
「そうです。私たちは、あの子を守るために、ここにいるのです。大人たちなどに、あの子を壊させはしません」
「メリュ、それは……」
「問答無用!」
叫ぶや、メルは白刃を振りかざし、駆け出してきた。
「……マリちゃん、ここにいて。一対一で決着つけるからね」
「うん、わかった。がんばってね!」
真里の励ましに、美佳は力強くうなずいてみせた。
「行くよッ!」
おもむろにステップを踏み、疾風のごとく地を駆ける。
秘密の呪文をそっとささやきながら、プリンセス・バーナーを前へ突き出す。
先端のルビーが激しく輝き、火炎熱風ほとばしって、いままさに美佳へ飛びかからんというメルの全身を真正面から包み込んだ。
「効くものですかッ!」
燃えさかる爆炎の中を、メルはまるで何事でもないように突き抜け、瞬時に距離を詰めて、大上段から美佳に斬りつける。
美佳は間一髪、プリンセス・バーナーの柄で、岩をも砕く一撃を正面から受け止め、押し戻し、弾き返した。
雪上。両者とも、凛々たる闘志たぎらせ、同時に地を蹴って跳ぶ。
たちまち周囲に濛々と氷煙を巻き上げつつ、猛火烈刃、激突しては離れ、また寄っては閃々、魔力と技をぶつけあい、幾十余合、まったく互角に渡り合う。
周囲は摂氏マイナス四十度の極冷世界。美佳の炎の魔法が雪床をわずかに溶かしても、また一瞬に凍てついて、とめどなく吹き付ける粉雪は、その痕跡さえすぐ埋めつくしてゆく。
さながら炎の女神と剣の女神と相争うごとく、業火あくまで紅く、光刃どこまでも白く、互いの輝きに反発しあうように、二人の魔力は次第次第に高まってゆくばかり。
「――きりがない!」
メルはわずかに後退して距離をとり、念を集めはじめた。
ほどなく、ナイトフェンサーの先端にエネルギー光が浮かびあがる。
「えやあっ!」
メルが剣先を突き出すと、見る間にエネルギーが集束し、ビーム状の閃光と化して美佳へと襲いかかった。
美佳は、とっさに炎の壁をつくりあげ、メルの魔力を受け止める。
「メリュ! もういいかげん、目をさましてよ! いつまで操られてんの! ルーシーちゃん、すごく心配してたんだよっ!」
美佳の叫びに、メルはまるで聞く耳も持たず、再び刃を振るって突貫してくる。音速の三倍に達する超絶の一閃が、迷うことなく美佳の胴を薙ぎ払った。
「うああーッ!」
途端、美佳は悲鳴をあげながら、空中高く弾き飛ばされていった。
雪を蹴り、宙を舞って追いすがるメル。
美佳は上空へ逃れ、どうにか姿勢を持ち直した。
「い、痛ったぁ……! メリュってば、いつの間に、あんな強くなったんだろ。でもっ、あたしだって……!」
竜巻のような勢いでメルが翔けあがってくる。超音速の白刃が唸りをあげ、いま再び美佳へと迫る――美佳は、満身気迫を込め、プリンセス・バーナーの先端に、その豪剣を食い止めた。激しい金属音が響き渡る。
同時に、魔杖の紅玉が、かつて見られないほど鮮烈な輝きを放った。
「――これは!」
メルは、驚愕に目をみはった。
美佳の背に、翼が見える。
紅蓮に燃えあがる巨大な炎の翼が、その背から左右へ広がって、ゆっくりと羽ばたきはじめていた。
「やるよっ、プロン!」
美佳が魔杖へ呼びかける。その声に呼応し、ルビーの輝きが急速に膨れあがってゆく。
「い、いけない!」
危機を察して、メルは即座に身をひるがえしかけたが、美佳の魔法はすでに解放されていた。
「逃がさないよーっ!」
プリンセス・バーナーの魔力が爆炎を噴き熱風を呼ぶ。
空中、真紅の閃光が炸裂した。
美佳の全力を乗せた灼熱の炎は、赤き巨龍と化してメルの全身を覆い包み、ナイトフェンサーの白刃すら赤々と煮えたぎらせてゆく。
メルは、声にならぬ叫びとともに、直下の大地へと叩きつけられた。
――おびただしい氷塵を周囲に舞い上げつつ、メルは雪上、気を失って、力なく四肢を横たえる。
美佳は大きく息をつき、ゆるりと高度を下げて、メルのもとへと降り立った。美佳自身も、ほとんど力を使い果たした様子で、今にも倒れ込みそうなほど消耗しきっている。
美佳はその場に膝をつき、うなだれて、ふと瞼を閉じかけた。そこへ、積雪を掻きわけ掻きわけ、真里が駆け寄ってくる。
「おーいっ、ミカちゃーん! だいじょーぶー?」
「あ……マリちゃん。はぁー……。なんとか、勝ったよ」
「ちょっと待っててね。いま、元気にしたげる」
真里はレインボースコールを振って、七色に輝く魔法のシャワーを美佳に浴びせかけた。
癒しの魔法が、急速に美佳の心身を活性化させてゆく。
ほどなく、美佳は精気を取り戻し、ゆっくりと立ち上がった。
「ふぅ……ありがと、マリちゃん。すっかり元気になったよ」
美佳が礼を述べると、真里は「どういたしましてー」と微笑んだ。
「さっきの、すごかったねぇー。ミカちゃんって、あんな魔法、使えたんだ」
「へへへ、カッコよかったでしょ。あのドラゴンが、プロンのホントの姿なんだよ」
「へええー!」
「あれやると物凄く疲れるから、滅多にやらないんだけどね。でも、使わなきゃ負けてたよ。メリュ、すごい強くなってたし」
「そっかぁー。……あ、そんで、このヒト、どうしよ」
言いつつ、真里は、横たわるメルのそばへ、そっとしゃがみ込んだ。
レインボースコールの先端で、意味もなく胸もとを突っついてみる。
「つんつん、生きてますかー?」
「マリちゃん、こっちの用事が済むまでは、そっとしとかないと。その後で、マリちゃんの魔法で治してあげて」
「うん、わかった」
真里はうなずき、立ちあがった。
美佳が、意識のないメルの身体をやさしく抱えて、南極サーバー出入口の階段脇まで運んでゆく。雪に埋もれないようにという、美佳なりの気遣いだった。
上空から声がかかる。
「うぉーいっ! 生きてっかー?」
「あ、ハルカちゃんだー」
真里が見上げて声をあげた。
美佳が言う。
「みんないるみたい。マリちゃん、みんなと合流しようよ」
「うん!」
二人はうなずきあって、宙へ身を踊らせ、上空へと飛翔していった。