プロローグ
警報が響く。
ほの暗い空間。その中央部。
回転灯の赤い瞬きの下、小さな人影が七つ、じっと並び立ち、何事か待ち受けている。
「――もうすぐだよ」
誰かひとり、静かにつぶやいた。
少々鼻にかかった、ささやき声。
「全員、いるよね?」
そう訊ねるのへ、「そろってる」と、また誰か、短く応えた。
ここは巨大戦艦の腹中。
回転灯の明滅に鈍く輝くジュラルミンの内壁と、黒光りする鋼鉄の床。
そこへ、まるで場違いなもののように、一群、楚々と並ぶ立ち姿。
いずれも少女。年の頃は十歳前後から、せいぜい十代前半くらいまで。
それぞれ、ちょっと個性的な姿格好をしている。
袴姿にフリルとリボンを配した和洋折衷。
あるいは、ショートドレスの胴と裾を絞った変形ミニドレス。
また、重厚に黒光りする西洋甲冑にフレアスカート。など──。
みな既存の服飾カテゴリから相当に逸脱していながら、普段着のように自然に着こなしている。
あきらかに尋常な集団ではなかった。
「今日は、どこが来るの?」
一同で最年少らしき娘が尋ねた。
誰かが微笑んで応じる。
「パープル・リッジと、護衛の戦艦が三隻。第七艦隊の主力ね」
「メリュ、出てくるかな」
「出てくるでしょ。あの子はあなたに任せるからね。あたしたちじゃ手に負えないし」
ところへ。
それまで、けたたましく響いていた警報ブザーが、ふと鳴り止んだ。
「発進口、展開」
壁面のスピーカーから艦内放送が流れる。
低く唸るような機械音が一帯へ轟いた。
二度ほど、激しく打ち叩くような金属音が響き、ジュラルミンの天井が鳴動しはじめた。
それは巨大な可動式天蓋である。ぶ厚い天板を鋼鉄の歯車とレールでスライドさせ、上甲板の内側へ収納して、天井を開け放す仕組みだった。
少女らが顔をあげて見守るなか、歯車の軋みも高らかに天板の移動収納が始まり、かわって頭上には、よく晴れた青空が次第にのぞきはじめた。
沖天より陽光燦爛と滑り落ちて、少女らの瞳をきらめかせる。
艦内放送が告げる。
「リフトアップ、スタート」
重々しい轟音とともに、少女らを載せた鋼の床が、天へ向かって、急激にせり上がってゆく。
この空間――床面積十五メートル四方、高さ十メートルほどの特殊区画、スタンバイフロア――は、それ自体が巨大なエレベーターリフトであり、天蓋の収納と連動して、内部に待機する少女らを、床ごと、この戦艦の上甲板へ押し上げてゆくのである。
ほどなく。
戦艦の先端近い前甲板上。リフトアップを完了し、陽光のもと颯爽と少女らは姿を現していた。
各自、なにか武器や道具のようなものを手に手に携えて武装しており、見るも威風凛々のたたずまい。
ある者は、自分の身長ほどもある白い和弓を腰にさげている。
ある者は、先端に大粒の赤い宝石を据え付けた、鮮やかな緋色の短杖を、右手にしっかと握っている。
また、刃に複雑な象嵌が施された大斧を両手で斜めにかざす者。
白銀の柄に三尖刃という、巨大な戟だか槍だかを脇にかいこんでいる者もいる。
いずれも現代的な武器ではない。実用よりは、典雅さや優美さを重視した美術品とか工芸品、あるいは祭器などに近いもののように見える。
太陽に照り映えるまばゆき刀槍鉾刃。それを掲げる少女らも、まるで戦場の小さな女神でもあるように勇壮堂々と、その顔つきも双眸煌々、なにやら力強い覚悟をみなぎらせていた。
――現在位置は伊豆鳥島付近。
四方紺碧の洋上。戦艦は白浪を蹴立て、波濤のなかをひた進んでいる。
吹きつける潮風に髪をなびかせながら、年長らしき少女が檄を飛ばした。
「みんな、しっかりね」
全員、静かにうなずきあう。
それが合図のように、少女たちは眦を空へ向け、一斉に小さな身体を宙へ躍らせ、遥かに雲塊群れたつ空へ──続々、そこから飛び立っていった。
このなんとも常人離れした少女たちの集団は、日本海軍に所属する魔女っ子の一部隊である。
彼女らは本来、肉体的にも精神的にも、普通の女子児童と変わりはない。ただ尋常でないのは、各自、様々な事情によって、多種多様な超常の能力を授かっている、という点にある。その手にある古めかしい武器や祭器も、骨董の飾り物ではなかった。それは現代兵器をも凌駕する驚異的な破壊力の源泉、魔法の武器である。
強大な魔力を駆使して戦場に君臨し、それぞれ、守るべき何かのために、戦い抜くことを誓いあった少女たち――現代における戦争代行者。
それが、戦う魔女っ子たちである。
母艦を離れて天高く舞い上がるや、魔女っ子たちは、花火のように四方の空へ散開した。
高度二千五百から三千メートルあたり。おのおの武器をつがえ、身を構え、はるか南方を睨まえつつ、「敵」の来襲を待ち受けている。
彼女らには組織的な統率や連携などの意識はあまりないようで、それぞれ単独で、思い思いの位置に好き勝手に陣取っている。
その無秩序な集団の先鋒一点。ことさら人目をひく色鮮やかな紅衣に緋色の杖、その長髪も燃えるごとく紅に染まる、さながら炎の化身とも見える少女の姿がある。
池上美佳、九歳。
金のティアラを輝かせ、紅蓮の裳裾を風にはためかせながら、魔法の宝杖「プリンセス・バーナー」を握りしめ、ふと付近を眺めおろせば、鏡のような洋上、伊豆群島の点々たる緑の連なりと、その脇を悠々進む彼女らの母艦、魔法戦艦「かわち」の姿。
全長二百六十五メートルという巨大戦艦も、かかる高空からは小指ほどにも見えず、まして周囲の護衛艦などは、盤面に散る硝子の欠片にひとしい。
「――そろそろかな」
呟いて、美佳は南方の空をふり仰いだ。「敵」の気配は次第に強まり、彼我の距離も、はや至近と念じられる。
広がる蒼穹。その一面に、無数の白い光芒がぱっと瞬いたとき、美佳はすでに迎撃の姿勢をとっていた。
――その美佳のもとへ、きらびやかな流星のごとく、ひとすじの閃光が駆けてゆく。
光輝く長衣をまとう長身長躯の少女。
黄金に流れる髪をなびかせ、岩をも砕かんばかりの巨大な騎士剣を両手でひっさげ、勇壮熾烈、ただならぬ気迫に満ち満ちたその姿は、まさに天を翔ける戦乙女そのものと見えた。
「ミカさんっ! 今日こそ、騎士の誇りにかけて、あなたを斬りますッ!」
咆哮一声、風を切って迫り来る金髪少女へ、美佳は、首をかしげつつ、不思議そうに問いかけていた。
「ねえメリュ、なんで、いっつもそんなに怒ってるの?」
「私の名前は、メルですッ! 何度いえばわかってもらえるんですか!」
二人の周囲では、すでに他の魔女っ子らが、それぞれの戦いをはじめている。
天駆ける色とりどりの光彩、四方へ轟く爆音、激突、睨みあい、攻める者、防ぐ者。一対一で対峙している者らもいれば、複数入り乱れ火花を散らす者らもいる。
ここにおいて、現代の国家間における限定戦争、その最重要局面――魔法艦隊戦の火蓋が切って落とされた。
艦隊戦とはいうものの、彼我いずれの魔女っ子も、隊列も秩序もなく放縦に動き回っており、この場に軍隊らしい組織的な戦術や指揮、統制の概念は見い出せない。
由来、魔女っ子どうしの戦闘は、敵も子供、味方も子供、互いに我の強い年頃であり、乱戦になるのは必然だった。いちおう監督役である職業軍人らによって、事前にさまざまな計画や作戦が練られはするが、いざ戦端を開けば所詮机上のもの。概ね忘れさられるか無視されるか、いずれにせよ、大人たちの容喙など、あまり実戦では用いられなかった。
結局、ただ力の限り戦い、敵を退け、最後に残った側が勝者として戦略目的を達成する。それが現代戦において確立されている、最低限度のルールとされていた。
魔女っ子が戦場の主役となってより、すでに二百年余。戦争の様相は、かくも粗野な、しかし誰の目にもわかりやすい単純な力比べへと変貌し、誰もがそれを当然のことと受けとめていた。なぜこうなったか――などと、疑問をさし挟む者もいない。
「いいですかミカさん。世間では、私とあなたが、いいライバルか何かみたいに言われてますけど。私は、あなたみたいに、人の名前もきちんと発音できないような失礼な人、大嫌いですから!」
金髪の魔女っ子――メル・トケイヤー。アメリカ海軍所属、十一歳。その通り名も、ユタの剣姫、という──美しき眉に怒気をたたえ、光り輝く剣を大上段に振りかぶるや、美佳めがけて飛びかかり、白刃、烈風の唸るごとく打ち下ろす。
美佳は、小鳥が宙に踊るように、軽やかに身を翻し、「お返し」とばかりプリンセス・バーナーを突き出した。
その唇が、わずかにうごめき、何事か呪文をつぶやく――。
たちまち、魔杖の先端より紅い爆炎が渦を巻いて、メルへ襲いかかった。
「こんなもの!」
メルは大剣一颯、風をおこし、炎を消しとばした。
「おぉー。その剣って、そんなこともできるんだ。凄い凄い」
美佳は、ほがらかに笑って、はやしたてた。
「ふんッ! 騎士たるもの、これくらいできて当然でしょう」
「……ねえメリュ、前から聞こうと思ってたんだけど……騎士って確か、お馬さんに乗ってるんじゃなかったっけ」
問われて、一瞬、メルの表情がこわばった。
「う――そ、それは──き、騎士とはつまり、その精神ですから。馬はなくとも、騎士道を知り、実践する者を、すなわち騎士というのですッ」
「そうなの?」
「そ、そう。たぶん……ともあれっ、無駄話はここまで! 本気で行きます!」
ふたたび、両者は身構えた。
二人ともに、きっと視線を交わしあい、意識を集中し、魔力を高めてゆく――。
どちらが先に動いたか。
光の剣と炎の杖が激突する。
閃刃。業火。魔法の威力が空を裂き、旋風と旋風の巻きあうごとく、二十余合、二人は息もつかず争い続けたが、接近戦での力量はほぼ互角らしく、なかなか容易には決着がつかない。
そこへ。
海面より数条の火箭が伸びてきて、不意にメルの背中をかすめ去った。美佳の母艦、戦艦かわちの対空レーザーである。
魔女っ子は、その不可思議な魔力によって、あらゆる通常兵器を無効化する。魔女っ子以外の攻撃では、ほとんど傷つくことはない――だから、仮にレーザー砲の直撃を浴びても滅多に怪我などしないが、しかしメルの注意をそらし、集中を途切れさせる程度の援護効果はあった。その一瞬の間隙を美佳は見逃さなかった。
「スキありぃーっ!」
美佳の声に呼応し、プリンセス・バーナーの先端部に強烈な光輝が浮かびあがる。そこから、おびただしい火炎熱風がほとばしり、唸りをあげてメルへ襲いかかった。
身構える間もあらば――吼え猛る爆風は、枯葉のごとく軽々と、メルをその場から弾き飛ばしていた。
「きゃああぁぁぁー!」
絶叫遠く、メルの姿は彼方の空から海面へ、放物線を描いて墜ちてゆく。
「……おぉー。……勝った……かな」
美佳は大きく息をついて、遥かな海を見おろし、額の汗を拭った。
「メリュのことだから、たいしたケガはしてないよね。あとでキャプテンにお礼いっとかなきゃ」
しみじみ呟きながら、周囲を見回してみる。
日米魔女っ子の戦闘は、なお継続中である。日本勢はかなり押されている様子で、すでに戦闘不能に追い込まれ、離脱した僚友もいるようだった。
「んー……あっちも、なんとかしないと」
プリンセス・バーナーを握りなおし、美佳はあらたな戦場を求めて、風に身を躍らせ、飛翔していった。