第34話:混乱〔2〕
朝食も食べ終わり、マルクスは「ちょっと出てくる。直ぐ戻るから待ってろ」と言って部屋を出て行った。
その発言通り、ミレーヌが本の一頁を読み終わらないうちに彼は戻ってきた。
「もう、出れるか?」
「はい」
「じゃ、行こう」
この間は偶然温室の方へとやって来たので道がわからない為ミレーヌは遅れないようにマルクスについていく。
先ほどから仕事は大丈夫なのかと気が気でないミレーヌは、隣を歩くマルクスにちらちらと視線を向けて歩いていた。
「なんだ?」
「え?」
「さっきから視線を感じるんだが、何か言いたい事でもあるのか?」
「あの…お仕事の方は大丈夫なのかと思って…」
「……ふっ…たまには生き抜きも大事だと思うが」
「は、はぁ…」
そう言われてしまうと何も言い返せず、その後は普段出来ない会話をするチャンスにも関わらず何を話せば良いのかわからずミレーヌは黙って歩いた。
しばらく庭を歩いていると、いつか見た建物が目の前に現れた。
壁の上部分と屋根とがほぼガラス張りの温室の入り口には大きな南京錠が掛けてあり、マルクスはズボンのポケットから鍵を取り出し、それを穴に差込んで回すと、ガチャリと音を立てた。
ガラス張りになっているのは上半分だけで外からは中の様子が伺えなかったのもあり、扉の先の光景にミレーヌは満面の笑みを浮かべた。
「わぁ……!!すごいっ!!」
外にある花壇も素敵でミレーヌは好きだったが、ここに咲く花達はもっと種類も豊富でミレーヌは一瞬でこの温室が気に入った。
普段から良く手入れをしているのかここに咲く花は皆生き生きとしている。
ゆっくりと歩いて回っていると、見た事も無いのが目に入りミレーヌは立ち止まって良く見ようと近づいた。
「なんだ、珍しいものでもあったか?」
そう、声を掛けられたミレーヌは驚いて後ろを振り返った。
どうやらマルクスの存在を忘れてしまうほど夢中だったようだ。
「お前…俺が居る事忘れてないか?」
「い、いえっ!そんな事ないです!」
いきなり図星をつかれてしまった。
なんとも微妙な空気が流れる。
「まぁ、いい。で?気になるものでもあったのか?」
「あ、はい。これなんですけど」
と言ってミレーヌは先ほど目にとまった物に指を指すとマルクスの視線も指の先へと向けられた。
「これ、アナタリアには無くて…はじめて見ました」
「あぁ…これはファーロンというフルーツの一種だ。そのままでもうまいが、菓子に使われる事が多いんだ。俺も子どもの頃はそれを使った菓子をよく食べた」
「例えばどんなお菓子ですか?」
「そうだな…、ドライフルーツにしたものとか、クッキーとか…一番はタルトがうまかった」
「まぁ!タルトですか?マルクス様がおいしいって言うなら、きっととてもおいしいんでしょうね?」
「じゃあ、今度シェフに頼んで…」
「是非お願いします!!」
マルクスが最後まで言うのを遮り、瞳をキラキラと輝かせながらミレーヌは勢い込んで彼に歩み寄った。
そんなミレーヌに彼は一瞬驚いた顔をしたと思ったら「ぷっ」っと噴出した。
「そんなに食いたいのか?」
彼が笑ってしまうほど物欲しそうにしてたかと思うと、「ぼっ」っと音がしそうなほどミレーヌは顔を真っ赤に染めた。
その様子にマルクスは更に腰を曲げて大笑いし始めた。
あまりの笑い様にミレーヌは腹が立ってきた。
「そ、そんなに笑わなくても…」
ミレーヌがそう言っても彼の笑い声は止まらず、しばらくしてやっと落ち着いたようだった。
「あー面白かった」
「………」
やっと笑いが収まったかと思えば、面白かったなんて言われ、余計腹が立ったミレーヌは後ろを向いて怒っている事をアピールした。
「何?怒ってる?」
「見てわかりませんか!?」
後ろを向いたままそう言うと、マルクスはミレーヌの前へ回り込み「ごめん」と言った。
なんだか調子が狂う。
マルクスは自分のことを嫌っていたのではないのか?
なんだか昨日のマルクスと違いすぎて、都合の良い夢でも見ているのではないかと思えてくる。
一方マルクスは、ミレーヌの怒った姿も可愛いんだなと思いながらも、どう接したらいいのか悩んでいた。
自分の態度にミレーヌが困惑しているのもわかっていた。
じゃあ、自分の気持ちを伝えるか?
いや、まだ早い。
焦ってそんな事をして、もし拒絶されたらきっと立ち直れない気がする。
なんとも女々しい自分に苦笑するしかなかった。
少しずつ、少しずつ彼女との距離を縮めて行けばいい。
この時はそう思っていた----------------。