第32話:認めた気持ち
やっと寝たか-------。
先ほどまで微かに震えていた背中は今は規則正しく上下している。
マルクスは静かに身体を起こすと、ミレーヌの背中を見つめた。
しばらくじっと見つめていると、ミレーヌが身動ぎこちらを向いた。
一瞬起きたのかとドキッとしたが彼女の目は閉じられたままでいる事に安堵のため息を漏らす。
その時、雲に隠れていた月が現れて、その光に照らし出された彼女の顔。
泣いているんだろう事は背を向けていてもわかった。
いつまで経っても泣き止む気配を見せない彼女に寝たふりするのをやめ、なぜ泣くのかと問い詰め、その背を抱き締めたい衝動に駆られた時には愕然とした。
自分から偽りの婚約を提示して、それにミレーヌが応えた。
自分の思い通りに事が進んでいるはずなのに、どうしてもしっくり来なかった。
だからなのかここ最近、自分の中に芽生えそうな感情にイライラが収まらなくて…。
今まで認めないようにと意地を張って来たのだが…。
もう限界かもしれない。
彼女が起きないようにそっと近づくと、手を伸ばしミレーヌの頬に残る涙を親指で拭った。
自分が触れているのにも気づかず眠るミレーヌに、大胆にも彼女の頭に手を持って行くとサラサラとした髪の毛にも触れた。
一度触れてしまうと、それこそ自分の気持ちに嘘はつけなくなった。
そうだ…俺は間違いなくミレーヌに惹かれている。
彼女が好きだ---------。
そう認めた瞬間心につっかえてた物が取れた気がした。
なのに同時に、ミレーヌに対して言った言葉が重く心にのし掛かり、ぎゅっと胸の辺りを握り締めた。
一緒の部屋にする事はダラスと話し合って決めた。
アリスが動き始めた事を知った以上ミレーヌを傍に置いておいた方がいいだろうと。
その事に何の異論は無かったのだが…。
イライラの対象であるミレーヌと同じ部屋で寝るなんて、数時間前の自分にとっては苦痛以外のなにものでもなかった。
だから勘違いされないようにとアリスの事が片付いたらこの婚約は解消すると言ったのに…。
その時のミレーヌの暗い顔を思い出し、自分自身を殴りたくなった。
そして今は……。
別の意味で苦痛なのではないだろうか。
好きな女が隣で無防備に寝ているのだ。
一体いつまで自分の理性が持つか。
ミレーヌには今まで嫌ってる風を装って来た。
それで本当に嫌われたとしてもそれはそれで構わないと思ってきた。
(最低じゃないか…嫌われても文句の一つも言えやしない…)
この時マルクスは大きな勘違いをしていた。
ダラスが言っていたミレーヌに好かれているという事実を忘れて自分は嫌われてると…。
それに拍車を掛ける様にミレーヌの泣き顔を目にしてしまった彼は、泣いた理由も、嫌いな自分と一緒にいるのが嫌なのだと思い込んでしまったのだ。
(こんな所じゃ寝れないな…)
マルクスはため息を吐き出すと、静かにベッドから抜け出し、寝室を出て行く事にした。
応接室にある長いすに寝転ぶと天井を見上げた。
身体は疲れてるし、明日も朝早くから会議が入っている。
少しでも寝ないと……。
欠伸を一つしてマルクスは目を瞑ると何かに導かれるように意識を手放した。
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『…ク…ス…マルクス…』
自分を呼ぶ懐かしい声が聞こえた気がした。
重い瞼を開けると視界がぼやけてハッキリしない。
『……?』
『マルクス、こっち…』
今度はハッキリと聞こえた声。
忘れかけていた記憶が蘇る。
この声は……。
『ユーリ…?』
そう言った瞬間、視界がハッキリして驚いた。
自分の目の前に立っていたユーリは悲しい顔から、うれしそうな笑顔になった。
『ユ……』
『彼女は貴方にとってかけがえの無い人になる。気を付けてね…どうか手放さないで…』
『なに?言ってる意味が…』
訳が分からず、勢いよくユーリの肩を掴もうとした手は、彼女を通り抜けて空を掴み、その反動で転びそうになってしまった。
急いで体勢を立て直し振り返れば、またも彼女の顔から笑顔が消え、悲しい顔をしてこちらを見つめた。
『もう、私行かなきゃ…』
『え…』
『マルクス…幸せになってね…』
そう言ったかと思うと彼女の身体は霧となり消えた。
「あっ!!おい!!」
そう叫んだ瞬間現実に引き戻された。
視界に入るのは、間違いなく眠る前に見た光景。
それが何よりも現実だと物語っていた。
(今のは夢だよな…?)
にしたってリアルだった。
その証拠に夢から覚めてもユーリの言葉をハッキリと思い出せる。
『彼女は貴方にとってかけがえの無い人になる』
(ユーリ…お前一つ間違ってるぞ…かけがえの無い人になるんじゃなくて、もうなってるんだよ…)
マルクスは「ははっ」と自嘲的に笑うと、起こしていた身体をまた長いすに横たわらせて天井を見上げた。
『どうか手放さないで…』
(今は正直嫌われてるかもしれないが、ぜってぇ手放すもんか!!)
『マルクス…幸せになってね…』
最後の言葉を思い出した瞬間、彼は腕で顔を覆うと目を瞑る。
その目からは、涙が一筋、頬へと流れていった。
マルクス、やっと自分の気持ちを認めました。
これからどんどん物語は佳境に入っていくと思います。
今後もよろしくお願いします。