1.停滞人形の歩み
お読みいただきありがとうございます。
第1章開始です。全60話です。
◆◆◆
『ラーグ、この冷血漢め!』
引っ立てられていく精霊の罵声が槍のように飛び、空気を振動させた。
『お前には情というものが無いのか!? 幾ら罪を犯したからと言って、あのような酷薄な神の所へ配置換えするとは……その肌の下は血の通っていない蝋人形か何かなのだろう!』
禁忌を犯した咎を受け、残虐な神の担当へ回されることになった輩ががなり立てる。それを冷めた目で見つめる影に、さらに悪罵を投げ付けた。
『顔色一つ変えないのか。血が流れていないだけでなく感情まで止まっているんだな。お前は……お前は本当はラーグではなくラグだろう。停滞人形ではないか!』
引きずられて行く寸前に吐かれた負け惜しみと捨て台詞。この修羅場を目にしていた使役たちは、当初は誰もそれを真に受けなかった。犯罪者が最後っ屁に下手なジョークをかました、としか受け取られなかったのだ。事実、吐き捨てた当事者もそのつもりだっただろう。
しかしその後、件の使役が酷烈な責めを受けて苦しむ様を何度目の当たりにしても、眉一つ動かさぬ影を見て、周囲は彼を畏怖し、じわじわとあの罵声が浸透していった。
『史上最強の霊威を持つ原初の精霊は、血潮も感情も流れていない停滞人形だ』と。つまらぬ捨て台詞はじわじわと真実になり、いつしか彼の名はラグドールに置き換わっていた。
彼の本来の名を知る最古参の精霊や神々は、それで良いのかと問うた。当事者である彼が一言否定し、改めて真名を宣言すれば解決するだろうと。
今より遥か昔、下界から名前という概念が輸入された際、神々は遊びで名付けの文化を取り入れ、それに呼応した使役たちも自身の名を得た。最古の精霊たる彼も、とある神より〝ラーグ〟の名を賜っていた。
だが彼は――ラグドールと呼ばれるようになった最長老の精霊は、静かに首を横に振った。周囲にどう呼称されようと気にしない、第五の原初神にいただきし真名は自分が分かっていればそれで良い、と言って。
使役界の闇を長期間受け続けて来た彼の心は疲弊しており、本当に感情が動かなくなっていた。生来より異次元の器量を持っていたため、古参精霊たちの中で最も多く負の念を引き受けていたことで、尚更精神に負荷がかかっていたのだ。表面上は食えぬ笑みを浮かべていても、その魂の奥は常に凍り付いていた――彼に弟たちが生まれるまでは。
天ができた当初からある巨大天樹、その雫から生まれた精霊は、永くラグドールだけだった。ゆえに、妻を取らなかった彼はずっと独りだった。彼を慕う最古参級の精霊たちとは家族同然の関係だったが、それでも人間で言う血族のような者はいなかった。
それが何の因果か、那由多の時を経た果てに双子が生まれたのだ。天樹から滴った雫が落ちて二つに弾け、精霊化して誕生した二体。アルシオとウォーロックだった。
それからラグドールは徐々に変わっていった。使役界の暗闇を担う自身を、清廉潔白なアルシオと純粋無垢なウォーロックに近付けないようにしつつ、影から密かに弟たちを見ていた。初めての肉親の誕生に、止まっていた感情が魂の奥で息を吹き返し、再び動かんとし始めたのだ。
ラグドールと共に歩み、使役界の闇を背負い続けた最古級の精霊たちは、当事者のいない所でこっそり囁き合った。
いつの日か、彼が感情の停滞とそれによる人形状態を打破し、完全にラーグに戻ったならば、その後は一体どうなっていくのだろうか? と。
だが結局、その答えは分からず仕舞いだった。ラグドールは最期の時、神々の懐に抱かれてラーグに戻ったものの、同時に消滅を選んで果てたからだ。
彼の思念はしばらく留まり、自らの手で傷付けた弟たちやその家族、関係者たちのケアをしながら励ましていたが、その時はすっかり最長老の先達としての仮面を付け直していた。
ゆえに、疑問の答えは永遠に謎のままで終わった。
……終わるはずだった。
ありがとうございました。




