◆第六章 氷の壁
港に春が来る――とは言っても、雪が溶け始めるのはほんの一部だけだ。
その日、坑道内の試験運営が始まった。港のホテルに宿泊する観光客十数名が、ヘルメットをかぶって海側入口から列を成す。
「皆さん、足元に気をつけてください。坑道内の温度はおよそマイナス二度、でも菜園に入ると一気に暖かくなりますよ」
エミリアのガイドに、観光客が驚きの声を上げる。
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LEDの赤青光に照らされた菜園ドームでは、レタスが鮮やかな緑を広げていた。観光客の一人が思わず手を伸ばし、葉の柔らかさを確かめる。
「北極でこんなものが育つなんて……」
「ホテルで夕食にお出ししますので、お楽しみに」
悠介は笑顔で応じた。
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しかし、順調に見えた運営は思わぬ壁にぶつかる。
坑道の中間地点で、風力タービンの一基が停止していた。羽根の付け根が氷で固まり、回転できなくなっていたのだ。
「昨日は動いていたのに……」
技術スタッフが首を振る。「急激な温度変化と潮風のせいで、結露が凍結したようです」
「このままだと発電量が落ちますね」
悠介とエミリアは、厚手の防寒具を着込み、停止したタービンの整備に向かった。
「観光ルートの途中だから、今日は見学者を通さずに作業しましょう」
「わかりました」
二人は氷を削り、可動部に防氷剤を塗布しながら、予備ヒーターを取り付けていった。
夕方、港に戻ると、ホテルのレストランは満席だった。
観光客たちは菜園で見たばかりのレタスやトマトを前に、写真を撮り、感想を語り合っている。
「今日は大変でしたね」
厨房から顔を出したエミリアが、疲れた表情のまま笑った。
「でも、こうやって喜んでもらえると、全部報われます」
「ええ。きっと、これが毎日の活力になるんでしょうね」
外では風が吹き、港の灯が揺れていた。
悠介はその光景を見ながら、次はもっと安定した運営を実現しようと心に誓った。