第37話 目の前がまっ暗に
僕よりも2時間遅れくらいでアンジュがのそのそ起きてきた。すっごい眠たそうにしながら首を傾げている。
「不思議……、ボク……、眠っている間に、うちのベッドからウィリーさまのおうちに移動してたんだけど……」
「だよね。凄い寝相だったよ」
適当なことを言ってみた。
「え? 眠りながらコロコロ転がって、このおうちに来たってこと?」
「そうそう。それで器用にドアを開けてさ、階段を上って僕のベッドにこてんって倒れたんだよ」
「信じられない寝相だ……」
「まあ、嘘だからね」
「え?」
フェリシーがニコニコしながらアンジュの跳ねまくってる寝癖をピコピコ触ってる。
「本当はレノアさんが抱っこしてアンジュをうちまで連れてきたのよ。アンジュは眠りが深すぎて、ちょっとやそっと呼んだくらいじゃ起きないからって」
「起きるけどなぁ……。パパとママはどこに行ったの?」
「ちょっとそこまで戦争に行ってくるみたいよ」
「へえ~、ちょっとそこで戦争があるんだ。おみやげあるかなぁ?」
戦争のおみやげかー。まさか敵の首とか? いやいやいや、怖い怖い怖い。
「アンジュ、アルフレッドさんたちが無事に帰ってくるのが一番のおみやげだと思うよ」
「それもそうか。敵って何人くらいなの?」
「100人だって」
「えー、じゃあママだけでじゅうぶんじゃない?」
「あーそうかも」
レノアさんの強さは尋常じゃないからね。でも、盗賊にだって強い人がいるかもしれないから、油断したらダメだ。
「エルヴィス様はもっと強いし、この戦争はよゆうだよね……。ふあーあ、顔を洗ってくる……」
ふらふら歩きながらアンジュが洗面所の方へと歩いて行った。戦争って言ったらもっと驚くかと思ったけど、アンジュは動じなかったな。
まあ子供だしそんなものかも。あんまり怖がらせてもしょうがないし、僕ら子供は普段通りに生活していればいいか。
アンジュがのんびりと朝ご飯を食べ終えた。今日は僕ら二人で遊ぶことになっている。
「ねえ、ウィリーさま、今日は何の虫を捕りにいく? コオロギ? スズムシ?」
「今日はアルフレッドさんがいないし、山とか森に入るのはなしかなー」
「えー……。じゃあ、剣のお稽古をしようよ」
「そうしようか。うちの庭でやろう」
うん、とアンジュが言う。いちおう母に許可をとってから庭に出た。窓の向こうではフェリシーが母と勉強を始めたようだ。何かあったときに叫んだり家の中に入ればまあ大丈夫だろう。
「じゃあ、ウィリーさま、先に一本取った方が勝ちのルールね」
「ダーメ、まずは基礎からだよ」
「えー、素振りつまらないー」
「レノアさんもうちのパパも大事だって言ってたでしょ」
僕は柔らかい木刀を1本アンジュに渡した。しぶしぶだけどアンジュは素振りを始めてくれた。
途端に凄い集中力を発揮する。木刀とアンジュが一体になったみたいだった。
アンジュが綺麗な動きで木刀を振り下ろす。僕はぞくりと身体を震わせた。本物の剣だったら石でもレンガでも鎧でも真っ二つにできそうな気がした。
アンジュは剣の才能のかたまりなんだよね。将来どれくらい強くなるのか想像がつかないよ。
そんなアンジュの隣に並んで、僕は黙々と基礎訓練を続けた。
アンジュに比べたらだいぶ遅れているけど、僕だってすじが良いとは言って貰えている。頑張って追い付いて強くならないとね。
なにせ僕は父が超有名な剣神だ。これからの人生はどうしたって父と比べられてしまうだろうから、恥をかかない程度には強くなっておかないと。
あとこのままだと、将来は強いアンジュに僕が一方的に守られてしまう情けない未来が想像できてしまう。それは男の子として精神衛生上よろしくない。むしろ僕がアンジュを守るんだという気概で、今のうちから一生懸命に訓練をしようと思う。
びゅんっ、びゅんっ、びゅんっ。へなちょこな素振りだ。
シュッ、シュッ、シュッ。アンジュは凄い集中力を維持したまま、綺麗な素振りを続けている。僕とは格がぜんぜん違うと思う。
でも、負けないぞ。5歳の時点では僕の方が剣を振るのはヘタだけど、人生はこれから長いんだし、絶対に追い抜いてやるんだ。
二人で仲良く基礎練習を続ける。動きながらの素振りをやったり、防御の動きをしたり。良い稽古になったんじゃないかな。
お昼ご飯をお腹いっぱい食べる。かなり集中して剣の稽古をしたから、二人ともお腹がペコペコだったんだよね。
パクパク、パクパク、食べまくる。
食べ終わるとすぐにアンジュが立ち上がった。
「よーし、ウィリーさま、一緒に剣のお稽古をしようー」
「え、も、もう? 僕、お腹いっぱいで」
「いいからいいから」
「容赦ないな……」
僕はお腹ぽんぽんなのにな。アンジュだってそうだろうに。
「1時間だけね。そのあとは一緒にお昼寝しよう」
「えー」
じゃないと僕が夜までもたないし。
「じゃあ、起きたらまたお稽古ね」
「わ、分かった」
アンジュは本当に剣が大好きだな。おままごとをしたいなんて言うセリフを1回も聞いたことがないよ。こういう人が天才って呼ばれる剣士になっていくのかもしれないな。
柔らかい木刀を持って二人で庭に出る。そして、勝負を始めた。
僕を斬ろうとアンジュがダッシュしてくる。僕はアンジュの木刀を自分の木刀で受けてから何度も攻撃をかけた。でも、ダメだった。
うまく隙をつかれてアンジュにお腹を突かれてしまった。
「ぐはーっ。いてて……」
「よーし、ウィリーさま、もう一本いこう」
「ペースが速いっ」
たいていいつもこんな感じだ。速いペースで何度も何度も勝負をする。僕が勝てるのは3回に1回かそれより少ないくらい。
剣の腕前はアンジュの方が上なのに僕がちょくちょく勝ててしまうのは、僕には40年間生きてきた人生経験があるからだ。まだ5年しか生きていないアンジュよりも視野が広いし、前世で男子たちといろいろなスポーツやゲームで駆け引きを学んだからね。そういうので培ってきた勝負勘がいきてるんだよね。
ただ――。
「あいたーっ」
ぽこっと一発頭に入れられてしまった。
男として女の子に負けてばっかりなのは本当に悔しい。前世で剣道を習っておくんだったなって反省したよ。
何十回もアンジュとの戦いは続いた。
だいぶ疲れてきたし、お昼寝をしたくなってきた。たぶんもう1時間は経ったと思うし、一度切り上げようか。
「アンジュ――」
「あれ、誰か来たよ?」
「お客さん?」
僕の後ろ側のようだ。そっちは門の側じゃないんだけどなと思いながら振り返る。とたんにゾッとしてしまった。
明らかに悪人がそこにいたからだ。
人を殺したことがあるとしか思えない目付き、乱暴に生やした顎髭、体重100キロくらいありそうな巨漢の男がそこにいた。腰には真っ黒な鞘の大剣を帯びている。
「アンジュ、逃げて!」
「え――?」
恐怖しか感じない。間違いなく達人だ。
「悪いな、坊主。ちょっと付き合ってくれや」
気がつけば巨漢の男が僕の真後ろに来ていた。信じられない動きの速さだった。
そして、頭を撫でられたように感じた。
あ……、れ……? 僕の身体が……動かない……? 意識が遠く……なって……。何も見えなくなって……。
そのあとのことは、僕にはよく分からない――。




