第25話 伯爵領へ
しばらく穏やかな日々が続いた。
父もいろいろと落ち着いたみたいで、僕とアンジュによく剣の稽古をつけてくれるようになった。
そして気がつけば秋になっていた。かぶとむしはもうどこにもいない。森や山の木々は少しずつ赤く染まり始めている。
そんなある日の昼に、僕は父から声をかけられた。
「ウィリー、明日から伯爵様のいる街に行こう」
「え? 僕も行くの?」
伯爵様といえば、この地方を取りまとめるガロン伯爵様のことだろう。街の名前は伯爵様の名前をとってガロンの街って呼ばれている。
「ウィリーはだいぶ大きくなってきたからね。そろそろ冬物の服を揃えようと思うんだよ」
「それなら近所のお店で作った服を着ればいいんじゃ……?」
「それはもちろんなんだけどね。そういう服とは別に、貴族っぽい服も持っていないといけないんだよ」
まあつまりは外遊びしづらそうな良い服ってことだろう。
「着る機会はあるの?」
うちは弱小貴族も弱小貴族だから他の貴族に会う機会はないし、どこかのパーティーにお呼ばれすることもなかなかない。
「ちょくちょくありそうなんだよね。ウィリーくらいの年代になるとお披露目会があったり、ダンスパーティーとかお茶会にお呼ばれしたりとか」
あるんだ……。なんだか気が重くなる話だった。でもまあ、僕は元社会人だし、仕事と考えればちゃんとこなせるかなって思う。
「まあ良い服を着る機会がないにしても、親としては子供に世界の広さを見せてあげたいって思うんだよね。ウィリーはまだこの領地から出たことがないし」
「たしかにストラトス領の外は見てみたいかも」
「そうだろう。というわけで、ガロンの街の良いお店にウィリーの服を買いに行こう。あと、教会に行かないとね」
「え? 教会?」
教会といえば、この大陸では女神様を信仰する施設のことだ。
ただ、うちはそこまで信仰が深いわけじゃない。月に一回くらい地元の教会に家族で行って、お祈りを捧げたり賛美歌を歌ったりするくらいだ。
「ウィリーが使っているスキルがなんなのか、ちゃんと女神様にお伺いをして知っておきたいんだ。あそこの教会には大司祭様がいるから、女神様からのお告げでスキルのことを何でも教えてもらえるんだよね」
「僕のスキルって、姿か見えなくなるだけじゃないの?」
「うーん、姿が見えなくなるのはそうなんだけどね。気配がなぜか完全に消えているのが気になって……。それにウィリーの身体を私が触っているはずなのに、触っているっていう認識が持てないのも不思議だし」
あー、レノアさんからも同じようなことを言われたことがある。ただの透明人間スキルじゃないってことか。
「以前、フェリシーもスキルをちゃんと調べてもらったんだよね」
それでスキル名が〈フェアリーマウス〉って分かったんだそうだ。
「へえー。じゃあ僕も調べないとだ。パパ、家族旅行、楽しみにしてるね」
「うん、温泉に一緒に入ろう」
温……泉……?
温泉なんてあるんだ。つまり、女湯があるのか……。へえー、女湯かー。ママと一緒に入りたいなーなんて思ったりしないぞ。スキルを使えばあるいは……なんてことも僕は思ったりしないぞ。女神様のお告げを聞きに行くのに、汚れた心でいたらいけないだろうからね。
はあ……、ぐすん……。女湯が見放題な年齢かつ僕には良い感じのスキルがあるのに、紳士の心で自重してしまう性格よ……。偉いなぁって自分に対して思うけど、バカだなぁとも思ってしまうよ……。
ガタンゴトン、ガタンゴトン――。馬車のタイヤが音をたてる。
カッポカッポカッポカッポ――。二頭の馬が同じリズムで歩いている。
家族四人、水入らずでの旅だ。
ファンタジーな世界だし、道中の治安とか大丈夫なんだろうかって思わないでもない。ただ、御者をやっているのがこの国で最強クラスの剣神、つまり僕の父のエルヴィス・ストラトスなんだよね。だから何の心配もいらないかなって思っているよ。
いざとなったら僕もスキルと魔法を駆使して戦えるし、心配は何もいらないと思う。
ガタンッ、ガラララララ――。
馬車が今、どこかの溝に一瞬だけはまったみたいだ。けっこうな震動だった。
馬車ってもっと優雅な気分になれる乗り物かと思っていたけど、何も舗装されていない道だと乗り心地はよろしくなかった。
もっとお金持ちが乗るような馬車だとあんまり揺れないらしいんだけどね。そういう馬車に乗れるくらいに早く出世したいなぁ。
ひたすら馬車に揺られながら流れる景色を楽しむ。
なんでもない山や森の景色ばかりだけど、僕には新鮮な感じがして楽しかった。
このままずっと道を進んで行って夕方頃に着く街で一泊するんだそうだ。そして次の日にはガロンの街に着くんだって。
違う領地に行くにしては意外と近いんだなって思った。いや、違うか。それくらいうちの領地が狭いだけだった。
翌日――。何事もなく今日も道を行けるのかなって思ったんだけど、ぜんぜんそんなことはなかった。
こんな何もない道をたった一人で全力で走っている男性がいたからだ。父が気になって馬車を止め、こちら側へと向かってくるその男性に声をかけた。
「こんにちは。ただごとではないご様子ですが、どうかされましたか?」
40代半ばほどの男性だろうか。かなりちゃんとした格好をしているから、いいところで働いている人かもしれない。
「はあっ……はあっ……はあっ……、と、盗賊に襲われたんです。それでお前は邪魔だと言われ、馬車の御者台から引きずり下ろされてしまい……。はあっ……はあっ……、それで助けを求めに街へと行くところでして……」
「盗賊――。それは大変だ。襲われたのはいつ頃ですか?」
「15分ほど前だと思います……」
「追いつけそうですね。どうぞうちの馬車にお乗りください」
「え、で、でも、追いつく……ですか? 街に行くのではなく?」
「安心してください。こう見えて剣は得意なんです。盗賊ごときに遅れはとりませんよ」
おお……、うちの父はかっこいいな。御者の男性は半信半疑の様子だったけれど、このまま走って街に行くよりは良いと思ったんだろう。馬車に乗ってくれた。
そして父が馬車をとばす。
馬車ってこんなに速かったんだ。って思えるくらいに馬が頑張って走ってくれた。まるで車みたいな速度が出て僕はびっくりしたよ。




