9
水筒に入った水で大剣についた血を洗い流す。
地面に倒れたゴブリンから溢れていた黒煙が徐々に消えていく。どうやら死ぬと消える仕組みのようだが殺さずに放っておくには危険すぎる。何か手がかりが見つかるといいが。
後ろを振り返ると少年が呆気にとられた様子でゴブリンの死体を見ていた。
しかしフリードの視線に気づくとハッと息を呑み、大剣に視線を移すと途端に顔が青ざめる。
その様子に思わず溜息を漏らしたフリードは鞘に大剣を戻した。
「危害を加えるつもりはない。運良く助けることができたが、見捨ててほしかったか?」
あえて冷たく言うと少年は慌てて首をブンブンと横に振った。
不安げな表情でチラチラとこちらを見ていた少年は何かに気づくとおそるおそる口を開いた。
「包帯……あるよ」
「ん? ああ、助かる」
どうやら腕に小さな傷ができていたようだ。
右腕を差し出すと少年は器用に包帯を撒き始め、手当を終えると満足気に頷いた。
「助けてくれてありがとう、僕はビル」
「ドリアスから来た。旅人のフリードだ」
「旅人? 村の狩人じゃなくて?」
途端に表情が曇るビル。何か不味いことを言っただろうか。
顎に手を当てて考えたフリードは『もしや』と思い口を開いた。
「その『村』というのは、森の近くにあるのか?」
「うん、そうだよ。森の近くだったら……うちの『狩人の村』だけだと思うよ」
「なるほど……人助けはしてみるものだな」
どうやら近くの村に住んでいるようだ。村にはちゃんと名前もあるらしい。
噂では邪神の右腕と呼ばれている『金髪の悪魔』がいる恐ろしい村のようだが、目の前にいるのはどう見ても普通の子供だ。本当にただの噂だったのかもしれない。
自身の腕に巻かれた包帯が目に入ったフリードは今更ながら手際の良さに気づく。
「上手だな……誰に習ったんだ?」
「お母さんだよ。狩人の手当てもたまにするけど、僕に出来ることはこれくらいだから……」
褒めたつもりだったが落ち込んでしまう。なぜなのか。
困ったフリードは話題を変えることにした。
「どうしてこんな森にいたんだ?」
「えっと、捕まっちゃって」
「捕まった?」
聞き返すとビルは苦い顔で遠くを指差して『あっち』と呟く。
警戒しながら進んでみるとなんと手足が半分ない男の死体が見つかった。
その付近にも腰がパックリと切られている別の男の死体が見つかり、軽く所持品を漁ってみるが身元が分かるようなものは無い。
「こいつらに見覚えは?」
「ううん、知らない!」
呼びかけると少し離れたところから返事が返ってくる。
さすがに刺激が強すぎるからかビルは近寄って来ない。
「攫われる理由は?」
「えっと、それも分からない……かな」
バツの悪い表情で呟くビル。
攫われた理由は分からず、攫った奴らにも心当たりが無いということか。
助けた時は両手を縛られていたし誘拐されたことは本当だろう。だが男達には目的があったはずだ。理由もないのにこんな森まで子供を運ぶとは考えにくい。
「あ、そういえばアジトって言ってた気がする」
「なるほど。もしかすると盗賊の類かもしれん」
身代金目的か、はたまた売り飛ばすつもりだったのか。
考えても答えは出ないがひとまず森から出ることにしよう。さっきみたいなモンスターが複数出てきたらビルを守りきれない可能性がある。
「村はどっちだ?」
「僕の村? 南側から出ればすぐだけど……もしかして送ってくれるの?」
「……また攫われでもしたら助けた意味がないからな」
一瞬言葉が詰まるがビルがそれに気づいた様子は無かった。
その後、通ってきた道をそのまま戻ると十分ほどで森の終わりが見えてきた。
最初はビクビクしていたビルだったが、しばらくモンスターと遭遇しない時間が続くと緊張感が取れてきたのか世間話をする余裕が生まれる。
「ねぇねぇ、他には何が聞きたいの?」
「そうだな。普段村人は森には行かないのか?」
歩きながらフリードは村の情報を引き出す。ビルは早く帰りたそうにしているが、フリードは横を歩く少年をまだ完全に信じたわけではなかった。噂が本当であれば二人が向かっている村には危険極まりない人物が住んでいるのだ。
恩人から警戒されていることなど知る由も無いビルはスラスラと質問に答えてくれる。
「うん、ミアの森はすごく危険で狩人でも滅多に入らないんだ。僕も来るのは初めてだよ」
確かにあんなモンスターがいる場所に普通の人間が入りたいとは思わないだろう。
村の狩人がどのくらい強いかは知らないが先ほどのゴブリンには苦戦するのかもしれない。
「じゃあゴブリンを見るのも初めてか?」
「狩人が仕留めたやつなら見たことあるよ。でも……」
そこで言葉を区切ったビルは俯く。
少し顔色が悪くなったので数十分前の強烈な経験を思い出しているのかもしれない。
「黒い煙みたいなのは出てなかった気がする。あれって何なの?」
「あれは『黒煙病』を発症したゴブリンだ」
黒煙病。
何十万もの人間を死に追いやった邪神が生み出した伝染病。
発症すると皮膚のあちこちから黒煙が溢れ出すのが病名の由来だと言われている。
当たり前のことだが生物が引き出せる力には限界があり、通常は限界を超える前に防衛反応が働いて体が動かなくなる。
しかし黒煙病はその防衛反応を鈍らせて限界以上の力を勝手に引き出してしまう。
その結果、本来の倍以上の力が出せるようになるが代償は『確実な死』である。
黒煙は邪神の体内で作られた特殊な物質で、一定以上の量を吸い込むと発症する。
三年前の大戦では多くの者が黒煙病にかかり、治療法も分からず次々と死んでいった。
フリードの説明を聞いたビルは恐ろしさのあまり体を震わせる。
「そんな危ない病気だったなんて……」
「しかも人間の場合は発症すると激痛で動けなくなってそのまま死ぬだけ。モンスターと違ってプラスの効果は一切無いのさ。長生きしたければ黒煙は吸うなよ」
「えっと、さっき少し吸っちゃったんだけど大丈夫だよね? 僕死なないよね?」
頭を抱えてオロオロするビルであったが『沢山吸わなければ大丈夫だ』とフリードが安心させるように言うと少しだけ落ち着きを取り戻した。