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フリードが目を覚ますとそこは見知らぬ部屋であった。
起きあがろうとして体が重いことに気づく。胸に手を当てると心臓は早鐘のように鳴っており、落ち着くために何度も深呼吸をする。
たった今まで嫌な夢を見ていた気がするが細部までは思い出せない。ヨミトと一緒に旅をしていたのだが途中で別れて二度と会えなくなるという不吉な内容だった気がする。
そこでフリードは今更ながら自分がベッドと椅子が置かれただけの小さな部屋にいることに気づいた。隅には薬品や医療器具が入ったタンスが置いてある。
たしか自分は診療所の中で倒れたはずだが誰かに運んでもらったのだろうか。
ふと部屋の外からパタパタという足音が聞こえてきた。扉の方を見ると白衣に身を包んだ看護師らしき女性が丁度入ってきたところで、ベッドから身を起こすフリードに気づくと驚いたように目を見開いた。
「フリードさん! ようやく目を覚まされたのですね!」
「あ、ああ……」
あまりの驚きようにこっちが戸惑ってしまう。
近づいた女性はフリードの全身を眺めて傷が塞がり始めていることを確認するとホッと溜息をつく。
「無事でよかったです。突然倒れられてからフリードさんは丸三日間寝ていたのです」
三日という数字に思わず言葉を失う。そんなに自分は体力を消耗していたのだろうか。
そこまで考えたフリードは気を失う直前のことを思い出した。そして勢いよく立ち上がる。
「そうだ! ヨミトは……あいつは無事なのか!」
大声に驚いた看護師は思わず尻餅をついてしまう。
謝りながら起き上がるのを手伝うフリードであったが看護師は何故か黙って俯いたまま体を震わせていた。
その反応に嫌な予感がしたフリードはなるべく冷静な声で尋ねる。
「驚かせてすまない。それで、ヨミトはどうなった? あいつもここにいるはずだが……」
「少々お待ちください!」
「お、おい!」
神妙な顔で答えた女性は、フリードの呼び止める声にも構わず部屋から出て行ってしまった。
取り残されたフリードは落ち着かない様子で部屋を歩き回るがしばらくしてベッドに座り直す。胸中に渦巻いているのは不吉な内容ばかりである。
『解毒剤は飲ませたはずだから大丈夫』と何度も自分に言い聞かせ、心の不安を掻き消すように強く頭を振ってから目を閉じる。
フリードは森での出来事を思い返していた。
アルトとの激闘を制してヨミトを連れ帰ることはできたが、万が一のことを思うと胸が張り裂けそうになる。結局フリードにできたのは、必死で戦ったことが無駄にならないことを願いながら先ほどの女性が帰ってくるのを待つことだけであった。
無音の中で精神を落ち着かせようとしていると再び部屋の外から足音が聞こえてくる。
先ほどの女性とは違う足音にフリードは何故か身を固くし、徐々に近づいてくる足音はやがて部屋の前で止まった。そして開けられた扉の前に立っていたのはフリードのよく知る人物であった。
「やぁ、起きたみたいだね」
なんとそれは五体満足で健康そうな顔色のヨミトだった。思わず口がポカンと開く。
緊張から解放されたフリードは安堵して思わずベッドに倒れ込み、容体が急変したと思ったヨミトがそれを見て慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫? まだ無理しちゃダメだよ」
「いや、少し疲れただけだ」
心配そうにこちらを見つめるヨミトに疲れた笑みを向けると困惑の反応が返ってきた。
とりあえず大丈夫そうだと思ったヨミトは部屋の端にあった椅子をベッドの前まで引っ張ってきてそこに座る。
「体調はどう?」
「まだ少し体が重たいが、まぁ大丈夫だ」
「どうやら相当疲労が溜まっていたみたいだよ。意外と体力ないんだね?」
楽しそうな表情でからかってくるヨミトにフリードもニヤリと笑い返す。
「気絶した人間を運ぶのは大変だったからな」
「うっ。それを言われると困るけど……そういえば僕を呼びにきた看護師さんがとても興奮していたよ」
「は? なんのことだ?」
全く心当たりが無かった。興奮?
部屋を出ていく時の看護師は深刻そうな顔をしていた気がする。てっきりヨミトに何かあったのかと思ってしまったが、目の前にいるヨミトは元気そうだ。
フリードが首を傾げていると部屋の外から場違いな女性達の黄色い声が聞こえてきた。
「聞いてよ! 三日も眠りっぱなしだったのに、起きた瞬間にヨミト様を求めたのよ!」
「なんですって!? やっぱりヨミト様の虜にならない人はいないのよ! きっと今頃は二人きりで……きゃー!」
思わず脱力してしまうほどくだらない会話である。
どうやら先ほど出ていく時に黙っていたのは興奮が顔に出ないように必死にしていただけのようだ。紛らわしいにも程がある。
そういえばセーラが『ヨミトには熱狂的な女性の信者がいる』と言っていたことをすっかり忘れていた。
なんだか怒りが湧いてきたフリードは無言でベッドから立ち上がると椅子に座るヨミトを横切って勢いよく扉を開けた。
「聞こえているぞ」
低いドスの聞いた声で睨みつけると扉の外にいた看護師達は一瞬で耳まで真っ赤になる。
脱兎の如くその場から去っていく看護師達にフリードは溜息を吐き、再び部屋に戻って音を立てて扉を閉めるとヨミトがニコニコしながらこちらを見ていた。
「愉快な人たちだね」
「アホ抜かせ。ところでお前の方こそ体調は大丈夫なのか?」
呆れたように呟いてベッドに腰掛けたフリードは話題を変える。
その言葉に頷づいたヨミトは表情を引き締めた。
「実は僕も昨日まで寝ていたんだけど、薬が効いたみたいですっかり元気だよ」
「黒煙病は治らないって噂だったが……やはり解毒剤が効いたということか」
健康そうに微笑むヨミトにフリードもようやく心から安心することができた。
「君が眠っていた間のことも聞くかい?」
それは気になっていたことであった。
フリードが頷づくとヨミトは『僕も昨日聞いたばかりの話なんだけどね』と前置きしたうえで何があったのか話し始めた。
フリードとヨミトが森に向かった後、村に戻ったジル達は入り口の近くで倒れているパイロを発見した。
目を覚ますやいなや『アルトの野郎はどこだ!?』と騒ぎ出すので詳しく聞くと驚くべきことが分かった。
どうやらパイロは元々アルトを怪しいと思っていたようで、こっそり診療所から抜け出して見張っていたらしい。その後、狩人と盗賊の戦いが始まった頃に村から出ていくところを目撃したパイロはアルトを問い詰めようとしたが、逆に昏倒させられて戦いが終わるまで寝ていたというわけだ。
「そうだったのか。まさかあのパイロがそんなことを……」
「僕もびっくりだったよ。今思えばパイロさんが足を捻挫した時もアルトが一緒にいたし、土魔法で地面を操作して躓かせたのかもね」
ヨミトの予想にフリードは『なるほど』と頷く。言われてみればその可能性は高そうだ。
後でパイロには謝った方がいいかもしれない。最初に絡んできたことは勿論忘れていないが。
ちなみに傭兵達は怪我らしい怪我をしていなかったみたいで、途中で狩人たちと別れてドリアスに帰っていたらしい。結局礼を言うこともできなかったのは残念だ。
「あ、そういえばパイロさんは暇さえあれば村の中でもアルトを見張っていたらしいよ」
「なるほど……ん? ということは、まさかあの時感じた視線は」
フリードは商店街で感じた自身を監視するような視線を思い出す。あれがパイロの視線だとすると自分ではなくアルトが見られていたのだ。
疑問が解けてスッキリしたフリードが続きを促すと再びヨミトが語り出す。
次の日、平原に転がった盗賊やモンスターの死体は狩人達が総出で埋葬をしたが、さすがにアルトやアズラスの死体はそのままにしてあるらしい。おそらく黒煙病の脅威は去ったがしばらくは森に入らない方が良いというのが狩長であるジルの判断だ。アルトがあの傷で生きているとは思えないが。
「そういえば起きたら話があるってマスターが言っていたよ。今から行く?」
その提案を断る理由も無かったので、フリードは頷くとヨミトに続いて部屋から出て行った。