2
天然の芝生とまばらに生えた木々がどこまでも続く『ユタ平原』。
フリードが拠点にしているドリアスの街はユタ平原の中心部に位置する。遠くに連なる山々がうっすらと見える平原に人工物は一つも無く、まさに広大な自然を体現したような空間だ。
そんな平原をフリードは南に向かって歩いていた。
この世界には人間以外の種族も多く生息しており、それらは一括りに『モンスター』と呼ばれている。
ユタ平原の生態系は多岐に渡り、鹿やリスなどの無害なものから肉食まで様々なモンスターが暮らしている。
「傭兵か」
呟いたフリードの視線の先には数人の男女が体長数メートルの恐竜型モンスターを囲んでいた。服に統一性が無いので兵士ではなくモンスター討伐の依頼を受けた傭兵だろう。
街の外でモンスターに襲われることは珍しくなく、自衛が出来ない場合は護衛や退治を頼むことになる。
例えば各地を旅する商人は金銭を支払ってでも安全を確保したいと考えており、そんな彼らの需要に応えるのがお金のためなら何でもすると言われている傭兵だった。
とはいえ犯罪に手を染める傭兵は稀だ。その事実が広まれば他の仕事を受けづらくなるだけでなく、恨みを買う可能性が高いからである。
そのため、『金の亡者と呼ばれようとも一線は守る』というのが大半の傭兵達の考え方であった。そこから逸脱した者達は傭兵ではなく盗賊やコソ泥に成り下がる。
「よっしゃあ!」
トドメを刺して喜ぶ傭兵達の声が遠くから聞こえてくる。
横たわる恐竜の皮を一生懸命剥ぎ取る冒険者達を横目で見ながらフリードは先ほどの光景を思い出していた。
正門前で泣き崩れていた男はグレイトウルフというモンスターの討伐を傭兵に頼むお金も無かったのだろう。残されたのは人々の情に訴えるという手段だったが結果はあの通りだ。
当然、報酬の無い依頼を積極的に受けたがる者は少ない。
しかし以前であれば困っている者を見捨てられないお人好しが多かった気がする。そんな者達がいなくなった後に待っているのは損得勘定でしか成り立たないドライな関係だ。
実は人々が助け合うことを止めたのには理由があった。三年前の『邪神討伐』である。
邪神。それはモンスターを超越したこの世で最強の生物。
長年の封印から解かれた邪神の頭にあったのは『破壊』と『支配』の二つだけであった。全てを破壊して世界を支配する、邪神を突き動かす感情はそれだけである。
邪神は自身を倒そうと向かってきた人々を弄ぶように屠り、我が物顔で大陸中を練り歩いて街や村を次々と更地に変えていった。
もちろん人々も黙ってやられていたわけではなく、平時は敵対している国々も未曾有の危機に『あらゆる利害を無視して協力すべきだ』という意見で心を一つにして総勢数十万人の連合軍が結成されたが、それでも簡単に倒せる相手ではなかった。
まず、大きさに問題があった。二本の手足に頭が生えた見た目は人間そっくりだったが、全長500メートルの巨体に無尽蔵の体力、そのうえ凄まじい速さで暴れ回る邪神に連合軍はみるみるうちに数を減らしていった。
しかしこの壮絶な戦いが数週間続いた結果、さすがの邪神も徐々に動きが鈍くなり、多大な犠牲を払いながらもようやく人々は封印に成功したのであった。
しかし『邪神が消えたら全て元通り』というのは安直な考えだと言わざるをえない。
被害を受けた土地は今もなお復興の真っ只中であり、働き手達がおらず復興の目処が立ってない箇所も多い。こうした事態に拍車をかけるように治療法の無い危険な伝染病が流行したり、盗賊による誘拐などの被害も発生したりしていた。
皆が大変な時にこそ助け合うべきだと主張する者もいたが、現実は他人への思いやりを無くしてしまった人が大半だったのである。
「あれだな」
一時間ほどでフリードは目的地に辿り着く。
そこは直径数キロにも及ぶ大きな湖で、地理的には見晴らしの良いユタ平原の一部であるが湖の周りだけ生い茂る木々が立ち並んでいるため外から見えない隔離された空間になっていた。
太陽に照らされて煌めく湖は時折魚の跳ねる音が響く以外は静かそのものであり、人やモンスターの気配は感じられない。
少し離れたところに複数の人間が倒れているのが目に入る。
ひとけのない場所で倒れていることから悪い予感がしたが近づくとそれは確信に変わった。
「さっきの男の仲間だろうが、この傷はやはり……」
血だらけで地に伏している三人の男女。五体満足のままだが体のあちこちに咬み傷がある。
モンスターに襲われたのは一目瞭然であったが、普通であればどのモンスターなのかを特定することは難しい。しかし死体を見たフリードはすぐに犯人が分かった。
念のためにしゃがみ込んで脈を測ってみるが生きている者はいない。その時、街で泣き崩れていた男が頭に浮かんだ。彼を守るために三人は犠牲になったのだろうか。
三人が囮にされた可能性もあったがフリードはすぐに考えるのを止める。皆生きるのに必死なのだ。誰だって死にたくはない。
立ち上がったフリードは死体から離れると近くにあった木の前で腰を下ろした。
担いでいた大剣を脇に置いて木に背中を預けると日光で温まった体を睡魔が襲う。
「暗くなるまで待ってみるか」
目を閉じたフリードは程なくして静かな寝息を立て始めた。