14
数分ほど歩いていると細道は終わり、フリードは別の大通りに足を踏み入れた。
商人や親子連れの村人らしき人々が話しながら歩いているのを見たフリードは安堵する。ヨミトが待ち構えている可能性もあったが敵意を向けてくる者はいない。
だがフリードは違った意味で注目を浴びることになった。
突如、黒焦げの人間が細道から現れたらどう思うか。普通の人間であれば何かしらの反応をしてしまうに違いない。
実際、興味深そうにこちらを見る者、面倒事の匂いを嗅ぎつけて離れて行く者、見ないフリをして無視する者など様々な反応が返ってきた。それらの視線に内心で嘆息したフリードは先ほどの戦闘を思い返す。
「金髪の悪魔……か」
気づけば呟きが漏れていた。
まさかいきなり魔法をぶっ放されるとは思わなかったが、なんとか死なずに済んだ。
しかしフリードの胸中には微かな焦りがあった。最初に戦った村人の強さが予想以上だったからだ。
この村にどれほどの戦力があるのかは分からないが、狩人達が全員ヨミト並に強いのであれば同時に戦うのはかなり危険だ。正直、甘く見ていたかもしれない。
一度村を出るべきかと真剣に考え始めた時、ふとフリードの両目が大きめの建物を捉える。扉には『酒場』と書かれた古いプレートがかかっていた。
「そういえば、うまい飯が出るってセーラが言っていたな」
フリードは商店街の女店主の言葉を思い出した。確かマスターの作る料理が絶品らしい。
揉め事を起こしてしまった以上、この村に長く留まるのは危険かもしれないが『腹が減っては戦はできぬ』という言葉もある。うむ、何度考えても良い言葉だ。
自分が敵陣の中にいることを早速忘れてしまったフリードが酒場に近づこうと足を踏み出した瞬間、突如分厚い手に肩を掴まれる。
「おい、逃さねぇぞ」
威圧的な声に振り返るとそこには見知らぬ三人組が立っていた。
弓や剣などを担いでいる彼らは荒事を得意としているのが分かるガッシリとした体つきだ。
普通であれば身構えてしまう状況だったが、自身の肩を掴む手をなるべく優しく払ったフリードは穏やかな口調で尋ねる。
「何か用か?」
先ほど、ヨミトに乗せられてつい本気になってしまったことをフリードは密かに反省していた。そのためまずは穏便に対応しようと考えていたのだが、フリードの態度を三人は侮られていると受け取ってしまう。
先頭に立つ細身の男が苛立った顔で口を開く。
「舐めやがって……まぁいい。俺は狩人のパイロだ。フリードという余所者を探しているんだが、もしかしてお前がそうか?」
「ん? 誰に聞いたのかは知らんが、いかにも俺がフリードだ」
胸を張って答えたフリードにパイロたちは驚く。
盗賊よりも強いモンスターを倒しただけでなく、子供を守りながらミアの森から生還した人間がまさか自分達より年下の青年だとは思わなかったのだ。
イラついた態度を隠そうともしない取り巻きが値踏みするような目でこちらを見つめる。
「こんな奴が本当にミアの森から生還したのか? パイロさん、別人じゃないですか?」
「もしくは狩長の倅が嘘をついたのかもしれないっすね……っていうか何で黒焦げ?」
ヘラヘラしながらこちらを不躾に眺める男達。
それは穏便に対応するという誓いを早速忘れかけるほど不快な態度であった。
「用件はなんだ」
思わず不機嫌な声が出てしまう。
フリードの反応を見たパイロは何故かニヤッとする。
「今朝、村のガキが誘拐されたんだ。結局そいつは帰ってきたんだが、どうやらお前に助けてもらったらしい。だがガキの言うことをそのまま信じるわけにはいかねぇ。俺たち狩人には村を守る義務があるからな」
「だから用件はなんだと聞いている」
「まぁまぁ、そう怒るな。実は手紙が残っていたんだが何か知っているか? 『子供は預かった。返してほしければ森の空き地まで来い』と書かれてあった。これはお前が書いたんじゃないのか?」
断定的な口調。パイロがこちらを疑っているのは明白であった。
森で助けたビルのことを言っているのは間違いないだろうが手紙のことは初耳だ。
「そんな手紙は知らんが、ビルを村まで送ったのは事実だ」
「ほぅ? じゃあ黒いゴブリンを倒したのは本当なのか……なぜ森にいたんだ?」
段々と苛立ってきた。こいつの話し方はどうも癪に触る。
そろそろ我慢の限界を迎えそうだったフリードは無視して立ち去ることにした。
しかし振り返って歩き出そうとすると先ほどよりも強い力で肩を掴まれる。
「おっと、まだ話は終わってないぞ……なんだ、その顔は? 拘束してじっくり話を聞いてやってもいいんだぞ?」
気持ちが顔に出ていたのかパイロが意地の悪い顔でニヤリとする。
後ろの取り巻き達も手の関節をパキパキと鳴らしながらニヤニヤとこちらを眺めている。どうやら最初からそのつもりだったらしい。
その時、フリードの堪忍袋の緒がついに切れた。
「やってみろ。できるものならな」
挑発めいた台詞に三人の表情が怒りに歪み、一番近くにいたパイロは不意にこちらの鳩尾めがけて拳を放つが、余裕で受け止めたフリードはパイロの腕を掴むとその場でグルグルと回転して取り巻き達に向かって思い切り投げ飛ばす。
突然のことに全く反応できなかった二人はパイロを支え切れずに纏めて地面に倒れてしまう。
「てめぇ! やりやがったな!」
怒る男たちを見るフリードの視線は呆れの感情が含まれていた。
正直、拍子抜けであった。
ヨミトが呼んだ増援かと最初は警戒していたが別口のようだ。この程度であれば恐れる必要は無い。
そんなことを考えていると起き上がったパイロ達が殺意に満ちた目でこちらを睨みつけるが、その視線をものともしないフリードはポケットに手を突っ込んで迷惑そうに口を開く。
「仕掛けたのはそっちだろ。やはり穏便な対応は性に合わないな」
「くっ……お前ら、獲物を抜け!」
腰に刺していた剣を勢いよく抜くパイロ。
しかし取り巻き達は困惑した反応を見せる。
「えっ、それは…‥狩長にバレたらやばいですよ」
「俺の言うことが聞けないのかっ!」
パイロの怒鳴り声にビクッと体を震わせた二人は結局覚悟を決めた表情で武器を構える。
侮っていた年下の男にやられたことがパイロのプライドを傷つけていた。ここまで揉めてしまった以上、逃せば手柄どころか懲罰対象だ。
こうなったらフリードから襲ってきたことにして口封じをするしかない。そう決断したパイロは剣を抜くと殺気を宿らせる。
「覚悟しろや!」
さっそく取り巻きの一人がフリードに飛びかかるが、上半身に向けて放たれた剣を難なく避けたフリードはお返しとばかりに目にも止まらぬ速さで男の鳩尾に強烈な一撃を叩き込むとそいつはうめき声をあげて倒れる。
それを見たもう一人の取り巻きはフリードの動きが目で追えなかったようで目を白黒させており、そんな男に一瞬で近づいたフリードは同じように拳を叩き込んで昏倒させる。
「背中ががら空き……ブヘェ!」
取り巻きの二人がやられた直後に背後から飛びかかったパイロだったが、勿論気づいていたフリードの回し蹴りを食らい台詞の途中で蹴り飛ばされてしまう。
なさけない声を出しながら地面に倒れ伏したパイロは苦悶の表情を浮かべる。結局、フリードを襲った三名はわずか数秒で倒されてしまうことになった。
「もう終わりか?」
悔しそうに歯軋りをするパイロ達を見下ろしているといくらか気分も晴れる。
穏便に対応すると相手が付け上がることをフリードは学んだのであった。
痛みで立ち上がれない三人を眺めながらどうすべきか悩んでいると隣から気配を感じる。
「そこまでだ!」
響いた声に全員が視線を向ける。そこには腕を組んで仁王立ちする一人の男がいた。
ガッシリとした体格に鋭い眼光。こいつは少し強いかもしれない。
しかし新手だと思われた男はパイロ達に向き直ると腹に響く低い声で喋りだした。
「全員武器を納めろ」
「狩長……」
突然現れた狩長のジルに取り巻き達が分かりやすく取り乱す。
ジルがこちらの意思を確認するように目を向けてきたのでフリードは肩をすくめて戦う意志が無いことを示す。
それを確認するとジルは倒れる三人に厳しい口調で説教を始めた。バツが悪そうにパイロは視線を逸らし取り巻きの二人は青い顔で俯く。
もう暴れるつもりは無いことを確認したジルは溜息を吐くと淡々とした口調で命令する。
「手当が必要なら診療所に行ってこい。それから罰として二週間は村の門番をやってもらう」
素直に指示を受け入れたパイロ達はうなだれながらその場から立ち去る。
彼らが見えなくなるとジルは申し訳なさそうにこちらを振り向いた。
「うちの連中が迷惑をかけた。すまなかった」
「問題ない。俺は無傷で済んだからな」
ジルが頭を下げるとフリードは首を振る。
暗に『苦労せずに倒せた』と言うフリードにジルは苦笑しながらも手を差し出す。
「俺はジル。こう見えて狩長をやっている。一応すべての狩人に命令ができる立場ではあるが、さっきのように反抗的な奴らもいてな……苦労の絶えない管理職だと思ってくれ。そしてフリード君が助けてくれたビルの父親でもある」
最後の台詞にはフリードも少し驚かされる。
まさか偶然助けたのが狩長の息子だとは思わなかった。
「そうだったのか! ビルは無事か?」
「問題ない。目をキラキラさせながら君の武勇伝を話してくれたよ。将来のことで悩んでいたはずだが、前よりも明るくなった気がする。何か知っているか?」
首を傾げるジルにフリードは表情を緩める。
最後に助言をしたが少しは効果があったようだ。
「いや、心当たりはない。とにかく元気そうでなによりだ」
「君のおかげだよ。本当にありがとう……っと、そろそろ俺は行くとする。マスターへの報告も終わったことだし」
「狩長のあんたが報告? 酒場のマスターに?」
村を守る狩人、そして狩長。
パイロのせいでフリードの中の評価が若干下がったのは事実だが、仮にも狩人を束ねる狩長が報告する相手とは一体どんな人物なのか。
黙ったまま脳内で考えを巡らせているとジルが苦笑いをした。
「この村にも色々あってな……とにかく頼りになる人だよ。ところでフリード君も目的があって村に来たんじゃないのか? もしかしたらマスターが力になってくれるかもしれんぞ」
ジルは軽く手を挙げて別れを告げるとそのまま去っていった。
器が広い、それがフリードの受けた印象だった。先ほど絡んできた三名よりも強そうな雰囲気はあるし、他の狩人を束ねる存在ということは実際強いのだろう。
最後の台詞が若干気になったがフリードは気持ちを切り替えると酒場の扉を押し開けた。