12
寂れた村の中にも連日人が集まる場所がある。商店街だ。
村の中心に位置する商店街では広い道の両脇を数十件の店が連なっており、朝から晩まで人で溢れている。村の外が狩人の戦場であるならば、商店街は商人達の戦場であった。
「いらっしゃ〜い! 今朝取れたばかりの野菜だよ!」
「そこのあんた! うちの肉を買っていきなよ。安くするよ!」
今日の商店街も賑やかで逞しい商人達の声が飛び交っている。
とある果物屋では女店主が元気な声で客の相手をしていた。
「リンゴ四個ね、まいどあり!」
「いやぁセーラちゃんのとこの果物は美味しいねぇ。いつも多めに買っちまう。ところで今度酒場で一杯どう?」
「あら、ありがとう。でもあんたの奥さんがあそこで睨んでいるわよ?」
「げ! い、今の話は忘れてくれ!」
自身に向けられた怒りの感情を察知した男は焦った様子でその場を離れた。
奥さんと目が合ってしまい苦笑いを浮かべたセーラに、待っていた次の客が声をかける。
「3つくれ」
「はいよ〜。おや、見ない顔だね。あたしはセーラだ、よろしく!」
「フリードだ。ここにはさっきついた。それよりこのリンゴ、うまいな」
代金を手渡したフリードは早速口に入れたリンゴの美味しさに目を見張る。
寂れた村でこんなにも美味しい果物が売られているとは思っていなかった。
「それは嬉しいね! じゃあ後で酒場にも行きなよ。あそこのマスターが作るご飯は絶品さ」
「そうさせてもらおう。ちょっと聞きたいんだが、この村に髪の色が金……」
「おい! どうなっているんだ!」
その時、突如近くの店から男の声の怒鳴り声が聞こえてきた。
会話を中断した二人が声の方を見ると数軒隣の店で長身の男が老婆に食ってかかっていた。
周りでヒソヒソと話す人達の会話を盗み聞きした結果、どうやら値段に納得がいかない男がいちゃもんを付けているらしい。
「なんで防具がこんなに高いんだよ! 足元見過ぎじゃねぇか?」
「既に限界まで下げた値段だよ。買わないんならとっとと去りな。商売の邪魔だ」
横柄な態度の男は見るからガラが悪そうだが老婆に臆した様子は無い。
そうこうしているうちに長身の男が腰に携えていた斧を抜いて相手を脅し始める。
「おいババア、口の利き方には気を付けろよ。俺の機嫌を損ねたら無事じゃ済まないぞ?」
「あんたがどこの誰かは知らないが、騒ぎを起こして後悔するのはあたしじゃないよ」
「あぁん? 一体どういう意味だ」
だんだんと雰囲気が怪しくなってきた。
周りで見ていた野次馬達も二人の間に漂う緊張感に気づいて口を閉じる。喧騒に包まれていた商店街が徐々に静かになっていく。
一方のフリードは先ほど買ったリンゴが気に入ったようで二つ目に手を伸ばしながらセーラの方に顔を向ける。
「あれは放っておいていいのか?」
「ん? ああ、大丈夫よ。たまにああいう客がいるんだけど私たちも慣れているし。巻き込まれたくなかったら離れていた方がいいわよ」
「いや、俺は大丈夫なんだが……婆さんを助けないのか?」
変な勘違いをされてしまった。
正直、すぐそこで怒りをあらわにしている男は全く強そうには見えない。もし自分が相手だったら既に勝負はついているだろう。
しかし対峙する老婆は男以上に荒事とは無縁そうな見た目をしている。
リンゴを頬張りながら尋ねるとセーラは意味ありげに笑った。
「お婆さんが危ないって思うでしょ? でも本当に危ないのはあの男の方よ」
一体どういうことなのか。明らかに助けに入るべき場面だとフリードの直感が告げている。
『後悔するのはあたしじゃない』などと言っているがどう考えても長身の男の方が強そうだ。
危なくなったら止めに入ろう。そんな風に呑気に考えていたフリードだったが思った以上に事態の進展は早かった。
「そこまで言うなら教えてもらおうか。どうやって俺を後悔させるのかをよぉ!」
わずかに残っていた理性が消え、目の前の老婆を殺すことにした男が斧を振り上げる。
それを見たフリードは一瞬で背中から大剣を引き抜いて地面を蹴る。
「おい、どこが大丈夫なんだ!」
視線の先では男の持つ斧が立ち尽くす老婆に向かって既に振り下ろされ始めていた。何もしなければあと数秒の命だろう。もはやフリードでさえ間に合うか分からない。
「くっ……間に合え!」
更に速度を上げて飛ぶように老婆の元へ駆ける。セーラの言葉を信じるべきではなかったと後悔の念が頭をよぎった。
しかしフリードが手を出すまでもなく斧が老婆を傷つけることはなかった。
「ぶへっ!」
突如、見えない衝撃に襲われた男が呻き声をあげながら勢いよく吹っ飛んだのだ。
男はくるくると回転して数メートル先の地面に叩きつけられるとそのまま意識を失った。
一瞬の静寂。声を発する者はおらず皆黙ったまま成り行きを見守っている。
老婆は気絶した男の元まで近づくとニヤッとした。
「だから言っただろ……後悔するのはあたしじゃないってね」
得意げな口調で笑みを浮かべる老婆。
その瞬間、商店街を大歓声が包み込んだ。
「ざまぁみろ!」
「いつ見ても気持ちが良いわね」
「これに懲りたら真面目に生きなさいよ!」
店主や客達の囃し立てる声があちこちから聞こえる。
やがて盛り上がっていた観客が離れて行くと商店街は元の喧騒を取り戻したのであった。
すぐ近くで一部始終を見ていたフリードは大剣を構えたまま固まっていた。
「一体、何が起きたんだ……?」
目の前で何が起きたのか未だに理解が追いつかない。
呆然としていると後ろから突然肩をバシッと叩かれる。
「あっはっは! だから大丈夫って言ったでしょ。そんなに私の言葉は信用ならなかった?」
「……説明してくれ」
大剣を戻しながら弱々しげに言うとセーラは自慢げに胸を張った。
そして怪訝な顔をするフリードから視線を外して老婆の方を指差す。
「ふふ、あそこを見てごらん」
セーラの指を追って振り返ると、老婆の店の近く一人の青年が立っていた。
なぜ先ほど気づかなかったのか。そう思ってしまうほど青年の外見は目を引くものであった。
均整の取れた顔と深海のように透き通った青い瞳はすれ違った者が思わず振り返ってしまうくらい綺麗で、耳を覆う金色の髪は太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
全身が隠れる白いローブを着ているそいつはまさに美形と呼ぶのが相応しい見た目であった。
青年は老齢の女店主に近づくと親しげに声をかける。
「お怪我はありませんか? 僕がいるからって相手を挑発しないでくださいよ」
女性のような高い声に丁寧な言葉遣い。
青年が呆れるように言うと店主は朗らかに笑った。
「ほっほっほ。どうせヨミトが守ってくれるならと思って調子に乗ってしまったよ」
どうやら青年の名前はヨミトと言うらしい。
その後、店主に別れを告げたヨミトはふと足を止め、こちらを振り返った。
目があった二人の間にしばらく無言の時間が流れる。
しかしすぐにフリードから視線を外すとそのまま商店街の奥へと消えて行った。
「今の奴は?」
去っていくヨミトの背中から視線を外さないままフリードが告げた。
その様子を見つめるセーラは笑顔で答える。
「彼はヨミト君。村では珍しい他所から引っ越してきた子なんだけど、今みたいに揉め事が起きると助けてくれる優しい子なの。でも怒るとむちゃくちゃ怖いらしいから気をつけてね」
「ほぅ……やはりあいつが男を吹っ飛ばしたのか」
「そうなんじゃない? 私はただの商人だし、どうやったのかは知らないけどね。気になるなら本人に……あ、いらっしゃいませ!」
騒動が終わってセーラの店にも再び客が集まり出す。
フリードはヨミトが向かった道に目を向ける。
店が立ち並ぶ商店街の奥には細い道が一本あり、どうやら村の奥へと続く道のようだ。
「金髪……」
すれ違う人々にも聞こえないほど微かな呟き。
目があったのは一瞬だったが、あの青い瞳からは不思議な力を感じた。
何が起きても良いように辺りを警戒しながら、フリードは商店街の奥へと進んで行った。